〜 リュウイン篇 〜

 

【第110回】

2008.05.08

 

 デュール・ヒルブルークは、えっと叫びかねない勢いでヒプノイズを見た。

「王女殿下に剣は向けられません」

 デュール・ヒルブルークは言った。

「我がヒルブルーク家は、絶対の忠誠を誓っているのです」

「ならばこそだ。本物の王女殿下はかなり腕のたつ御方と聞いておる。本物かどうか、おまえが試せ」

 茶番だとリュウカは思ったが、とりあえずさっさとすませたかった。

「よい、剣を抜け」

「そういうわけには参りません! 私は絶対の忠誠を……」

 同じデュールでも、これがあの子なら。察して、いかにもな具合に負けてみせてくれるのだが。

 マジメというのは美徳だが、時としてうっとうしい。

 リュウカは剣を抜き、剣先でデュール・ヒルブルークの柄を引っかけた。細剣は宙に舞い、タラン・ヒプノイズの前に落ちた。

「そなたが相手をすればよい」

「私は乱暴は好まないのです。とりわけ女性には」

 リュウカはそののど元に剣先を突きつけた。

 タランは後ずさりした。

「で、殿下の剣は、本物のようですな、よろしいでしょう。最後の見極めをいたしましょう。女たち、前へ!」

 奥から白装束の女達が十数人進みでた。

「殿下には、清らかな乙女であるか、この場で調べさせていただきます」

「無礼者!」

 リリーが叫んだ。

「姉上を疑うか!」

 エドアルも叫んだ。

 リュウカは辟易した。

「わかった。私は清らかな乙女ではない。そういうことでよい」

 デュール・ヒルブルークは雷に打たれたように硬直し、タラン・ヒプノイズも不意を突かれたように言葉を失った。

「ちい姫さま、何をおっしゃってるんですか! 純潔を疑われておいでですのよ!」

 リュウカは無表情に答えた。

「では、恋人がいる女には価値も魅力もないというのか? 私は頼る相手を間違えたようだ。よそへ行こう」

「まったくです!」

 エドアルは同意した。女性にとってこれ以上の侮辱はない。いわんや王女である。リュウカが怒るのは当然だと思った。

 リリーも同意したが、少し複雑だった。自分の過去を後ろめたく感じたからだ。

 どうして一度肌を合わせてしまうと、心持ちが変わってしまうのかしら。何よりもお姫さま第一だったのに。

 リズは少し顔を赤らめた。

 でも、と思った。

 アルと結婚した後、私の価値が下がったなんて言われるのは、まっぴらだわ。

 タランはあわてて両手をふった。

「合格です、殿下、合格です。まさにその答えが欲しかったのです。人前で肌をさらす恥じらいの心、それこそが高貴な育ちの証です」

 へらず口の多いヤツだと、リュウカは思った。

「お部屋にご案内させましょう。今宵はごゆるりとお休みください。宴を用意してございます」

「面倒ついでに、部屋は私とリズとリリーを一緒に、エドアルを隣に、連れの護衛ふたりをその隣にしてもらいたい。何かあっては困るので」

 リュウカが申しでると、タラン・ヒプノイズは笑った。

「当屋敷では、何もありません。どうぞご安心なさって……」

「きけぬと申すか?」

 ひやりと冷たい声が通った。

「すぐに支度させます」

 タラン・ヒプノイズはあわてて言った。

「お姉さま」

 待つ間、リズがそばに来てささやいた。

「さっき言ってた恋人って、デュールのこと?」

「め、めっそうもございません」

 デュール・ヒルブルークが顔を赤くした。

「あなたじゃないわよ」

 リズが冷たい目で言った。

「ねえ、お姉さま、デュールとは、どこまで行ったの?」

「冗談じゃありませんよ! あんな子、相手にするわけないじゃありませんか、ねえ、ちい姫さま」

 リリーが横から口を出す。

 あの子がいたら、三年間一緒に暮らした仲だとか、同じベッドに寝た仲だとか言いそうだ。

