尼僧院の暮らしは居心地のよいものだった。
早朝から畑仕事や牛や羊の世話をし、夕暮れには歌い、踊った。妹は琴を弾き、子どもたちにも教えた。これらは尼僧院の前に捨てられた子どもたちだった。
夜になれば宴に混じった男たちと尼の幾人かが寝所に消えた。子どもが産まれれば里子に出された。
家庭を持つことは、尼には許されていなかった。だから、子ができたのを機会に還俗する尼も少なくなかった。
もし、外に出られたら、どんなによいだろう、と妹は思った。見知らぬ土地を旅してみたかった。
だから、吟遊詩人が立ち寄れば、そばに寄って話を聞いた。ときおり誤解されて寝所に誘われることもあったが、悪い気分はしなかった。
ある晩、やってきた吟遊詩人に、妹は見覚えがあった。あの別荘の晩に呼んだ男だった。
話しかけたが、覚えていないようだった。
妹は安心して琴を奏でた。王女は死んだのだ。王は死者は探さないだろうが、生者はつかまえに来るだろう。生存を知る者がいてはならなかった。
夜更けまで琴をつまびき、歌った。
それから吟遊詩人を部屋に誘った。以前、何もしないまま去った男に、復讐戦を挑みたかった。単純な意地だった。
ふたりきりになると、男はそっとささやいた。
「お久しゅうございます」
ぎくりとした。何のこと、ととぼけてみせた。
「琴の音と歌声で思いだしました」
男はひざまずいた。
「火事の後、殿下のご身分を知りました。数々のご無礼をお許しください」
妹はあわてた。
「ミルヤは死んだの。あなたの前にいるのは、尼のエヴァ=リータよ」
「いいえ。王女殿下」
男は頭をあげようとしなかった。
妹は身をかがめた。
「その名で呼ばないで。お願いだから。忘れて。さもなければ、あなたも殺されてしまうわ」
別荘にいた学友たちが殺されたのも、あの場に居合わせたからだ。妹と従弟の仲をみなが知っていると、伯母が思ったからだ。
それに、もし万一自分が生きていると知ったら、王は連れ戻しにきたあげく、自分が尼であったことを知る者を皆殺しにするかも知れない。
汚点は消す。
それが彼らのやり口なのだ。