〜 リュウイン篇 〜

 

【十三 リズ(一)】

 

 

「こっちよ」

 リズは暗い穴に飛びこんだ。

「どうして私が……」

 後ろから気弱な声が続いた。

「イヤなら来なくていいわ」

 膝をついて穴をくぐると、ほどなく行き止まりになった。

「何もありませんよ、もどりましょう」

「うるさいわね。どっかに出口があるはずよ」

 リズは四方をたたいた。

「おじいさまのとこは、もっとわかりにくかったわ。だいじょうぶ。こういうの馴れてるの」

「帰りましょう。女性がこんなドロボウみたいなこと……」

「あった」

 木の音が響いた。取っ手をまさぐり、押すと、明かりが射しこんだ。

 出たところは小さな部屋だった。壁は大小さまざまな肖像画で埋めつくされていた。すべて同じ人物が描かれていた。

 天窓から入る光が、埃に反射し、きらきらとまぶしい。

 暖炉とソファ、肘掛け椅子、小さな机、膝掛け。

「居間のようですね」

「おじいさまの部屋とおんなじだわ。あの人の絵でいっぱい」

 あるものは鮮やかな毛織りのショールを肩にかけ、あるものは小さな帽子を頭にのせていた。襟ぐりは深くあき、黒い目は憂いを帯びていた。

 こんなに悲しそうだったかしら? それに、なんだか色っぽいわ。

 祖父の隠し部屋で見た絵は、どれも凛々しかった気がする。

「変わった服を着てるのね」

「そうですね」

「この人、きっとおじいさまの恋人よ。どうしてこんなところに絵があるのかしら」

「とんでもない!」

 少年が強く否定した。

「この御方は、我が国の王女、レイカ姫ですよ。十数年前に、隣国リュウインに嫁ぎ、王妃となられた御方です」

「まあ。私、ちっとも」

 前《さき》の王妃さま! 見たことないから、わからなかったわ。

「私、ずっと、この方がホントのおかあさんだったらいいなって思ってたの。きっと、意地悪なんかしないわ」

「厳しい御方でしたよ」

 少年は得意げに顎を上げた。

「会ったことがあるの?」

「毎年、夏になるとお出でになったものです」

「どんな方だった?」

「曲がったことがお嫌いで、ご息女をよくお叱りになっていらっしゃいました」

「まあ、子どもがいたの」

 少年は誇らしげにうなずいた。

「ご息女がひとり。母君にそっくりの、たいへんおきれいな方でした」

 リズはがっかりした。

 そうね。この方の娘なら、美人に決まってるわ。

 考えてみれば、私なんかがこの方の娘になれるわけないんだわ。

「しかし、あの悪徳宰相に殺められて。いつか一族もろとも滅ぼしてやります!」

 興奮して口走り、ふいに少年は口をつぐんだ。

 リズの顔をのぞきこむ。

「怖がらないでください。つい感情的になってしまったのです」

 きっと、青い顔をしているのだわ、私。

 少年が遠くに感じられた。

「もう、出ましょう。誰かに見つからないうちに」

 リズはうなずき、少年の後に続いた。

 出しなに、小さな肖像画をつかんだ。

 