 だが、あの子はいない。

 自分が追い払ったのだ。

「ただのたとえ話だよ」

 答えると、エドアルが安堵のため息をついた。

「姉上の純潔を、私は信じておりました」

 ここにも、信奉者がいたかとリュウカは内心ため息をついた。

 王族の婚礼では、初夜の翌朝に破瓜の証のシーツを衆目にさらす儀式がある。そのシミが今後の吉兆を占うというのだ。

 シミは、たいがい瑞獣や瑞鳥の繊細で華麗な美しい絵になっている。

 なんのことはない、シーツに絵を描き、披露しているだけである。

 先ごろのパーヴの婚礼でも、そんな儀式があったはずだ。

 ふと、イリーンの姫を思って、顔がくもった。

 嫁いで間もないというのに、義父は死に、夫は隣国の姫にちょっかいを出しているのだ。どんなにか心細いだろう。

 ほどなく部屋に案内され、入浴し、晩餐の席に着いた。

 エドアルはデュール・ヒルブルークを連れて歩いた。

 着替えを手伝わせ、食堂まで付き添わせた。衛兵たちでは王子の供にはふさわしくない。

 食堂では壁際に控えているよう命じたが、リュウカが口をはさんだ。

「ともに卓を囲んだらよい。ここまでの間、ずっとそうだったろう?」

 姉上は甘いとエドアルは思った。

 タランは三十を過ぎた肥えた男だった。目つきが悪く、大きな口から並びの悪い歯が見えた。

 テーブルには弟が二人と従弟がついていた。こちらもはいずれも二十歳前後の美男子だった。最初タランのふりをしたのは従弟のシケである。

「私の母は病気がちで、私がふたつのときに死んだのですよ」

 タランはワインを仰ぎながら、上機嫌に語った。

「弟たちは、父の後妻の子なのです。父は二年前に死に、後妻は尼になって霊を弔っています。叔母はシケを生みましたが、父親の名を言わんのです。今は尼僧院に放りこんでありますが、恥知らずのけしからん女です」

 尻軽女、淫売と、タランは非難を積み重ねていく。

 シケがかわいそうだわ、とリズは思った。

 お母さまをこんなにひどく言われるなんて。

「よいワインだ」

 リュウカが口を出した。

「ふくよかな香りだが、鼻からすっと抜ける。味はまろやかだが、残らない。料理によく合う」

 一番若いフュトがうれしそうにうなずいた。

「私が選んだのです。お気に召していただけたようで光栄です」

「さよう、問題は、ワインなのです」

 タランが物知り顔で話題をさらった。

「王女殿下には、我らのワインを充分に堪能していただきたい。よいですか、本物のワインとは、このようなものなのです」

 だが、王都の貴族はわかっていない。なぜ、あのような下品なイチゴワインなど愛飲するのか。

 退屈な人だわ、とリズは思った。

 リリーも同様で、向かいのデュール・ヒルブルークに話しかけた。

「こちらにはよくお出でになりますの?」

「ええ、狩りのお伴に」

「まあ、ぜひ雄姿を拝見したいですわ」

 タランの眉が跳ねあがり、ワインを一口飲むとニヤリと笑った。

「ヒルブルーク、麗しい身の上話でもお聞かせしたらどうだ」

 デュール・ヒルブルークの顔がくもった。

「このヒルブルークの母親というのが、どこの誰とも知れない女で、婚礼も行っていないんですよ。よほど表には出せないご身分だったんでしょうなあ」

 タランが笑うと、二人の弟と一人の従弟も合わせて笑った。

 これが、今、私のいる世界だ、とリュウカは思った。

「ひどいこと言うのね」

 リズが言った。

「ヒルブルークのお母さまは、もしかしたら、高貴な貴婦人かも知れないじゃないの」

 タランは笑った。

「聞いたか? おまえの母親は、王妃さまかも知れないぞ」

 

   

 

 

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