〜 リュウイン篇 〜

 

【十三 リズ(二)】

 

 

「あっ! 昨日の賤民!」

 エドアルの学友の中に、知った顔があった。

「貴族でもないヤツのことを賤民って言うんだぜ。昨日、父上に教わったんだ。来るな、下品が伝染る!」

「やめないか、ヴァンストン。この方はエリザ……」

「リズよ。アルの友だちなの。文句ある?」

 リズは腰に手をあてて、ヴァンストン以外の面々に笑ってみせた。

「アルの友だちなら、私の友だちだわ。あなたたちがイヤじゃなかったらね」

「寄るな、賤民。なあ、おまえたちもまっぴらだろ」

 ほかの少年たちは、エドアルの表情をうかがった。

「もう! 自分のことぐらい、自分で決めなさいよ!」

 リズは足を踏みならした。

「しかし、みなはあなたのことを知らないのだから……」

「失礼よ! 友だちが連れてきたレディをお茶の仲間にも入れられないの? これならフォッコの友だちのほうがマシよ! 初めて来た子だって、すぐ仲間に入れてくれるわ!」

「下々の者とはちがうんだよ」

 栗色のヴァンストンがせせら笑った。

「どこの馬の骨だか……」

「大っ嫌い!」

 ヴァンストンの足を踏みつけた。

 悲鳴が響いた。

「この賤民がぁーっ!」

 ヴァンストンがこぶしをふりあげる。

「ヴァンストン! おまえが悪い!」

 エドアルが叱りつけた。

「先に侮辱したのはおまえだ。その上、あろうことか、女性に手をあげるのか? この方は私の友人だ。今後、失礼のないように!」

「はい、殿下!」

 ヴァンストンは直立した。

「エリザ姫、ご無礼を。では、まいりましょう」

「リズでいいわ」

 エドアルの腕に手をかけた。

「お待ち!」

 聞き覚えのある声がして、リズは体をこわばらせた。

「おまえ! おまえのせいで!」

 そっと見やると、明るい栗色の髪をふり乱した姉が、恐ろしい形相でやってくるところだった。

 袖や襟はとれかかり、裾は破れていた。

「おまえが! おまえが!」

 アイリーンがとびかかってきた。

「アイリーン姫!」

 エドアルが叫んだ。

 アイリーンがハッとした。

「どうされたのです。今、誰かを呼びます。おケガなどございませんか?」

「おまえ、エドアル?」

 アイリーンの目が再びつりあがった。

「許さない! 私を、この私をこんな目に遭わせて!」

 黒いものが降ってきた。

 臭い。

 高笑いが響きわたった。

「少しはきれいになったろ、このブス!」

 セージュ王太子だ。

 従えた少年がふたり、バケツをかまえていた。泥水を放ったのだ。

「悪党の一味は、ひとり残らず成敗してくれる!」

「兄上! おやめください!」

 まっ黒になったエドアルが抗議した。

「相手はリュウインの王女ですよ!」

「だから黒髪に染めてやってんだろ!」

「あたしたち、前の王妃さまの子どもじゃないわ!」

 リズは叫んだ。

 セージュと目が合った。

 ニヤ、とその口に笑みが浮かんだ。

「ここに逃げこんでたのか」

「逃げたんじゃないわ! おねえさまが勝手に行ったのよ! あたし、あんたなんか怖く……」

 風音がした。

 エドアルが間に入った。

 鞭がその背に降りた。

「エリザ姫、逃げてください」

「リズよ! それより、だいじょうぶ?」

「兄は女性にも容赦はありません。早く逃げてください」

 リズは、エドアルの腰から剣を抜いた。

「あんたなんか!」

 セージュも腰の剣を抜いた。

 乾いた音を立てて、リズの得物が折れた。木片が散る。

 ヤだ。ニセ物?

