「誰か、いるの? ミルヤ?」
聞き覚えのある声がした。
伯母のところの従弟だった。外套を脱いで、妹にかけた。外套に残ったぬくもりが、体の芯までしみた。
「寒いでしょう? 私なんかにかけちゃダメよ」
妹が言うと、従弟は薄闇の中でガタガタ震えた。
「ミルヤこそ、寒かったでしょう」
そして、従弟は、伯母が国王夫妻と口論していると言った。
「いつもケンカしているよね、あの人たち」
従弟は歯の根をガチガチ言わせながら笑った。薄闇に白い歯が光った。
「陛下は、母上が自分と結婚しなかったから、おもしろくないんだって。だから、片っ端から言いがかりをつけるんだって。周りの人たちはそう言ってるよ。でも、母上は、父上が好きだったんだから、しょうがないよねえ」
「陛下は、もう伯母さまに会うなって言ったの。私たち、もう会えなくなっちゃうね」
妹が沈んだ声で言うと、背中を叩かれた。
「隠れて遊びに来たらいいよ。母上だって、父上のところに何度もお忍びで来たんだって。だから、姉さまが生まれたんでしょ? 平気、平気」
屈託のない笑い声を聞いていると、もっともな気がしてきた。
「そうね。そうするわ。じゃあ、謝って中に入ることにするわ」
「謝るの? 自分が悪くないのに?」
従弟は声をあげた。
「だって、ここは寒いわ。中に入らないと。ニーロだって、風邪ひいちゃうでしょ」
「オレは平気」
震える声で従弟は言った。
「自分が悪くなかったら、謝っちゃダメだよ。そんなの、ウソじゃない。本当に後悔したり、誰かを守ったりするときだけだよ、謝っていいのは」
小さな従弟が、おとなびて見えた。
「誰かを守るために、謝ったことあるの?」
「オレはないけど、母上と父上がね、屈辱だって言いながら、表向きだけ謝ってるもん。そのたびに、オレや姉さまに『本当は悪くないんだぞ、これは誰それのためにやってるだけだ』って言いわけしてる」
従弟は笑った。声が震えて、まるで泣いているように聞こえた。
「それに、これはオレの意見だけど、謝らなくても中に入っちゃっていいと思う。だって、一晩中、外にいたら死んじゃうよ。死んだら、陛下たちはいいけど、ミルヤはよくない。ほら、母上がよく言うじゃない。『自分のことは幸せにしなくちゃいけない』って」
『人は生まれながらに、自分を幸せにする義務と責任があるのよ』
伯母の口ぐせだった。
「でも、叱られるわ」
「文句言わせとけば? 外にいたってほめられないんでしょ? 同じほめられないんなら、中にいたほうがいいって」
暖かさよりも、静けさのほうがいいって気持ち、この子にはわからないんだわ、と妹は思った。あんな怒鳴り声を聞くより、死んだほうがマシ。
死んだほうがマシだわ。
私が死んでも、お母さまもお父さまも悲しまないんだろうな。でも、伯母さまたちは悲しんでくれるかも。
悲しいからって、何?
どうせ他人だものね。
気持ちが冷えていった。何もかも、どうでもいい気分だった。
そうね、何もかも同じなら、この子が凍えないほうにしましょう。
「中に入るわ」
外套を脱ごうと、前を開けた。
冷気が中に入りこんだ。ぞくりとした。
「待って。ここで脱いだら寒いよ」
「中まで着ていくわけにはいかないわ。会ってたことがバレたら、ひどいわよ」
「じゃあ、中に入る寸前に返してよ。送ってくから」
この子は、私がウソをついているってわかったのかしら?
外套だけ返して、まだ外にいるつもりだって勘づいたのかしら?
いいえ。そんなことはないわ。
この子はただ紳士的なだけよ。
従弟は、妹が中に入っても離れなかった。部屋まで送り届けた。
許しを得ずに中に入ったというのに、誰もとがめず、何事もいつも通りだった。着替えも就寝前の白湯も消灯も、滞りなく行われた。
翌朝、食堂へ行った。父と母に顔を合わせるのが怖かった。叱られる! と身をこわばらせて、息を止めた。
しかし、父も母も何も言わなかった。覚えてもいないようだった。
ただ、伯母とその家族の悪口を言い続けていた。
最後に、
「あんな女と同じ血が、あなたにも流れているのね。しょうがないわね」
妹に向かってため息をついた。
私はそれだけの存在なのだと、妹は思った。ここには、居場所がないのだ。