* * *
「今年の夏休みは、いかがしましょうか」
謁見を終え、離宮に戻ると、ラノックが訊ねた。
「西部はいかがでしょうか」
昨年の失態を挽回させてくださいと言わんばかりに胸を張った。
息子はどうしているだろうか?
レイカは思った。
旅に出れば、それとなく噂が聞こえてこようか?
「どこかご希望は?」
「ヒプノイズ」
ヒルブルークに近い街だ。
「ワインの醸造を見てみたい。ウイスキーばかりひいきにしては、マズかろう」
「御意。さっそく仕度を……」
「来るな!」
幼い叫びがあがった。
「母上! 母上!」
外か?
レイカは窓から身を乗りだした。
「どこだ!」
「裏です! 裏です!」
レイカは部屋を飛びだした。
「今行くぞ!」
裏庭に駆けつけると、壁の陰にリリーがへばりついていた。庭のヒースの根元に、リュウカが倒れている。
馬と賊の後ろ姿が二組見えた。
「リュウカ! リュウカ!」
「ちい姫さま!」
レイカとリリーが駆け寄ると、リュウカは身を起こし、服についた土を払った。
「リリー、ケガはないか?」
「ちい姫さまこそ!」
「何があったのだ」
レイカが訊ねると、リリーの目から涙があふれた。
とつぜん、ふたりの賊が斬りかかってきたこと。壁ぎわにいたリリーに、出てくるなとリュウカが命じたこと。ヒースの茂みにひそんで、賊の目に向かって矢を射かけたこと。
レイカは、幼子の手に握られている小さな弓とおもちゃの矢を眺めた。
「こんなもので……」
「母上が来てくださるまでですから」
「なぜ目を狙った」
「伯父上が、目は危ないから狙うなと」
逆手にとったか。
「モーヴ殿下のおかげで命びろいしたな」
「ヒースのおかげです!」
リリーが涙目で反論した。
「何者だ、やつらは」
アレならば、刺客までは放つまい。せいぜい、激情にかられて、自らの手を伸ばす程度だ。
宰相ならば、寵姫に男子を産ませればよいこと。ムダにこちらに手を出すまい。
では、どこかの盗賊が誘拐をもくろんだか?
「王后陛下!」
ラノックが息を切らせて駆けつけた。
「今! 早馬が!」
「賊が出たぞ」
レイカは冷ややかに言った。
「守りはどうなっておる」
「申しわけございません。それより城へ!」
ラノックはあわてふためいていた。
「ごまかすな。今、リュウカが……」
「国王陛下が大ケガを! お命に関わるやも……」
「アレは昔から大仰なところがあるからな。どんなケガだ」
「詳しくは……」
「宰相の娘がいるだろう。私の出る幕ではない」
「お宿さがり中でございます」
そう言われてみれば、三日前に女子を出産したと聞いた。宰相も、娘につきあって里帰りしているはずだ。
「リリー、仕度を」
「はい。ちい姫さまはいかがしましょう」
埃にまみれた我が子を見る。
手にかけられた男を見るのはどんな気分か。アレも、一昨年を思い出し、激情にかられまいか。
だが、今襲われたばかりだ。ここに残していくのは危険すぎる……。
「連れていく」
アレに会っている間は、別の部屋に待たせておこう。直に顔を会わせなければ、アレも怒るまい。
城に着くと、衛兵たちを蹴散らして国王の棟に入った。
「おまえたちは、ここで待っておいで」
ひと気のない書斎にリリーとリュウカを置いて、寝室に入る。
大きな天蓋つきの寝台に、病人が横たわっていた。
レイカはほっとした。
思ったより、病状はよさそうだ。顔色は悪いものの、腕は傍らの医師の服を強くつかんでいる。これだけ力があれば……。
「予を笑いに来たか!」
レイカに気づいて、病人は怒鳴った。
「お声を小さく。お体に響きます」
医師がたしなめると、病人はますますいきりたった。
「さぞ愉快だろう! バチがあたった、気味がいいと笑っているのだろうな!」
「元気そうだな。心配して損をした」
レイカはつかつかと歩み寄った。
「取るものも取りあえず駆けつけたのだぞ。死に顔でなく、安心した」
「心配してくれたのか? いや、ウソだ。こんな姿を笑いにきたのだろう!」
「普段でもじゅうぶんおかしいが?」
