【第134回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
22章 北方の姫君(二) ……その1

2008.11.05

 

 成人の年に兄と結婚するのは、生まれたときからの決まり事だったから、もう婚礼の支度は始まっていた。

 墜ちていくのだわ、と妹は思った。生まれ落ちる星の下を間違えば、深みにはまるしかないのだ。

 密かに毒を求めた。いよいよそのときが来たら、これでおしまいにするつもりだった。あんな兄に触れられるのは、我慢できなかった。

 しかし、転機は訪れた。とつぜん、兄は大臣の娘と結婚することになったのだ。

 大臣は開拓と交易によって巨万の富を手にしていた。今度は権力が欲しかったのだろう。

 国王は、ちょうど国庫に大きな穴をあけたばかりだった。

 両者の利益は合致した。

 助かった、と妹は安心して毒を流した。

 急ごしらえの結婚式で飾りたてられた花嫁は、顔を合わせるとにこりと笑った。赤毛が印象的だった。これなら、妹とちがって、評判の悪い伯母とは似ても似つかない。家族も安心だろうと思った。

「末永くよろしくお願いいたします」

 直立不動のまま、小さな声で挨拶した。

 直立不動だったのは、大きな冠と幾重とも知れぬ着衣のせいだった。飾りの中に小さく埋もれ、まるで人形のようだった。

 それ以上のことは何も知らない。妹はその日を境に離宮へ移されたからだ。

 少しでも早く嫁が家族に馴染むため、と説明され、妹は納得した。

 だって、私は家族じゃないから。

 離れてみると快適だった。今までの疲れはなんだったのだろうと思った。伯母の家に遊びに行く回数も増えた。従姉はすでに嫁いでいたが、たびたび夫を伴って遊びに来ていた。夫も歌の好きな人だった。以前よりもにぎやかなほどだった。

 離宮には教師たちはおらず、わざわざ訪れることもなかったから、毎日を好きに使えた。

 ほとんど伯母の家に入り浸るようになった。しかし、一日中遊べるわけではなかった。

 伯母たちにも暮らしがあったのだ。

 領地を見回り、書を読み、領民の話を聞き、ときには自ら畑を耕した。近くからも遠くからも識者を招き、教えを受けた。

 伯母や伯父の話は、まるでわからなかった。しかし、従姉夫婦はむろん、従弟まで議論に混ざるのだった。

「私も勉強する! 教えて!」

 妹は伯母にせがんだ。仲間に入りたかった。

 妹の必死な目を見て、伯母は笑わなかった。

「先生をつけてあげましょう。ただし、決してさぼらないこと。先生に失礼ですからね」

 教師に対して失礼だという考えは、初めて聞いた。

 そういえば、と一日を過ごしてみると、伯母たちは、一日中、まことに多くの人々を労うのだった。食事が終われば給仕を労い、シェフにはとくに何が旨かったのかを伝えて賞賛した。

 領地を回れば『精が出ますね』と民に声をかけ、作物をもらえば『ありがとう』。これが国王や兄なら、民も水、侍者に『積んでおけ』と言うだけだ。口で言わず、顎をしゃくるだけのことも多い。

 医師に対しても『あいつらは、人が苦しんでいるのを見るのが好きなんだ』と国王や兄は陰で笑った。教師に対して『上に立って苛めるのが好きなヤツら』『偉そうにしたいから、教師になどなったんだ』と言った。

 私は、イチから価値観を改めなければならない、と妹は思った。根は深かった。十年間築きあげた思考を、土台から崩し、イチから組み直さねばならない。

 しかし、それをやらなければ、今、このときから先の幸福はないのだった。

 必死に真似をした。教師の真似、伯母の真似、従姉の真似。

 なにがよくて、なにが悪いのか判断がつかなかったから、片っ端から真似るしかなかった。

 伯母は笑った。『まるで、二歳の子どもと同じだねえ』

 その通りだと、妹も笑った。

 二歳の子どもでも、この家の子どもにしてもらえたのだと思った。

 

 

[an error occurred while processing this directive]