〜 リュウイン篇 〜

 

【第102回】

2007.11.23

 

 古い板張りのエントランスは吹き抜けになり、広い階段が二階へと伸びている。その手すりには人だかりがしていた。人をかきわけるように身を乗りだして、下を見下ろしている。玄関の外から中まで伸びた細長くのびた赤い絨毯の毛足は長く、黒髪の王女は一歩踏みだすごとに足が沈み、ドレスやマントの裾がとられた。壁紙に覆われない柱や、絨毯のない床板には、刀や斧の傷が見えた。

 マントの下で、剣が小さな音で規則正しく鳴っていた。王女は、滑るように絨毯の上を進んだ。

 床板の上で、白い絹織りの長衣を羽織った男がひざまづいていた。青いサッシュを肩がけにしている。パーヴの使者である。

 王女は立ち止まらなかった。歩みを緩めず通りすがる。

「エドアル殿下にご帰還命令が出ております」

 使者が王女の背中に声をかけた。

「リュウカ王女殿下にも弔問においでいただきたいと、我が国王直々の仰せでございます。こちらが正式の書状になります」

 恭しく巻物を掲げて頭を下げるが、王女は立ち止まらなかった。

「ラノック伯、使者をねぎらうように」

 先んじた衛兵が、謁見室の扉を開いた。王女は衛兵を従え、中へ入った。

 使者は顔をあげた。聞いてはいたが、本当に素っ気ない。すでに城には三度使者が訪ねている。いずれも冷たくあしらわれ、自分は四人めである。三度の使者たちは国王セージュの怒りを買い、地方に飛ばされてしまった。

 だが、これはチャンスである。成功すれば国王の覚えめでたく……。

「グニーラ伯爵さま、こんなとこで何やってんの」

 声をかけられてふりむいた。玄関で髪が陽光にきらめいている。まぶしい。笑う口元が白く光った。金髪。しかし、ウルサ人に知り合いはいないが。

「あいにくだけど、うちのお姫さまは手強いぜ。あきらめな」

 埃よけのマントを脱いで、ズカズカと中に入ってくる。身なりは異国風ではない。藍色の厚手のチュニックに、黒の細長ズボンと乗馬用ブーツ。町人風情の賤しい身なりだ。

「困ります、少しは身なりにご配慮ください」

 王女が消えた扉辺りから、小男が小走りしてきた。

「王女殿下の品位が疑われます」

「リュウカは気にしねぇよ」

「客人が気にします! おそばに侍るなら、もう少し品のある身なりを……」

「細かいこと気にしてっと、禿げるぜ、爺ちゃん」

 ウルサ人は長身ではあるが、よく見ると顔は幼い。たしかに小男をジジイと呼べる年頃ではある。

 小男は顔をしかめてから、使者に向き直った。

「では、使者殿、こちらへ。長旅でお疲れでしょう。ごゆるりとおくつろがれください」

 これが、ラノック伯か。リュウカ王女の側近の。

 立ちあがって後に続くと、小男の頭のてっぺんが薄くなっているのが見えた。茶色の長衣も揃いのキュロットも、あまり洒落者とは言えない。地味な男だ。この男を口説き落とせば、交渉もうまく行くに違いない。

 使者の頭の中は計算でいっぱいになった。ウルサ人のことなど、それきり忘れてしまった。

 さて、そのウルサ人は、王女のくぐった扉を開いて中に入った。

 謁見は始まっていた。

 悪びれもせず、王女の斜め後ろの席に座る。

 衛兵たちは王女の左右と、室内の壁際や窓際に、長い棒を持って立っていた。

 謁見者たちは向かいの壁際にすわり、順番を待っていた。八人。

 この人数では、今日は難問が待ちかまえているってことだな。

 拝謁者が一人、王女から一馬身ほどのところにすわり、滔々と訴状を読みあげる。時折、テーブルの上に広げた書類を示す。

 王女は背筋をピンと張り、相づちを打ちながら話を聞いていた。

 長い話だった。要するに、ヒプノイズの葡萄畑が富裕層に不当に奪い取られたり、重い納税を義務づけられたりという話らしいが、富裕層の言い訳が巧妙だとか、奪い取られた人々のほとんどが富裕層の仕返しが怖くて泣き寝入りしているため、証拠がそろわないのだとか、曖昧な部分が多かった。

