「あの子は、ひとりでどこかへ行ってしまいました。自分勝手で気まぐれなんです。行き先なんて、わかりませんよ」
リリーはつっけんどんに答えた。
「あの子の歌、聴きたかったわ。いつも家で歌ってたの?」
「いいえ」
ガーダにいたころ、あの子はいつも家にいなかった。朝から晩まで街中駆けまわり、夜になるまで帰ってこなかった。夕食後、何度も琴を弾き歌ったが、迷惑になるからと、リリーはその都度やめさせていた。
ガーダから引きあげてからは、レンフィディックのグレイ侯の屋敷に預け、たまにウィックロウを訪ねてくるのを待つだけだった。
歌なんて、耳障りなただの遊びだ。もっと分別のある大人になってもらいたかった。
「あの子の歌はおもしろかったわ。こちらの人は、暮らしのことを歌うのね。私たちは祈りのためだけれど」
ウルサの留学生たちは、歌い続けていた。
琴や笛、太鼓を奏で、歌い、舞い続ける。
「あなたは、誰を弔ってらっしゃるんです?」
リリーは訊ねた。
「頼まれれば、そりゃあ、やらないこともないけど……」
「あなた、尼なんでしょう? 誰の供養で尼になられたんです?」
「供養しなきゃ尼になれないの?」
「決まってるじゃありませんか!」
エヴァ=リータは首をかしげた。
「祈るのが、私たちの仕事よ。頼まれれば出かけていって舞いや歌を奉納するし、尼僧院でも朝な夕な捧げるわ。もちろん、弔いにも行くけど、そればっかりじゃ……」
「霊を弔わずに、何を祈るっていうんですか? だいたい、尼だというなら、静かに隠遁して、慎み深く暮らしたらどうなんです」
「日々の幸せに感謝したり、幸せを願ったりだけど。こっちでもお祭りぐらいあるんでしょう? そのとき祈らないの?」
「少なくとも、尼は来ませんよ。めったに人前には姿を現さないものです」
「それはつまらないわね」
エヴァ=リータは琴を出してつまびいた。
どこから、と思うような大きな声がノドから飛びだした。
張りのある、弦楽器を思わせる透き通った声。
緩やかなテンポで、神々の昔語りを歌いつむぐ。
ウルサの言葉で、リリーには意味がわからなかった。
リズが言った。
「今、感謝って単語が聞こえたわ。夜明けって単語もわかる」
端々が理解できるだけでも楽しかったし、体がむずむずした。
エヴァ=リータが立ちあがり、手招きした。
リズが近づくと、腰を振り、腕を振った。ゆるやかな動きだった。
これぐらいなら!
フォッコの野の祭りは、宮廷のダンスと同じく男女ペアになる。手をつなぎ、体を寄せてステップを踏む。
だが、この踊りはまるでちがった。
一人で動き、大勢の注目を浴びるのだ。
腰を大きく振り、足を振りあげ、地を蹴って腕を振る。
エヴァ=リータの視線は色っぽく、リズから後ろへ、またリズへと流れる。
「おやめなさい」
リリーがとつぜん叱りつけた。
「はしたない、おやめなさい!」
リリーの顔は、本当に怒っていた。
こんなに楽しいのに、とリズは思いながらやめた。
踊り子じゃないの、とリリーは思っていた。
モーヴの部下たちがハメを外して通う酒場で、よく見たものだ。男の視線を浴び、男を楽しませるために悩ましげに踊るいかがわしい踊り子たち。
尼だなんて、とんでもない!
世間から隔絶され、心静かに余生を送ることこそ、尼が敬われるゆえんであるのに、この人たちは見せ物だ。もっとも世俗的ではないか。
「ウルサには、ウルサのやり方があるでしょう。リュウインにもリュウインのやり方があります。リュウインの王女は踊らなくてよろしい、ウルサの神に祈りを捧げたりはしないんですから」
リズの手をぎゅっと握った。
どうしたんだろう、とリズは思った。
まるで、迷子にならないように、しっかりつかんでいるようだ。
宴は夜明けまで続いた。