「予を侮辱するのか! 予は国王だぞ! この世でいちばん偉いのだ!」
「勝手に威張っておれ」
布団の上から軽く体を叩いた。
「予は国王だぞ! なんでも命令できるのだぞ!」
「では、病に去れと命じるのだな。何の病だ」
国王は顔を赤らめ、語らなかった。医師の口さえ封じようとした。
幾度も強いて問うと、
「御子のできないお体に」
医師はのろのろと答えた。
国王は狩りに出かけ、宰相の留守を幸いと、普段禁じられている最前線に出た。衆目を浴びる中、追われた瓜ん坊は国王の股間に衝突した。
「瓜ん坊でよかったではないか。猪なら命はないぞ」
「よくない! 予はもはや男ではないのだ!」
「女でもあるまいに」
「もう世継ぎはできないのだぞ!」
レイカの脳裏に、ふと息子がよぎった。
「養子をもらおう。賢い男の子を」
自分の子だと知らなければ、宰相も手を下すまい。そばに呼び寄せて、親子仲良く……。
「誰の子だ?」
国王の眼が異様に光った。
「今度は誰と寝た!」
レイカは眉をあげた。
「私には後ろ暗いことはないぞ。きさまこそ、どうなのだ」
「手ぬかりはないわ。ランベルが後始末を……」
語調が下がる。
「ふむ。ひとりぐらい生きておるかも知れん」
レイカは目をむいた。
「殺したのか! 我が子を!」
「後の禍にならぬようにな。君主の務めだろう!」
首を振った。
「きさまには、親子の情愛というものがないのか」
「アイリーンはかわいいぞ」
国王はいやらしく笑った。
「利発で愛嬌がある。母親に似て美人になるぞ。ただ、鼻が爺じに似ているのが難点だがな。そうだ。アイリーンに婿をとらせよう。ウルサの王子でももらって国交を回復させるか。いつかは誰かがしくじったせいで失敗したからな。それともパーヴの王子でももらうか。今度は品行方正な正真正銘の王の血族をな」
高く、頬が鳴った。
ひとつ。ふたつ。みっつ。四つ。五つ。
「ご病人ですぞ……」
か細い医師のとがめを無視し、胸ぐらをつかんだ。
「誰に申しておる?」
国王は目を白黒させた。
「きさまの前にいるのは王妃だぞ。王位はリュウカがもらう。異を唱えるなら、さっさと我らを尼寺に送れ。進んで退こうというのを、きさまが妨げておるのだ」
「く、苦ひ……」
「私を蛮族の血と呼ばわるのは構わん。だが、リュウカはきさまの娘だ。辱めるのは許さん!」
突き放すと、国王は咳きこんだ。
「予は国王だぞ。何でもできるのだぞ」
「では、人の心まで操ってみるがいい」
「あんな子どもなど、いなくなればいいのだ。そうすれば、そなたが尼寺へ行かずとも、アイリーンが王位を継げるではないか」
はっとした。
「アプス!」
首根っこをつかんだ。
「宰相は、あの男は、このケガのことを知って……」
「最初にお知らせいたしました」
失神した国王に代わって、医師が答えた。
「事故の直後にちょうど参内されましたので」
しまった!
では、ウィックロウの離宮でリュウカを襲ったのは、宰相の手の者だったのだ!
レイカは寝室を飛びだした。
書斎にはひと気がなかった。
「リリー。リュウカ」
返事はなかった。
城内を訊ねまわったが、行方はわからなかった。ただ、一組の衛兵が、不審な物音を聞いたと話した。
「厩のほうで、何か音がしましたが、馬丁が世話でもしていたのでしょう」
厩をあたってみると、馬丁があわてた。
「何も変わったことはございません!」
声が裏返っていた。
押して訊ねると、馬が一頭盗まれたのだと言う。
バレては、もはや死罪だとうなだれる馬丁の背を、レイカは叩いた。
「クビになったら、離宮に来い。雇ってやる」
盗まれた馬は、特に手をかけた隣国産の馬だったという。レイカの輿入れでもたらされたものである。残された馬を見ると、その手入れのほどがうかがえた。
いい足を選んだものだ。
さて。どこへ逃れたものか。
ウィックロウの離宮? 賊が待ちかまえておろう。見えすいている。
ウルサ山脈……はないだろう。ウィックロウ方面だ。
息子のいるヒルブルークか、それとも……?
