〜 リュウイン篇 〜

 

【十五 逃亡(二)】

 

 

 近衛のひとりが、剣の舞を披露した。

「さすがですね。伯父君が剣の師範とはダテじゃない」

 ヴァンストンが隣で言った。

 エドアルの耳を、声が素通りした。

 気持ちが晴れない。

 頭上には青空が広がっているのに、心は周囲の森のようだ。暗くて湿っぽい。

 隣国の姫が叔父と婚約しようと、どうでもいいではないか。

 目的は、リュウインを混乱させ、来る日のパーヴの内輪もめに干渉させぬこと。

 あの叔父ではオツムに多少問題はあるが、役目を果たせないほどではないだろう。

 それどころか、エドアルは余った手駒である。ほかの役割を担える。パーヴにとっては有利ではないか。

 自分だって、あのイタチの親戚になどならずに済む。

 姉上の仇だ、忘れるな。

「殿下、そろそろ都にもどりましょう」

 いつのまにか剣の舞は終わり、別のひとりが馬の曲芸を披露していた。

「地方の視察は、その、日を改めまして…。人も少ないことですし」

 とつぜんだった。

 友人と近衛だけで飛びだしてきたのだ。

 父王の使いが諫《いさ》めに来たが、追い返した。

「田舎はつまらん」

 エドアルはつぶやいた。

 ヴァンストンの顔が輝いた。

「そうでしょうとも! では、さっそく都に……!」

「おもしろいことがあるまで帰らないぞ。昨夜の村男の踊りは田舎くさくて見ているこちらのほうが恥ずかしかった。料理は臭いし」

「都にもどれば一流のシェフがおりますし、踊りも……」

「せめて、かわいげのある女性はいないのか? どこの街に行っても、ブスばっかりじゃないか」

「では、すぐにきれいな女を手配します」

「狩りもしよう。これはと思う駿馬にまたがって、鳥やうさぎを……、いや、猪を射よう。熊もいいな」

「では、さっそく手配しましょう」

「旨い鳥獣料理の作れるシェフも欲しいな。そうだ、猪を丸焼きにして……」

 ため息をついた。

「やめた。ちっともおもしろそうじゃない。もっと心躍ることはないのか。そうだ、街に出没するやくざ者を捕まえよう。治安をよくするのだ」

「すばらしい。さすが殿下でございます。さっそく、やくざ者を用意させましょう」

「街でかよわい乙女がからまれているところなんかいいな。私が助けるんだ」

「では、さっそく乙女を……」

「ダメだ」

 エドアルは深くため息をついた。

「私は剣が得意じゃない。やくざ者なんかに太刀打ちできるはずがない」

「近衛に周りを固めさせましょう。やくざ者を追い払うのは近衛に任せ、殿下は乙女にやさしくお声をおかけくださいませ。乙女はゆえあってお忍びでやってきた、やんごとなき身分の姫なのです。やがて宮廷で再会することでしょう。どのような乙女がお好みですか?」

「おまえなら、どんな乙女がいい?」

「殿下にふさわしい乙女でしたら、まず淑女でなければなりません。お美しく教養があり、由緒正しく人望のある家柄でなければなりません。誰にも愛されるかわいらしい姫君で、しとやかながら心の強いご令嬢です」

「姉上が、まさにそのような方だったなあ」

 エドアルはため息をついた。

「やさしく賢く強くて正しい。まことにお美しい方だった。生きていらしたら、迷わずあの方と一緒になるのに……」

「まあ! それは残念でしたわね!」

 ヴァンストンの後ろで、聞き覚えのある少女の声がした。

「どうせ私は美人じゃないし、なりあがり者の孫だし、愛くるしくもないわよ!」

 少年《・・》が帽子をとった。

「エ、エリザ姫!」

 大きな鼻、大きすぎる目。まちがえようがない。

「どうしてここに……」

「アルが冷たいからでしょ! 仲直りできるかと思って、ついてきたんだから!」

「あなたって人は!」

「よくわかったわ! ホントは、私なんかと婚約したくなかったのね! そんなに前の王妃さまの娘がいいっていうなら、出家でもして一生弔ってあげれば!」

「え? あの……」

「大っ嫌い! どうせ一生かなわないわよ! 間に合わせにするんなら、お姉さまにしてちょうだい! きっとご病気もあっという間に治って、喜んで駆けつけるわよ!」

「エリザ姫……」

「もう、友だちでもなんでもないわ! 婚約なんか、破棄してやるんだから! あなたとなんか、ゼッタイ結婚しない!」

「殿下、馬盗人を捕らえました」

 近衛が駆け寄ってきた。

 エドアルはホッとしてうなずいた。

「詳しく話せ」

「子どもがひとり忍びこみまして、王家の馬を一頭盗みましてございます。直ちに追いかけ、捕らえました。首謀者と思われる子どもの連れも捕らえてございます。いかがいたしましょうか」

