ヒプノイズの部屋にとって返す廊下は、再び闇だった。
気を紛らわそうと、エドアルはデュール・ヒルブルークに話しかけた。
「姉上の話を聞いたか?」
「何をでしょうか?」
「姉上の愛人(ねずみ)の話だ。聞いてるだろう? 昼間は姉上の周りをうろちょろ歩き回っているんだから。私の護衛はさぼって」
デュール・ヒルブルークは少し黙った。
その間が、エドアルには気持ちよかった。
「昼間は、殿下はヒプノイズさまとご一緒ですので、私ごときの警護などお入り用でないものと。それに、私は、畏れおおくも王女殿下にそのような……」
「知ってる」
エドアルはきっぱりと言った。
「姉上は、おまえに興味ないもんな。ああ、失礼、姉上は慈悲深いから、おまえのこともかわいがっているとも。ただ、男として見ていないだけだよな。男として、眼中にないだけだ」
デュール・ヒルブルークが息を詰めているのがわかる。
エドアルはふり向いた。
灯りの下で、デュール・ヒルブルークの表情が凍りついているのを見て、心から笑顔を浮かべた。
「姉上は、元はといえば、私の許婚だったのだ。ともに、この国を治めるはずだった。政の事情で、私はエリザ姫と、姉上は他の男と結婚することになったが、私たちの気持ちは昔と少しも変わらない。特別な間柄だ」
デュール・ヒルブルークの表情をゆっくりと味わう。
こわばった顔で、まぶたが痙攣し、奥歯を噛みしめ、息が詰まっている。
苦しげで、悲しげだ。
「しかし、今やお互い事情は変わり、それ以上の気持ちはない。私にはいつも許婚が尽くしてくれるからよいが、姉上はお一人でさぞかしさみしかったのだろう。デュール・グレイは臣下としてよく役目を果たしてくれた」
デュール・ヒルブルークの目が、一瞬生気をとりもどした。
「それでは、一時のお慰めにすぎないと?」
エドアルは重々しくうなずいてみせた。
「グレイは身代わりにすぎないのだ」
「身代わり? 誰の?」
「元の許婚、つまり私のだ」
デュール・ヒルブルークはあっけにとられた。
エドアルは楽しくて仕方がなかった。
「姉上は今でも私を愛していらっしゃる。だが、応えることはできない。苦しい胸の内から、私は臣下に姉上をお慰めするよう命じたのだ。あれでも前の王弟の息子、王族だからな」
デュール・ヒルブルークの顔はみるみるうちに固まり、目は暗く翳った。
「だが、しょせん異人だ。姉上も物足りないだろう。いい男はいないものかな。知的で頼りになる優雅な紳士は。私ほどデキた人間を捜すのは贅沢というものだろう。そうだな、今夜辺り、ヒプノイズにでも命じてみるか」