〜 リュウイン篇 〜

 

【第85回】

2005.2.9

 

 翌朝、出立した。

 エドアルは学友を三人連れていた。彼らは道中、エドアルを諫《いさ》めた。

「本日は王太子さまのご婚儀の最終日ですよ。御印《みしるし》を表されるのですよ。こんな大事な日に狩りとは。王太子さまの御不興をかわれます。どうかおもどりを」

「おまえたちは私と兄上とどちらが大事なのだ!」

「殿下の御ためを思えばこそ!」

 護衛はふたり。

「この祝いで人が集まらなかったのですよ」

 ひとりがリュウカにささやいた。

「陛下もお人が悪い。リュウカさまにご同行とおっしゃれば、いくらでも集まりましたものを」

 リュウカは、長旅でよくそうするように、髪を布で包んでいた。

「黒髪を見ずとも、ひとめでわかりますとも。お顔が母君そっくりです」

「母をご存じか?」

「大将の部下で知らぬものはございませんとも。さんざん泣かされましたからな」

「何か迷惑を?」

「迷惑などというものではございません」

 ふたりは笑い、パーヴ時代のレイカの悪行の数々をあげた。

「囚人をみな逃がしておしまいになった時には青くなりましたぞ。凶悪犯が多くおりましたからな。再度とらえるのに、何人傷ついたと思います? 大将が、あまり本気を出すなとおっしゃらなければ、命を落とす者もあったでしょう」

「凶悪犯もあったのに、なぜ本気を出すなと?」

「ひとつひとつ本気を出しては体が持ちませぬ。次々と無理難題を吹っかける姫がいらっしゃるのに!」

 ふたりは陽気に笑った。

 一方、エドアルは機嫌が悪かった。

「姉上」

 話に割って入った。

「あの驪《くろうま》はなんです?」

「蝙蝠《こうもり》か」

 見まちがうのもムリはない。青毛といえるほどに、毛色は黒かった。しかし、よく見れば、白い毛のわずかに混じる葦毛である。

「長にいただいた」

 王太子セージュに、と使いの者がことづかっていた。

 宝の持ち腐れだ。あんな男に、この誇り高い駿馬が乗りこなせるわけがない。

 勝手に連れだしたことは、後で知れるだろう。かまうものか。

「私にくださいませんか?」

「馬のほうでなんというかな。アレは乗り手を選ぶぞ」

「気が荒いのですか? おとなしそうに見えますが」

「気だてはやさしい。乗り心地は格別だ。ただ、草原以外の者に乗りこなせるかどうか」

「お任せください。私は馬は得意なのですよ」

 強く止めるべきだった、とリュウカは後から悔いた。

 手綱をとるやいなやふり落とされ、みなの面前でしたたかに背中を打ったのだ。

「乗る前でよかったな。落馬しては大事だった」

 慰めてみたものの、エドアルは前より不機嫌になってしまった。

「痛むか?」

「心が」

 むくれる背中は、醜く裂けていた。

「着替えぐらい持ってくるのでした! こんなかっこうで隣国を訪ねるとは!」

 国境は目の前だった。

「隣国へ行かれるのですか?」

 同行の学友たちが不安げにエドアルの顔をのぞきこんだ。

「実は、ひそかに王命を授かっている」

 エドアルはもったいぶって言った。

「命令書もいただいた。こちらにおわすのは、リュウインのリュウカ姫である。これから母国にお連れするのだ。姫が落ち着かれるまで、我らもしばらく滞在する。おまえたちもついてくるな?」

 学友たちは顔を見合わせた。

「それは、どのような意味でしょう?」

「おまえたちは黙ってついてくればいいのだ!」

「頭ごなしに言うものではない」

 リュウカはたしなめた。

「そなたたちが知りたいのは、王太后のご意向だろう。王太后は、このことを知らぬ。私が生きていることすら知らぬ。その鼻先をすり抜け、国へもどろうというわけだ。エドアル王子はしばらくパーヴへはもどらぬ。不穏な動きがあるのでな。このままリュウインに婿入りするかも知れぬ。それでもついて来るか? そなたたちにも家族があろう。王太后の機嫌をそこねてはタダでは済まぬだろう。呼び寄せてリュウインで暮らすもよし、このままもどるもよし、どうか?」

「姉上! そのような物言いは!」

「隠してどうする? 誰にも都合はあろう。得心せずして先へ進むことなどできぬ」

 学友たちは長い間相談していた。

 やがて、ヴァンストンが青い顔で言った。

「私は殿下とご一緒いたします」

 エドアルは満足そうにうなずいた。

「そうとも。長く机を並べた仲ではないか」

 あとのふたりは帰ると言った。

 烈火のごとく怒るエドアルを、リュウカは押しとどめた。

「それぞれに事情はある。ムリ強いしてもよいことはない」

 国境は五人で越えた。

「王都におうかがいを立てなければ、お通しできません」

 入国でもめたが、リュウカは笑った。

「エドアル王子殿下を足止めし、ご不興をこうむっては、そなたも先はあるまい。たとえ何やら疑わしくとも、五人ばかりで何ができよう。ここは黙って通すが得策と思うが」

 なるほど、それも道理だと、警備の長は通行を許した。

「程度が知れますな」

 護衛のひとりがささやいた。

「お偉方の顔色ばかりうかがい、己の務めは二の次。どこの国も同じですな」

 まったくだ、とリュウカは苦笑した。

 王都ロックルールへの途上で迎えが来た。

「これはこれは、婿どの」

 鞍上から、黒い毛皮の該当を羽織った小男が、大声を轟かせた。

「長旅をお疲れでしょう。馬車もなしにお越しとは」

 襟元は茶色のやわらかそうな毛皮で縁取られ、頭にかぶった毛皮の帽子の折り返しには、金や宝石が光っていた。高価で品のいい身なりの中から、大きな目がぎょろりと動き、大きな鼻がひくついた。

 なにより、左頬のキズが、何者であるかを雄弁に物語っている。

 リュウカの手に汗がにじむ。気がつくと柄《つか》を握りしめていた。

 まだ、早い。

 ゆっくり息を吐いた。

 エドアルの命のために、この男は必要なのだ。

 男は恭しく頭を垂れた。

「これはこれは王女殿下。ごきげんうるわしゅう」

 目がせわしなく何かを探していた。

「お母君は?」

 そうか。

 リュウカはハッとした。

 母の死を見た者はないのだ。

「昔はぐれたきりでな。何か消息を聞いていないか?」

「では、おひとりで?」

「エドアルに連れられて」

 頬キズの伊達男は目を瞬かせた。

「なるほど、おっしゃる通りで」

 蝙蝠に目を留め、影と交互に眺める。

「りっぱな馬ですな。どなたの?」

「どちらも私の」

「葦毛の愛馬はいかがされました?」

 胸が痛んだ。

「今までどちらに?」

「どこということもなく」

「お探し申しあげました。八方手を尽くしましたが……」

「黒髪は殺せと触れが出たのでな」

 伊達男は大声で笑いだした。

「お急ぎください。腕に覚えのある者をつれてまいりましたが、物騒でございます」

 

   

 

 

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