城に到着すると、宰相が迎えでた。
「お急ぎください。夜会にて、殿下を紹介なさると国王陛下がお待ちかねでございます」
「いきなり、なんです!」
リリーが前に出た。
「今からお支度などできませんよ! ドレスもご用意できてませんし、髪結いだって!」
「こちらでご用意いたしております」
「間に合わせなんかで、うちの大事なちい姫さまを出せますか!」
「今さら衣装屋選びからとはまいりますまい」
「いいえ! イチから手順を踏んでいただきます!」
「しかし、今宵の夜会は国王陛下の仰せで」
「あんな男の言うことなんか、とりあっていられるもんですか! ちい姫さま、お部屋に参りますわよ」
「ここは離宮ではございません。城では城の主のご意向に従っていただきます。それに前の王后陛下のご友人方が首を長くしておいでです」
リリーはためらいを見せた。
「お姫さまのお友だち?」
「ヴァンストン卿はどちらに? 医師を待たせております。一刻も早くお手当を」
「もう済みました! おまえの手なんか借りるもんですか!」
「リリー」
リュウカが首をふった。
「エドアルの大事な友人だ。大事をとって診てもらいなさい」
宰相が指図すると、兵の陰から医師の一団が現れ、ヴァンストンを担架に乗せた。
「こっ、殺されるぅ!」
どんなになだめても、ヴァンストンはきかなかった。手をやいた医師たちは薬で気を失わせ、運んでいった。
「では、殿下はこちらへ。ほかのみなさまがたはお疲れでございましょう。お部屋にご案内いたしますので、ごゆるりとお休みください」
宰相は手を叩いた。
侍女たちが現れ、優雅な物腰で一礼した。
「リズのじーちゃん。警備が手薄だったぜ」
次々に散る一行を見送りながら、ヒースは宰相に話しかけた。
「あれでエドアルやリュウカがやられてたら、どうするつもりだったんだ?」
「下手人は私だとお考えになりませんので? 少なくとも、お母君はそう思われているようにお見受けいたしますが」
「今、死人が出て困んのは、あんただろ。だからさ、ここでは手抜かりなくやってくれよな」
「子爵どのは変わっていらっしゃる。私を信用なさいますか?」
「信用っていうよりは……」
ヒースは頭をかいた。
「わかんねぇんだよな。なんでそこまでリュウカを殺したがるんだ? 放っとけば、さっさと草原に帰って、こっちには手出しをしねぇよ。あんたの孫は安泰さ」
「殿下に危害をですと? おお、とんでもない」
宰相は大げさに首をふってみせた。
「私は国王陛下の忠実な僕《しもべ》でございます。お疲れでございましょう。お早くお休みくださいませ」
タヌキジジイ。
侍女が進み出て、ヒースを部屋に案内した。
「まずは、湯浴みを」
室内には、湯女が大勢待ちかまえていた。
すべて退がらせ、埃と汗を洗い流した。細い金髪を念入りに洗い、湯船からあがると、バスローブだけが用意されていた。
声を出して呼んだが、誰もいない。
なるほど。
これじゃ、出歩けないもんな。
脱いだ服は持ち去られ、靴すらなかった。
先を読んでやがる。さすがはタヌキジジイ。
でも。
バスローブを身につけた。
好きにするさ。
廊下に出ると、衛兵が待ちかまえていた。
「おもどりください。外にはお出になりませんよう」
ったく。
「悪いんだけど」
衛兵を四人片づけ、侍女の棟に入った。
留守の部屋に忍びこみ、ドレスに着替えた。ややかっぷくのいい女なのだろう、胸も腹も大きく仕立ててあり、男の体でもラクに入った。丈が短いのは、仕方がない。年配なのだろうか、濃い色の髪粉があった。金髪にたっぷりふりかけ、目には影を入れ、口には紅をさした。
ガーダにいた頃、侍女たちにさんざん餌食にされたものだ。女顔に映えると言って、好き放題に化粧を施された。街では時折化粧した男も見かけたが、侍女たちが好んだのは、女用の化粧だった。
こんなもんかな?
夜会の場所は見当がついた。
あまりににぎやかだったのだ。
音をたどると、大広間から庭にかけてが、その会場だった。
辺りには甘い香りがたちこめ、テーブルには山盛りの菓子が並んでいた。
人々がグラスを掲げる。
「国王陛下、万歳!」
酒が勢いよく跳ねた。
「ずいぶん背の高い女だな」
中年の男が見とがめた。
身をかがめていたが、目立つのだろう。
途中、何度も衛兵につかまった。そのたびに始末してきたが、さすがに夜会の客を片づけるのはマズいだろう。
「こっちへ来い。女」
ヒースは人の中を突っ切った。
まだ捕まるわけにはいかない。リュウカはどこだ?
