〜 リュウイン篇 〜

 

【十四 馬盗人(二)】

 

 

 東南の街にたどりついたのは翌朝だった。

「馬を休ませよう。この先は、少し眠りなさい。馬車は私が操るから」

「先生が寝ろよ」

「寝ている間に置いていかれるとでも?」

 リュートはからかうように笑った。

 ヒースは少しホッとした。

 先生にも、余裕が出てきてる。

 馬車から馬を外し、飼い葉と水をやる。

 馬小屋の外は、これといって変わり映えはしない

 忙しげに馬車や人が行き交うだけだ。

 リュートが大きなサンドイッチとスープを運んできた。

「屋台でようすを聞いた」

「どうだった?」

 大口でサンドイッチに食らいつくと、たちまちむせた。ぬるいスープで飲みくだす。

「どこかの貴族が大行列で通ったばかりだとか」

「ヤバいんじゃねぇの?」

 咳きこみながら答えると、リュートは少し考えこんだ。

「街は避けたほうがいいな。どこに間者が潜むか知れぬ。飼い葉を買いこんで、静かなところでほとぼりが醒めるのを待とう。髪も染めていることだし、顔見知りでもなければ、私に気づくまい。絵姿ひとつないのが幸いしたかな」

 先生って、金持ちだったんだな。

 ヒースは思った。

 絵姿や銅像なんか庶民にゃ縁がねぇぜ。

「絵姿といえば、変わった絵師がいたな。数えきれぬほど、母を描いた。とりあげられ、決して日の目を見ることはないのに。ただ描けることが喜びだと。母はあきれていた」

「とりあげられたのに、描いたの? 何枚も?」

「それだけ母に惹かれたのだろう。珍しいことではない。大勢に慕われ敬われる、母はそういう人だった」

「そうじゃなくてさ。オレなら、描くのをやめさせるよ。とりあげる前にさ。でも、描かせておいたんだろ? じゃ、できた描いた絵は、どうしたの」

 リュートは口をつぐんだ。

 唇をひき結ぶ。

「急ごう」

「どうしたの?」

「絵を間者にバラまいたとしたら。私の面は割れている」

「でも、それはかあちゃんの絵なんだろ?」

「私は母似なのだ」

 飼い葉と水を買って、馬車に積みこんだ。

 街を出て、草地を走った。

 ヒースはため息をついた。

「この辺で追いつかれたらお終いだな。隠れるとこがねぇや」

 隣でリュートが答えた。

「敵も同じだ」

「先生、こっちって、ガーダの方角だよね」

「ああ」

「先生に似たヤツらがたくさんいるとこだろ? 紛れこもうって魂胆かい?」

「あの街にはできるだけ行きたくなかったのだがな」

「また、婚約者でも住んでんの?」

 リュートは少し笑った。

「伯父が」

「例の、役に立たない親戚かい?」

「迷惑はかけたくない」

「姪っ子ひとり守れないの? 先生の親戚なら、腕っぷしぐらい強いかと思ったのに」

「伯父は強いぞ。人望も厚い。気さくで陽気で、おまえに似ているかな」

「その役立たずが?」

 声が裏返った。

 リュートは笑い声をたてた。

「少し寝ていなさい。疲れたろう」

「先生の伯父貴は、なんで先生を助けてくれないんだい?」

「助けようとするかも知れない。そうなれば害を招くことになる。いろいろ事情があってな、私が生きていてはマズいのだ」

「立ち向かわなきゃダメだよ。だって、先生、隣の国にいられなくて、こっちに逃げてきたんだろ? なのに、敵は、また追っかけてきたんだろ? キリねぇぜ。たたきつぶさなきゃ」

「もし、争いになれば、多くの罪なき血が流れるだろう。地は荒れ、街は廃れ……。よい知恵があるなら、教えてほしいものだ」

 話がデカくなってきたぞ。

 ヒースはツバを飲みこんだ。

「いっそ、私がいなければ済むのだが、母は生きろと言い残したのでな。しかし、母でさえかなわなかった相手に、どうしろと?」

 リュートの口元に皮肉な微笑が浮かんだ。

 ヒースはなんと言えばいいのかわからなかった。

 剣が強くて、頭がよくて慕われるリュートの母がかなわなかった敵。やはり強くて人望のある伯父でも、逆らえば死人が出るという。そこまでして、敵は、リュートを殺すという。

 オレがどうにかできるわけないよ。

 いや、そんなこと問題じゃない!

 ヒースは思った。

 先生のかあちゃんは死んじまった。死人には、もう、なんにもしてやれることはない。

 でも、先生は生きてる! まだ、手遅れじゃないんだ!

