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![]() 〜 リュウイン篇 〜
2008.05.08
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デュール・ヒルブルークは、えっと叫びかねない勢いでヒプノイズを見た。 「王女殿下に剣は向けられません」 デュール・ヒルブルークは言った。 「我がヒルブルーク家は、絶対の忠誠を誓っているのです」 「ならばこそだ。本物の王女殿下はかなり腕のたつ御方と聞いておる。本物かどうか、おまえが試せ」 茶番だとリュウカは思ったが、とりあえずさっさとすませたかった。 「よい、剣を抜け」 「そういうわけには参りません! 私は絶対の忠誠を……」 同じデュールでも、これがあの子なら。察して、いかにもな具合に負けてみせてくれるのだが。 マジメというのは美徳だが、時としてうっとうしい。 リュウカは剣を抜き、剣先でデュール・ヒルブルークの柄を引っかけた。細剣は宙に舞い、タラン・ヒプノイズの前に落ちた。 「そなたが相手をすればよい」 「私は乱暴は好まないのです。とりわけ女性には」 リュウカはそののど元に剣先を突きつけた。 タランは後ずさりした。 「で、殿下の剣は、本物のようですな、よろしいでしょう。最後の見極めをいたしましょう。女たち、前へ!」 奥から白装束の女達が十数人進みでた。 「殿下には、清らかな乙女であるか、この場で調べさせていただきます」 「無礼者!」 リリーが叫んだ。 「姉上を疑うか!」 エドアルも叫んだ。 リュウカは辟易した。 「わかった。私は清らかな乙女ではない。そういうことでよい」 デュール・ヒルブルークは雷に打たれたように硬直し、タラン・ヒプノイズも不意を突かれたように言葉を失った。 「ちい姫さま、何をおっしゃってるんですか! 純潔を疑われておいでですのよ!」 リュウカは無表情に答えた。 「では、恋人がいる女には価値も魅力もないというのか? 私は頼る相手を間違えたようだ。よそへ行こう」 「まったくです!」 エドアルは同意した。女性にとってこれ以上の侮辱はない。いわんや王女である。リュウカが怒るのは当然だと思った。 リリーも同意したが、少し複雑だった。自分の過去を後ろめたく感じたからだ。 どうして一度肌を合わせてしまうと、心持ちが変わってしまうのかしら。何よりもお姫さま第一だったのに。 リズは少し顔を赤らめた。 でも、と思った。 アルと結婚した後、私の価値が下がったなんて言われるのは、まっぴらだわ。 タランはあわてて両手をふった。 「合格です、殿下、合格です。まさにその答えが欲しかったのです。人前で肌をさらす恥じらいの心、それこそが高貴な育ちの証です」 へらず口の多いヤツだと、リュウカは思った。 「お部屋にご案内させましょう。今宵はごゆるりとお休みください。宴を用意してございます」 「面倒ついでに、部屋は私とリズとリリーを一緒に、エドアルを隣に、連れの護衛ふたりをその隣にしてもらいたい。何かあっては困るので」 リュウカが申しでると、タラン・ヒプノイズは笑った。 「当屋敷では、何もありません。どうぞご安心なさって……」 「きけぬと申すか?」 ひやりと冷たい声が通った。 「すぐに支度させます」 タラン・ヒプノイズはあわてて言った。 「お姉さま」 待つ間、リズがそばに来てささやいた。 「さっき言ってた恋人って、デュールのこと?」 「め、めっそうもございません」 デュール・ヒルブルークが顔を赤くした。 「あなたじゃないわよ」 リズが冷たい目で言った。 「ねえ、お姉さま、デュールとは、どこまで行ったの?」 「冗談じゃありませんよ! あんな子、相手にするわけないじゃありませんか、ねえ、ちい姫さま」 リリーが横から口を出す。 あの子がいたら、三年間一緒に暮らした仲だとか、同じベッドに寝た仲だとか言いそうだ。 だが、あの子はいない。 自分が追い払ったのだ。 「ただのたとえ話だよ」 答えると、エドアルが安堵のため息をついた。 「姉上の純潔を、私は信じておりました」 ここにも、信奉者がいたかとリュウカは内心ため息をついた。 王族の婚礼では、初夜の翌朝に破瓜の証のシーツを衆目にさらす儀式がある。そのシミが今後の吉兆を占うというのだ。 シミは、たいがい瑞獣や瑞鳥の繊細で華麗な美しい絵になっている。 なんのことはない、シーツに絵を描き、披露しているだけである。 先ごろのパーヴの婚礼でも、そんな儀式があったはずだ。 ふと、イリーンの姫を思って、顔がくもった。 嫁いで間もないというのに、義父は死に、夫は隣国の姫にちょっかいを出しているのだ。どんなにか心細いだろう。 ほどなく部屋に案内され、入浴し、晩餐の席に着いた。 エドアルはデュール・ヒルブルークを連れて歩いた。 着替えを手伝わせ、食堂まで付き添わせた。衛兵たちでは王子の供にはふさわしくない。 食堂では壁際に控えているよう命じたが、リュウカが口をはさんだ。 「ともに卓を囲んだらよい。ここまでの間、ずっとそうだったろう?」 姉上は甘いとエドアルは思った。 タランは三十を過ぎた肥えた男だった。目つきが悪く、大きな口から並びの悪い歯が見えた。 テーブルには弟が二人と従弟がついていた。こちらもはいずれも二十歳前後の美男子だった。最初タランのふりをしたのは従弟のシケである。 「私の母は病気がちで、私がふたつのときに死んだのですよ」 タランはワインを仰ぎながら、上機嫌に語った。 「弟たちは、父の後妻の子なのです。父は二年前に死に、後妻は尼になって霊を弔っています。叔母はシケを生みましたが、父親の名を言わんのです。今は尼僧院に放りこんでありますが、恥知らずのけしからん女です」 尻軽女、淫売と、タランは非難を積み重ねていく。 シケがかわいそうだわ、とリズは思った。 お母さまをこんなにひどく言われるなんて。 「よいワインだ」 リュウカが口を出した。 「ふくよかな香りだが、鼻からすっと抜ける。味はまろやかだが、残らない。料理によく合う」 一番若いフュトがうれしそうにうなずいた。 「私が選んだのです。お気に召していただけたようで光栄です」 「さよう、問題は、ワインなのです」 タランが物知り顔で話題をさらった。 「王女殿下には、我らのワインを充分に堪能していただきたい。よいですか、本物のワインとは、このようなものなのです」 だが、王都の貴族はわかっていない。なぜ、あのような下品なイチゴワインなど愛飲するのか。 退屈な人だわ、とリズは思った。 リリーも同様で、向かいのデュール・ヒルブルークに話しかけた。 「こちらにはよくお出でになりますの?」 「ええ、狩りのお伴に」 「まあ、ぜひ雄姿を拝見したいですわ」 タランの眉が跳ねあがり、ワインを一口飲むとニヤリと笑った。 「ヒルブルーク、麗しい身の上話でもお聞かせしたらどうだ」 デュール・ヒルブルークの顔がくもった。 「このヒルブルークの母親というのが、どこの誰とも知れない女で、婚礼も行っていないんですよ。よほど表には出せないご身分だったんでしょうなあ」 タランが笑うと、二人の弟と一人の従弟も合わせて笑った。 これが、今、私のいる世界だ、とリュウカは思った。 「ひどいこと言うのね」 リズが言った。 「ヒルブルークのお母さまは、もしかしたら、高貴な貴婦人かも知れないじゃないの」 タランは笑った。 「聞いたか? おまえの母親は、王妃さまかも知れないぞ」 |
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