【第113回】

 

〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(中編)
20章 北方の姫君 1 ……その2

2008.05.28

 

「誰か、いるの? ミルヤ?」

 聞き覚えのある声がした。

 伯母のところの従弟だった。外套を脱いで、妹にかけた。外套に残ったぬくもりが、体の芯までしみた。

「寒いでしょう? 私なんかにかけちゃダメよ」

 妹が言うと、従弟は薄闇の中でガタガタ震えた。

「ミルヤこそ、寒かったでしょう」

 そして、従弟は、伯母が国王夫妻と口論していると言った。

「いつもケンカしているよね、あの人たち」

 従弟は歯の根をガチガチ言わせながら笑った。薄闇に白い歯が光った。

「陛下は、母上が自分と結婚しなかったから、おもしろくないんだって。だから、片っ端から言いがかりをつけるんだって。周りの人たちはそう言ってるよ。でも、母上は、父上が好きだったんだから、しょうがないよねえ」

「陛下は、もう伯母さまに会うなって言ったの。私たち、もう会えなくなっちゃうね」

 妹が沈んだ声で言うと、背中を叩かれた。

「隠れて遊びに来たらいいよ。母上だって、父上のところに何度もお忍びで来たんだって。だから、姉さまが生まれたんでしょ? 平気、平気」

 屈託のない笑い声を聞いていると、もっともな気がしてきた。

「そうね。そうするわ。じゃあ、謝って中に入ることにするわ」

「謝るの? 自分が悪くないのに?」

 従弟は声をあげた。

「だって、ここは寒いわ。中に入らないと。ニーロだって、風邪ひいちゃうでしょ」

「オレは平気」

 震える声で従弟は言った。

「自分が悪くなかったら、謝っちゃダメだよ。そんなの、ウソじゃない。本当に後悔したり、誰かを守ったりするときだけだよ、謝っていいのは」

 小さな従弟が、おとなびて見えた。

「誰かを守るために、謝ったことあるの?」

「オレはないけど、母上と父上がね、屈辱だって言いながら、表向きだけ謝ってるもん。そのたびに、オレや姉さまに『本当は悪くないんだぞ、これは誰それのためにやってるだけだ』って言いわけしてる」

 従弟は笑った。声が震えて、まるで泣いているように聞こえた。

「それに、これはオレの意見だけど、謝らなくても中に入っちゃっていいと思う。だって、一晩中、外にいたら死んじゃうよ。死んだら、陛下たちはいいけど、ミルヤはよくない。ほら、母上がよく言うじゃない。『自分のことは幸せにしなくちゃいけない』って」

『人は生まれながらに、自分を幸せにする義務と責任があるのよ』

 伯母の口ぐせだった。

「でも、叱られるわ」

「文句言わせとけば? 外にいたってほめられないんでしょ? 同じほめられないんなら、中にいたほうがいいって」

 暖かさよりも、静けさのほうがいいって気持ち、この子にはわからないんだわ、と妹は思った。あんな怒鳴り声を聞くより、死んだほうがマシ。

 死んだほうがマシだわ。

 私が死んでも、お母さまもお父さまも悲しまないんだろうな。でも、伯母さまたちは悲しんでくれるかも。

 悲しいからって、何?

 どうせ他人だものね。

 気持ちが冷えていった。何もかも、どうでもいい気分だった。

 そうね、何もかも同じなら、この子が凍えないほうにしましょう。

「中に入るわ」

 外套を脱ごうと、前を開けた。

 冷気が中に入りこんだ。ぞくりとした。

「待って。ここで脱いだら寒いよ」

「中まで着ていくわけにはいかないわ。会ってたことがバレたら、ひどいわよ」

「じゃあ、中に入る寸前に返してよ。送ってくから」

 この子は、私がウソをついているってわかったのかしら?

 外套だけ返して、まだ外にいるつもりだって勘づいたのかしら?

 いいえ。そんなことはないわ。

 この子はただ紳士的なだけよ。

 従弟は、妹が中に入っても離れなかった。部屋まで送り届けた。

 許しを得ずに中に入ったというのに、誰もとがめず、何事もいつも通りだった。着替えも就寝前の白湯も消灯も、滞りなく行われた。

 翌朝、食堂へ行った。父と母に顔を合わせるのが怖かった。叱られる! と身をこわばらせて、息を止めた。

 しかし、父も母も何も言わなかった。覚えてもいないようだった。

 ただ、伯母とその家族の悪口を言い続けていた。

 最後に、

「あんな女と同じ血が、あなたにも流れているのね。しょうがないわね」

 妹に向かってため息をついた。

 私はそれだけの存在なのだと、妹は思った。ここには、居場所がないのだ。

 

 

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