 竪琴の音が中庭に響いた。

 男の声は低く、よく通った。

 リズは目を閉じ、その語りに耳を傾けた。

 目を開ければ四十の男だが、声だけなら二十代にも聞こえる。

 使者が枕元で囁く

 英雄は首をふらぬ

 このいましめを解けなくば

 魂を渡すまじ

 使者は鎌を振るった

 三たびかなえた。

 今こそ魂を得ん

「誰だ! 勝手に歌うのは!」

 向かいの棟からから出てきたのは、昨日の少年だった。

 ひどい形相で詰め寄る。

 歌い手は逃げだした。

「かわいそうに! どうして意地悪するの?」

「またあなたですか」

 少年はため息をついた。

「今、いいとこだったのに。セージュが死神に連れていかれるところよ」

「バカバカしい。先住民のたわごとです」

「なによ、それ」

「我々は征服者ですよ。長い間、この国を支配してきました。なのに、敗者のくだらない作り話などに耳を汚されるとは」

「じゃあ、あなたはもっとおもしろい話ができるっていうの? 英雄セージュの冒険や、冥界からもどってきたエドアルや……」

「サイアクです!」

 少年はツバを吐いた。

「あの世からもどれるわけないでしょう! バカバカしい!」

「エドアルならやるわ」

「殿下!」

 栗色の髪の少年が向かいの棟から歩いてきた。

 リズを上から下まで眺めまわす。

 ヤな感じ。

 睨み返した。

「どこの公爵家のご令嬢ですかな」

「貴族じゃないの。おあいにく」

 リズはあっかんべーをした。

「田舎じゃ、髪にアイロンをあてるのが流行ってるのか?」

 栗色の髪が笑った。

「そんなふうに鼻をふくらませるのもか?」

「やめないか、ヴァンストン」

『殿下』がいなした。

 リズに向き直る。

「お帰りなさい。ここはあなたの来るところじゃありません。誰かに送らせますから」

「帰りたいのは山々よ。ここには原っぱもないし、遊んでくれる友だちもいないし。あなた以外はね」

 リズはにこにこと笑った。

「友だちができてうれしいわ」

「無礼だぞ! この田舎ザルめが!」

「エリザさま!」

 後ろから声がして、リズはギョッとした。

「隠して!」

『殿下』の後ろに回ったが、ムダだった。

 着飾った侍女が眼をつりあげて、こちらに向かってくる。

「エリザさま! 毎日毎日、あなたって方は! アイリーンさまのように、おしとやかにしていられないんですか!」

 嫌いだ。

 いつも放っておいてくれる侍女たちが来てくれたらよかったのに。

 この旅は、姐づきの侍女しか来なかったのだ。

「ここはフォッコの野じゃないんですからね! お立場をわきまえていただかないと!」

「なるほど」

『殿下』がつぶやいた。

 ふり返って、リズを眺める。

「なによ!」

 リズは睨み返した。

「さがりなさい」

『殿下』は侍女に言った。

「何も問題はありません。少し話をしているだけです」

「貴族風情が! この方をどなたと……」

 自分だって、貴族のクセに。

 どうしておねえさまの周りの人たちって、自分まで偉くなった気になるのかしら。

「私はパーヴ王カルヴの第四王子エドアルです。さがりなさい」

 侍女の顔がひきつった。

「失礼いたしました」

 謝罪もそこそこに逃げていく。

「ウソはダメよ」

 リズは顔をのぞきこんで笑った。

「言うに事欠いて、このブスザルが……」

「退がれ、ヴァンストン」

 栗色の髪を退がらせてから、『殿下』は胸に手をあてて一礼した。

「ご無礼いたしました、エリザ姫。お噂通り、姉君にはまったく似ていらっしゃいませんね」

 あら、本物?

「あなた、どっちのほう? 跡を継ぐほう? それとも余ったほう?」

『殿下』は口を曲げた。

「跡は継ぎませんが、余っているわけではありません」

「よかったわ。早くおねえさまと結婚して、うちにいらっしゃいな。あなたなら友だちだし、意地悪もしないでしょ」

「誰が宰相の一族なんかと! さっさと帰るように、あなたからも言ってください」

「私の言うことなんか、きくもんですか。だいたい、私が連れてこられたのだって、並ぶとおねえさまの美しさがひきたつからよ」

 胸に熱いものがこみあげてきた。

「おかあさまに似てないのは、私のせいじゃない! なによ! おねえさまなんて、顔だけじゃない! 意地悪でズルくて、頭の中はおしゃれと男の子のことばっかり!」

「私の兄もそうですよ」

 エドアル殿下が大きくうなずいた。

「跡継ぎだからと特別扱いされて、いい気になっているのです。甘えん坊で意気地なしで、威張ってばかりです。勉強もしないで、女性ばかり追いかけて」

「そうよ、ろくな大人にならないわ! ご飯だって好き嫌いがたくさんあって、将来、きっと病気になるんだから!」

「そうですとも。殴った分は、やがて自分に返ってくるんです。今に見ていなさい。天は兄を見放しますから」

「おねえさまのとりまきも大っ嫌い。いつもおねえさまと比べるのよ」

「兄より劣るところばかり並べたてて、よいところは見ない」

「ほかの人たちはね、私が王女だってわかったとたん、急にいい顔するの。平気で、お世辞言いだすのよ! だから、私、できるだけ名前を教えないの」

「まったくです。美辞麗句を並べてへつらう輩は大嫌いです。信用できませんね」

「でも、おねえさまは、そういう人が大好きなの! ばかみたい」

「兄はそのうちだまされて、何もかも失うんです。そうに決まってます」

「ねえ、どうして私が王女だってわかったの?」

 ありふれた名前だ。母にも姉にも似ていないし、今回送ったはずの姿絵には、自分は入っていない。見苦しいからという理由で!