「連れてこい」

 乙女の窮地は救えなかったけれど、悪党を裁くのは実現しそうだぞ。

 ここはいいところを見せて挽回しよう。

 顔が緩んで、しまらない。

 そうか。私とだったんだ。

 叔父上とじゃなかったんだ!

「ざけんじゃねぇ!」

 引き立てられてきた少年が、近衛を三人殴り倒した。

 強い。

 エドアルは腰を浮かした。

 小さな少年が、すばやく立ち回った。

 声はきれいだが、まだてんで子どもだ。声変わりも始まっていない。

 背も自分より一ハンド以上低い。

 二、三歳は下だろう。

「先生に手ぇ出すんじゃねえ!」

 明るい茶色の髪。粗末でほこりだらけの服。

 なんだろう? 違和感がある。

「きれいな眼……」

 リズが小さくつぶやいた。

 青い眼。

 違和感の原因はこれか。

「そのほうが盗人か」

 エドアルは、可能な限り重々しく言った。

「罪人は罪人らしく頭を垂れよ」

「あんたが親玉か?」

 少年は青い眼で睨みつけた。

「だったら、しっかり子分どもを教育しとけ! オレは盗人さ、捕まえられたってしょうがない。でも、先生はちがう! なのに、なんだよ! 後ろから膝の後ろを蹴りやがるんだぜ! 何度も何度も! 女だと思って甘くみんじゃねえ!」

「そのほうの連れというのはご婦人か? ふむ。確かに感心しないな。改めさせよう」

 エドアルは物わかりよくうなずいてみせた。

「だが、その先生とやらが、そのほうをそそのかしたのだろう? 罪を問われるのは必定」

「ちげーよ! オレが勝手にやったんだよ!」

「だとしても、そのほうに対して責任があるのではないかな。弟子の不始末は師の不始末」

「先生は悪くねーって言ってんだろ! このわからず屋!」

「無礼であるぞ!」

 近衛が三人、剣を抜いた。

「殿下、罪人は良馬を連れております」

 近衛のひとりが近寄ってささやいた。

「狩りにちょうどよいですね」

 ヴァンストンがうなずいてみせた。

「盗みの代償にいかがですか? 馬には馬で」

 良馬に乗る自分を想像してみた。

「まあ! それじゃ、あなたたちも泥棒ってことじゃない!」

 リズの声で想像はかき消えた。

「それより、あの子、すごいわ。かっこいい」

 少年はたちまちひとりの剣を奪い、ほかのふたりの剣を蹴り落とした。

「先生を自由にしろ! さもないと……」

 少年はすばやかった。

 剣を捨て、エドアルの懐に飛びこみ、腰の短剣を抜いて喉元に突きつけた。

 リズが悲鳴をあげた。

「あんたには何にもしねぇよ」

 青い眼が、リズにウィンクした。

「さあ、先生を放せ」

「退がりなさい」

 近衛の人だかりの向こうから、張りのある女の声が響いた。

「おまえは手が早くていけない。退がりなさい」

 人をひきつける威厳のある響き。

「ちぇっ」

 少年は短剣をしまった。

「こっ、殺せ!」

 ヴァンストンが叫んだ。

「王族に刃を向けたのだ! 死に値する! 殺せ! 殺せ!」

「だってさ。先生、どうする?」

 少年が不敵な笑みを浮かべた。

「かっこいい……」

 リズが小さくつぶやいた。

 エドアルの頭の中で、何かがキレた。

「斬れ。斬ってしまえ!」

「大目に見てもらえまいか」

 近衛をムリヤリかきわけ、長身の女が現れた。

 遅れて、大きな葦毛の馬が追ってくる。

 茶褐色の長い髪。黒い眼。異国風の美しい顔立ち。

「前の王妃さま!」

 リズが叫んだ。

 女が、リズを見た。

「私、信じてましたのよ!」

 リズは駆けよった。

「きっと生きてらっしゃるって! やっと会えた! ずっとお慕いしてました!」

 女が苦笑した。

「先生、強行突破する?」

 少年の手がエドアルの首にかかった。

 殺される!