見当がつかなかった。
二シクルほどして、レイカの元へ使いがきた。隣国の国王カルヴからである。
避暑の誘いだった。
夏の離宮には息子たちも来る、姫の遊び相手にどうか? といった文面に、レイカはため息をついた。
呑気なことを。
「いかがなさいました?」
マムが心配そうにのぞきこんだ。
レイカは手紙を投げだした。
「使者に、早々に帰ってもらえ。兄上には参れぬと伝えるよう申してな」
「おや。お姫さま、お出でになったほうがよろしいですよ」
マムはにっこり笑った。
「リリーもリュウカも行方が知らぬのだぞ」
「ここをご覧くださいませ」
手紙の端に、獣の足跡が小さく描かれていた。
「これがどうかしたか?」
「猫の足跡ですわ」
レイカはしげしげと手紙を眺めた。
龍の仔。
「しかし、いつの間に、どうやって……」
「それは直にお訊きあそばせ。では、ご使者さまに、すぐ行くとお返事いたしますわね」
マムはうれしそうに身を翻した。
ラノックに後始末を押しつけ、レイカはパーヴの夏の離宮に駆けつけた。
「まったく、山道ばかりで腰に悪いったら」
馬上でマムがこぼした。
「では、ふもとに残るか?」
レイカがからかうように笑った。
「冗談じゃありませんよ。それにしても、王族の方々は、よくもこんな難儀なところにお越しですわね」
まったくだ、とレイカも思った。
険しい山奥に離宮を造って、誰が訪れるものか。そこに国王夫妻ともあろう、贅を極めた者がやってくるなど、尋常ではない。
その疑問はすぐに解けた。一行を迎えたパーヴ国王が、笑って答えたからである。
「父上が、寵姫のために作ったのだ。ここまでは、あの母上もいらっしゃらないのでな。同じ理由で我らもここに逃げてくるのだ。ここはよいぞ。親子水入らずで過ごすには。……そろそろ戻る頃合いだな。今日も遊び疲れて帰ってこよう」
「リリーは、どういうわけでこちらに参ったのです?」
抱えていた疑問をぶつける。
「侍女が子連れで国境越えなど……」
「わからぬ。モーヴの部下が連れてきた。気の強いしっかりした娘だな。オリガが侍女に欲しがっておったぞ」
レイカは苦笑した。
「じきに義妹になりますよ」
「承諾するかな。モーヴにはガーダに行ってもらっておる。嫁げばあちらに住むことになるが、ただの田舎ではないのでな」
「問題ありますまい」
ニヤと笑った。
「お姫さま!」
叫び声があがった。戸口に二十歳を過ぎたお下げ髪の女が立っていた。
「ご無事で! 心配しておりました!」
レイカの元に飛びこんでくる。
「心配したのは、こちらのほうだ。よく無事でいてくれた。おまえの機転には頭が下がるよ」
「ちい姫さまのおかげです。窓からお庭に出られて、厩から馬を引いて、馬場の裏から逃げるよう導いてくださったのです」
馬場から通用門に出たのだろう。普段目にしない裏門だから、追跡の目をくらませられたのかも知れない。
「その後は? 国境はいかに越えた?」
「エスクデールに参りましたの。そこで商隊に加えてもらって、国境を越えました。こちらへ来てからは、殿下のお伴の方を頼りました」
レイカは身を乗りだした。
「商隊には、どのように加わった。見ず知らずの者を、そう易々と仲間には加えまいに」
「簡単ですわ」
リリーはすまして答えた。
「殿下の馴染みの木賃宿へ参りましたの。名前は先だって聞きだしておきましたから。そこで、殿下と馴染みの商人を見つけて、こう申しましたの。『ようやく仕事が軌道に乗って、呼び寄せてくださいましたの。これで親子三人、ひとつ屋根の下で暮らせますわ。でも、隣国のことはよくわかりませんの。途中まで連れていってくださらないかしら』」
レイカは吹きだした。カルヴも笑い声をあげる。
「もちろん、情けだけで動く人たちじゃありませんからね、お礼はたっぷりいたしましたのよ」
「金など、よく持ち歩いていたな」
「いいえ。殿下が押しつけていったガラクタが山ほどありましたから」
見れば、指輪もイヤリングも髪飾りもなく、さっぱりしたものである。
「あんなものでも、使い道はあるものですわね」
国境越えのことは、前もって用意していたに違いない。去年できなかったことを、胸に刻んでいたのだ。
ふと、視線を移すと、戸口に子どもが立っていた。
「リュウカ!」
レイカは立ちあがった。椅子の倒れる音が響いた。
「お話し中、申しわけありません」
娘は静かに言った。
「おじゃまでしたら、退がります」
「おいで。元気な姿をよく見せておあげ」
カルヴの言葉にも、小さな娘は動かなかった。
レイカは眉を寄せた。
「ケガでもしたか? それとも……」
自分が怖いのか? 幾度となく続く危険に、不信感を持ったのだろうか?
