「こっちよ」
リズは暗い穴に飛びこんだ。
「どうして私が……」
後ろから気弱な声が続いた。
「イヤなら来なくていいわ」
膝をついて穴をくぐると、ほどなく行き止まりになった。
「何もありませんよ、もどりましょう」
「うるさいわね。どっかに出口があるはずよ」
リズは四方をたたいた。
「おじいさまのとこは、もっとわかりにくかったわ。だいじょうぶ。こういうの馴れてるの」
「帰りましょう。女性がこんなドロボウみたいなこと……」
「あった」
木の音が響いた。取っ手をまさぐり、押すと、明かりが射しこんだ。
出たところは小さな部屋だった。壁は大小さまざまな肖像画で埋めつくされていた。すべて同じ人物が描かれていた。
天窓から入る光が、埃に反射し、きらきらとまぶしい。
暖炉とソファ、肘掛け椅子、小さな机、膝掛け。
「居間のようですね」
「おじいさまの部屋とおんなじだわ。あの人の絵でいっぱい」
あるものは鮮やかな毛織りのショールを肩にかけ、あるものは小さな帽子を頭にのせていた。襟ぐりは深くあき、黒い目は憂いを帯びていた。
こんなに悲しそうだったかしら? それに、なんだか色っぽいわ。
祖父の隠し部屋で見た絵は、どれも凛々しかった気がする。
「変わった服を着てるのね」
「そうですね」
「この人、きっとおじいさまの恋人よ。どうしてこんなところに絵があるのかしら」
「とんでもない!」
少年が強く否定した。
「この御方は、我が国の王女、レイカ姫ですよ。十数年前に、隣国リュウインに嫁ぎ、王妃となられた御方です」
「まあ。私、ちっとも」
前《さき》の王妃さま! 見たことないから、わからなかったわ。
「私、ずっと、この方がホントのおかあさんだったらいいなって思ってたの。きっと、意地悪なんかしないわ」
「厳しい御方でしたよ」
少年は得意げに顎を上げた。
「会ったことがあるの?」
「毎年、夏になるとお出でになったものです」
「どんな方だった?」
「曲がったことがお嫌いで、ご息女をよくお叱りになっていらっしゃいました」
「まあ、子どもがいたの」
少年は誇らしげにうなずいた。
「ご息女がひとり。母君にそっくりの、たいへんおきれいな方でした」
リズはがっかりした。
そうね。この方の娘なら、美人に決まってるわ。
考えてみれば、私なんかがこの方の娘になれるわけないんだわ。
「しかし、あの悪徳宰相に殺められて。いつか一族もろとも滅ぼしてやります!」
興奮して口走り、ふいに少年は口をつぐんだ。
リズの顔をのぞきこむ。
「怖がらないでください。つい感情的になってしまったのです」
きっと、青い顔をしているのだわ、私。
少年が遠くに感じられた。
「もう、出ましょう。誰かに見つからないうちに」
リズはうなずき、少年の後に続いた。
出しなに、小さな肖像画をつかんだ。
竪琴の音が中庭に響いた。
男の声は低く、よく通った。
リズは目を閉じ、その語りに耳を傾けた。
目を開ければ四十の男だが、声だけなら二十代にも聞こえる。
使者が枕元で囁く
英雄は首をふらぬ
このいましめを解けなくば
魂を渡すまじ
使者は鎌を振るった
三たびかなえた。
今こそ魂を得ん
「誰だ! 勝手に歌うのは!」
向かいの棟からから出てきたのは、昨日の少年だった。
ひどい形相で詰め寄る。
歌い手は逃げだした。
「かわいそうに! どうして意地悪するの?」
「またあなたですか」
少年はため息をついた。
「今、いいとこだったのに。セージュが死神に連れていかれるところよ」
「バカバカしい。先住民のたわごとです」
「なによ、それ」
「我々は征服者ですよ。長い間、この国を支配してきました。なのに、敗者のくだらない作り話などに耳を汚されるとは」
「じゃあ、あなたはもっとおもしろい話ができるっていうの? 英雄セージュの冒険や、冥界からもどってきたエドアルや……」
「サイアクです!」
少年はツバを吐いた。
「あの世からもどれるわけないでしょう! バカバカしい!」
「エドアルならやるわ」
「殿下!」
栗色の髪の少年が向かいの棟から歩いてきた。
リズを上から下まで眺めまわす。
ヤな感じ。
睨み返した。
