〜 リュウイン篇 〜

 

【十 前夜(四)】

 

 

 * * *

「お待ちください」

「待つのは嫌いな性分でな」

 さえぎる衛兵を、レイカは力で押しきった。

「宰相! 出てこい! 来ぬならいぶり出してやるぞ!」

 大声で王妃の棟をまわる。

 いや、寵姫の棟か?

 内心、皮肉に笑う。

「宰相! どこに隠れて震えておる!」

「私はここに」

 小男が襟を正しながら一室から出てきた。数ある客間の一室である。

 レイカは閉じかけた扉から中をかいま見た。

 裸の少女が、散らばった着衣の上ですすり泣いていた。

 こやつは、アレより悪い。

 宰相の左頬に入った刀傷を見ながら思った。

 アレは合意の上だが、こやつはムリ強いだ。しかも、それを勲章のように思っている。

「ラノックを刺したな」

「ラノック?」

 小男は赤いベストのボタンをしめながら、首を傾げてみせた。

「思い出せぬなら、助けてやろうか」

「いえいえ、思いだしました。なるほど、そういえば王后陛下の侍従長が、そんな名前でしたかな」

「よくもとぼける」

「だんだんに思いだしましたぞ。昨日の夕刻、何者かに刺されたとか。城からの帰りでしたかな。なんでも盗賊に襲われて虫の息だとか」

「死んだ。これでせいせいしたか」

「新しい侍従長が要りますなあ」

「その部下も一掃するつもりか」

「王后陛下にあられましては、政からも手を引かれ、王女殿下の養育にお力を注がれますよう。この国を背負われるお方ですからな。聞き及ぶところによりますれば、剣のけいこなどに励んでいらっしゃるごようす。無用ですぞ。城にもどられて、きちんと教育を授けられますよう」

「業を煮やしたか。刺客をことごとく討たれて。住処を移すつもりなどさらさらないわ。それより! ラノックを刺したのは、きさまだ」

「ご乱心めされましたか?」

 レイカが剣に手をかけるのを悠然と眺める。

 だから、こやつは嫌いなのだ。

 レイカは思う。

 ここで斬りつければ、王妃といえど、獄送りとなるかも知れない。となれば、残されたリュウカはどうなる?

 したがって、レイカは剣を抜くことができない。

 見通しているのだ。

「多額の不明金があるな」

 レイカは低い声で言った。

「兵に払われるべき金がどこかに消えておる」

「そもそも兵の数が多いのです」

 赤いベストの小男はすまして答えた。

「これからは政治がモノを言う時代です」

「国の治安はどうする。出没する賊は?」

「街や村の自治にまかせればよろしい。われわれのすべきことは、その街や村を潤すことですよ」

「潤っておるのは、そなたの懐だけではないか」

「人聞きの悪い。証拠もなく、推測だけでおっしゃるのはいかがなものかと。王后陛下」

 小男の目が笑う。

「証拠をつかまれて、ラノックを刺したのだろう? ぶじに消せたのか? それとも私の手元にあるのかな。これを兵に示そうか。それとも隣国を手引きしようか。主導権は、さて、どちらにあるものか」

 レイカは冷ややかに言い、扉に手をかけた。

「仕度をして出ておいで。郷《くに》にお帰り。手の者に送らせよう」

 中で、まだ少女はすすり泣いていた。

 小男は足早に立ち去った。

 


 今度こそ、国王に談判しなければならぬ!

 レイカは国王の棟に出向いたが、王は留守だった。寵姫たちと森へお茶に出かけたのだ。

 帰りを待つか。

 書斎で本を手にとる。

 どう説得したものか?

 図解で埋められたページを上の空でめくった。

 昔のように叱りつけてどうにかなるものだろうか?

 息子がいるのだと打ち明けようか? 昔は信じなかったが、今はどうだろう? 守るために宰相を遠ざけてくれるだろうか?

 あの時、手をさし伸べなければよかったのだ! あの雪の中、安っぽい憐れみを持たなければ! 反射的に手を伸ばしたとはいえ、あのまま雪洞に運ばず、放置しておけば……。

 ページを操る間に、うたた寝をしてしまった。

 気づくと、辺りは暗かった。

 足音がふたつ廊下に響き、扉の前で止まった。

 ふたつ?