「おじゃまでしたら、退がります」
会いたくないのだ!
思えば、母らしいことはしていなかった。アプスとの一件以来、そばにはおいていたが、仕事にかまけてかまってやらなかった。それが……。
「おじゃまじゃありませんよ、ちい姫さま」
リリーは笑った。
「母君はちい姫さまにお会いしたくて、もう、急いでいらしたのですよ。早くおそばへ」
リュウカは静かに歩み寄った。
「ご心配をおかけしまして、申しわけありません」
眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げている。
不機嫌な顔だ。それとも、怒っているのか?
「リリーに礼を言ったか? そなたが助かったのは、リリーのおかげだ」
「とんでもない! ちい姫さまのおかげです!」
「モーヴ殿下のおかげでもあるな」
「殿下は、肝心なときには、いつもいないんです! 役立たずなんだから!」
リュウカのしわが深くなった。
「何が不満だ?」
イラだって、レイカは訊ねた。
「私はもっと役立たずです。母上をお守りすることができない……ご迷惑をおかけしてばかりです……」
ボロボロボロと涙がこぼれた。
「なんにもできない。申しわけありません」
しゃくりあげた。もはや言葉にならなかった。
「生意気言うな。そなたにどうにかできるなら、とうに母がケリをつけておる。人のことより、自分のことを考えろ」
泣きじゃくる子どもを退がらせて、レイカはため息をついた。
「誰だ? たいそうなことを吹きこんだのは。まだ子どもだぞ」
「ちい姫さまはおやさしいんですわ」
「あの子は守られても、守るほうの立場ではあるまい」
「ムチャを申すな。誰の娘だと思っておる」
カルヴが笑った。
「おとなしく守られている娘ではないわ、母親そっくりでな」
茶に呼ばれて庭に出ると、初めてパーヴの現王妃に顔を合わせた。
リリーとそう年の変わらない若い女性で、あまり見栄えはしなかった。
「お会いできてうれしいですわ」
小さな背、骨に皮が張りついたような貧相な体つきは、王太后と縁続きと聞けば納得できた。
「国王陛下からお話はたくさんうかがっておりますのよ」
前王妃と王子たちは尼僧院に送られ、代わりに王妃の椅子にすわったのが、目の前の女性である。
王太后の企みだ。この女に罪はない。
わかっていても、心中は複雑だった。
庭の片隅で、子どもが泣く声がした。
「これ、セージュ!」
王妃が怒鳴った。
「弟ですよ! 仲良くしなさい!」
「うるせぇ、くそばばあ」
逃げようとする一歳ぐらいの幼児の服をつかみながら、男の子が言い返した。
「くせぇ。うんこくせぇ」
泣き叫ぶ幼児の頭を叩く。
「セージュ! やめなさい!」
「うるせぇ! 命令するな! 逆らうとおばあさまに言いつけるぞ」
ふいに、男の子が転んだ。
黒髪がひるがえった。リュウカがつきとばしたのだ。
「この暴力女!」
男の子が手をあげたが、逆にリュウカにひねられる。
「おばあさまに怒ってもらうからな! おばあさまは怖いんだぞ!」
蹴られてひっくり返る。
「おばあさまに言いつけてやる! ゼッタイ許さないからな!」
悔し涙にくれながら、男の子は手足をバタバタさせた。
レイカは眉をよせた。
「リュウカ。弱い者いじめはよさないか」
「いいクスリですわ。セージュ、お茶にしますよ。手を洗ってらっしゃい」
「命令するな、クソババア!」
バチン、とリュウカが男の子の手を叩いた。
「やったな、この暴力女!」
「手を洗え」
「誰がおまえの言うことなんか! おばあさまがいたら……」
「いないぞ」
リュウカが間髪入れずに答えた。
「連れてきてから言え」
「ちくしょう! 今日のところは引いてやる! でも、覚えてろよ!」
セージュは手を洗って席についた。
「王太后さまは、あの子にべったりなんです」
茶の時間が終わると、王妃は言った。