 半ニクル以上も経って、ようやく話は終わった。

 王女はいくつか質問し、その件については念入りに調査し、後日沙汰すると締めくくった。

「今、裁定してくださらないのですか」

 拝謁者が言った。焦げ茶の長衣は前の合わせに刺繍を散りばめたもので、しっかりした木綿製だった。地主だろうとウルサ人の若者は思った。

 訴状だけでは判断できない。調査のために時間が要る。即答できなくて悪いが、少し待て。というようなことを王女が言うと、拝謁者がぼそりと言った。

「十年前は即答してくださったのに」

 つぶやきというには、大きすぎた。

 王女は眉一つ動かさなかった。

「次!」

 と、進行役のブラム伯が促した。

 入れ替わりに、ヒバ村のイワオという男が進みでた。

 テーブルに書類を置いたが、広げることもなく、王女の顔をひたと見つめ、大声で話し始めた。

 背は高く、胸は厚く、よく鍛えた体つきだった。堂々とした風情で、都言葉を流暢に話した。

 村のとりまとめ役だろうと、王女は思った。

 ヒナタに似ている。フジノキ村の材木屋。貧しい村、貧しい暮らし、労働の日々。

 指先に冷たい水を思いだした。冬の洗濯は凍りつくようだった。腹をすかせてユキの後を歩いた。

 イワオはヒバ村の惨状を訴えた。毎日の糧にも困り、次々と餓死者が出ている。原因は田畑を失ったからである。ある地主が領主と組み、お上に訴え出て、まんまと土地をせしめたのだ。村人たちは地主にこきつかわれるか、山に追い出された。村に残った者も、山に逃れた者も、飢えで苦しみ死んでいる。

 訴状通りの文言だったが、王女にはじゅうぶんだった。フジノキ村にて村長の一家がほしいままにする情景を思い浮かべてはぞっとした。

 王女は食糧をすぐに送ることを約束した。イワオの帰途に荷と人夫とを伴わせることとした。

「調べも改めよう。そのとき、どこへ訴えでたのかわかるか」

 問いに、イワオの目が熱を帯びた。

「あんただ! 十年前に、あんたがここで!」

 イワオは椅子を蹴り、テーブルを押し倒した。手に何かを握りしめ、言葉にならない声を発しながら王女に突進した。

 手にしているものが、王女にはわかった。鉈だった。よく使いこまれ、刃先は磨きあげられていた。イワオが両手で振りかぶると、窓から差しこむ陽を受けギラギラと光った。

 体は引きかけた。しかし、頭の中で誰かが言った。他人事として逃げてよいのか。母の責任は自分の責任ではないのか。いや、だが、本当に母が間違いを?

 硬直する王女の視界を、金色が染めた。

 ウルサ人の若者が前に飛びだしたのである。

 イワオの手首をつかみ、床に押し倒した。抗するその右手を床に倒れたテーブルにたたきつけ、刃物を奪って床を滑らせた。

「ぼやっとしてないで拾え! 手を貸せ!」

 若者の声で、衛兵たちがハッとした。

「殺せ!」

 イワオが叫んだ。

「おまえのせいで、ナエもフキも死んだんだ! おまえにとっちゃ、オレたちは虫けら同然なんだ!」

「あのな、このお姫さまをいくつだと思ってんだ?」

 イワオを衛兵たちに抑えさせて、若者が言った。

「あんたが言ってんのは、前の王妃さまだよ。こいつの母ちゃんのほうだ」

「おんなじだ! そうやって稼いだ母親からメシを食わせてもらっていたんだろう! 都合よく責任逃れするな!」

 衛兵が黙らせましょうかと目で合図した。若者は首を振った。

「あんたには、これから食糧と一緒にヒバ村へ帰ってもらう。調査は改めてするから、しばらく待ってろ」

「ダマされんぞ! 適当にだまらせようとしても、オレは、あいつらの恨みを晴らすまでは……」

「今、うちのお姫さまが約束したろう。前の王妃さまが何を言ったかは知らないが、このお姫さまは約束は果たすさ。それに、とりあえず食糧を持ってすぐ帰らなかったら、あんたを送り出してくれた連中が飢えちまうだろう。お仲間のためにも、まずは帰れ」

 イワオはツバを吐いた。

 若者がひょいとよけて、目で衛兵を促した。

 イワオは扉の外へ引きずられていった。

「呪ってやる! この恨み、死んでも忘れんぞ!」

 イワオは最後まで悪態をついた。

 ようやく静かになった室内には気まずい空気が漂っていた。

「騒がせたな。では、次へ移るとしよう」

 王女が何事もなかったかのように言った。

「ブラム伯?」

 促されて進行役は我に返った。

「では、クワザト村の……」

 促した王女は無表情だった。

 

   

 

 

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