〜 リュウイン篇 〜

 

【第82回】

2005.1.19

 

 城の外壁にもっとも近い庭、むしろ玄関の前庭というべき場所に人が集い、酒を酌み交わしていた。テーブルに立てられた無数の燭台が、人々のちぐはぐな衣装を照らしだしている。

 金の髪には高い襟、褐色の肌には巨大なターバンと濃い口ひげ、黒髪には小さなフェルト帽、背丈も言葉も違えた者たちが、狭い場所に一緒くたに詰めこまれて陽気に乾杯をくり返しているのだった。

 喧噪は最高潮に達し、訳すコクヨウの声は涸れた。

「いつか砂漠に来られよ、と」

 巨大なターバンのイリーンの言葉はなまりがひどく、聞き取りにくかった。この騒々しさでは、苦労も倍になる。

「草原にこそ、来られよと言え」

 族長が轟くような声で笑う。

 訳すまでもなく、巨大なターバンは族長と肩を組んで歌いだした。知らない歌である。

「脱げ、喪服を脱げぇ!」

 パーヴの地方貴族とかいう男が、コクヨウの黒いマントに手を伸ばした。今宵はもう何度めか。九つまでは数えたが、その三倍はゆうに上回ったろう。

「今宵は通訳は不要! 飲め、飲め! 我が娘よ!」

 族長まで酒の勢いにのった。

「イリーンの姫のために! 新しいパーヴの王太子妃のために!」

 貴賤を問わず、城中がまるでこのありさまに違いない。一シクルも続いた婚礼の末席にありつけたわけでもないのに。

 前庭の面々は、みな同じ扱いだ。卑しい交易相手たち、利益をもたらすからには酒の一杯でもふるまってやれ。卑しい身分の異人どもは感涙していっそう尽くすことだろう。

 パーヴの考えそうなことだ、とコクヨウは黒いベールの下で苦笑した。

「草原の国の族長」

 イリーンの言葉が喧噪をくぐり抜け、かすかに届いた。

 イリーンの役人である。交易の窓口はいつもこの男だ。酔いのためか、丸くふくれた頬は紅潮していた。しかし、目つきはいつになく険しい。

 しくじったか? 気に入らぬものでもあったのだろうか。

 祝いに献上した品々を頭の中で検分する。無難なものだけを選んだつもりだったが。文化の差異は難しい。

 イリーンについてはよく知らない。この一年、交易相手としてつきあってきただけだ。

「草原の国の族長。話がある。こちらへ」

 手招きをする。

 コクヨウはベール越しに族長に告げた。

「なんだ、新しいもうけ話か?」

 族長は楽観的である。

 少しはクロミカゲの慎重さを見習ったらどうだ。

 言い出したいのをコクヨウはこらえた。師の名は、族長の前では禁句である。

 そんな気持ちもつゆ知らず、族長は踊るような足取りでイリーンの役人の後に続く。

 よくもこれだけの人を詰めこんだものだ。

 人をかきわけながら、コクヨウは進む。

 族長は人の中に埋もれ、危うく見失いそうになる。

 並の背なら目立つだろう。草原の民はパーヴの人々より頭ひとつは飛びでるものだ。しかし、それもまた禁句である。フェルト帽の下と同様に、本人の気にするところであった。

 玄関の石段の前に、金髪の若者たちがたむろしていた。

 ウルサの留学生か?