「先生は先を読みすぎるんだよ。状況なんかコロコロ変わるんだぜ。とにかく、悪いのは先生の敵とかいうヤツ。そこンとこ、忘れんなよ」

「それはそうだが……」

「まったく、先生はオレがついてないとダメなんだから!」

「おまえは、あやつを知らないから、そんなことが言えるのだ」

「じゃあ、どんな人なの」

 リュートは少し考えこんだ。

「頬にキズがあってな」

「どっちの頬に?」

「左に。横暴の限りを尽くして、被ったのはそれだけだ。誰も止めることはできない。いや、唯一止められる存在がある。しかし、それはとんでもなく愚鈍で無関心で利己的で、家族を持つ資格はなく、残虐で……」

 ため息がもれた。深く、長かった。

「だのに、仇を討つなとは。母上も残酷なことをおっしゃる」

「じゃあ、なおさら、オレが要るな!」

 ヒースは明るく言った。

「ひとりよりふたりのほうがいいよ。敵が強いんならなおさらさ。オレ、頑張るからさ」

「きっと、いつかは殺されるぞ」

「ほら、すぐ暗くなる! よかったな、一緒にいるのがオレで。オレときたら、歌も歌えるし、話は上手いし、剣もできる!」

 リュートは苦笑した。

「始めたばかりだろう。いずれにしろ、おまえには手を汚してほしくないな」

「また、それだ」

 ヒースはつまらなそうに辺りを見回した。

「じゃあ、ちょっくら寝るかな。あれ?」

 後方の空が黄色に染まっていた。

「先生」

「ん?」

「空ってさ、青か赤だとばっかり思ってた。黄色くなることもあるのな」

 リュートがすばやくふり向いた。

 馬車が止まる。

「どうしたの? 故障?」

 リュートは御者台から飛び出し、馬を外す。

「なにしてんだい」

「車は捨てる」

「だって、飼い葉は? 食い物だって、薬だって……」

「空が黄色に染まるのを見たことがある」

「不吉な前兆なの?」

「数多の馬が土埃をあげているのだ。ここで追いつかれては、逃げ場がない」

「じゃあ、先生は馬車ン中に隠れて。オレがうまくやりすごすから」

「聞いてなかったのか? たったひとり始末するために、国中の黒髪を絶やす相手だぞ」

 なぶり者にされる。

 あわててヒースは馬を解くのを手伝った。

「この先に、森がある」

「見えねぇよ」

「街で聞いた。馬で半日だ。そこまで走るぞ」

 リュートは葦毛に飛び乗った。腹を蹴ると、風のように駆けた。

 ヒースの栗毛は後に従ったが、みるみるうちに引き離された。

 生来の足の差に加え、馬車をひいていたのだから、当然である。

 リュートは、先へ行っては待っていた。

 背後の土煙は大きくなり、しまいには黒い人馬の影さえ見えるようになった。

 とても森までもたない。

「とりあえず、あそこに逃げこもう」

 リュートが示す先に、小さな林が見えた。

「あんなにちっちゃいの! もっと先に行こうよ。まだ、あんな遠くなんだもの。なにもできやしないよ」

 林に向かう間も、影は大きくなっていった。

 栗毛の脚には力がなかった。

「緩めるな!」

「限界だよ! 馬がダメになっちまう」

「蹴れ! 射程に入る!」

「まだ離れてるよ、だいじょうぶ」

 人馬の群れから、空に何かが放たれた。

 大きな弧を描いて、地面に何かがつき立った。

 栗毛が驚いて、後足立ちになった。

 ふり落とされる!

「ヒース!」

 リュートが栗毛のすぐ隣につき、手を伸べた。

「おいで!」

 どうやったかは、わからない。

 馬の背か腹を蹴って、ヒースは飛んだ。夢中でしがみつくと、腕が力強く体を引きあげた。

 気づくと、リュートの胴にぶらさがっていた。

 栗毛は道を外れ、草地に入った。

 やわらかなぬかるみが脚をとらえる。第二波の矢がふり注ぎ、串刺しにされた馬は沈んでいく。

 底なし沼だ!

