〜 リュウイン篇 〜

 

【第95回】

2006.11.13

 

「私、まだ結婚したくないわ」

 リズは朝食後、ぷいといなくなってしまった。

 なぜうれしくないのだろう!

 エドアルには納得がいかなかった。

 まだ遊びたいのだろうか? いつまでも遊んでいられるわけではない。来年は成人するのだから、そろそろ支度があるだろう。成人してからでは間に合わない。

 成人というのは、その日から大人の仲間入りをすることで、大人の支度を始める日ではない。

 もしかして、そんなこともわからないのか?

 子どもなのだろうとエドアルは結論づけた。

 マムやリリーなどのような、どこの馬の骨ともわからぬ者を教育係につけるからだ。由緒正しき家柄の者はいなかったのか?

 叔母上とは立場が違う。叔母上は下々の者を『保護』したのだ。教育されたわけじゃない。

 今ごろ愚痴ても仕方がない。これからは、私が正しく導かなくては。

 それが、まともな夫の務めである。

 姉上にも協力してもらおう。

 決意を胸にリュウカを探した。

 部屋にはいない。リズの部屋もからっぽだ。

 王族の棟を出てしまったのか? 姉上も自覚がない! 下々の者と気安くふれあってはいけないお立場なのに!

 エドアルは侍女を呼びつけた。

「ヴァンストンを呼ぶように」

 しかし、戻ってきて言うには、ヴァンストンは居留守を使っていると言うのだ。

 どうなっているんだ? この国は!

 悪しき空気ゆえに、忠臣まで狂ってしまったのか。

 エドアルは出向いた。じかに呼び、性根をたたき直すしかない。

 鞭をとり、王族の棟を出る。

 渡り廊下を通り、中庭に目をやる。

 まぶしい日差し。小さな庭に緑の芝生と小さな木陰。仲むつまじげに男女が木陰で笑っている。

 のどかさが、神経を逆なでした。

 朝から怠けていないで、働け!

 そのとき、男の髪が金色に光った。

 あ、と思った。

 もしや!

 女の髪は黒髪だった。

「姉上!」

 怒鳴った。

 体がカッと熱くなった。

「そのような下々の者と!」

 芝生の中に踏みこむと、こめた力でムダに沈んだ。

 足をとられ、歩みが遅くなる。それがまた、さらに苛立ちを募らせた。

「離れろ! 下賤!」

 手を振り、気づいた。

 ちょうどいい!

 鞭はよくしなった。

「穢れが移る! 離れろ! 姉上の清い体を汚すな!」

 鞭はうなりをあげた。

 黒髪の女がわりこみ、剣のさやを掲げた。

 鞭はたちまち巻きついた。

 鞘が引かれると鞭の取っ手もまた引かれ、エドアルの手からするりと抜けた。

「あっ!」

「それぐらい、オレだって受け流せるぜ」

 金髪の男が鞭をほどいた。

 黒髪の女のぴたり斜め後ろ、息がかかるほどの近さである。

「はっ、離れろ!」

 エドアルが駆け寄ると、金髪の男が鞭を持った。

「やっ、やめろおおっ!」

 両腕で顔をかばった。

「なにやってんだよ」

 金髪の男が吹きだした。鞭の取っ手を差しだしている。

「おまえが悪いっ!」

 エドアルは怒鳴った。

「素行が悪いからっ! 日頃の姿を見たら、誰だってやり返すと思うだろうっ!」

 ほとんどリュウカへの言いわけである。

 ひったくるようにして、鞭を取り戻す。

「ダメにしてしまったな」

 リュウカは元いた場所に戻って、椀を拾いあげた。

「服汚れた?」

「いや」

「じゃあ、これ飲めよ」

「おまえの分だろう」

「オレはあとからいくらでも食えるからさ。あんたは、今食っとかないとダメだ」

 むむむ。

 まだやってる!

「姉上! こんなところで、こんなヤツと何なさってるんですか!」

「メシ」

 けろりとした顔でヒースが答えた。

 エドアルは思い当たった。

 そういえば、朝食の席で、姉上はほとんどなにも口にしなかった。

「おまえが心配することではない。姉上は昨夜晩餐会で多々召されて、空腹でいらっしゃらないのだ」

「バカはほっといて、リュウカ、食えよ」

「おまえがあがりなさい」

「バカだと!」

 鞭の取っ手に力をこめる。

「言うに事欠いて、一国の王子を卑しめるか!」

「わかった、わかったって」

 ヒースが苦笑した。

「やんごとないお姫さまは、その晩餐会とやらでも何にも召しあがってねーの」

 リュウカが手でさえぎった。

 ヒースから椀を取り、一気に飲み干す。

「すまぬな」

 椀を返して身を翻した。

「姉上!」

 エドアルは後を追った。

「あんな下々のものを召し上がって! おなかを壊されたらいかがなさいます!」

「毒は入っておらぬ」

 毒!

 一気に背筋が冷えた。

「縁起でもないことを! ご冗談はおやめください! なんのためにここへ参ったのです!」

「リズとは仲直りをしたのか」

 うっ。

「そっ、それは……」

 一瞬言いよどんだが、思いだした。

「そっ、そのために姉上をお探し申しあげていたのです! エリザ姫によい教育係をつけませんと! このままでは貴婦人としての気品が身につきません!」

「リズはよい子だ」

「それは私も認めます。でも、一国の王女としてはまだまだ足りません! 民の見本となるような立派な貴婦人にならなくては! そのためにも、きちんとした教育係をつけて躾ませんと!」

 リュウカは立ち止まった。

「エドアル」

「はい」

 やっと、本気になってもらえただろうか?

「まずは、そなた自身が学びなさい」

 エドアルは一瞬黙った。

 なるほど、もっともだ、とうなずいたからではない。

「姉上、話をそらさないでください。私はエリザ姫のことを話しているのですよ」

「そなたはこの国に来て浅い。学ぶ必要がある」

「それはその通りですが、それとこれとは違います。私が勉強するならなおのこと、エリザ姫を放っておいてよいのですか!」

「龍でもないのに、猫の仔を龍の仔と見分けられようか?」

「姉上の言うことは、てんで的はずれです! 私はエリザ姫のことは昔から知っているんです! それに、エリザ姫は最初から一国の王女です! 猫の仔とはワケがちがいます!」

 リュウカは小さく息を吐いた。

「そなたは、モノをよく知っておるようだ。私よりもな」

「姉上、ご立腹なさったのですか?」

「ほかに意見が欲しいなら、ほかを当たりなさい」

「姉上! ご機嫌を直してください! 私が悪かったのなら謝ります!」

 リュウカは首をふった。

「言いたいことは言った。後は自分で考えなさい」

 

   

 

 

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