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![]() 〜 リュウイン篇 〜
2008.04.01
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箱馬車はヒルブルークの街を出た。 馬車の前後を十数騎の騎兵が守った。まもなく日は暮れ、月明かりに光る白い道を一行は進んだ。 食事時に、歩みは止まった。 ワインの炭酸割り、暖かい野菜スープに始まる夕食は、焼き直したパン、牛肉のワイン煮と続き、デザートワインで終わった。 「こんな美味しいの、生まれて初めて!」 リズが何度もくり返した。 「お口に合いましたでしょうか」 ヒルブルークが控えめに言った。 「まあまあだな」 エドアルはもったいぶって言った。 「これで風呂とまともなベッドとまともな着替えがあれば、なんとか我慢できるんだが」 「賛成。お風呂に入りたいわ」 リズが大きくうなずく。 ヒルブルークは神妙な顔をした。 「申しわけございません。一刻も早くお連れするのが先決かと思いまして。至りませんで、申しわけございません」 「お祖父さまはお元気?」 リリーが訊ねた。 ヒルブルークは驚いたようにリリーを見た。 「祖父をご存じなのですか?」 リリーはたじろいだ。 「あ、あなたのお父さまから、ちょっとうかがったのよ」 「父をご存じでしたか!」 ヒルブルークの目が熱を帯びた。 リリーはますますたじろいだ。 「ちい姫さまの母君に仕えてらしたのよ。お城で。少しの間」 「そうですか!」 ヒルブルークは熱心にリュウカを見た。 「両親は私が生まれてすぐに亡くなったので、何も存じておりません。祖父が代わりに私を育ててくれましたが、その祖父も一昨年前に亡くなりました」 リリーはそっと息を吐いた。 ヒルブルークは気づかず、リュウカの顔を見つめ続けた。 「父は、どのような人だったのでしょうか」 息苦しい。 その目をどこかへ追いやってしまいたいと、リュウカは思った。 「私も初耳だ。リリー、話してさしあげなさい」 リュウカは立ちあがった。 「どちらへ」 ヒルブルークが腰を浮かしかけた。 「馬の世話に」 「それなら部下にさせましょう。王女殿下はゆるりとお休みください」 「いや、難しい馬で、私以外には懐かないのだ」 「でしたら、お伴いたします」 ヒルブルークは剣を片手に立ちあがった。 カゲとコウモリは、馬車のそばにいた。 すでに飼い葉と水のおけが置かれ、二頭が代わる代わる頭を突っこんでいた。 信じられない。何が起きたのか。 降りてからやったのは水だけである。 気むずかしい馬だ。誰かが与えたとしても、桶には向かわず、むしろ草を探して歩き回るだろう。 しかし、目の前で現に馬は飼い葉を食んでいる。 リュウカは首をめぐらせた。 馬車の陰から町人姿の男が姿を現した。 「こちらにお出ででいらっしゃいましたか」 王都ロックルールからついてきた衛兵だった。 「さきほどおいとこさまがお着きになりました」 いとこ? エドアルとセージュのほかには、会ったこともない前国王カルヴの息子がふたり。エドアルたちの母親が輿入れする前の后の子で、長いこと僧院に幽閉されているはずだ。 首をひねる間に、陽気な声が響いた。 「リュウカ、あんたのせいでひどい目に遭ったんだぜ」 松明の灯りに、髪が白っぽく映えた。ひょろりと長い手足と、高い背。 「置き去りにされたせいで、ラノックのじーちゃんにはこき使われるし、リズのじーちゃんには説教くらうし。逃げだすのたいへんだったんだぜ。行き先も言わねーから、ここまで来るのに苦労したぜ」 ヒルブルークがとつぜんリュウカの前に躍りでた。 「追っ手か!」 一喝し、剣を抜いた。松明の灯りに細い刃が赤く光った。 「とり抑えろ! その白い髪の男は追っ手だ!」 右手で中段に構えながら、左手を大きく振る。 ヒースは大げさに肩をすくめてみせた。 ロックルールから同行してきた衛兵が驚き、手を上げて制した。 「この御方は、王女殿下のお従弟さまです。怪しい方ではございません」 ヒルブルークが真偽を確かめるかのようにリュウカをふり返った。 しかたなくリュウカはうなずいた。 「巻きこむまいと置いてきたのだが、ついてきてしまったようだ。この子は弟のようなもので……」 「子ども扱いすんなよ」 ヒースがムッとして遮った。 「お従弟さまとは失礼いたしました」 ヒルブルークは剣を収めた。 「お食事はもうお済みでしょうか」 ヒースは両手を軽くかかげた。りんごを左右に一つずつ。 「気をつかわなくていいよ。まだこいつらの世話があるんだ」 歩み寄り、コウモリの前に片方を突きだした。 コウモリはすんなりと口にした。 カゲに残るひとつをさしだすと、カゲは用心深そうに匂いをかぎ、コウモリを見、ヒースを見、リュウカを見、匂いをかぎ、コウモリを見た。 カゲがよくおとなしくしているものだとリュウカは思う。 草原の馬は気むずかしいものだが、カゲはとりわけ扱いにくい。名馬の仔で、幼いうちからムカイビにムリをさせられた。そのため気が荒く手がつけられなかった末、イワツバメが譲り受けた。 いい種が安く手に入ったと、イワツバメは自慢したが、懐かせるのはたいへんだった。与えた餌は食べず、人用の貯蔵庫を荒らし、人用の飲み水の入った甕に口をつっこんだ。 今でさえ、限られた者にしか懐かない。 そのカゲが口を開けた。りんごをかみくだく。 飲みこんで、ヒースの手を押した。 「なんだよ、まだ欲しいのか? もう終わり」 ヒースはいなしてふり向いた。 「リュウカ、ここで野営すんだろ」 ヒルブルークが答えた。 「いえ、少々休みましたら、先へ参ります」 「あんた、誰?」 ヒースが顔を近づけ、目をこらした。月光の下でははっきりしない。目立つのは、月下で白く光るヒースの金髪ぐらいである。 ヒルブルークは敬礼した。 「申し遅れました。ヒルブルークと申します。ヒプノイズまでの送迎を申しつかっております」 「信用できんのか?」 ヒースはリュウカを見た。 「リリーが保証している」 リュウカは答えて、ヒースの腕を引き、耳元でささやいた。 「どうしておまえが私の従弟なのだ」 ヒースはニカッと笑った。白い歯は月下でもくっきり光った。 「オレのとうちゃんは誰だった?」 ようやく合点がいった。 表向きは、モーヴ伯父の子である。 リュウカはあきれて苦笑した。 「おまえと親戚になるとは。今まで思ってもみなかった」 その頬に、ヒースがすばやくキスした。 リュウカは凍りついた。 「姉上から離れろ!」 エドアルの怒鳴り声がした。 続いて、リズがうれしそうに呼びかけた。 「デュール!」 ヒースはふり返った。 「おう」 「はい!」 同時にもうひとつの声が答えて重なった。 |
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