 エドアルの背筋に冷たいものが流れた。

「放しなさい。おいで」

 女のまなざしが和らぐ。

「ちぇっ。先生はいつも甘いんだからな」

 少年は女のそばに飛んだ。

 女が少年の頭をなでる。

「エドアル王子殿下。並びに、エリザ王女殿下。ご婚約おめでとうございます」

 女が優美に宮廷風の礼をした。

「あ、姉上……」

 エドアルはうめいた。

 喉が渇いていた。

「生きて……いらしたのですね」

 少年が首をかしげた。

「先生? 姉って言ってるけど?」

 女が苦笑した。少年を見るまなざしがやさしい。

 頭の中が熱くなった。

「退がれ! その方は、おまえなんかが馴れ馴れしくしていい相手じゃない!」

 絶叫した。

「その方は我が父王の最愛の妹レイカ姫の愛娘にして、リュウイン王国の第一王女、そしてリュウインの王位第一継承者にして我が従姉、リュウカ姫なるぞ! ひかえよ!」

「へえー」

 間延びした声が答えた。

「先生ってお姫だったのか。道理で。納得」

 なんなんだ、その態度は!

 頭が芯まで熱く痺れた。

「わ、我が許婚《いいなずけ》だぞ! 退がれ!」

 笑い声が響いた。

「また、許婚かよ。先生、あんたって、まったく何人許婚がいるんだい?」

「ぶっ、無礼者!」

「無礼はそっち! 婚約したばっかりなんだろ? な、かわいこちゃん?」

 あ!

 気づいて、エドアルは青くなった。

「ありがとう。でも、お世辞はいいのよ」

 リズは少年に笑いかけた。

「オレ、本音しか言えねぇんだ。なあ、先生?」

 リュウカは苦笑した。

「エドアル王子殿下、ひとつ頼みがあるのだが」

 エドアルは、大急ぎでうなずいた。

「なんなりと!」

 リズと少年を得意そうに見やる。

「この子を預かってくれまいか。安全な場所で逃がしてやって欲しい」

「先生!」

 少年が真っ青になった。

「面倒に巻きこまれた。ひとりならば逃げられようが、この子にはムリだ」

 足手まといか。

 エドアルの口に笑みが浮かんだ。

「よろしいですとも。こんな小さな子どもを連れておいででは、何かとご不便でしょう。誰かに世話をさせます」

 少年が睨む。

 快い。

「それよりも姉上、もうご安心ください。面倒ごとなら、私がおさめましょう。この国で私に逆らえる者などおりません。そして、一緒に都に帰りましょう。父も心配しております」

「伯父上はよい顔をすまい」

「なにをおっしゃいます!」

「隣国は、私の身柄を要求しよう」

「あんなところにお戻しはしません! 姉上を殺めようとしたではありませんか!」

「証拠がない。断る理由がない以上、戻らねば諍《いさか》いになる」

「では、私がお守りします! 婚約した以上、隣国へ入る理由はどうとでもなります!」

「そなたに何ができる?」

「叔父上から兵を借り、姉上の身辺を守らせます! そして、姉上と私が知恵を寄せあい、父上と力を合わせれば、赤イタチの一族などたちどころに根絶やしに!」

 リュウカが苦笑した。

「姉上こそ、女王となられる方です。悪しき血を駆逐し、国を正しく治めましょう!」

「この子を頼む」

「先生! 一緒に行くよ!」

 少年がリュウカにしがみついた。

「おまえはおまえの道を行きなさい」

 リュウカは少年の両肩に手を置いた。

「敵は今ごろ森を囲んだはずだ。おまえを連れては行けない」

「先生、死んじまうよ! 敵は強いんだろ!」

「姉上、敵とは?」

 リュウカはエドアルを見た。

 鋭い眼。

 エドアルはハッとした。

「まさか、赤イタチ……。しかし、ここは隣国ではありません。どうして隣国の手の者が……」

「きっと、私の家来だわ」

 リズが震える声で言った。

「お父さまかおじいさまか、もしかしたらお母さまかお姉さまの命令で、前の王妃さまたちを探してるんだわ。だって、出がけにお姉さまが私に言ったもの。隣の国に隠れてる王妃さまに殺されてしまえって。だから、今度こそ、探しだして殺すいい機会だと思って……。そういえば、目つきの悪い人たちがいっぱいいたもの」