「剣でオレにかなうと思ってんのか?」

 髪をつかまれた。

「おまえなんか、王女じゃねぇよ! リュウインなんか、オレが滅ぼしてやる!」

 ぼとりと髪の毛が落ちた。

 切られたのだ。

 背を蹴られた。

 床に倒れた。

 頭を踏まれる。

「リュウインなんか! くたばっちまえ!」

「エリザ姫!」

 エドアルが上から覆いかぶさった。

「どけよっ! この弱虫め!」

 しばらく蹴り続けて、セージュは飽きたのか、とりまきとともに引きあげた。

「アル、だいじょうぶ?」

「あなたこそ、おケガは?」

 周りには、アイリーンの姿も、エドアルの学友たちの姿もなかった。黒く汚れた床の上で、ふたりすわりこんでいる。

「おでこをすりむいたわ。それにしても、あなた弱いのね。剣もニセ物だったし」

「暴力は嫌いなんです。あいたた……」

 うめいた。

「どこが痛いの?」

「背中が……」

「骨折れた?」

「わかりません」

「殿下! 侍医を連れてきました」

 ヴァンストンが塔の陰から現れた。

「そういえば」

 エドアルが顔をあげた。

「なあに?」

「私たちは絶交しているのではありませんでしたっけ」

「アル、私のこと嫌いになったの?」

「あなたがおっしゃったんですよ」

「そんなこと言ったかしら?」

 言ったような気もする。

「いつまでも怒ってるの、好きじゃないの。アルだって、仲直りしたいでしょ」

「あなたって方は……」

「殿下、こちらへ。お早く!」

 ヴァンストンが呼んだ。

 


「そうね、あの弟のほうなら考えてもいいわ」

 帰りの馬車の中でアイリーンが言った。

「すましたところが気に入らないけど、兄よりはマシだわ」

 アルはもっと気に入らないと思うわ。

 手ぬぐいを口に詰められていなければ、反論したところだ。

「今度は、こちらにお招きしましょう。弟だけね。あなたがその気になって落ちない殿方はありませんよ」

 キャスリーン妃があおった。

 城に帰って二シクル経ったころ、リズは国王に呼びだされた。

 不吉な予感がした。

 醜い失敗作の私に、何のご用かしら?

 応接間に入ると、国王は顔をあげ、うんざりしたようにため息をついた。

 私の顔を見ると、必ずこうだわ。

「エリザ姫、こちらはパーヴのガーダ公でいらっしゃいます」

 祖父が示した先に、青い上衣を着た、栗色の髪の男がすわっていた。四十代ぐらいか、日に焼け、たくましい感じがした。

 その隣に、ブルネットの髪を高く結い上げた女がすわっている。男より十は若そうだ。

「あなたがエリザ姫か」

 ガーダ公は口笛を吹いた。

「こりゃあ、健康そうだ。なあ、リリー?」

 隣の女に話しかける。

「まずは、ご挨拶なさったらいかが。失礼でしょう、殿下」

 リリーと呼ばれた女はトゲトゲしい。

「初めまして、ガーダ公」

 リズは先に挨拶した。

「初めまして、ガーダ公爵夫人」

「殿下。いつご結婚されたんですか? きちんと説明なさってください」

 リリーは冷ややかに言う。

「実質的には間違ってないだろ?」

「いいえ! 王太后さまに叱られますよ!」

「バアさんに気遣う必要ないさ」

「じゃあ、そのバアさんの目の前でそう言ってごらんなさい!」

 ガーダ公はため息をついた。

「エリザ姫。こちらはリリー・アッシュガース嬢だ」

 愛人かしら?

「初めまして。アッシュガースさま」

「甥のエドアルは知ってるな」

 挨拶もせずに、ガーダ公は切り出した。

 失礼ね!

「パーヴの王子の?」

「そうだ。弱虫のエドアル王子だ」

 リズは頬をふくらませた。

「アルは弱虫じゃないわ! ただ、暴力が嫌いなだけよ」

「昔っからけいこはさぼってばかりだったからな」

「アルは紳士よ!」

 私をあの乱暴なお兄さんから守ってくれたもの!

「おじさまは、アルの悪口を言うために、わざわざここに来たの?」

「婚約の申し入れに」

 あら。

 おねえさまがたぶらかすまでもなかったのね。

 ガーダ公が皮肉な笑みを浮かべた。

「オレとしては、リュウインとの婚姻は願いさげなんだがな」

「どういう意味だ」

 国王アプスがうなった。

「尻の矢キズに訊いてみろ」

 ガーダ公がせせら笑った。

「それとも、ここに羊頭を運ばせようか?」

「まあまあ」

 宰相ランベル公が割って入った。

「両国の友好のためです」

「ぶち壊したのは、そっちでしょ!」

 リリーが睨みつけた。

「おまえが、お姫さまとちい姫さまを!」

「賊のしわざでございます」

「お姫さまがお戻りになったら、タダでは済まさないからね!」

「お亡くなりになったお方は、二度と戻られませぬ」

「この赤イタチ!」

 リズは吹きだした。

 ぴったり!