「どこの公爵家のご令嬢ですかな」
「貴族じゃないの。おあいにく」
リズはあっかんべーをした。
「田舎じゃ、髪にアイロンをあてるのが流行ってるのか?」
栗色の髪が笑った。
「そんなふうに鼻をふくらませるのもか?」
「やめないか、ヴァンストン」
『殿下』がいなした。
リズに向き直る。
「お帰りなさい。ここはあなたの来るところじゃありません。誰かに送らせますから」
「帰りたいのは山々よ。ここには原っぱもないし、遊んでくれる友だちもいないし。あなた以外はね」
リズはにこにこと笑った。
「友だちができてうれしいわ」
「無礼だぞ! この田舎ザルめが!」
「エリザさま!」
後ろから声がして、リズはギョッとした。
「隠して!」
『殿下』の後ろに回ったが、ムダだった。
着飾った侍女が眼をつりあげて、こちらに向かってくる。
「エリザさま! 毎日毎日、あなたって方は! アイリーンさまのように、おしとやかにしていられないんですか!」
嫌いだ。
いつも放っておいてくれる侍女たちが来てくれたらよかったのに。
この旅は、姐づきの侍女しか来なかったのだ。
「ここはフォッコの野じゃないんですからね! お立場をわきまえていただかないと!」
「なるほど」
『殿下』がつぶやいた。
ふり返って、リズを眺める。
「なによ!」
リズは睨み返した。
「さがりなさい」
『殿下』は侍女に言った。
「何も問題はありません。少し話をしているだけです」
「貴族風情が! この方をどなたと……」
自分だって、貴族のクセに。
どうしておねえさまの周りの人たちって、自分まで偉くなった気になるのかしら。
「私はパーヴ王カルヴの第四王子エドアルです。さがりなさい」
侍女の顔がひきつった。
「失礼いたしました」
謝罪もそこそこに逃げていく。
「ウソはダメよ」
リズは顔をのぞきこんで笑った。
「言うに事欠いて、このブスザルが……」
「退がれ、ヴァンストン」
栗色の髪を退がらせてから、『殿下』は胸に手をあてて一礼した。
「ご無礼いたしました、エリザ姫。お噂通り、姉君にはまったく似ていらっしゃいませんね」
あら、本物?
「あなた、どっちのほう? 跡を継ぐほう? それとも余ったほう?」
『殿下』は口を曲げた。
「跡は継ぎませんが、余っているわけではありません」
「よかったわ。早くおねえさまと結婚して、うちにいらっしゃいな。あなたなら友だちだし、意地悪もしないでしょ」
「誰が宰相の一族なんかと! さっさと帰るように、あなたからも言ってください」
「私の言うことなんか、きくもんですか。だいたい、私が連れてこられたのだって、並ぶとおねえさまの美しさがひきたつからよ」
胸に熱いものがこみあげてきた。
「おかあさまに似てないのは、私のせいじゃない! なによ! おねえさまなんて、顔だけじゃない! 意地悪でズルくて、頭の中はおしゃれと男の子のことばっかり!」
「私の兄もそうですよ」
エドアル殿下が大きくうなずいた。
「跡継ぎだからと特別扱いされて、いい気になっているのです。甘えん坊で意気地なしで、威張ってばかりです。勉強もしないで、女性ばかり追いかけて」
「そうよ、ろくな大人にならないわ! ご飯だって好き嫌いがたくさんあって、将来、きっと病気になるんだから!」
「そうですとも。殴った分は、やがて自分に返ってくるんです。今に見ていなさい。天は兄を見放しますから」
「おねえさまのとりまきも大っ嫌い。いつもおねえさまと比べるのよ」
「兄より劣るところばかり並べたてて、よいところは見ない」
「ほかの人たちはね、私が王女だってわかったとたん、急にいい顔するの。平気で、お世辞言いだすのよ! だから、私、できるだけ名前を教えないの」
「まったくです。美辞麗句を並べてへつらう輩は大嫌いです。信用できませんね」
「でも、おねえさまは、そういう人が大好きなの! ばかみたい」
「兄はそのうちだまされて、何もかも失うんです。そうに決まってます」
「ねえ、どうして私が王女だってわかったの?」
ありふれた名前だ。母にも姉にも似ていないし、今回送ったはずの姿絵には、自分は入っていない。見苦しいからという理由で!