「フォッコの野と、侍女がもうしておりましたでしょう。姉上からうかがったことがあります。リュウインの地名です」

「あなたのお姉さま、うちに来たことあるの?」

「リュウインの前の王妃さまのご息女ですよ。私は、あの方と結婚するはずだったのです。宰相の孫となんかではなくてね」

 エドアル王子の目は、遠くを見るようだった。

「きれいな方だったんでしょ?」

「あんなにすばらしい女性はいらっしゃいませんよ! 叔母上に似て、美しく勇敢で賢く、完璧でした。あの方を女王にいただいたら、リュウインはどんなに幸せか!」

 天は不公平だ。

 リズは思った。

 おじいさまゆずりのブスで、頭の悪い自分とは大違いだわ!

「もし、姉上がいらっしゃったら、あなたもきっとうれしいと思いますよ」

「そうかしら?」

 声がとがった。

「そうですとも! 姉上はいつも兄から私を守ってくださいました。きっと、あなたのことも……」

「知らないから、そんなこと言えるんだわ。おかあさまもおねえさまも、そりゃあ意地悪なんだから! みんなからそんなに好かれてぬくぬく育った人なんかに、何ができるもんですか」

「姉上は、そこらの王女なんかとは違います! リュウインには居場所がなかったんです! そもそも、国王が叔母上を粗末にしたから! 宰相の言いなりになり、宰相の娘なんかにうつつを抜かすから!」

 言葉が容赦なくリズの胸に突き刺さる。

「あんなふうに殺されなければ、私がきっとお守りしたのに!」

「どんなふうに亡くなったの?」

「知らないんですか! 国境の街エスクデールの郊外で、国王の軍隊に襲われたのです! 表向きは、軍隊に化けた賊に襲われて亡くなったことになっていますが。私に力があれば、あんな男、一族もろとも磔にして河原にさらしてやるのに! あの男の血が、ピートリークの半分を汚しているかと思うと!」

「悪かったわね! おじいさまの一族で!」

 リズは足を踏みならした。

 あ、とエドアルが声をあげた。

「大っ嫌い! もう、あなたなんか絶交よ!」

 リズは元来たほうへ駆けだした。

 なによ、なによ、なによ!

 前の王妃さまの娘はさぞかし美人だったんでしょうよ! ブスでみそっかすで悪かったわね!

 


 次に顔を会わせたのは、晩餐の席上だった。

 キャスリーン妃が挨拶の口上を述べ、リズを紹介した。

 主人の席には、老人がすわっていた。

 おじいさまより年とってるわ。これが王さまね。

 女主人の席には、不器量な女がすわっている。

 おかあさまと同じぐらいの年って聞いてるけど、痩せて骨ばって、ずっと老けてみえるわ。

 隣席では、わがままそうな少年が、ナイフとフォークを鳴らしている。

 私なんかどうでもいいってわけね。それにしても、なんて意地悪そうな顔なんでしょう! おねえさまそっくり!

 そして、もうひとり。優等生然とした少年……。

「アル、また会ったわね!」

 手を振った。

 キャスリーンの口上がやんだ。

 エドアル王子の顔が赤くなった。

「知らない人ばっかりでイヤだったの。あなたに会えてうれしいわ」

 キャスリーン妃が咳払いをした。

 リズは聞こえないふりをした。

「たくさん遊んだから、おなかすいたわ。早くご飯食べたいわね」

「エリザ!」

 キャスリーン妃が凍るような声を出した。

 あとから、どれだけ罰をもらうかしら。納骨堂に一晩? 塔に三日?

