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![]() 〜 リュウイン篇 〜
2006.12.14
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「今まできかされてきた言葉を、そのまま人に転じるのか」 「何のことです?」 「そなた自身の言葉で語りなさい。でなければ、言葉は虚しい」 謎かけのようだ、とエドアルは思った。 しかし、ここで意味がわからないなどと答えては、まるで自分は愚かだと白状するようなものだ。 ここは、話を元に戻そう。 「姉上、私はエリザ姫に下品な言葉づかいをやめなさいと注意しているのです。ムカつくなどと言うものですから」 「だって、子ども扱いしたり、オトナ扱いしたり、勝手なんだもん。 リズが鼻声で叫んだ。 「ほら、すぐに叫んだりして。静かに話せないのですか」 「なによ! バカにして!」 リュウカが席を外した。リズの隣にかがみこむ。 「お姉さままで!」 「ほら、姉上だってあきれていらっしゃる!」 エドアルは勝ち誇った。 「あなたには、自覚が足りないんです。私の妻になる前に、きちんとしたレディになってもらわなくてはね!」 リュウカはため息をついた。 「リズ、きっかけはなんなのだ。よく思い出してごらん」 「きっかけ?」 少しの沈黙。 「よくわからないわ。私、オレンジを持ってきて、ジュースにしてちょうだいって……」 あっ、とリズは顔をあげた。 「アルは、ジュースなんて子どもの飲むものだってバカにしたのよ!」 「晩餐には、イチゴワインと決まっているのです。国王がお決めになったことですからね」 エドアルは得意げに言った。 リュウカが苦笑した。給仕に声をかけた。 「ジュースをエドアル殿下にも」 「おそれながら、晩餐にはイチゴジュースと決まっております」 給仕はエドアルのときと同じように答えた。 リュウカは手を上げて遮った。 「せっかく食料庫から出していただいたものだ。ムダにしては申しわけがない。上には、私から話しておくから」 「おそれながら殿下……」 「そなたには迷惑をかけない。実は私もあのワインが苦手なのだ。あれを出すと言い張るなら、今すぐ大広間に駆けこんで直訴する」 「では、そうなさってください」 にべもない。 リュウカは立ちあがった。 「姉上! 早まらずに!」 エドアルは手を伸ばしたが、届くはずもない。 リュウカは身を翻し、まだ入ってきたばかりの扉から消えた。 「姉上!」 「お姉さま!」 リズとエドアルはバタバタと後を追った。 たかが食前酒ひとつのことではないか! どうして大騒ぎになるのだ? エドアルは額に手をやった。 エリザ姫どころじゃない! 姉上こそ狂ってる! 黒髪が廊下の角を曲がるのが見えた。 必死で追いかけた。 途中で見失った。 王に話に行ったのなら、大広間のはずだ。毎晩宴会を開いているのだから。 たしか、こちらのはず。 うろ覚えで歩き、衛兵を見れば道を訊ね、ようやく人の喧噪を耳にしたときにはホッとした。 角を曲がると、視界が開けた。広い中庭に燭台が並べられ、庭を煌々と照らしていた。そこに着飾った貴婦人や紳士たち。 もっとも手前に、黒髪の女がひざまずいていた。 髪から何かがしたたり落ちている。とめどなく。ドロリドロリと。 視線をあげれば、太った男が両手に大ぶりのグラスを掲げ、逆さまにひっくり返しては黒髪に浴びせているのだった。 リュウイン国王! エドアルの足は鈍った。 国王は酔ったような満足げな笑みを浮かべ、笑い声をあげていた。 「飲め! 飲め! レイカ!」 「旨いか? 旨いだろう! 遠慮するな! レイカ!」 エドアルは足を止めた。 すくんだ、と言ったほうが正しいかも知れない。 国王は、幽霊を相手に話しているのだった。 「レイカ、予の気持ちがじゅうぶんにわかっただろう! 許してくれと言え。もどってくると言え。愛していると言え。レイカ!」 国王はグラスを放り投げ、黒髪の女の肩をつかんだ。 「恐れながら、私は母上ではございません」 リュウカが低い声で言った。 「それは当然だろう」 国王が大声で笑った。 エドアルはホッとした。リュウイン王は、正気を保っている。今までは悪ふざけが過ぎただけなのだ。 しかし、安堵は一瞬にして打ち砕かれた。 「おまえは萌黄の方ではない。あの方は国王の花嫁を装いながら、実は息子のカルヴなどと通じていたけしからん女だ」 な……なんだと? 頭に血がのぼった。 父上を侮辱するか! 「おまえも、そのあばずれの血を引いている。だが、予は許してやるぞ。許してやる! 代わりに、今の男のクビを持ってまいれ! レイカ!」 「私はリュウカでございます」 リュウカの声は低く震えていた。恐怖とも怒りともつかぬ声だった。 「リュウカだと!」 国王は目をむいた。 ぎょろりと、まぶたが剥けてしまったように見えた。白目が飛び出したようでもあった。 絵本で見たことがある、とエドアルは思った。 化け物が正体を現すときの顔だ。 「あの男の子か! あの憎らしいあの男! 言え! 今レイカはどこにおる! あの男はどこだ! 切り刻んでやる! レイカはどこだ!」 国王の両手が肩から滑った。長い首を締めつけた。 「死ね! 死んでしまえ! あの男の娘め! あの男と一緒に、地獄に落としてやる!」 リュウカはじっと国王を見ていた。 それから、ゆっくりと国王の腹を蹴った。 国王は後ろへひっくり返った。 「殺せ! これを殺せ! クビを斬るのだ! クビを斬って城門にさらせ! これを見れば、レイカも目が覚めて予の元に帰ってくる! さっさと斬れ! ほうびをとらすぞ!」 ひっくり返ったまま、国王は叫んだ。 場が凍りつく。 「陛下!」 人ごみをかきわけて、小男がやってきた。 宰相ランベル公だった。 「陛下、お酒が過ぎましたか。ここには誰もおりませんぞ。さあ、しっかり」 「レイカを返せ! 予のレイカ! レイカ!」 リュウカは身を翻した。 エドアルの横を通り過ぎた。 ようやく呪縛が解け、エドアルはリュウカを追った。 またしても見失ったが、床にべったりと塗り残された赤黒い液体が、行き先を告げていた。なめくじの痕のように、ぬめり光っていた。異様に甘く薬のような匂いが鼻腔を満たした。 まるで、鼻の粘膜にまとわりつくようで、気持ちが悪い。 軽いめまいを覚えながら、エドアルはイチゴワインの痕をたどった。 迷路のように入り組んだ廊下を過ぎ、地下へと降りていた。 石造りの冷えた廊下に、細く灯火がともっていた。 ガタン、バタンと、荒々しい音がした。 そっとのぞいてみると、ぐっしょりと濡れたドレスと濡れ髪の女が、扉を片っ端から開けているのだった。 巨大な剣を振り下ろし、錠を壊して、重い木の扉を蹴り開けた。中に入り、漁っては出て、また隣の扉で同じことを繰り返す。 狂っている、とエドアルは思った。 暗闇の底で、狂人とただふたりきり、取り残されている。 動けなかった。 食い入るように女の姿を見つめていた。 |
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