翌朝、出立した。
エドアルは学友を三人連れていた。彼らは道中、エドアルを諫《いさ》めた。
「本日は王太子さまのご婚儀の最終日ですよ。御印《みしるし》を表されるのですよ。こんな大事な日に狩りとは。王太子さまの御不興をかわれます。どうかおもどりを」
「おまえたちは私と兄上とどちらが大事なのだ!」
「殿下の御ためを思えばこそ!」
護衛はふたり。
「この祝いで人が集まらなかったのですよ」
ひとりがリュウカにささやいた。
「陛下もお人が悪い。リュウカさまにご同行とおっしゃれば、いくらでも集まりましたものを」
リュウカは、長旅でよくそうするように、髪を布で包んでいた。
「黒髪を見ずとも、ひとめでわかりますとも。お顔が母君そっくりです」
「母をご存じか?」
「大将の部下で知らぬものはございませんとも。さんざん泣かされましたからな」
「何か迷惑を?」
「迷惑などというものではございません」
ふたりは笑い、パーヴ時代のレイカの悪行の数々をあげた。
「囚人をみな逃がしておしまいになった時には青くなりましたぞ。凶悪犯が多くおりましたからな。再度とらえるのに、何人傷ついたと思います? 大将が、あまり本気を出すなとおっしゃらなければ、命を落とす者もあったでしょう」
「凶悪犯もあったのに、なぜ本気を出すなと?」
「ひとつひとつ本気を出しては体が持ちませぬ。次々と無理難題を吹っかける姫がいらっしゃるのに!」
ふたりは陽気に笑った。
一方、エドアルは機嫌が悪かった。
「姉上」
話に割って入った。
「あの驪《くろうま》はなんです?」
「蝙蝠《こうもり》か」
見まちがうのもムリはない。青毛といえるほどに、毛色は黒かった。しかし、よく見れば、白い毛のわずかに混じる葦毛である。
「長にいただいた」
王太子セージュに、と使いの者がことづかっていた。
宝の持ち腐れだ。あんな男に、この誇り高い駿馬が乗りこなせるわけがない。
勝手に連れだしたことは、後で知れるだろう。かまうものか。
「私にくださいませんか?」
「馬のほうでなんというかな。アレは乗り手を選ぶぞ」
「気が荒いのですか? おとなしそうに見えますが」
「気だてはやさしい。乗り心地は格別だ。ただ、草原以外の者に乗りこなせるかどうか」
「お任せください。私は馬は得意なのですよ」
強く止めるべきだった、とリュウカは後から悔いた。
手綱をとるやいなやふり落とされ、みなの面前でしたたかに背中を打ったのだ。
「乗る前でよかったな。落馬しては大事だった」
慰めてみたものの、エドアルは前より不機嫌になってしまった。
「痛むか?」
「心が」
むくれる背中は、醜く裂けていた。
「着替えぐらい持ってくるのでした! こんなかっこうで隣国を訪ねるとは!」
国境は目の前だった。
「隣国へ行かれるのですか?」
同行の学友たちが不安げにエドアルの顔をのぞきこんだ。
「実は、ひそかに王命を授かっている」
エドアルはもったいぶって言った。
「命令書もいただいた。こちらにおわすのは、リュウインのリュウカ姫である。これから母国にお連れするのだ。姫が落ち着かれるまで、我らもしばらく滞在する。おまえたちもついてくるな?」
学友たちは顔を見合わせた。
「それは、どのような意味でしょう?」
「おまえたちは黙ってついてくればいいのだ!」
「頭ごなしに言うものではない」
リュウカはたしなめた。
「そなたたちが知りたいのは、王太后のご意向だろう。王太后は、このことを知らぬ。私が生きていることすら知らぬ。その鼻先をすり抜け、国へもどろうというわけだ。エドアル王子はしばらくパーヴへはもどらぬ。不穏な動きがあるのでな。このままリュウインに婿入りするかも知れぬ。それでもついて来るか? そなたたちにも家族があろう。王太后の機嫌をそこねてはタダでは済まぬだろう。呼び寄せてリュウインで暮らすもよし、このままもどるもよし、どうか?」
「姉上! そのような物言いは!」
「隠してどうする? 誰にも都合はあろう。得心せずして先へ進むことなどできぬ」
学友たちは長い間相談していた。
やがて、ヴァンストンが青い顔で言った。
「私は殿下とご一緒いたします」
エドアルは満足そうにうなずいた。
「そうとも。長く机を並べた仲ではないか」
あとのふたりは帰ると言った。
烈火のごとく怒るエドアルを、リュウカは押しとどめた。
「それぞれに事情はある。ムリ強いしてもよいことはない」
国境は五人で越えた。
「王都におうかがいを立てなければ、お通しできません」
入国でもめたが、リュウカは笑った。
「エドアル王子殿下を足止めし、ご不興をこうむっては、そなたも先はあるまい。たとえ何やら疑わしくとも、五人ばかりで何ができよう。ここは黙って通すが得策と思うが」
なるほど、それも道理だと、警備の長は通行を許した。
「程度が知れますな」
護衛のひとりがささやいた。
「お偉方の顔色ばかりうかがい、己の務めは二の次。どこの国も同じですな」
まったくだ、とリュウカは苦笑した。
王都ロックルールへの途上で迎えが来た。
「これはこれは、婿どの」
鞍上から、黒い毛皮の該当を羽織った小男が、大声を轟かせた。
「長旅をお疲れでしょう。馬車もなしにお越しとは」
襟元は茶色のやわらかそうな毛皮で縁取られ、頭にかぶった毛皮の帽子の折り返しには、金や宝石が光っていた。高価で品のいい身なりの中から、大きな目がぎょろりと動き、大きな鼻がひくついた。
なにより、左頬のキズが、何者であるかを雄弁に物語っている。
リュウカの手に汗がにじむ。気がつくと柄《つか》を握りしめていた。
まだ、早い。
ゆっくり息を吐いた。
エドアルの命のために、この男は必要なのだ。
男は恭しく頭を垂れた。
「これはこれは王女殿下。ごきげんうるわしゅう」
目がせわしなく何かを探していた。
「お母君は?」
そうか。
リュウカはハッとした。
母の死を見た者はないのだ。
「昔はぐれたきりでな。何か消息を聞いていないか?」
「では、おひとりで?」
「エドアルに連れられて」
頬キズの伊達男は目を瞬かせた。
「なるほど、おっしゃる通りで」
蝙蝠に目を留め、影と交互に眺める。
「りっぱな馬ですな。どなたの?」
「どちらも私の」
「葦毛の愛馬はいかがされました?」
胸が痛んだ。
「今までどちらに?」
「どこということもなく」
「お探し申しあげました。八方手を尽くしましたが……」
「黒髪は殺せと触れが出たのでな」
伊達男は大声で笑いだした。
「お急ぎください。腕に覚えのある者をつれてまいりましたが、物騒でございます」