もっとも奥に、壇がしつらえられていた。
あれが国王か?
壇の中央に玉座が据えられ、太った赤ら顔の男が埋もれていた。ひどい猫背で、目つきが悪かった。
リズにもリュウカにも似ていなかった。横柄そうな唇はぽってりとふくらみ、舌がチロチロと出てなめ回す。
まるで、獅子を飲みこんだ、どん欲な蛇だ。
ヒースは思った。
腹に抱えて身動きもできないクセに、もう次の獲物を探してやがる。
国王はぽってりとした手を伸ばし、小卓から菓子をとり、口いっぱいにほおばった。
向かって左にはキャスリーン妃とアイリーン王女が座し、扇を手に笑っていた。
今日も派手なトサカだぜ。
金髪と見まがうほどに金の髪粉をふりかけ、王妃は小さな城を、王女は花いっぱいの馬車を載せていた。
後ろには侍女がひかえ、棒で首を支えている。
リュウカの姿はなかったが、国王の右に空っぽの椅子があった。
まだ来ていないのか?
時間稼ぎに、壁ぎわのテーブルからグラスをとる。
赤い液体に口をつける。
うあ。
思わず口から離した。
甘ぇ!
ひじょうに甘口のデザートワインだった。イチゴの強烈な香りが鼻を襲った。
国王が大口を開けて、ワインを喰らった。
オレも甘党だけど、さすがにこいつは。
よく見ると、来客のほとんどは唇を湿らす程度で、中身は減っていないのだった。
ずいぶんと経済的だな。
匂いにくらくらした。
壇の横のドアが開いた。
宰相が現れ、バカていねいに礼をした。
その後ろから、古めかしい青いドレスの女が現れた。
あの絵そっくりだ。
離宮の玄関に並ぶ肖像画。リズの前の女主人。前の王妃。
リュウカのかあちゃん。
でも、この女は傲慢そうじゃない。ずっと線が細い。だって、これはオレのかわいい……。
「レイカ!」
王が駆けよった。
「帰ってきたか、レイカ! 予のレイカ!」
その足下にひれ伏す。
「陛下、こちらにおわすは王女殿下であらせられます。陛下のお言いつけ通り、前の王妃さまのお召し物をつけられていらしたのでございます」
宰相が助け起こす。
「なにを言う! どう見ても、予の愛しいレイカではないか!」
国王は宰相の手を跳ねのけた。
「レイカ、愛しいレイカ、何か言ってくれ。予の名を呼び、やさしい言葉をかけてくれ」
リュウカは後ずさった。
「レイカ! どうした! 予を忘れたのか! それとも!」
国王の表情が豹変した。
「予よりも、あの男がよいのか! あの無礼な男が!」
異様な熱を帯びていた。瞬きも揺らぎもなく、一点を見つめて動かない。
「ご、ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」
リュウカがあえぐように声をしぼりだし、一礼した。
こんなに動揺するリュウカを見るのは初めてだった。
「レイカ! そうだ、予だ、国王だ!」
国王は小躍りし、リュウカの腕をつかんだ。
「そなたの夫だ。唯一無二の主人だ。予を愛しておるな? 愛していると申してみよ。みなも心して聴け!」
「おそれながら、国王陛下、この御方は前の王后陛下ではございませぬ」
宰相がたしなめた。
国王はうなずいた。
「そうとも! 現王妃だ! なあ、レイカ?」
「この御方は、王女殿下でございますぞ!」
「そうとも! レイカはパーヴの王女であった。だが、望んで予に嫁いできたのだ」
「我が国の王女殿下でございます。国王陛下の御子ではございませぬか!」
国王は首を傾げた。
「予の子は、アイリーンだ。そうだ。レイカ、予の子を紹介しよう。かわいい娘でな。きっと気に入るぞ」
「お気を確かに! 前の王后陛下レイカさまのひとり娘、リュウカ殿下であらせられますぞ!」
「リュウカ?」
眼が一転、憎悪に燃えあがった。
「情夫の娘か! あの男の娘だな!」
王杖をふりあげた。
「たばかったな! レイカのふりをして近づきおって! 汚らわしい! レイカはどこだ! 返せ! レイカは予のものだ!」
腕を、首を打った。
「言え! レイカはどこだ! 情夫はどこだ! どこにおる! 言わないか!」
腹を打ち、腰を打った。
「ご乱心を!」