「すっかり甘やかしてしまって、もう手に負えないんです。リュウカがきて助かります」
「いや、むしろご迷惑でしょう。乱暴者でどうしようもない。後でキツく叱ってやります」
「よろしかったら、しばらくいらっしゃってくださいな」
小柄でやせっぽちの王妃は言った。
「リュウカも、セージュやエドアルのいい遊び相手になってくれますし。リリーを手放すのは惜しいですわ。とてもよく気がつくし、趣味がいいのですもの。よろしかったら、お譲りいただけません? もともとこちらの人なのですし」
「これは売約済みで」
抗議したそうなリリーを眺めながら、レイカは笑った。
「お待ちくだされば、じきに義妹になります。なあ、義姉上」
「お姫さま!」
リリーが上気した顔で立ちあがった。
「あたしはお姫さまとずっと一緒です! 尼になろうと、国母となろうと、変わりませんからね!」
「尼に?」
首を傾げたのは王妃だったが、国王のほうが深刻そうだった。
前妻と息子たちが出家させられたのだから、他人事とは思えないのだろう、とレイカは推測したが、そうではなかった。
「リュウインの国王の話は聞いた」
「早耳ですな」
「リュウカが王位を継ぐのだな」
「道理が通れば。いや、その前に、命がありますかな」
レイカは苦笑した。
「では、いっそ殺してしまおう」
「陛下!」
王妃が叫んだが、レイカは静かに先を促した。
「行方知れずということになっておるのだろう? そのままにしておくがよい。リュウカはこちらで預かって、頃合いを見計らって、表に出そう」
「あのバアさんが黙っているとは思えませんが?」
「母上には伏せておく。リリーと一緒にモーヴのところで預かってもらおう。年ごろになったら、エドアルと娶せる」
「いとこですよ? 血が近すぎます」
「この国ではな。だが、そなたの国では禁じられていまい?」
「何をたくらんでいらっしゃる?」
国王カルヴは立ちあがり、窓に手をかけた。
「いっそうの平和を。リュウカとエドアルが一緒になれば、両国のきずなは深まると思わぬか?」
「私は反対です!」
リリーが強く言った。
「ちい姫さまは、お姫さまが大好きなんです。離すなんてダメです」
「レイカのそばにおけば、殺されるかも知れぬのだぞ。現に、この折りも……」
「では、次回も私がお守りします」
リリーは国王を睨みつけた。
相手が誰だろうと動じないのは、この娘のいいところではあるのだが……。
レイカは苦笑した。
「死におびえて暮らすほうがよいのか? リュウカはおまえとモーヴ殿下にはよくなついておるし……」
「ゼッタイダメです!」
リリーはレイカを睨んだ。
「こちらでも、お姫さまがご無事かずっと案じてらっしゃいました。剣のおけいこだって、お姫さまを将来守るためになさってるんですよ!」
「よけいなことだ。子どもは子どもらしく、自分のことだけ考えておればよい」
「お姫さまときたら、いつも、あれはするな、これはするな、ばっかりですわ! あんなに賢くおやさしいお子ですのに! もう、知りません!」
リリーは椅子を蹴って立ちあがった。足音荒く、戸口へ向かう。
「どちらが母親かわからぬな」
ため息まじりに苦笑すると、リリーがふり返った。
「お姫さまに決まってるじゃありませんか! こんなところをちい姫さまに見られたら、向こう一シクルは口をきいてもらえませんよ。母上をいじめたって」
リリーが出ていくと、レイカは兄に向き直った。
「あの子のことを頼みます」
「よいのか?」
「残されれば、あきらめるでしょう」
レイカは離宮を発った。
しかし、国境にさしかかったところで、早馬に引き戻された。
「国王陛下から、急を要すと」
引き返してみると、幼いセージュが飛びだし、棒をふりかざした。
「帰れ! クソババア! おまえのせいで、リュウカは! リュウカは!」
棒をとりあげ、奥へ進む。
「お姫さま!」