 国王のものだとしても、ひとりではない。

 とっさに、レイカは書棚の陰に隠れた。

 灯りが室内を照らし、ふたつの人影が浮かびあがった。

「陛下、由々しき事態ですぞ」

 ランプを掲げた小男が言った。

「予は眠いのだ。早くしてくれ」

 太った男がだるそうにあくびをした。

「これにサインを」

 ランプを机に置き、小男が懐から書状を取りだした。

「明日でいいだろう。予は眠いのだ」

「一刻を争うのです。さあ」

 ペンをインクに浸し、太った男に渡す。

「気味の悪い書面だな。人の名前がズラズラと……文字もてんでバラバラだし。昔見た、あれだ、あの、連判状とかいうのに似ているぞ」

「その通りでございます」

「ほう。今度はなにをやるのだ?」

「まずは、サインを」

「予が訊いておるのだぞ! 答えぬか!」

「賊の討伐を」

「なんだ、つまらん」

 ペンを置いた。

「予の手をわずらわせるほどのことではないわ。勝手にやれ」

「一筋縄ではいかぬ国賊で」

「ぐずぐず言わずに、さっさと首をはねてまいれ」

「手の届かぬお方なれば」

「他国の者か?」

「そうであるような、ないような」

「はっきりしろ!」

「王后陛下でございます」

「レイカだと! 話にならん!」

 書状を払いのける。小男は拾いあげ、再び机に広げた。

「兄君と通じ、兵を挙げるも辞さぬと」

「おまえが何事かよからぬことを企むのは見て見ぬフリをしてきた。それで、もう、いいではないか」

「しかし、同志はこれだけおりますぞ」

 紙を叩く音が響いた。

「こんなに、レイカは嫌われておるのか?」

 違う。宰相が金と脅しで集めた連中だ。嫌っているわけではない。

 レイカは、説明しようと足を踏みだしかけた。

「あの娘の始末はどうか?」

「なかなか。王后陛下の守りが堅く……」

「いまいましい! このままでは、不義の子に、王位を譲ることになってしまうではないか! あの口のきけぬ無礼な男の子などに! 予はアイリーンに譲ると、そなたに約束した! そなたも約束を果たしてくれなくてはな! ええい、確かにこの手で始末したと思ったものを!」

 体が凍りついた。

「何年かかっておる! たかが小娘ひとりに!」

 国王はイライラと手を振り、その指先が読みさしの本に当たった。

 レイカはひやりとした。先ほどまでレイカが繰っていた図鑑である。

「薬草の本か」

 王はつぶやいた。

「そうだ。毒を使えばよいではないか。毒入り菓子を作り、あの小娘に握らせろ。子どものことだ、すぐに口にしてくたばるだろう」

「すでに試しております」

「失敗したのか?」

「子どもながら、容易には口になさいません。王后陛下のご教育の成果と存じます」

「生意気な小娘め!」

 国王は手を叩きつけた。本が鳴った。

「あの小娘さえいなくなれば、レイカも予のもとに帰ってくるにちがいないのだ! あの男を忘れてくれるのだ!」

「おそれながら、陛下。王后陛下はご自分のお命に替えても御子を守り通すご所存。もし、御子が傷つけられようものなら、隣国の兵を招き入れましょう。陛下がお選びあそばすのは、ふたつにひとつでございます」

 長いこと、国王はペンを握りしめていた。

「誰か! 誰かぁ! 黒い髪の女の人が!」

 廊下で叫び声があがった。幼い女の子の声で、レイカは内心飛びあがった。

「アイリーンか!」

 国王が立ちあがった時には、宰相は部屋から飛びだしていた。国王があたふたと後を追う。

 レイカは書棚の間から出て、机の上を見た。

 このままにはしておけぬ。

 丸めて懐に入れる。

「あーははは。ひっかかった!」

 子どもの笑い声が響いた。

「心配いたしましたぞ。めったなことをお言いくださるな」

「だいじょうぶ! 悪い王妃さまなんか、爺じが退治してくれるって、ママ言ってたもん!」

 レイカは窓から庭に出た。

 この連判状で、取引ができるかも知れない。

 少なくとも、新たな連判状を作るまで、いくばくか時を稼げるだろう。

 しかし。

 ああ! リュウカの殺害を命じたのが、誰あろう実父だったとは! 宰相を追いつめたところで、事態は変わらぬ!

 もはや、安住の術《すべ》はない。一刻も早く隣国に!

 離宮に到着すると、レイカは急いで一筆したためた。

「リリー! これをモーヴ殿下に届けておくれ」

「では、早馬を」

 飛びだそうとするリリーの腕を、レイカはつかんだ。

「いや、おまえでなくては。大事な用件なのだ。ほかの者には任せられぬ。今すぐ発ってくれ。一刻を争うのだ」

 リリーはレイカの目を見てうなずいた。

 夜が更けて、今度はマムとサミーを呼びだした。

「リリーの後を追ってくれ」

「あたしたちじゃ、追いつきませんよ。早馬をやって足止めを……」

「ほかの者ではマズい。一日遅れでも構わない、今すぐリリーの後を追い、この書状をモーヴ殿下に届けておくれ」

「夜中でございますよ。それに、みんな出かけてしまっては、家の中は……」

「いいから、お行き。私には、頼れる者がほかにいないのだ。わかるな?」

 ふたりは発った。

「母上。みなに暇を出したのですか?」

 翌朝、ひと気のないのを不審がって、リュウカが訊ねた。

「ひと足先に行ってもらったのだ」

 詳しくは告げず、買い物に連れだした。

 かつて、リリーは商人に紛れて隣国へ渡った。ならって、エスクデールで商人を探そう。服は民のもののほうが目立たぬだろう。食料も要る。それから……。

 娘の顔を見る。今年で十になった。まだまだ幼い。

 もはや、この国の王女として生きていくことはできない。

 が、これから先、暗殺を一日一日恐れる必要はなくなるのだ。

「そなたは、どんな大人になるのかな」

「母上のようになれればと」

 即答に、レイカは苦笑した。

「母に似れば、夫に恵まれぬぞ。そなたはそなたの道を行け」

 飲みこめない表情ながら、リュウカはうなずいた。

 明日は政を片づけて、明後日の早朝にここを発とう。

 兄上やモーヴ殿下には頼るまい。王太后が睨みをきかせている間は、自分たちはお荷物だろう。

 しばらくは、民に紛れて生きるか。

 王太后が死んだら、兄上たちを頼ればいい。

 パーヴに亡命した我らに、アプスたちは口出しできまい。この連判状がある限り。

 きっと、うまくいく。

 東の空を見上げた。

 龍は郷《くに》へ帰るのだ。

 

 

   

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