 しまいまで見ることはなかった。

 葦毛は林の中に入ったのである。

 リュートはようやく速度を緩め、ヒースを改めて引きあげた。初めてすわる葦毛の背は、太く、安定感があった。

 葦毛が不満そうに鼻をならし、体を揺すった。

「先生、さっきの、なに?」

「弩《いしゆみ》だ。大きな弓を地面に据え、数人がかりで引き絞る。私の母も、あれでやられた」

「林に入っちゃえば、もう使えないね?」

「ここで決着をつけねばなるまい」

 林を出れば、また弩で狙われる。

「狭い道だ。一度に一騎か二騎しか通れぬ。ひとつひとつ向かい討つしかあるまい。

 林の中には、小さな沼が点在していた。底なし沼かも知れない。道を外れるのは危険だ。

 それは敵もまた、道から外れないということだ。囲まれてハチの巣にならずに済む。

「ここからは、ひとりで行きなさい」

「オレも戦うよ!」

「おまえが乗っていては、葦毛が自由にならない。かと言って、馬なしでどうやって戦う? 先に行って、どこかに隠れていなさい」

「隠れるって、どこにさ?」

「探しなさい」

「相手から馬をぶんどりゃいいだろ。それなら……」

「未熟者が足手まといになるだけだ。おまえの腕は、よく知っている」

「でも……」

「ジャマするな!」

 声は静かで、鋭かった。

 林の中に蹄の音が轟いた。

「死んじゃダメだよ! オレ、ゼッタイ助けにくるから!」

 ヒースは下馬し、奥へと走りだした。

 逃げるんじゃない!

 助ける方法を探すんだ!

 道は曲がりくねり、空気は湿って、うす暗かった。

 人を寄せつけないわけじゃない、とヒースは思った。

 道幅から推すに、訪れる人は少ない。だが、道は締まって固く、蹄の跡も多数刻まれている。

 誰か、いるかも知れない。

 ふと、ヒースは思った。

 風雨をしのぐ林の中では、蹄の跡が散りにくい。ずいぶん前のものかも知れないし、ついさっきついたものかも知れない。

 人の声が聞こえたような気がした。

 風の音か?

 いや、人の声だ!

 胸が高鳴った。

 足を速めた。

 いきなり、視界が開けた。

 青い空から日差しが降り注ぎ、広場を明るく照らしていた。人々は身なりがよく、フリルだの、刺繍だのが艶やかだった。男たちは朗らかに談笑し、さながら別世界だった。

 周囲の木々には馬がつながれている。

 なかでも目を引いたのは、たてがみとしっぽが白い、金毛の馬だった。

 ごていねいにも、槍までそばに立てかけてある。

 これなら、先生を手伝える!

 槍なら、棒と違わないだろう。馬上で剣は使えないが、棒なら使える!

 ヒースは馬を解き、槍をつかんだ。

「賊だ! 賊が出たぞ!」

「盗人だ!」

 悲鳴と怒号を後にして、道を引き返した。

 リュートは曲がり角に陣どっていた。

 木々が弓の攻撃を防ぎ、狭い道が敵の数を限らせた。

 リュートの手には、長大な剣が握られていた。鍛えられた刀身は鈍く、刃先は鋭く光った。飢えたように急所に吸いつき、命を飲み干していく。

 さばいている。

 ヒースにはそう見えた。

 まだ、子どものケンカのほうがマシだ。なぜって……。

 目の光だ。

 ヒースは思った。

 先生の目には生気がない。

 相手を打ち負かそうとか、生きのびたいとか、何か意志があるわけではない。ただ、機械的に屠っているだけだ。

「先生!」

 叫ぶと、リュートの目に光が走った。

 敵のひとりが身をひるがえした。ヒースに向けて剣を突きだした。

 時の流れが緩やかに感じられた。

 敵の勝ち誇ったような顔、細い剣、自分の意志とは関係なく突きだした槍、練習通りの動き、首を貫く穂先、乗り手を残して道をそれる馬。そして。

 敵は道に横たわり、槍は落ちて折れていた。

 血の匂いがした。

「ヒース! ヒース!」

 肩を揺さぶられ、ふと気づくと、リュートが心配そうにのぞきこんでいた。

「先生、オレ……、オレ……」

 敵の背中はパックリと割れていた。リュートが、力任せに剣で叩きおとしたのであろう。

「オレ……」

 手を見るのが怖かった。真っ赤に血塗られているような気がした。

 震えた。

 リュートはその両手を握った。

「ケガはないな? おまえのおかげで助かった」

「オレ……、オレ……」

 刺した感覚が残っている。肉を貫く鈍い抵抗感。入っていく穂先。見開いた敵の目。勝ち誇ったままの笑み。

 怖い。

「それにしても、おまえが呼んだ援軍は……。豪勢なものよ」

 リュートが苦笑した。

 見ると、敵の姿はとうになく、代わりに身なりの立派な連中に囲まれているのだった。

「馬盗人め!」

 偉そうな男が怒鳴った。

「タダでは済むまいぞ! そこの女! おまえも同罪だ!」

「先生、どうしよう。逃げる?」

 リュートは首をふった。

「もう囲まれている」

「強行突破だよ。先生の腕なら……」

「斬れと?」

 リュートが苦笑した。

 ホッとした。

 その目はいつも通りやさしかった。決して人斬り機械ではないのだ。

「馬から下りろ! 連行する!」

 下馬すると、リュートはヒースの肩を抱いた。

「おまえが無事でよかった」

 胸に熱いものがこみあげてきた。

 

 

   

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