〜 リュウイン篇 〜

 

【第111回】

2008.05.14

 

 リリーがもの凄い形相で睨みつけた。

「どちらの王妃さまですの?」

 タランは黙った。

 今のと言えばリズを卑しめ、前のと言えばリュウカをおとしめ、隣国のと言えばエドアルを侮辱することになるのだった。

「失礼」

 タランは咳払いをした。

「ときに、王女殿下。当家のワインはお口に合いますかな」

 リュウカは軽くうなずいた。またグチや自慢をくり返されるほうがマシだった。

「では、ぜひ国王陛下にお薦めしてください」

 フュトが手をあげると、給仕たちが新しいワインを供した。

「わがヒプノイズのワインは国一番の品質を誇っております。代々国王陛下に献上し、夜宴にてご愛飲いただいておりました。しかし!」

 今の国王になってから、イチゴワインの供出を義務づけられ、ぶどう畑の一部を潰してイチゴを育てたものの気に入られず、イチゴもぶどうも含めてワインはまったく買い上げられなくなってしまった。

 貴族が自宅用に買ってはくれるが、しょせんは安物で量も知れる。極上品から安物までそろって蔵に残り、財政は傾く一方である。

 国王陛下ともあろう御方が、この美酒をお気に召さないわけはない。どうかお薦めして、また昔のようにごひいきにしてもらうよう頼む。

 エドアルが大きくうなずいた。

「姉上、確かにその通りです。あのイチゴワインには我慢がなりません。姉上も、あれほどお怒りになられたではありませんか!」

「なんと! 王女殿下も、それほどお怒りになられたのですか?」

 タランが仰々しく驚いてみせた。

 エドアルは、リュウカが城でイチゴワインにまみれながら樽をひっくり返して回った話をした。

「あれは王族たる者の飲むものではない。姉上も、とても許せなかったのだ!」

 こぶしをふり回し、力をこめて語るエドアルを、リュウカは見る気にもなれなかった。

 あれは、イチゴワインに対して怒ったのではない。

「姉上、ぜひ説得なさってください。この間は悪酔いされていたのです。今度はきっとお耳を貸してくださいます」

 エドアルに話しかけられ、リュウカはハッとした。

「この間とは?」

 タランが訊ねた。

 エドアルは自分が見たものを語った。

 夜宴に衆目の面前で国王が前の王妃の名を呼び、イチゴワインを浴びせたこと。

 その毒々しい色がよみがえるようで、リュウカはくらくらした。

「私は国王に嫌われているのだ。説得する力などない」

 やんわりと拒んでみせたが、エドアルは食いさがった。

「姉上を前の王妃さまと間違えたことこそ、酔っていらした証拠ではありませんか! 改めてお願いしたら、今度こそ耳を貸してくださいます」

「その通りですぞ、王女殿下。父親というものは誰でも娘がいちばんかわいいのです。この世に娘を嫌う父親などいるわけがありません。王女殿下のお願いとあらば、国王陛下はきっとお聞き届けくださいます」

 と、タランも力強く言った。

 そんなわけないじゃないの、とリズは思った。

 お父さまは、娘はアイリーン姉さまひとりだと思ってる。私のことだって、娘だとわかってない。

「お父さまは普通じゃないわ。どこかおかしいのよ」

 リズが言ったとたん、場は静まり返った。

 エドアルも、タランや弟や従弟も、デュール・ヒルブルークも、一斉に注目していた。

 視線が痛い。

 隣にいたデュール・ヒルブルークが諭すように言った。

「国王陛下をそのようにおっしゃってはいけませんよ」

 ああ、そうだった!

 リズは過去の記憶を思い起こした。侍女たちも、フォッコの友だちも、みな、リズが根拠のない悪口を言ったと非難した。

 エドアルでさえ、夜宴での狂乱ぶりを見ながら、悪酔いだとかばいたてる。

 どうしよう。このまま本当のことを言っても信じてもらえないし、今さらなかったことにもできない。

 見れば、デュール・ヒルブルークが、小さな目でひたとリズを見つめ、次の言葉を待っている。

 デュール……?

 そうだ、デュールなら、なんて切り抜けるだろう。

 青い眼がいたずらっぽく笑い、よく通るきれいな声が陽気にささやきかけるような気がした。

「前の王妃さまが亡くなってから、お父さまは悲しみのあまり、お心が少し弱くなってしまわれたの。お姉さまを見ると、その悲しみがよみがえってしまわれるのだわ。だから、今、説得するのは難しいと思うわ。お心が癒えるまで、もう少し待っていただけないかしら」

 なるほど、とデュール・ヒルブルークはうなずき、エドアルやタランたちも大きく同意した。

「では、傷ついてしまわれた国王陛下を、我々臣下がお支えしなければ」

「お慰めする方法があればよいのですが」

 彼らは、王への献身を各々口にした。

 食事が終わり、部屋で三人だけになると、リュウカが言った。

「あれだけの言いわけを、よく思いついたものだ」

 リリーがあきれたように言った。

「あたしはまた、あの子が乗り移ったのかと思いましたよ」

 リズはぺろりと舌を出した。

「そうよ。デュールだったら、ああ言うと思ったの」

「へらず口はあの子のお得意ですからね」

 リリーはこともなげに言ったが、どこか誇らしげだった。

 あの子は戻ってこないかも知れない、とリュウカは思った。

 夫を亡くし、子まで無くしたら、リリーはどんなに悲しむだろう。その原因を作ったのは、自分なのだ。

 追い払った自分が願うのはおこがましいかも知れない。

 それでも願わずにいられない。

 あの子がどこにいても、どうかヒースの加護がありますように。

 

   

 

 

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