リュウカのほうは自室に向かいながら、少なからぬショックを受けていた。
移動するのはわかっていたが、早すぎる。まだヒバ村の調査もできていないのに。
せめてラノック伯が信頼できれば、と思う。
王家の血など役立たないと、改めて思う。担ぎだされて旗印になるだけだ。
権力も金も人心も、みな宰相のものだ。ヴァンストンがいい例ではないか。
埃を払い、着替えて夕食の席に顔を出すと、珍しくエドアルがいた。
「姉上! 噂は本当ですか!」
食堂に足を踏み入れたとたん、エドアルが叫んで駆け寄った。
リュウカは面食らった。
ヴァンストンの来訪が知れたのかと、躊躇した。
エドアルはまくしたてた。
「衛兵たちの間で、もっぱらの評判ですよ! よりにもよって、姉上が兵たちの前で公言されたと! そんなはしたない真似、なさるわけありませんよね? たっぷり叱りつけておきました。明日は姉上からも厳しく命じてください。でも、まさか、まさか、本当じゃありませんよね?」
「疑うなんて、失礼ですよ! ちい姫さまがそんなことするわけありません。ちい姫さまにお謝りなさいませ!」
リリーが腰に手を当て、テーブルから叱りつける。
ヴァンストンの件ではないらしいと、いささかホッとしながら、リュウカは新たに面食らっていた。
「何の話だ?」
「デュールがお姉さまと恋人同士だってことよ」
頬を紅潮させ、目を輝かせながらリズが言う。
困ったな、とリュウカは内心ため息をつきつつ、無表情に答えた。
「歌われているのは、グレイ子爵だと言っただけだよ」
「冗談じゃありません! あの子が帰ってきたら、ひっぱたいてやります!」
帰っては来ないのに。
リュウカは思ったが、黙っていた。リリーにそれを告げるのは酷に思えた。
「姉上! それがどういうことか、わかってらっしゃるんですか!」
エドアルがそばで怒鳴る。
「ウルサに知れたら、破談になるかも知れないんですよ! いくら婚姻と愛は別だと言っても、公言してはならないんですよ!」
「噂の主は誰かと言ったまでだ」
「そんな言いわけが通るはずないことは、姉上もご存じでしょう! ウルサがどうとるかが問題なんですよ!」
そんなことは、わかっている。
「あの子がここにいないのだから、問題ないよ。根も葉もない噂が立ったので追いだしたと言っておけば、ウルサも納得するだろう。この年で噂のひとつもないなどと、誰も信じないだろうから、信憑性があってよいのではないかな」
「だからと言って、何もあんなヤツを! もっとマシな者がいくらでもいるでしょう! あんな賤しい出処もわからない異人なんか!」
リリーがギリリッと唇を噛みしめた。
エドアルの言う通りだった。出生もわからない異人。立場もわきまえないバカ息子。
だが、息子なのだ。たった三年しか預かっていなくとも。モーヴとの間の、たった一人の息子。母と呼んでくれるたった一人の子。
しかし、エドアルの言い分は正しく、反論のしようがなかった。
リュウカはチラとリリーに視線をくれ、静かに返した。
「あの子は、前の王弟の一人息子だったな? 異人だというなら、私も異人だ。何もかも釣り合いがとれる。これほど信憑性のある話もないだろう」
エドアルは詰まった。
モーヴの隠し子に仕立てたのは、先王カルヴと、ほかならぬエドアル自身だった。
「浮いた噂など、あの子の名誉を傷つけることにはなるが。すまないね、リリー」
リリーは顔をあげ、胸を張った。
「いいえ、ちい姫さま。あんなバカ息子の名誉なんて、お考えになることないんです。少しでもちい姫さまのお役に立てれば幸いですわ」
「すまない」
リュウカはうなずいて席についた。