「フォッコの野と、侍女がもうしておりましたでしょう。姉上からうかがったことがあります。リュウインの地名です」
「あなたのお姉さま、うちに来たことあるの?」
「リュウインの前の王妃さまのご息女ですよ。私は、あの方と結婚するはずだったのです。宰相の孫となんかではなくてね」
エドアル王子の目は、遠くを見るようだった。
「きれいな方だったんでしょ?」
「あんなにすばらしい女性はいらっしゃいませんよ! 叔母上に似て、美しく勇敢で賢く、完璧でした。あの方を女王にいただいたら、リュウインはどんなに幸せか!」
天は不公平だ。
リズは思った。
おじいさまゆずりのブスで、頭の悪い自分とは大違いだわ!
「もし、姉上がいらっしゃったら、あなたもきっとうれしいと思いますよ」
「そうかしら?」
声がとがった。
「そうですとも! 姉上はいつも兄から私を守ってくださいました。きっと、あなたのことも……」
「知らないから、そんなこと言えるんだわ。おかあさまもおねえさまも、そりゃあ意地悪なんだから! みんなからそんなに好かれてぬくぬく育った人なんかに、何ができるもんですか」
「姉上は、そこらの王女なんかとは違います! リュウインには居場所がなかったんです! そもそも、国王が叔母上を粗末にしたから! 宰相の言いなりになり、宰相の娘なんかにうつつを抜かすから!」
言葉が容赦なくリズの胸に突き刺さる。
「あんなふうに殺されなければ、私がきっとお守りしたのに!」
「どんなふうに亡くなったの?」
「知らないんですか! 国境の街エスクデールの郊外で、国王の軍隊に襲われたのです! 表向きは、軍隊に化けた賊に襲われて亡くなったことになっていますが。私に力があれば、あんな男、一族もろとも磔にして河原にさらしてやるのに! あの男の血が、ピートリークの半分を汚しているかと思うと!」
「悪かったわね! おじいさまの一族で!」
リズは足を踏みならした。
あ、とエドアルが声をあげた。
「大っ嫌い! もう、あなたなんか絶交よ!」
リズは元来たほうへ駆けだした。
なによ、なによ、なによ!
前の王妃さまの娘はさぞかし美人だったんでしょうよ! ブスでみそっかすで悪かったわね!
次に顔を会わせたのは、晩餐の席上だった。
キャスリーン妃が挨拶の口上を述べ、リズを紹介した。
主人の席には、老人がすわっていた。
おじいさまより年とってるわ。これが王さまね。
女主人の席には、不器量な女がすわっている。
おかあさまと同じぐらいの年って聞いてるけど、痩せて骨ばって、ずっと老けてみえるわ。
隣席では、わがままそうな少年が、ナイフとフォークを鳴らしている。
私なんかどうでもいいってわけね。それにしても、なんて意地悪そうな顔なんでしょう! おねえさまそっくり!
そして、もうひとり。優等生然とした少年……。
「アル、また会ったわね!」
手を振った。
キャスリーンの口上がやんだ。
エドアル王子の顔が赤くなった。
「知らない人ばっかりでイヤだったの。あなたに会えてうれしいわ」
キャスリーン妃が咳払いをした。
リズは聞こえないふりをした。
「たくさん遊んだから、おなかすいたわ。早くご飯食べたいわね」
「エリザ!」
キャスリーン妃が凍るような声を出した。
あとから、どれだけ罰をもらうかしら。納骨堂に一晩? 塔に三日?