「リリー。ケンカにきたんじゃないぞ」

「じゃあ、連れてこないでください。この顔を見て、黙っていられると思います?」

「用件は別にあるだろう。エリザ姫。うちの城で、ずいぶんやんちゃをなさったとか」

 急に話をふり向けられて、リズの体はこわばった。

「だって、あれは、セージュが悪いんだわ。子分まで連れてきて、殴る蹴るだったのよ」

「エリザ姫の奔放ぶりには、我々もひどく憂慮している」

「ご心配には及びませぬ」

 宰相ランベル公が慇懃に笑った。

「これからは厳しく躾けましょう。女官の数を増やし、常に貴婦人たる自覚を促します」

 とばっちりだわ! 結婚するのは私じゃないのに!

「兄は、リュウインには任せておけないと考えている。こちらから女官をつけ、城から離れた静かな場所で教育したいと」

「その教育係に、アッシュガース嬢が?」

「いや、これは私のそばに」

「あたしの希望じゃありませんけどね!」

 リリーは不服そうに言った。

「おまえがいてくれないと、オレが困るだろう」

「ひと声かければ、代わりはいくらでも寄ってくるでしょ、常勝将軍!」

「おまえを残してみろ。部下たちが心配して大挙してくるぞ」

「そんなの、あなたが何とかしてください」

 あんまり貴婦人らしくないな、とリズは思った。

 男をたてよ、引いて従えと習ったのに。

「とにかく、婚礼までに、表に出ても恥ずかしくない貴婦人になっていただきます。女官はふたり、すでにウィックロウに向かわせました」

「ウィックロウ」

 宰相ランベル公の目が光った。

「ほう。では、あのおふたりか」

「条件が飲めなければ、兄は破談にすると言っている」

 国王アプスは口をへの字に曲げた。

「予は脅されるのは好かん。どうして、アイリーンではいかんのだ。アイリーンなら、非の打ちどころのないレディだぞ。改めて教育の必要もない。なにも、あんな醜い娘を選ばなくてもよかろう。予も、醜い孫など見たくないわ」

 あら?

 おねえさまの話じゃないの?

「じゃあ、この話はナシですわ!」

 リリーは椅子を蹴って立ち上がった。

「殿下、帰りましょう! こちらの王さまは、また殿下を相手に戦をなさりたいそうですわよ!」

「リリー。すわりなさい」

「それとも。今すぐ決着をつけます? こちらの王さまも、前の戦では、さぞかし武勇伝をお持ちでしょうし!」

「リリー」

「美醜で人の価値を決めるなんて! お姫さまがいらしたら、今すぐ引き倒して踏みつけるところですわ!」

「リリー!」

 ガーダ公はリリーの両肩を押さえた。

「リュウイン国王アプス陛下。兄には破談と伝えておく。では、失礼」

「いや、予は、別に……」

 ガーダ公はリリーを連れてドアのほうへ歩いていく。

「陛下、友好が崩れては不利になりますぞ」

 宰相ランベル公が早口にささやいた。

「待ってくれ!」

 国王アプスは叫んだ。

「飲む! その条件でよいから!」

「それはよかった」

 ガーダ公はにこりともしなかった。

「相変わらず、余興が過ぎる」

 おとうさまより偉そうだわ。

 隣国の公爵の態度は奇妙に見えた。

 おまけに、たかが愛人まで、おとうさまに怒鳴るなんて。

 その愛人は、リズをじろじろ眺めていた。

 こんな人に貴婦人のなんたるかを説教されるのはごめんだわ。いっぺん、自分を振り返ってみたらいいのよ。

「エリザ姫。ご自分の結婚にご意見はございませんの?」

 リリーが訊いた。

 そう言われればそうね。

 少し考えた。

「セージュだったら家出するとこだけど、アルだったらいいわ。友だちだもの」

「エドアルのヤツ、前途多難だな」

 ガーダ公が苦笑した。

 

 

   

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