【第132回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
21章 亡命 ……その19

2008.10.22

 

「あの子は、ひとりでどこかへ行ってしまいました。自分勝手で気まぐれなんです。行き先なんて、わかりませんよ」

 リリーはつっけんどんに答えた。

「あの子の歌、聴きたかったわ。いつも家で歌ってたの?」

「いいえ」

 ガーダにいたころ、あの子はいつも家にいなかった。朝から晩まで街中駆けまわり、夜になるまで帰ってこなかった。夕食後、何度も琴を弾き歌ったが、迷惑になるからと、リリーはその都度やめさせていた。

 ガーダから引きあげてからは、レンフィディックのグレイ侯の屋敷に預け、たまにウィックロウを訪ねてくるのを待つだけだった。

 歌なんて、耳障りなただの遊びだ。もっと分別のある大人になってもらいたかった。

「あの子の歌はおもしろかったわ。こちらの人は、暮らしのことを歌うのね。私たちは祈りのためだけれど」

 ウルサの留学生たちは、歌い続けていた。

 琴や笛、太鼓を奏で、歌い、舞い続ける。

「あなたは、誰を弔ってらっしゃるんです?」

 リリーは訊ねた。

「頼まれれば、そりゃあ、やらないこともないけど……」

「あなた、尼なんでしょう? 誰の供養で尼になられたんです?」

「供養しなきゃ尼になれないの?」

「決まってるじゃありませんか!」

 エヴァ=リータは首をかしげた。

「祈るのが、私たちの仕事よ。頼まれれば出かけていって舞いや歌を奉納するし、尼僧院でも朝な夕な捧げるわ。もちろん、弔いにも行くけど、そればっかりじゃ……」

「霊を弔わずに、何を祈るっていうんですか? だいたい、尼だというなら、静かに隠遁して、慎み深く暮らしたらどうなんです」

「日々の幸せに感謝したり、幸せを願ったりだけど。こっちでもお祭りぐらいあるんでしょう? そのとき祈らないの?」

「少なくとも、尼は来ませんよ。めったに人前には姿を現さないものです」

「それはつまらないわね」

 エヴァ=リータは琴を出してつまびいた。

 どこから、と思うような大きな声がノドから飛びだした。

 張りのある、弦楽器を思わせる透き通った声。

 緩やかなテンポで、神々の昔語りを歌いつむぐ。

 ウルサの言葉で、リリーには意味がわからなかった。

 リズが言った。

「今、感謝って単語が聞こえたわ。夜明けって単語もわかる」

 端々が理解できるだけでも楽しかったし、体がむずむずした。

 エヴァ=リータが立ちあがり、手招きした。

 リズが近づくと、腰を振り、腕を振った。ゆるやかな動きだった。

 これぐらいなら!

 フォッコの野の祭りは、宮廷のダンスと同じく男女ペアになる。手をつなぎ、体を寄せてステップを踏む。

 だが、この踊りはまるでちがった。

 一人で動き、大勢の注目を浴びるのだ。

 腰を大きく振り、足を振りあげ、地を蹴って腕を振る。

 エヴァ=リータの視線は色っぽく、リズから後ろへ、またリズへと流れる。

「おやめなさい」

 リリーがとつぜん叱りつけた。

「はしたない、おやめなさい!」

 リリーの顔は、本当に怒っていた。

 こんなに楽しいのに、とリズは思いながらやめた。

 踊り子じゃないの、とリリーは思っていた。

 モーヴの部下たちがハメを外して通う酒場で、よく見たものだ。男の視線を浴び、男を楽しませるために悩ましげに踊るいかがわしい踊り子たち。

 尼だなんて、とんでもない!

 世間から隔絶され、心静かに余生を送ることこそ、尼が敬われるゆえんであるのに、この人たちは見せ物だ。もっとも世俗的ではないか。

「ウルサには、ウルサのやり方があるでしょう。リュウインにもリュウインのやり方があります。リュウインの王女は踊らなくてよろしい、ウルサの神に祈りを捧げたりはしないんですから」

 リズの手をぎゅっと握った。

 どうしたんだろう、とリズは思った。

 まるで、迷子にならないように、しっかりつかんでいるようだ。

 宴は夜明けまで続いた。

 

 

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