リリーが、レイカを見るなり目をつりあげた。
「黙って置いてくなんて、卑怯じゃございませんか!」
「リュウカがどうかしたか?」
「お姫さまがお発ちになった後、馬に乗って追いかけなさったのですよ!」
「まさか。背が届かぬだろうに」
「柱にでもよじ上ってお乗りになったんでしょうね」
「落馬したのか?」
「いいえ。途中で、みなで取り押さえて引き戻しました。そしたら、もう三日も何も召しあがらないんです。自分は足手まといだから捨てられたのだ、いっそいなくなったほうがよいのだとおっしゃられて」
「何をバカな。きちんと説明したのか?」
「バカはお姫さまです。説明なら、ご自分でなさってください。母親が納得させられないものを、なんでほかの者にできますか? とにかく、お姫さまから、ご飯を召しあがるようにおっしゃってくださいませ。ちい姫さまはおとなしいように見えますけど、どなたかにそっくりで、頑固で手がつけられないんですから」
私はそんなに頑固だったかな?
反論を飲みこんで、薄暗い部屋に入った。
ベッドの上に幼い体を探したが、空だった。
「リュウカ」
呼ぶと、床の上で何かが動いた。幼い子どもがひざまずいていた。
「何をしている。寝ていなくてよいのか」
「申しわけありません、母上」
か細い声が言った。
「ご迷惑をおかけするつもりでなかったのです」
「当たり前だ。ベッドにもどれ。倒れられてはたまらぬ」
「母上もお戻りください。お手間をとらせて申しわけありませんでした」
「ぐずぐず申してないで、とっととベッドに入れ!」
レイカに怒鳴られて、リュウカはふらふらとベッドにもぐりこんだ。
「伯父上の言うことを聞いて、おとなしくしておれ。そなたの身の振り方は伯父上が考えてくれる」
「母上は……」
「母のそばは危ない」
「母上も危ないのですか?」
「危ないのは、母ではない。そなただ。母ひとりでは、そなたを守りきれぬ。だから、伯父上に預けるのだ。モーヴ伯父上を覚えておるな? リリーが連れていってくれる。モーヴ伯父上を父と、リリーを母と思って、いい子にしているのだぞ」
「私は誰もいりません。モーヴ伯父上もリリーも母上のおそばにお呼びください」
「聞き分けがないぞ! おとなしく母の言いつけがきけないのか!」
「申しわけありません」
「まったく、私がいつそなたを足手まといと申した。勝手な思いこみで行動するのではない」
「申しわけありません」
「どうしてそう卑屈なのか。父に似たのか」
「申しわけありません」
「何度も謝るな! 謝れば済むと思っておるのか!」
「申しわけありません……」
レイカは頭を抱えた。
「もうよい。リリーや伯父上、伯母上の言うことをきいて、食事をとるのだぞ」
部屋を出ると、疲れがでた。
「話は終わった。リュウカは納得したぞ。食事を持っていってやれ」
居間へ行くと、王妃がエドアルをソファに寝かしつけていた。
「リュウカと遊びたがって、ぐずるんですよ」
王妃は笑った。
「いいお姉ちゃんですわ。レイカさまの躾がよろしいのね」
「いや、まだまだで」
「レイカさまがお迎えにいらっしゃるまで、ずっとよい子でしたのよ。エドアルの面倒は見てくれますし、セージュのわがままにもつきあってくれますし。でも、やっぱり母君が恋しいのね。毎日毎日、お迎えはいつ来るのって訊いてましたのよ」
「恐れ入ります。そのまますなおでいてくれればよかったのですが」
「かわいそうに」
「あの子のためです。ようすが落ち着き次第、帰ります」
しかし、リュウカの容態はよくならなかった。
「また、わがままを申しておるのか?」
レイカがあきれると、
「いいえ」
リリーはきっぱりと言った。
「ちい姫さまはお飲みになろうとしています。涙ながらに口に運ぶのですけれど、すべて吐いておしまいになるんです」
「わざとではないのか? 子どもがよく使う手だ。駄々をこねるために……」
