〜 リュウイン篇 〜

 

【第109回】

2008.04.23

 

 丘陵に囲まれた盆地とも谷ともつかぬ場所がヒプノイズの街だった。

 ヒプノイズ子爵の館へ続く山道を登るほどに、街がよく見渡せた。

 ヒルブルークより小さな街である。家より蔵が多い。

 丘陵は一面ぶどう畑だった。まだ青い房が目についた。

「昔、この地を治めていたのはタランという名の城主で……」

 馬車に並んで馬を進めながらデュール・ヒルブルークが語る。リズは窓から顔を出し、昔語りを聞く。

 同じデュールでも、ヒルブルークの語り口は真剣で、平板になりがちである。

 色男のタランは王妃のハートを射止め、病を治したために王に重用された。王は何度もヒプノイズに足を運んだ。タランには子がなかったが、王の訪問と同時に子宝に恵まれ、栄えた。一説によると、今のヒプノイズの子孫は王の落胤だとか。

「そのタランにあやかって、今でもヒプノイズ家の惣領はタランという名なのです」

 もしあの子なら、王が王妃にすげないようすも、口説かれて王妃のメランコリーが治るようすも、見てきたかのようにいきいきと物語るに違いない。蒼白く透けるような王妃の頬がみるみるうちに淡いロゼワインの色に染まり、次第にみずみずしい桃色に、やがて熟れた林檎のように赤く輝いて、濡れたようなバラ色の唇がタランとつぶやき、小さくため息をもらしたとか、そんなふうに。

 リュウカは内心苦笑した。

 デュール・ヒルブルークは詩人ではない。比べてはかわいそうだろう。

 リズは必死であくびをかみ殺した。

 マジメでいい人なのだ。退屈を紛らわせようと、一生懸命伝説でもと話してくれている。

 でも、とリズは思った。マジメって、おもしろみがなくて、眠いのよ。

 ヒプノイズの館は丘陵の上にあった。大きな鉄の門をくぐり、林の中を抜け、小鳥の声と花々とを愛でた後に立派な屋敷が現れた。

 馬車を横づけにし、ヒルブルークが階段に敷物を広げた。

 エドアルが先に降り、リズの手をとった。

「ヒプノイズはどこだ」

 エドアルは扉を見渡した。

 街や門まで出迎えに来て当然なのに、玄関にすら現れないとは。王族を軽んじるのか?

 リズの手をとったまま、階段を上がった。

 衛兵に命じて扉を開けさせた。

 玄関ホールの中には、十数人が待ちかまえていた。

 中央に、椅子に座ってふんぞり返っている小柄で痩せた男がひとり。年のころは二十歳前後。切れ長の目が印象深い、なかなかの顔立ちである。

 こいつが当主のタラン・ヒプノイズに違いない。

 エドアルはリズから手を離し、ずかずかと歩み寄った。

「出迎えもないとは何事か! 我々を愚弄するか! たかが一領主が王族を軽んじて無事でいられると思っているのか!」

 ふり返った。

 デュール・ヒルブルークがリリーの手をとってやってくるのが見えた。

「ヒルブルーク! この無礼者を斬れ! 我ら王族を軽んじればどうなるか、見せてやる!」

 デュール・ヒルブルークは動揺のあまり、手をムダにふり回した。

「殿下、お鎮まりください」

「おまえの忠義を見せてみろ! 王族に忠誠を誓ったのではなかったか!」

「静かになさい! 王子ともあろう者がみっともない」

 リリーが制した。

「王さまも、あの人も、そんなことじゃ怒りませんでしたよ。今のあなたはお兄さんそっくりです」

「兄上だと!」

 心に琴線というものがあるなら、ぶち抜くほどにかき鳴らされた。

「私は兄上みたいに手をあげたりしない! 暴力なんか……」

「他人にやらせるなんて、もっと悪いと思いますけどね。どのみち、ここじゃあなたは居候。お決めになるのはちい姫さまです」

 一理あり。

 エドアルはリュウカの姿を探した。

 扉から入ってくるところだった。

「姉上! この無礼者を斬り捨ててください!」

 出迎えもない無礼、ひざまずきもせず着座する無礼を早口にまくしたてた。

 リュウカは手を上げて制した。

「ヒプノイズ子爵どの、しばらく世話をかける。面倒ついでに、庭に早生の葡萄があるが、少し分けていただけないか。あまりに美味しそうなので」

「ただちに」

 椅子にふんぞり返った男が答えた。

 リュウカは首を傾げた。

「私は子爵どのに申しておるのだが?」

 と、椅子の横に立つ男を見た。

「いかにも」

 その男は恭しく礼をした。

「なぜ見破られました?」

 見破るも何も、宰相の言う不器量な三十男は彼ひとりだった。

 これでだますつもりだったのかと、リュウカはあきれた。

「余興はよいから、休ませてもらえないか。みな、長旅で疲れている」

「殿下をお迎えすることは、当家の一大事でございます。つきましては、殿下のご器量を見定めさせていただくべく、あと二題、おつきあい願います」

 もったいぶった手振り身振りに、疲れが倍増する気がした。

 エドアルの顔は怒りで真っ赤に染まっている。爆発しかかっているのを、もう一度手で制した。

「ヒルブルーク、前へ!」

 タラン・ヒプノイズに呼ばれ、デュール・ヒルブルークは前に進みでた。

「殿下には、この者と手合わせ願います。剣はお手持ちのものをお使いください。ヒルブルーク、おまえもだ。手抜きしてはならんぞ」

 

 

   

 

 

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