【第165回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
24章 北方の姫君(三) ……その10

2009.6.10

 

 春になったら出発できるよう、冬じゅう、妹はパーヴの言語や文化について勉強した。書物だけが師だった。夜も昼も書物に読みふけった。

 冬の間ともに暮らしている男が怒りだした。

「私との時間はどうなるんです」

「ジャマしないで!」

 妹は叫んだ。

「これは外に出られる唯一のチャンスなのよ! いつでも自由にふらふらしていられるあなたなんかには、決してわからないわ! これには私の夢がかかっているのよ!」

 大ゲンカになった。

 これまでも何度もケンカはしたが、これほど男が譲らないのは初めてだった。

 口をきかない日が続いた。

 もう終わりだわ、と妹は思った。

 サウナから出て寝所へ入ると、男が竪琴の手入れをしていた。

 妹が横になると、男は竪琴を置き、妹の体に手を触れた。

 背中や肩をギュウギュウと押した。ときどきこうして体をほぐしてくれるのだ。

 やさしい人なのに、どうしてわかってくれなかったのだろうと、涙が出た。

「あなたの歌をしばらく聴いていません」

 男が言った。

 ああ、始まった、と妹は思った。

 なるべく惨めにならないようにしよう。未練がましくなく、あっさりと、きっぱりと。

「あなたの歌も、琴の調べも、私は大好きです。初めて聞いたときは、妖精にちがいないと思いました」

「私も大好きだったわ、あなたの歌」

 歌だけじゃない、と妹は思った。言葉も目も腕も何もかも。でも、もう永久に失ってしまったのだ。

「でも、あなたは妖精ではありませんでした。毎日食事をしなければ死んでしまう、ただの人間なんです」

「そうよ。バカな人間よ」

 涙声にならないよう、気を張った。

「人はね、どんなに忙しくても、ご飯を食べなくちゃいけない。私たちの仲だって、何もしなければ冷えてしまう。ひとつのことだけをするようには、人はできていないんです。だって、ひとつのことしか求めない生き方は、つらいでしょう?」

 なのに、私はひとつのことだけを求めた。

 これは罰だ。ひとつのことしかできない愚かな自分への罰なのだ。

 

 

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