〜 リュウイン篇 〜

 

【第86回】

2005.2.16

 

 せかされて、深夜に城に入った。

「お待ち申しあげておりました」

 きらびやかな行列が、一行を出迎えた。

 なかでも巨大な頭をした派手な女が進みでて、リュウカを上から下まで眺めまわした。

「お出迎え痛み入ります。王后陛下」

 エドアルが宮廷風の礼をした。

「お疲れになりましたでしょう。今宵はゆるりとお休みくださいませ」

 エドアルから目を離し、再びリュウカを眺めまわす。

「お初にお目にかかります。リュウカ姫」

 勝ち誇ったような目。

 リュウカはおとなしく頭を垂れた。

「お目にかかれて光栄でございます、王后陛下」

「お母君とご一緒でなくて残念ですわ!」

 女の声がうれしそうに響く。

「今や後ろ盾のない身。王后陛下のご温情だけが頼りでございます」

 リュウカはますます頭を垂れた。

「お顔をあげてくださいまし」

 女の声はさえずり歌うようだった。放っておけば、踊りだしたかも知れない。

「本日今より、妾《わたし》をまことの母とお思いくださいませ」

 後ろにいる若い女を手招きする。王妃によく似た美人で、姉妹のように見えた。

「こちらはアイリーン王女、妾《わたし》の娘ですの」

「はじめまして、お姉さま」

 つりあがった目が光り、唇の両端がふくみありげに上がった。

「不思議ですわ。生まれたときから城におりますのに、お姉さまにお目にかかるのはこれが初めてだなんて」

「野育ちですので、いたらぬところ多々あるやも知れません。よろしくご指導のほどを」

 リュウカはへりくだって頭を垂れた。

「まあ、どちらの野のお育ちですの?」

 目の前の姫は、大げさに両手を口元にあてた。

「幼きはウィックロウ。近ごろはどことも知れず、馬を駆り、羊を追っておりましたので」

「羊って、なんですの?」

「アイリーン、それはラムのことですよ」

 王妃が大声で言った。

「まあ、おとうさまが見るのもおイヤという、あの臭い獣肉ですの? そういえば、ここも何か臭いませんこと?」

 アイリーンがわざとらしく鼻をくんくんと鳴らした。

「これは失礼いたしました。直ちに汗を流して参りましょう」

 リュウカが一歩退くと、アイリーンはかん高く笑った。

「しみついた臭いは、一晩ではとれませんことよ」

「臭いが移らないうちに、失礼させていただきますわ」

 王妃も高らかに笑った。

「姉上、なぜ黙って屈せられたのですか?」

 静かなところまで退くと、エドアルはなじった。

「あんなひどい侮辱を衆目の前で受けて」

 たかが口先に腹を立てている場合ではあるまいに。たとえ言い返したところで、水かけ論になるのは目に見えている。

 案内された客室はエドアルの部屋とは離れていた。

「ここなら、そなたを守る必要はない。支障はなかろう」

 抗議したがるエドアルをなだめた。

「しかし、姉上が……」

「そなたが守れるわけではあるまい」

 部屋に入ると、大勢の侍女たちが待ちかまえていた。

「まずは湯浴みを」

 ひとつの小さな湯船を十数人の湯女がとり囲んだ。

 リュウカは、湯船のそばに大小の剣を置いた。侍女たちがとがめたが、こればかりは譲らなかった。

 まだ、生きようと思うのか?

 ふと、リュウカは苦笑した。

 この絶望的な状況でも、まだ?

 しかし、母の遺言だったのだ。

 いまだ、己の生なるものは見つけられぬ。

 右の指を洗うと、湯女が交代し、左を洗った。手首から肘を洗うと、肘から肩までと、また湯女が入れ替わる。

 これでは、すべてが終わるまでに夜が明けそうだ、とリュウカは思った。これがリリーやマムなら、

『きちんと肩まで温まるんですよ。首の後ろから風邪はひくものですからね。髪はよく拭くんですよ。濡れたまま夜風に冷えたら、お熱が出ますからね』

 と言って終わりだ。

 湯浴みがこれでは、着替えは……。

 考えるのをやめた。これも苦行と思い、目をつぶろう。

「お待ちを!」

 扉の辺りが騒がしくなった。

「まだ湯浴み中です。お待ちを……」

 リュウカは剣に手を伸べた。さやを払い、湯船を飛びだした。

 泡を拭く間もなかった。

 ついたての向こうから、暗褐色の髪とヒゲに埋もれた顔が現れた。

 全身にとり肌がたった。

「レイカはどこだ」

 記憶にある声が問うた。

 腕が震え、ツバが鳴った。刃が明かりを受けて光った。

「おそろしい! 予に刃を向けるか!」

 見開く目。いつか見た、そのままに。

 頭の芯が熱くなり、リュウカは必死に正気を保とうとした。

「国王に刃を向ければ死罪ぞ。たとえ何者でもな。しかし、レイカの居場所を教えれば助けてやろう」

 柄《つか》が泡で滑る。

 拭くものが欲しい。されば、今すぐ斬れるものを!

 見開いた目が、泡まみれのリュウカの体を眺めまわした。

「父は……」

 乱入者は目を細めた。

「おまえの父は誰だ! まことのことを言え!」

 おまえだ、とは言いたくなかった。認めずに済むなら、どんな代償でも払っただろう。

「レイカは、今、その男のもとにいるのだな? では、おまえは何をしに来た! 予から金も力も奪い、レイカと情夫に運びにきたか! おまえにはビタ一文もやらん! いや、レイカの情夫など生かしておかん! どこだ! レイカは今どこにおる! 言え!」

 母上!

 リュウカはうめいた。

 国王は、手近にいた侍女の袖を引いた。懐から短刀を出す。

「レイカの居所を言え! さもなくば、この女の耳をそぎ落とす。それとも指、いや、目がいいか?」

 周りの侍女たちが悲鳴をあげ、逃げまどった。

 卑怯者め。

「命が惜しくないらしいな」

 リュウカは冷たく言い放った。

 人質など意味はない。この距離なら、不慣れな握りをしたあの短刀が侍女のどこかを傷つける前に、懐に飛びこみ、腹を蹴り、体を後ろに飛ばすことができる。

 だが、その時、国王の表情が変わった。

「その声。レイカにそっくりだ」

 目がうるみ、熱っぽいまなざしを向けられる。

 再び、全身にとり肌がたった。

「もっと言え。何か言え」

 リュウカはうろたえた。

「レイカの声で。予のレイカ」

 奇妙な恐怖が躰を貫いた。

「陛下! 国王陛下!」

 夜着に着替えた小男が血相を変え、飛びこんできた。

 だが、リュウカの目に、その姿は映らなかった。

 突進し、国王を蹴りとばした。国王は壁まで転がり、大の字になった。

「レイカ。愛しいレイカ」

 頭の芯が白く光った。

 ふり下ろす!

 

   

 

 

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