【第179回】

 

~ リュウイン篇 ~
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
25章 英雄 ……その13

2009.9.16

 

 ふり返ったのは少年だった。エドアルより少し幼く見える。ずいぶん痩せていた。

 少年はエドアルをじろじろ見た。

「水場なら、ここをまっすぐ行って、つきあたりを右だよ。あんた、新入生かい? ここでは、みんな、自分のことは自分でするんだよ。入るとき、言われなかったのかい」

 まっすぐな目にエドアルはひるみ、恥ずかしさを覚えた。

「お、おまえは、ここの生徒か?」

 少年は笑った。

「あんた、顔色悪いね。もしかして、吐いた? ときどき、あんたみたいなの、いるんだよ。実習で気持ち悪くなるの」

 少年は水場まで連れていってくれた。

「医者になるには、向き不向きがあるからね。あんた、いいとこのお坊ちゃんみたいだし、ムリなら早いとこ見切りつけて、別の学問したほうがいいよ。ムリしてダメになったヤツ、たくさん見たよ」

 エドアルはレースの縁取りと刺繍のある白いハンカチで口元をぬぐった。

「おまえは医者になるのか」

「今は哲学にはまってる。医者はムリかなあ。体の中はあんまり興味ないんだ」

「では、なぜここにいる」

 どうせ親に言われて来たんだろう。偉そうなこと言ったって、将来は親が決めるに決まってる。

「本を届けに来たんだ。オレ、本屋で働いてんだ。本屋はいいぞ、いろんな本が読めて。何を勉強したらいいのか決めて、金が貯まったら奨学金もらって学校行くんだ。幼年学校んとき、成績よかったんだぜ」

 ただの本屋か。

 エドアルは拍子抜けした。

「奨学金なら今すぐもらって学校に行けばいいではないか」

 少年は首をふった。

「うちにはまだ弟と妹がいるんだ。オレが稼がなきゃ」

「親は働いてないのか」

「父ちゃんはロックルールに出稼ぎに行ってる。母ちゃんと祖母ちゃんと兄ちゃんは本屋で本を作ってるんだ」

 少年は自慢げに胸を張った。

「それなら、何もおまえが働かなくたって充分だろう」

 少年は愉快そうに笑った。

「金持ちのお坊ちゃんたちは、みんなそう言う。世の中ってものを知らないよな。そんなんじゃ、医者になってから苦労するぞ。常識ぐらい、今のうちに身につけておけよ」

 じゃあな、と手を振って離れようとするその肩をつかんでみると、エドアルと少年は同じぐらいの背丈だった。

「なんだよ。まだ仕事があるんだ、お坊ちゃんと遊んでる暇なんかないよ」

 少年は、しかし、手をふり払わなかった。

 エドアルの顔を眺め、神妙にうなずいた。

「わかった、仕事が終わったら、門のとこで待っててやるよ。一緒にメシでも食おう」

 

 

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