〜 リュウイン篇 〜

 

【第106回】

2008.04.01

 

 東の空が赤く染まるころ、まだ暗い道を馬と馬車の行列が城門を出た。馬にまたがるのは、細かな刺繍が美しい赤い長衣の兵隊たち。近衛兵である。馬車は赤い地に金の飾りをつけた箱馬車である。その飾りは、龍と王とを浮き彫りに、昔話を語っていた。

 街道を仰々しい馬車の行列が通り過ぎるのを待って、グニーラ伯は従者たちとともに路地から現れた。

 マントを羽織り、旅支度を整えていた。

 逃げようとしてもムダだ。とグニーラ伯は思った。

 ほどなくして、城門から一組の人馬が駆けつけた。城に勤める小間使いの男だった。

「確かに、王女殿下が乗りこまれました」

 と、男は言った。

「行き先は?」

 グニーラ伯の従者のひとりが訊ねた。

「マヨル山脈の麓です。そちらからウルサに使者を送るのだそうです」

 従者がグニーラ伯を見た。

「いかがなさいますか?」

「先回りしよう」

 グニーラ伯は答えた。

 ウルサへの使者を途中で殺してしまおう。そして、まんまと逃げおおせたと安心している王女の前に出て、驚かせるのだ。王都から離れた田舎で、国王も宰相もなく、たった一人の女の身になれば、王女もしおらしくなるだろう。

 馬の腹を蹴った。一団はたちまち駆けだした。

 小間使いの男が取り残された。困惑の表情を浮かべていた。

「お約束のごほうびは……」

 聞き手はなく、声はむなしく朝の風に消えていった。

 そのころ、裏手の城門から、出入りの粉屋が幌つきの小さな荷馬車で出ていった。

 二頭のラバはゆっくりと歩み続け、昼前には水車小屋に着いた。

 幌の中からたくましい体つきの男が三人、次々と現れた。商人らしいこざっぱりとした麻のチュニックが、鍛えられた体に不似合いだった。

 さらに幌の中から少年が顔を出した。一人が手をとり、降りるのを助けた。

「こんな窮屈な思いはもうたくさんだ。どうして、こそこそと出て来なくちゃいけないんだ」

 少年はグチグチとこぼした。織りの厚い短衣の襟には刺繍が入り、袖には飾りボタンがつけられていた。

「私はおもしろかったわ」

 続いて幌から少女が顔を出した。差し伸べられた手を無視して飛び降りた。短衣の裾をひっぱり、服を整える。少年と似たような服装だった。

「帽子をお忘れですよ」

 さらに、男の手を借りて、女が出てきた。織りの厚いドレスを薄いエプロンドレスで覆い、大きなボンネット帽をかぶり、日よけのベールを顔に垂らしている。裕福な商人の女房という出で立ちが、妙になじんでいる。

 リリーである。

 一緒にいる少年少女はむろんエドアルとリズである。

 リズは前につばのついた帽子を受け取り、かぶった。髪は後ろでひとつに束ねて垂らしている。

 男装しているとはいえ、あまり女の子らしくない、とリリーは思った。棒のように細く、背筋の伸びた姿勢も、直線的な動き方も、男の子のようだった。帽子の下から覗く大きな鼻は最悪だった。

 ほどなくして、リュウカが現れた。乗り馬のカゲの後を、同様に立派な黒馬が駆けてきた。コウモリである。鞍は空であった。ヒースの姿は影形もない。

「いい気味だ」

 あんなヤツに、この名馬を渡すもんかとエドアルは思った。たとえ誰かに受け渡すことになるとしても、あいつにだけは渡すもんか。

「御用はお済みですか」

 リリーが訊ねると、埃よけのマントを羽織ったリュウカがうなずいた。フードを深くかぶっているが、その中に見える顔の下半分は、埃よけのスカーフで覆われていた。切れ長の目がいつもより際だって見えた。

「こんなときまで仕事をなさることはないんですよ」

 エドアルは言った。

「ラノックだって、姉上の仕事のやり方はそろそろ覚えていていいはずです。任せておけば、それなりにできるでしょう」

 リュウカは留守中の指示書をラノックに渡しに行っていたのである。

「私はいいですよ? でも、もし、誰かがエリザ姫を襲ってきたら、どうするつもりだったんですか。私たち三人きりで、何ができるんですか」

 衛兵たちも同行していたが、エドアルにとっては勘定に入らないらしい。

「ならば、そなたも変装すればよかったのだ」

「してますよ!」

 エドアルは汚らしそうに上着の裾をつまんでみせた。

「こんな格好でつかまったら品格を疑われますよ。もう少しまともな服はなかったんですか」

「ボンネットをかぶれば、顔を隠せたろうに」

「ゼッタイイヤです!」

 小柄なエドアルなら女装はムリではないだろうとリリーも思う。つまらない意地で命を落としたらどうするのだろう。それほど大事な自分だけでなく、リズもリリーも巻き添えである。