宰相が手を打った。
「衛兵! 陛下をお寝み処に!」
国王は壇から飛び降りた。
辺りを見回し、何を血迷ったか、ヒースを捕まえた。
「レイカの居場所を言え! さもなくば、この女を切り裂くぞ!」
隠し持っていたのだろうか? 肉切りナイフをヒースに突きつけた。
「陛下! 穏やかに! 女をお離しください!」
宰相の顔色は真っ青だった。
リュウカはと言えば。
薄く笑った。
「へ、陛下、動いてはなりませんぞ。私が今、そちらへ参りますから」
「動くな! レイカだ! レイカを寄こせ!」
「へ、へ、陛下……」
リュウカは悠然と宰相を眺め、来客に向かった。
「余興はこの辺りで。私は第一王女のリュウカである。長らく留守にしていたが、隣国の王子エドアル殿下のご好意により帰国を果たすことができた。母とは離ればなれとなり、消息を知らぬ」
「殿下! 陛下を刺激なさっては……」
宰相がかわいそうなほどあわてている。
「もうひとり、ここで紹介したい。今宵の余興に参じた友人で、エドアル殿下の学友でもある」
ヒースに微笑みかけた。
ちぇっ。バレてやんの。
国王の腕を軽くひねり、肉切りナイフを奪い取った。
国王の眼が驚きに見開かれ、まもなく涙ににじんだ。
「痛いっ。痛たたた」
「王さま、粗相が過ぎるぜ」
衛兵がとり囲んだ。
国王をひき渡そうとすると、棒を突きつけられた。
「冗談よせよ」
リュウカが壇から舞い降り、兵をかきわけた。
「デュール・グレイ子爵である。今宵は国王陛下の興につきあい、捕らわれ役を引き受けてくれた」
「侍女のかっこで失礼するぜ」
ヒースは兵ごしに一礼してみせた。
「今宵はおおいに飲み、おおいに踊るがよい。楽士、なにか陽気な曲を!」
手を高らかに鳴らすと、楽団が明るい調べを奏で始めた。
「さすがでございますな」
宰相がささやいた。
「機転がおききになる。しかし、子爵どの、この有様は。お父君でさえ、ここまでやんちゃではいらっしゃいませんでしたぞ」
「オレより、あっちのがヤバいんじゃねぇの。狂ってるよ」
「陛下はひどくお心を痛めていらっしゃるのです」
「マジでそう思ってる?」
「子爵どのは、女の姿がよくお似合いで」
宰相は冷ややかに話題を転じた。
「かようなご趣味がおありとは」
「かあちゃんの真似しただけさ」
肩をすくめた。
宰相は国王を追って退室した。
「危うく不敬罪だぞ」
リュウカがささやいた。
「国王に暴力をふるって、よくも無事でいられる」
「笑ってたクセに」
「おまえがおかしかったのだ。化粧などして」
「うまいもんだろ?」
「紅は似合わぬ」
「あんただって、そのドレスは似合わねぇな」
リュウカは首を傾げた。
「母上の衣装だ。黒髪には合うと思うが」
「あんたとかあちゃんじゃ違うだろ。急いで詰めたのかも知んねぇけど、肩幅とか背丈とか合ってねぇぜ?」
「母上にはかなわぬ」
「そーゆー問題じゃねぇって! そういえば、さっき王さまが言ってたけど、あんた、王さまのホントの子どもじゃねーの?」
「どうかな?」
宰相がもどってきた。
「王女殿下。みながご挨拶いたしたいと」
貴族たちが列をなしていた。
「それぞれにお声をかけてくださいませ」
「オレも行くぜ」
口を開きかけたリュウカをさえぎった。
言いたいことはわかってる。退がれ、だ。誰がおとなしく言いなりになるもんか。
「子爵どのは壇上へは上がれませぬぞ。ご身分が」
「今夜はリュウカの侍女だよ。なあ?」
リュウカは苦笑した。
「冗談はともかく、壇の下に席を」
「王女殿下!」
「壇は好かぬ。下に席を」
「しかし……」
リュウカは身を翻した。
壇に手をかけ、華麗に上がった。椅子に寄る。腰を入れ、ゆっくりと持ちあげる。
「で、殿下、おやめください。それは男がふたりがかりでやっと……」
「こっちに降ろしてくれよ」
ヒースは壇の下で椅子を受け取った。適当な場所まで運ぶ。
「ここにいても退屈だぞ。退がって寝なさい」
「椅子、もうひとつ持ってくるよ。何か飲む? あの甘いイチゴワインは願いさげだろ?」
退屈な謁見は、朝まで続いた。