 身なりは可もなく不可もなく、身分は高くはないが暮らす金には恵まれていそうな血色のよい若者たちが、ウルサの言葉で談笑していた。

 その向かいで、イリーンの役人は止まった。

「パーヴのカーチャーさまです。このたびは、草原の国と交易はどうかと」

 フリルだらけの服を着た男が、へつらいとごますりに囲まれ、侮蔑の笑みを浮かべていた。ピートリークの言葉が響く。

「これが草原の国の! ほほう、見るからに野蛮だ! 一同、見よ! これがあの先王をたぶらかした悪女のゆかりの者だぞ!」

 追従笑いが辺りを包んだ。

「貢ぎ物をすれば、臣下と認めてやるぞ。馬と剣と毛織物が特産なんだろ。よこせ、野蛮人」

 カーチャーが言えば、イリーンの役人が穏便な言葉に直して訳す。

 族長に伝えるまでもなく、コクヨウはイリーンの言葉で返じた。

「我らはイリーンの友として、遠路はるばるはせ参じた。客として歓迎されこそすれ、頭《こうべ》を垂れ、異人に屈っせよとは何事か」

 カーチャーたちがどよめいた。

「女だ。この黒装束」

「草原の女は美人なんだろ。もったいぶらずに顔を拝ませろよ」

 イリーンの役人があわてた。

「通訳はみな黒衣に覆われるものでして。そのままに、そのままに」

 囲まれた。

 まいったな。

 コクヨウは族長の顔色をうかがった。

 もう、遅い。

 言葉の壁を、侮蔑は超える。

「我らを侮辱するか! 誇り高きイワツバメの一族を!」

 腰にやった手が空を切る。

 剣は鞍の下に置いてきたのである。城内は帯剣を禁じられている。

 茶褐色の髪の間で笑いが起こった。

 黒髪の族長は恥と怒りとで耳まで赤くなった。

「族長、お鎮まりください!」

 コクヨウは駆け寄ろうとしたが、マントとベールを四方からつかまれ、自由を奪われた。

 族長がこぶしを突きだした。

 気持ちのいい殴打音が響いた。

「族長、お鎮まりください」

 低い男の声が草原の言葉で言った。

 太くはない。低く、よく響く声である。

 発音が、どことなくおかしかった。

「意味わかんねーけど、これでいいんだろ?」

 今度はピートリークの言葉で、青い眼がコクヨウにウィンクした。

 右手で受け止めた族長のこぶしを放す。

 大きな手だ。皮も厚く、よく鍛えられている。

 ウルサの人は長身だが、彼は中でも目立った。年は若い。まだ成人前かも知れない。

「客人に無礼すんじゃねーぜ、カーチャー伯爵とやら」

 彼がからかうと、パーヴの役人は怒鳴った。

「客なものか! こ、これは隣国の王をたぶらかした、あの売女めのゆかりの……」

 コクヨウの手が震えた。

「王さまが聞いたら首が飛ぶぜ。あの人は、そりゃあ王さまにかわいがられてたんだからな」

「王太后さまに申しあげてやる! おまえの態度は不敬罪だぞ!」

「言いつけられるもんならやってみな、自称伯爵さま。位階詐称が表沙汰になってもいいってんならな」

 カーチャーはじりじりと後退し、やにわに人ごみに逃げこんだ。

「やべ」

 イリーンの役人をふり返ると、ウルサの若者は言った。

「にしゃもやべ」

 イリーンの役人は退がった。

「ちょっと残念だったな。あんたの勇姿見たかったのに」

 今度はピートリークの言葉でコクヨウに話しかける。人なつっこい笑みは、これ以上ないというぐらいご機嫌である。

「イリーンの言葉も操るのか?」

 コクヨウは同じくピートリークの言葉で問うた。

「ん、かあちゃんがそっちのほうの出身だから……と、話が長くなりそうだな」

 族長が近寄り、ウルサの若者を抱擁した。手を、腕を、肩を力強く握る。

「礼を言ってくれ」

 コクヨウに言う。

「言葉は通じぬとも、我らが名誉を守ったことはわかったぞ」

 コクヨウは礼を告げた。

 ウルサの若者は笑った。

「いいよ、そんなの。それより出よう。どこ泊まってんの? 送ってくよ」

「心配ご無用。道は存じている」

「この時間じゃ、表通りは出店でいっぱいだぜ。裏通り行かなきゃ。任せな。ここは庭みたいなもんだから」

 族長に伝えるべきか迷うが、族長のほうがいっそう乗り気だった。

「我らが宿まで来てもらえ。今宵はたっぷりもてなそう」

「しかし、習慣が違いますれば……」

「気に入った。いい体をしておる」

 コクヨウはベールの下で困惑した。

「早く行こう」

 ウルサの若者がよく響く低い声でうながした。

 馬を並べて裏通りを歩いた。

 表はウルサの若者の言う通り、人でごった返し、身動きできないありさまだった。

「先ほどの諍《いさか》いで、そなたが不利にならなければよいが」

 コクヨウは影に揺られながら言った。

「さっきの? カーチャーのこと?」

 ウルサの若者が栗毛の鞍上で問う。

「なんねーよ、ぜんぜん。いつかとっちめてやろうと思ってたんだ」

「しかし、役人に逆らっては、そなたの立場が悪かろう」

 留学生風情では。あの場に招かれるようでは、身分はたかが知れている。

「あのさ」

 ウルサの若者が馬を寄せて、コクヨウの顔をのぞきこんだ。

「他人行儀、そろそろやめてくんない? 調子狂うよ」

 コクヨウは馬を離した。

「前もって断っておくが、我ら草原の者は、ウルサともパーヴとも異なる習慣を持っている。ムリ強いはしないが、驚かぬように心してもらいたい」

 とつぜん、蹄の音が響いた。

 近づいてくる。

 コクヨウはふり返った。手綱を握る手が汗ばむ。

 まさか。もう?

「たっ、たすけ……」

 甲高いがかすれた男の悲鳴とともに、人馬が現れた。薄闇で、姿形ははっきりしない。

「ヴァンストン!」

 低い張りのある声が隣で響いた。

「どうした!」

「殿下が!」

 隣の若者の身に緊張が走った。

「リュウカ、ここにいろ」

 ささやくと、馬を飛ばした。

 コクヨウはあっけにとられた。

「族長、あの者の手当を」

 言い残し、若者を追った。

 間者であれば、捨ててはおけない。

 

   

 

 

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