「お見苦しい限りでございます。この子は少しおつむが弱うございまして。お許しいただければ、退けますが」

「それには及びませぬ」

 パーヴの国王は笑った。

「まるで、妹を見ているようだ。どうか気楽に」

 リズの目をのぞきこんだ。

 このおじいさま、楽しそうだわ。

「おじいさまの妹って、うちの前の王妃さま?」

 キャスリーン妃の目がつりあがった。

 パーヴ国王は声を立てて笑った。

「そうだ。ひどいおてんばで、舞踏会に羊の首を持ちこんだり、剣をふりまわしたりしたものだ」

「私、そこまでひどくないわ」

「それは残念。だが、元気のいい顔をしておる。頬の色ツヤといい、目の光といい……」

「へえー。目なんかどこにあんのかな」

 隣席の少年がリズの顔を眺めまわした。

 その向かいで、アイリーンが聞こえよがしにくすくす笑う。

「ああ、そのでっかい穴が目か。じゃあ、そのでっかいまんじゅうが鼻か?」

「あら、こんなところに虫が」

 リズはテーブルを叩くふりをして、少年の頭をしたたかにぶった。

「このやろう!」

 少年がとびかかってきた。

 リズはスネを蹴飛ばし、身を引いた。

 少年が床に転がり、足を抱えた。

 泣きわめく。

「エリザ! なんてこと! このオニっ子!」

「誰か、王太子の手当てを!」

 ふたりの王妃の声が飛び交う。

「なんて人だ」

 ジャマにならないよう、リズの手をひいたエドアルが目をみはっていた。

「当然よ。レディを侮辱したんだから」

「あれでレディなんですか?」

 目を丸くする。

「あれ、あなたのお兄さんなんでしょ? ヤな人ね」

「後が怖いですよ。お気をつけなさい」

 腕をとるエドアルの手が震えているような気がした。

 


 朝になると、大きな花束がいくつも届けられていた。

「昨夜のお詫びを」

 使者は菓子まで差しだした。

 あんがい悪い人じゃないわ。

 花束の中にはおかしな仕掛けはなかった。

 菓子は姉の侍女にくれてやったが、腹を下したわけでもない。

「なんで、おまえだけ!」

 姉が怒鳴りこんでリズの耳をつかんで引きずりまわし、

「あんまり醜いんで哀れんだんだろうよ」

 母からは冷たい視線を浴びせられる始末だった。

 昼さがりには、お茶に呼ばれた。

「おまえは留守番!」

 アイリーンはリズの服という服を引き裂いて、呼ばれもしない茶会に出かけて行った。

 リズは下着の上にカーテンの布を引っかけて表に出た。

 おねえさまの思い通りになんかなるもんですか!

 中庭の向かいの棟を探しまわる。

 いた!

「アル! アルってば!」

 パーヴの第四王子は、二、三人の少年たちと話していたが、リズに気づいてぎょっとした。

「どうされたのです! 賊にでも遭われたのですか?」

「おねえさまの意地悪よ。それより、服を用意してちょうだい。お茶に呼ばれてるの」

「服って……」

「あなたのおにいさまっていい人ね。ご好意をムダにしたくないわ」

 エドアルはリズの腕を引いて、廊下の隅に連れこんだ。

「兄ですか? 茶に呼んだのは」

「そうよ。私だけなの。なのに、おねえさまが抜け駆けして……」

「おやめなさい。昨夜のことをお忘れですか?」

「今朝、お花とお菓子が届いたわ。何も仕掛けてこなかったわ。うちのおねえさまだったら、汚いものや下剤をまぜるところよ」

「兄上を侮ってはなりません」

「うたぐり深いのね! それとも妬いてるの?」

「服はなんとか手配します。お待ちください」

 エドアルは侍女を呼んで、リズを案内させた。

 着替えた服は、腰のしめつけが緩く、すそのボリュームをおさえた動きやすいものだった。

「侍女の服ね?」

 エドアルの前に出ると、リズは訊ねた。

「うちには姫がいませんからね。我慢してください」

「こんなんじゃ、お茶会には……」

「そんなに兄上が気に入ったんですか?」

 エドアルはあきれ声を出した。

「だって、生まれて初めてなんだもん! お茶によばれたの」

「では、私がお招きします。今、学友とひと休みするところだったのです。あなたをひとりにするのは危なそうだし……」

「ありがとう! アル!」

 抱きつくと、エドアルはよろけて尻もちをついた。

「どうして私がアルなんですか?」

「だって、エドアルって名前は好きじゃないんでしょう?」

「だからって、そういう呼び名は……」

「早くお茶にしましょ。ね?」

 リズはエドアルを引っぱり起こした。

 

 

   

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