「ちい姫さまはまじめです! お姫さまに申しわけないと、いつも泣いていらっしゃいます」
「また泣いておるのか。あの後ろ向きな性格はどうにかならぬのか」
「お姫さま! このままでは、ちい姫さまは死んでおしまいになりますよ! 他人事みたいな顔してないで、ちい姫のお顔でもごらんになったらどうなんですか!」
薄暗い部屋に入ると、気がめいった。
「リュウカ、入るぞ」
ベッドの上で、子どもが身を起こした。
「母上、わざわざお運びいただき、申しわけありません」
「寝ておれ」
子どもの顔色は白かった。唇は乾き、目は腫れていた。
「私のことは構わず、お発ちください」
「そうは行かぬ」
「私はだいじょうぶです。それより、母上のほうが……」
「人のことに口を出すな」
「申しわけありません」
「さっさと飲むものを飲んでよくなれ」
うなずく子どもの目から涙がこぼれる。
「入るぞ」
懐かしい声がして、背後の扉が開いた。
「モーヴ殿下か」
「伯父上! ごきげんうるわ……」
「起きなくていいぞ、リュウカ。そのまま寝てろ」
ズカズカと入りこみ、リュウカの布団を直した。
「兄上から話は聞いた。逃げてきたんだって? さすがはリリーだな。並みの女とは違う」
カラカラと笑う。
「うちに来るか? 毎日けいこつけてやるぞ」
「はい」
リュウカはしゃくりあげた。
「なんだ、母上が恋しいのか」
「いいえ!」
涙があふれた。
「いいえ!」
「ウソツキは連れていけないな。レイカ、連れて帰ってやれ」
「冗談を。そのために、はるばるガーダから来られたのだろう? リュウカも行くと言っておるし、私のもとにおれば、いつ死ぬかも……」
「今死ぬぞ。わからないヤツだな」
「わからないのは、殿下ではないか」
「もっと大きくなってから来い」
リュウカの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
「今回のところは、母上と帰れ。決まりだ」
「でも、伯父上……」
「この話は終わりだ。まだ二、三日はこっちにいるからな、また後で顔見に来る」
モーヴはレイカの腕をつかんで寝室を出た。
「どういうつもりだ? 勝手に決めて」
「リュウカがあれだけ厭がっているんだ。もういいだろう」
「厭がってなどおらぬ。納得している」
「泣いてたじゃないか」
レイカは眉を寄せた。
「本当にききわけのない」
「龍が猫の仔一匹守れないでどうする」
「簡単に言ってくれる」
モーヴは三日逗留した。
薄暗い寝室には時をおかず顔を出した。
「何のまじないをかけたのだ?」
レイカは問うた。リュウカの容態は目に見えてよくなっていた。
「何も考えず、抱いてやれ。なあ、リリー」
腕を伸ばすと、おさげ髪の侍女は逃げた。
「殿下が言うと、いやらしく聞こえますわね!」
別れぎわには、リュウカも見送りに出られるようになった。
「剣の腕を磨いて、母上をお守りするんだぞ」
リュウカの黒髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
「やはり、殿下か! くだらぬ騎士道を吹きこんだのは! この子は守られる立場だぞ! 王女なのだから……」
レイカが眉を寄せると、モーヴは笑ってリュウカを抱きあげた。
「こんなしかめっ面で小言だらけの母上のほうが、かっこいい伯父上よりいいか?」
リュウカは急いでうなずいた。
一度できかず、三度もうなずいた。
一同は笑った。
モーヴは発った。
残されて、レイカはため息をついた。
「そなたには、身を守るすべを、母の知る限りすべて教えよう。泣き言は許さぬ。難儀なことよ。伯父と行けば幸せであったろうに」
なぜ自分を選ぶのか、レイカにはわからなかった。
できるだけのことをしよう。
スカートのすそを、白くなるまで握りしめている小さな手を見ながら思った。