〜 リュウイン篇 〜

 

【十一 源流の魔女(二)】

 

 

 火の匂いで目が醒めた。

 薄暗い。

 どこだろう?

 身を起こしかける。腹に激痛が走った。

「いででで……」

「動くな。縫ったばかりだ」

 女がすぐ横にいた。

「うわあっ」

 とび起きそうになるのを、女が抱き寄せた。

「動くなというに」

 ぬくもり、熱い息に、少年は罪悪感のようなものを覚えた。

「オレ、オレ、なんでここに……、ここ、どこ?」

「里の農家の土間だ。一度説明しただろう? 覚えていないか?」

 覚えがなかった。

 なんでも、痛み止めで眠ってしまったらしい。里まで運ばれ、土間で麻酔を飲み、手術されたらしい。一昼夜も前のことだ。

「山の中で切るのは、危ないからな」

 感染症がどうとか言ったが、少年には聞こえていなかった。

「ちょっと待てよ! オレの腹、かっさばいたのか?」

「キズは目立たないよう……」

「もうお終いだ! オレ、死んだ!」

 少年は目を覆った。

「生きているではないか」

「すぐ死ぬよ! だって、腹ン中には大事なものがいっぱい詰まってるって聞いたよ。その証拠に、腹蹴られて死んだヤツ、いっぱいいるもん。ああ、オレはもうダメだ。こんなことなら、もっと旨いもん食っとくんだった! 肉だんごとか、鳥の蒸し焼きとか、焼きオレンジとか、まだ食ったことないのに! ミルクプディングとか、白チーズのキイチゴソースかけとか、まだ名前しか聞いたことないのに!」

 涙を流しながら切々と訴える。

 女が吹きだした。

「明日になれば、スープぐらいは飲めるだろう」

「旨いのにしてくれよ。今生の別れなんだから」

 女が当てた布きれで鼻をかんだ。腹がズキズキした。

「やっと、かびてないパンが食べられると思ったのに。すっぱくないミルクが飲めると思ったのに。知ってるか? 飴がけの卵プディングって。スプーンでつっつくと、パリパリって音を立てて割れるんだぜ、上にかかった飴がさ。高そうなレストランで女の子が食べてるの見たことある。くそうっ、アレ食ってから死にてぇなあ。茶って知ってるか? アレもすすってみたかった! おとなになったら飲めるって聞いてたのに!」

「よくしゃべる」

 女は毛布を直した。

「土間は冷える。温かくしてよく休め」

 再び抱き寄せられた。

 ぬくもりが、抗いがたかった。

「かあちゃん」

 夢心地でつぶやいた。

 


 翌日、馬車に乗せられて移動した。

 一シクル半もすると、動き回れるようになった。

「あんた、名医だな! すげー! ホントに縫い合わせた痕がある!」

 少年は腹を見て叫んだ。

「ただの薬屋だ」

「オレ、あんたみたいな名医になるよ! それで、すげー金持ちになって、王さまになる!」

 少年は薪を並べた。

「馬車と馬を盗るのではなかったか?」

 女はそれを並べ直した。

「それより、ずっといいよ! こんな金貨、何枚でも稼げんだろ?」

 もらった財布を持ちあげてみせる。

「それで終わりだ」

「へ?」

「儲かる商売ではないし、面倒も多い。それを元手にほかの仕事を探したらいい」

 少年は悟った。

「あんた、全財産をオレにくれたのか!」

「稼げば済むことだ」

「弟子にしてくれ!」

「ついてきてもロクなことはない。どこか街に出て……」

「オレに何ができるんだ! まだガキだし、知ってる人はいねぇし、どうせまた誰かにとっつかまって稼がされるんだ! だいたい、こんな色の髪、誰が近寄ってくるもんか!」

「きれいな髪だ。ウルサの人の髪と目だな」

「なんだい? ウルサって」

 たき火はすっかり燃えて、湯が沸いていた。

 串で突くと、輪切りの芋に通った。

「北の国だ」

「行ったことあんの?」

「商人がやってくる。北へ行けば見られるぞ」

「よし! 決めた! オレ、あんたの弟子になって、北へ行く!」

「私は流れ者だ。北に行くとは限らない」

「いいや! 行くんだ! 今決めた! でも不思議だな。あんた、沢ンとこで見た黒い髪のほうが、ずっと似あうよ。色白だしさ。いいドレスでも着たら、きっと領主さまの奥方にだってなれるぜ! いいや、お后さまかな! ホント、ホント! もったいねぇや」

