【第130回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
21章 亡命 ……その17

2008.10.08

 

 暗闇に入り、エドアルは忌まわしい記憶を甦らせた。

 あれは、いたずらが過ぎたとき。

 台所にヒモを通し、母が引っかかるのを待った。母は期待通りに足を引っかけ、転び、手に持っていたナイフで腕をざっくり切った。

 あふれる血。

 添え木も布もあっという間に赤く染まった。

 叔母がすぐさま手際よく傷を縫い合わせたのだと、後から伝え聞いた。

 そして、叔母は納戸の扉を開けた。

 かび臭い暗闇が口を開け、軽々と自分は放りこまれた。

 かすかに見える叔母の顔は、黄泉の怪物のようだった。

 たかが、子どものいたずらじゃないか。大人は笑って許してくれるものだ。

 しかし、叔母は許してくれなかった。納戸の扉は閉められた。エドアルを中に残して。

 鼓動が激しくなった。

 ちらりと盗み見ると、リュウカの顔は、そのときの叔母の顔にそっくりだった。

 悪寒が走った。

 水牢の扉が開き、縄ばしごが下ろされた。

「降りろ」

 リュウカが手を離して言った。

「姉上、私は貴族です」

 たとえ王の血が流れていなくとも、父の母も、母の両親も、高位の貴族である。

 もし、王の血族が不在なら、代わって王を務めていい血筋のはずだ。

「こんな辱めを受ける血では……」

「突き落とされたいか?」

 リュウカの声は低く、殺気すら帯びていた。

 エドアルはしかたなく、縄ばしごを下りた。

 途中から、はしごはよく見えなくなり、手探りで降りた。足が水に浸かった。ひやりと濡れて気持ちが悪かった。

 そこには先客がいた。

 ヒプノイズだった。

 エドアルと入れ違いに、縄ばしごに手をかける。

 が、うまく握ることができない。

 無情にも、そのまま縄ばしごは引きあげられた。

 リュウカは牢を出ていき、辺りは闇に包まれた。

 何かが鳴っていた。

 ヒプノイズの歯だった。

 じきに、エドアルの歯も鳴り始めた。

 膝から衣服を伝って水が上がってきたのだ。

 最初はひやりとした程度の水が、しだいに冷気を増してくるように思えた。

 足が凍えてきて、しばらくは片足ずつ引きあげていたが、もたなかった。

 疲れてすわろうにも、水に肩まで浸かることになってしまう。

 壁にもたれれば、この壁も冷え冷えとして体熱を奪った。

 自分は貴族なのに! とエドアルは思った。

 姉上は、たとえ母方はどうでも、父方はリュウインの国王で、自分だけが王家の血をひいているから、私を蔑んでいるんだ!

 怒りがこみあげたが、叔母そっくりの恐ろしい顔を思いだすと、縮みあがるしかなかった。

 やがて半ニクルで迎えがきたが、エドアルは寝室にはもどれなかった。

 早馬の使いが占領していたからである。

 

 

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