「お見苦しい限りでございます。この子は少しおつむが弱うございまして。お許しいただければ、退けますが」
「それには及びませぬ」
パーヴの国王は笑った。
「まるで、妹を見ているようだ。どうか気楽に」
リズの目をのぞきこんだ。
このおじいさま、楽しそうだわ。
「おじいさまの妹って、うちの前の王妃さま?」
キャスリーン妃の目がつりあがった。
パーヴ国王は声を立てて笑った。
「そうだ。ひどいおてんばで、舞踏会に羊の首を持ちこんだり、剣をふりまわしたりしたものだ」
「私、そこまでひどくないわ」
「それは残念。だが、元気のいい顔をしておる。頬の色ツヤといい、目の光といい……」
「へえー。目なんかどこにあんのかな」
隣席の少年がリズの顔を眺めまわした。
その向かいで、アイリーンが聞こえよがしにくすくす笑う。
「ああ、そのでっかい穴が目か。じゃあ、そのでっかいまんじゅうが鼻か?」
「あら、こんなところに虫が」
リズはテーブルを叩くふりをして、少年の頭をしたたかにぶった。
「このやろう!」
少年がとびかかってきた。
リズはスネを蹴飛ばし、身を引いた。
少年が床に転がり、足を抱えた。
泣きわめく。
「エリザ! なんてこと! このオニっ子!」
「誰か、王太子の手当てを!」
ふたりの王妃の声が飛び交う。
「なんて人だ」
ジャマにならないよう、リズの手をひいたエドアルが目をみはっていた。
「当然よ。レディを侮辱したんだから」
「あれでレディなんですか?」
目を丸くする。
「あれ、あなたのお兄さんなんでしょ? ヤな人ね」
「後が怖いですよ。お気をつけなさい」
腕をとるエドアルの手が震えているような気がした。
朝になると、大きな花束がいくつも届けられていた。
「昨夜のお詫びを」
使者は菓子まで差しだした。
あんがい悪い人じゃないわ。
花束の中にはおかしな仕掛けはなかった。
菓子は姉の侍女にくれてやったが、腹を下したわけでもない。
「なんで、おまえだけ!」
姉が怒鳴りこんでリズの耳をつかんで引きずりまわし、
「あんまり醜いんで哀れんだんだろうよ」
母からは冷たい視線を浴びせられる始末だった。
昼さがりには、お茶に呼ばれた。
「おまえは留守番!」
アイリーンはリズの服という服を引き裂いて、呼ばれもしない茶会に出かけて行った。
リズは下着の上にカーテンの布を引っかけて表に出た。
おねえさまの思い通りになんかなるもんですか!
中庭の向かいの棟を探しまわる。
いた!
「アル! アルってば!」
パーヴの第四王子は、二、三人の少年たちと話していたが、リズに気づいてぎょっとした。
「どうされたのです! 賊にでも遭われたのですか?」
「おねえさまの意地悪よ。それより、服を用意してちょうだい。お茶に呼ばれてるの」
「服って……」
「あなたのおにいさまっていい人ね。ご好意をムダにしたくないわ」
エドアルはリズの腕を引いて、廊下の隅に連れこんだ。
「兄ですか? 茶に呼んだのは」
「そうよ。私だけなの。なのに、おねえさまが抜け駆けして……」
「おやめなさい。昨夜のことをお忘れですか?」
「今朝、お花とお菓子が届いたわ。何も仕掛けてこなかったわ。うちのおねえさまだったら、汚いものや下剤をまぜるところよ」
「兄上を侮ってはなりません」
「うたぐり深いのね! それとも妬いてるの?」
「服はなんとか手配します。お待ちください」
エドアルは侍女を呼んで、リズを案内させた。
着替えた服は、腰のしめつけが緩く、すそのボリュームをおさえた動きやすいものだった。
「侍女の服ね?」
エドアルの前に出ると、リズは訊ねた。
「うちには姫がいませんからね。我慢してください」
「こんなんじゃ、お茶会には……」
「そんなに兄上が気に入ったんですか?」
エドアルはあきれ声を出した。
「だって、生まれて初めてなんだもん! お茶によばれたの」
「では、私がお招きします。今、学友とひと休みするところだったのです。あなたをひとりにするのは危なそうだし……」
「ありがとう! アル!」
抱きつくと、エドアルはよろけて尻もちをついた。
「どうして私がアルなんですか?」
「だって、エドアルって名前は好きじゃないんでしょう?」
「だからって、そういう呼び名は……」
「早くお茶にしましょ。ね?」
リズはエドアルを引っぱり起こした。