「そんなバカな。父上がそのようなこと許すはずがない!」

 エドアルは怒鳴った。

「隣国の兵隊や間者どもが、自由にこの国を動きまわるなど……」

「頼りにならない伯父貴だぜ」

 小さな少年がニヤと笑った。

「父上を侮辱したな!」

 エドアルは立ちあがった。

「そこに直れ! 手討ちにしてくれる!」

「ホントのことだろ? 間者がいたわけだし。王子さまは王子さまで、ご婚約中のお姫さまを連れてご旅行中って噂になってるし」

「誰だ! そんな噂を流したのは! そんなはしたないこと、私はしない!」

「そこに連れてんじゃん」

「さっき気がついたばかりだ! 姫がついてきてるなんて、私は知らなかった!」

「じゃあ、あんたも利用されたクチってわけだ。あんたたちの周りをうろついてりゃ、誰にもとがめられないもんな。いい隠れ蓑だよな! で、コツコツ確実に間者網ができあがってくわけだ。まったく、婚約なんてハタ迷惑なことしてくれちゃってよぉ」

「姉上は亡くなったと、みんな思っていたんだ! 仕方ないだろ! 姉上だって、生きていらっしゃるなら出ておいでになればよかったのに!」

「で、リュウインに引き渡されて、殺されろって?」

「私がお守りするって言ってるだろ!」

「できねークセに」

「また侮辱したな! 直れ! 誰か、こいつを斬れ!」

「ヘン。自分じゃ斬れねぇんだ?」

「なにをっ!」

「いい加減に……」

「いい加減になさいっ!」

 頭に一発くらって、エドアルは尻もちをついた。そばで、リズが息を弾ませている。

 少年のほうも、リュウカから一発もらっていた。

「今は、お姉さまをお助けするのが先でしょ!」

「でも、エリザ姫……」

「違うのっ?」

「……はい……」

「お姉さま」

 リズはリュウカに向き直った。

「森を囲まれてるって、ホントですか?」

「たぶん」

 リュウカがうなずいた。

「出入り口は押さえられているだろう」

「じゃあ、出入り口のほかはいかがですか?」

「湿地に囲まれていては、出られぬよ。抜け道でもあれば、敵を出し抜けるかも知れぬが」

「私、この辺に詳しい者を連れておりますの。お使いください。前へ!」

 リズが手をたたくと、近衛の中から小柄な男が進みでた。ぶかっこうで、近衛の制服が似合っていない。

「エリザ姫。いつの間に……」

「近くの村に寄ったとき連れてきたの。叔父さまから、湿地には抜け道があって、地元の人と仲良くなるとおもしろいってお話をうかがってたから」

「まったくよけいなことを!」

 エドアルは立ちあがり、周りの者に埃を払わせた。

「案内を」

 リュウカは葦毛に飛び乗った。

 馬は大きく鼻を鳴らし、案内人を押しだした。

「姉上!」

「先生!」

 エドアルが叫ぶと、少年も叫んだ。

 焦れた。

「姉上、落ち着かれましたら、必ずご連絡ください! 年月が経てば、きっと安らかに暮らせる世となります」

 リュウカは薄く笑った。

「どうかご自愛ください。お元気で。どうか私がお迎えにあがる日までご健在でありますよう」

 正式な宮廷風の礼を優雅にしてみせた。

 決まった!

「先生!」

 少年の顔は涙でぐしょぐしょになり、みっともなく崩れていた。

 勝った、とエドアルは思った。

「先生! オレ……」

 少年は腕で涙をふり払った。

 唇をひき結ぶ。

 容貌が一変した。

 青い目に強い光が宿る。

「先生! オレ、ゼッタイ強くなる!」

 眼光はさらに強さを増した。

 よく通る声が、力強く森に響きわたる。

「ゼッタイ強くなって、先生を守るから!」

 リュウカの目が、まんまるになった。

 くくっと笑った。

「生きのびよ」

 目を細め、静かな声で言った。

 案内人と人馬は木立の中に失せた。

 

 

   

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