 人の上に立つ器ではない。リュウカの従弟でなかったら助ける価値もない。

 あの人だったら、体が大きいから女装はムリだけれど、商人だろうと馭者だろうと、むしろおもしろがって演じるだろうに。

「お姉さま、私が男の子に化けたからだいじょうぶよ」

 リズがつとめて明るく言った。

「自分で言うのもなんだけど、上手に化けたでしょ? これなら誰も姫だと思わないわ。お姉さまだって、黒髪さえ見えなければだいじょうぶ」

 リズはともかく、自分が髪を隠したところで、異人風の容貌はごまかせない。パーヴのように異人が多い国ならともかく、この国では目立つだろうと、リュウカは思った。

 だが、反論してリズの努力を無にすることもない。

 リュウカはうなずき、衛兵に出発を促した。

 急ぎの旅ではあったが、ヒルブルークの街まで一シクル半を要した。町人に扮しては、替え馬を用意するのは不自然であったし、となれば馬をしばしば休めなければならなかった。長旅を馬車なしでこなすのは、エドアルやリズにはムリだったから馬車での行程となり、さらに馬の足は遅れた。

 ヒプノイズまで、あと三日は要るだろう。あのグニーラ伯という使者が、それまで気づかねばよいが、とリュウカは急いていた。

 追いつかれれば面倒になる。

 衛兵を連れているとはいえ、たった二人だ。大勢で来られては太刀打ちできまい。力づくでパーヴに引きずられかねない。

 もう少し大人数で来るべきだったかな、と弱気になりながら、リュウカは苦笑した。

 今ごろ迷っても遅い。

 大勢であれば目立つ恐れもある。どちらにしろ、不安な旅であるのだ。

 ヒルブルークの街の門をくぐり、宿屋街へと歩を進めた。

 王都とは比べるべくもないが、人が多い。広い通りには店や宿屋が建ち並び、ところどころに露店も見られる。人だかりを迂回するように早足で歩くのは土地の者だろう。周囲を見回す落ち着きのないのは旅人だ。馬車の車輪の音や人の声、馬の蹄の音や犬の鳴き声、喧噪が辺り一帯を包む。

 リュウカは懐かしさを感じた。

 何年ぶりか。

 ヒナタの叔母を頼って、勉学のためにやってきたのだ。王都行きを断って。

 しかし、黒髪の触れが出て、早くも追われた。

 黒髪の嬢ちゃん、あんた、今度は何をやったんで?

 いわくつきの商人。その早耳に助けられた。

 まだ、あの城壁の破れはあるだろうか?

 思いを巡らしながらも、不意に圧迫感に襲われた。リュウカは素早く目を走らせた。

 兵が人混みを押しのけてくる。十数人はいるだろう。

 リュウカは馬を馬車に並べた。

「馬車を捨て、人混みに紛れて逃げなさい」

 衛兵が手綱を引き、リリーが幌から顔を出した。

「ちい姫さま……」

「ヒプノイズで落ち合おう」

 リュウカは馬を返し、追っ手の前に進みでた。

「お待ちくださいません」

 人混みをかき分けて、追ってきた兵が言った。

「失礼ながら、ヒプノイズへ行かれるご一行ではいらっしゃいませんか」

「いや。見ての通り、一人だが」

 リュウカが馬上をから答えると、後ろから身なりのよい上官らしき男が馬に乗って進みでた。

「ようこそおいでくださいました。これより先の道中は我々がお守りいたします」

 背の高い男だった。つばの広い帽子をとると、きれいにカールした暗褐色の髪が揺れた。

 おっとりとした地味な顔。

 骨太でがっしりした体躯、年はまだ少年を脱したばかり。暗褐色の小さな目には若者にありがちな直情的な光を讃えていた。

 なぜかしらリュウカの胸に不快感がこみあげた。

「申し遅れましたが、ヒルブルークと申します。ヒプノイズ子爵さまから、護衛を言いつかっております」

 馬車を降り、人混みで息を潜めていたリリーは、ハッとした。

「ちい姫さま!」

 叫んだ。人混みを泳ぎかけて衛兵に遮られた。

「その御方とご一緒いたしましょう!」

 リュウカはふり向かなかった。

 やり過ごせたらいいと願った。

 しかし、リリーはなおも叫んだ。

「私たちをお連れください。ここにみなおります。ヒルブルークさま!」

 若い指揮官はうなずき、リリーたちを捕らえた。

 大きな箱馬車が迎えに来た。ツタ模様の入った木製で、重厚な造りだった。

「だから、こんな格好はイヤだったんだ」

 エドアルがぶつぶつ言った。

「王子がこんな姿をしていたなんて、きっと後世にまで語りぐさだ」

「もう安心です」

 リリーは窓から顔を出し、馬を並べて歩くリュウカに笑顔を向けた。

 

   

 

 

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