 バタンと仰向けになる。

「でも、あんたはオレと一緒に北へ行くんだ。そして、なんとか人ってヤツらを見るんだ、オレとおんなじ髪のヤツらを。それから、いろんな珍しい食い物……」

 月がきれいだ。

「自由っていいなあ! もし、王さまにしてやるって言われたって、オレ、きっと、あんたと北へ行くよ。馬の乗り方教えてくれよ。それと、馬車の転がし方も」

 ばっと起きあがる。

 たき火が小さくはぜた。

 女の顔が穏やかな光に浮かびあがっていた。

 どきんとした。

 ひまわりの種のような目が細くなっていた。

「セージュ」

「へ?」

「山ではそう名乗ったな」

 それが本名だったら、どんなにいいだろう。勇者セージュ。伝説の英雄。

「違うのか? 名前は?」

 こぶしを握った。

 もう、ウソはつきたくなかった。

「わ、笑うなよ。ヘデロ」

 早口に言った。

 化け物のヘデロ。英雄に退治された、ドロドロの化け物。

「だっ、だから、虹の清水にだけは行くなよ! あんたと国中まわるけど、あそこだけは……」

 女は声をあげて笑いだした。

「わ、笑うなって言ったろう!」

 泣きそうになって、少年は怒鳴った。

「すまない。笑ったのは……」

 軽く頬杖をついた。

「虹の清水だ。あの山小屋の辺りはそう呼ばれている」

「へ?」

「私たちが会ったのは、そこだよ」

 少年は絶句した。

「ヒバリかヒタキのようだな」

「……なんだよ、ヒバリって」

「高い声でよくしゃべる」

 自分のことだと知って、少年はムッとした。

「あんたこそ、バカ力で……」

「ヒース」

「なんだよ、それ」

「うん、ヒースがいい」

「だから、そのヒースって……」

「北国の木で、濃い緑の葉に、白い花をつけるのだ。夏になると、野が緑と白とで埋まる。私はリュートだ。よろしく、ヒース」

「オレの名前かよ! 花か? オレは花なのか? トビとか、ハイタカとか、なんか強そうなのねぇの?」

「それで、ヒース、年はいくつだ」

 決定かよ。

 少年はため息をついた。

「十一」

「三つ違いか」

「誰と?」

「私と」

「ウソっ!」

 腹に激痛が走った。

「イデデデ……」

「大声を出すな。まだキズに響く」

 芋汁が器に入れられた。

 痛みがひくと、ヒースは汁にありついた。

「あんた、五つはごまかせるぜ」

「都合がいい」

「そりゃあな。ガキに見られちゃ仕事になんねぇし。まあ、若い時に老けてると、年とってから若く見えるって言うから、いいんじゃねぇ? でも、あんた、落ち着きすぎ」

 芋汁の後は、オレンジで腹を満たした。

「なあ、あんた、生まれは?」

 食後、並んで横になり、空を眺めてヒースは訊ねた。

「オレはずっとバンクの街に住んでたんだ。親方がいて、仲間がいて、毎日トロい湯治客の懐をかすめとってさ。オレ、こんなナリだろう? かあちゃんが気味悪がって捨てたんだってさ」

「誰がそのようなことを?」

「親方が言ってた。ゴミ山から拾ってやったんだ、恩を返せって」

「事実かな? 何か事情があったのかも……」

「事情って、なんだよ!」

「昔」

 リュートはゆっくりと言った。

「母に置き去りにされたことがある。役立たずで捨てられたのかと思った。だが、それは身を案じてのことだった」

「じゃあ、オレもそうだっていうのか!」

「母を恨むな」

「ちぇっ。で、あんたのかあちゃんは、どうしてんだよ。郷《くに》で待ってんのか?」

「天に還った」

 ヒースは一瞬口をつぐんだ。

「……あんたも天涯孤独ってヤツか」

「弟がいるらしい」

「らしいってなんだよ」

「生き別れになってな。年は、ちょうど、おまえぐらいか」

「実は、オレがその弟だったりして」

「この色は、血筋にないな」

 そっと髪をなでる。

「ちぇっ。つまんねぇの!」

「少ししゃべりすぎた。もう寝よう」

 静かな寝息が聞こえてきた。

 早っ! もう眠ったのか?

 ヒースは星空を見あげた。

 体を横にずらして、くっつく。

 いい匂いがした。

 そして、心地よいぬくもり。

 眠りについて、つぶやいた。

「かあちゃん」

 

 

   

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