【第144回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
23章 忠誠 ……その6

2009.1.14

 

 リュウカのほうは自室に向かいながら、少なからぬショックを受けていた。

 移動するのはわかっていたが、早すぎる。まだヒバ村の調査もできていないのに。

 せめてラノック伯が信頼できれば、と思う。

 王家の血など役立たないと、改めて思う。担ぎだされて旗印になるだけだ。

 権力も金も人心も、みな宰相のものだ。ヴァンストンがいい例ではないか。

 埃を払い、着替えて夕食の席に顔を出すと、珍しくエドアルがいた。

「姉上! 噂は本当ですか!」

 食堂に足を踏み入れたとたん、エドアルが叫んで駆け寄った。

 リュウカは面食らった。

 ヴァンストンの来訪が知れたのかと、躊躇した。

 エドアルはまくしたてた。

「衛兵たちの間で、もっぱらの評判ですよ! よりにもよって、姉上が兵たちの前で公言されたと! そんなはしたない真似、なさるわけありませんよね? たっぷり叱りつけておきました。明日は姉上からも厳しく命じてください。でも、まさか、まさか、本当じゃありませんよね?」

「疑うなんて、失礼ですよ! ちい姫さまがそんなことするわけありません。ちい姫さまにお謝りなさいませ!」

 リリーが腰に手を当て、テーブルから叱りつける。

 ヴァンストンの件ではないらしいと、いささかホッとしながら、リュウカは新たに面食らっていた。

「何の話だ?」

「デュールがお姉さまと恋人同士だってことよ」

 頬を紅潮させ、目を輝かせながらリズが言う。

 困ったな、とリュウカは内心ため息をつきつつ、無表情に答えた。

「歌われているのは、グレイ子爵だと言っただけだよ」

「冗談じゃありません! あの子が帰ってきたら、ひっぱたいてやります!」

 帰っては来ないのに。

 リュウカは思ったが、黙っていた。リリーにそれを告げるのは酷に思えた。

「姉上! それがどういうことか、わかってらっしゃるんですか!」

 エドアルがそばで怒鳴る。

「ウルサに知れたら、破談になるかも知れないんですよ! いくら婚姻と愛は別だと言っても、公言してはならないんですよ!」

「噂の主は誰かと言ったまでだ」

「そんな言いわけが通るはずないことは、姉上もご存じでしょう! ウルサがどうとるかが問題なんですよ!」

 そんなことは、わかっている。

「あの子がここにいないのだから、問題ないよ。根も葉もない噂が立ったので追いだしたと言っておけば、ウルサも納得するだろう。この年で噂のひとつもないなどと、誰も信じないだろうから、信憑性があってよいのではないかな」

「だからと言って、何もあんなヤツを! もっとマシな者がいくらでもいるでしょう! あんな賤しい出処もわからない異人なんか!」

 リリーがギリリッと唇を噛みしめた。

 エドアルの言う通りだった。出生もわからない異人。立場もわきまえないバカ息子。

 だが、息子なのだ。たった三年しか預かっていなくとも。モーヴとの間の、たった一人の息子。母と呼んでくれるたった一人の子。

 しかし、エドアルの言い分は正しく、反論のしようがなかった。

 リュウカはチラとリリーに視線をくれ、静かに返した。

「あの子は、前の王弟の一人息子だったな? 異人だというなら、私も異人だ。何もかも釣り合いがとれる。これほど信憑性のある話もないだろう」

 エドアルは詰まった。

 モーヴの隠し子に仕立てたのは、先王カルヴと、ほかならぬエドアル自身だった。

「浮いた噂など、あの子の名誉を傷つけることにはなるが。すまないね、リリー」

 リリーは顔をあげ、胸を張った。

「いいえ、ちい姫さま。あんなバカ息子の名誉なんて、お考えになることないんです。少しでもちい姫さまのお役に立てれば幸いですわ」

「すまない」

 リュウカはうなずいて席についた。

 

 

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