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![]() 〜 リュウイン篇 〜
2007.07.16
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朝食の席に、リュウカは現れなかった。 リズは一言も口をきかず、皿の中身を口の中に押しこみ、ジュースで胃に流しこんだ。 エドアルは、ムリに話しかけなかった。自分が何を為すべきか、それがはっきりするまでは、何を話したらいいのかわからなかった。 宰相に、この国の歴史や法律を学びたいので教師を探せと言いつけて、席を立った。 リュウカに、また、あの賤しい食事をさせてはならない。 中庭に急いでヒースの姿を探した。 見あたらなかった。 リュウカが王族の棟から出てきた。埃よけのマントを羽織っていた。もう、キットヒルの館へ出かけるのだ。 「姉上! デュール・グレイは?」 「厩か馬場だろう」 「お食事は?」 「あの子のことだから、適当に何か食べただろう」 エドアルはムッとした。 「あいつのことではありません! 姉上のことです!」 「リズのことを頼む。くれぐれも用心してな」 早口に言って、リュウカは立ち去った。 忙しい人だ、とエドアルは思った。 大勢の人々に求められ、それに答える。なんと甲斐のある人生か。 それに比べて私は。 エドアルは首をふった。 まずは、この国のことを知ろう。足場を固めて、あとはそれからだ。 それから? その先に何があるというのか? ため息が出た。 先は見えない。 暗闇に取り残されているかのようだった。
キットヒルの館までの道中、リズはエドアルに目もくれなかった。馬車には同乗せず、馬に乗った。 「こんなにゆっくりじゃ、日が暮れちゃうわ! 駆けていきましょうよ!」 隊長に文句を言った。 「お退がりください。殿下に万一のことがあっては、私どもの立場がございません」 「何にもないわよ! どっかの国賓を守って、後からノロノロついてくれば? あたしはそんなにひ弱じゃないんだから!」 「姉君のご命令です。ご不満でしたら、直に姉君にお話しくださいませ」 じゃじゃ馬め。 エドアルは馬車の窓から眺めながら思った。 しかし、リズは生き生きして見えた。自分がしたいことをわかっているような気がした。 リズはリュウカに会いたい。ウルサ語を習いたい。馬に乗るのが好き。剣を習いたい。農民どもと畑を耕すのが好き。野を駆けるのが好き。食べるのが好き。笑うのが好き。喋るのが好き。 自分は、どうなんだろう? 本当にリズと結婚したいのだろうか? この国に移り住んでもよいのか? 兄から逃げまわって、あの宰相の庇護など受けて、そして、どんな一生が待っているというのだろう? 父上! 私はどうしたらいいのですか? 教えてください! 帰ったら、父カルヴ王に手紙を書こうと思った。 父を思うと、心が落ち着いた。今までだって、どうしたらよいか道を指し示してくれた。きっと、今度も明確な道を示してくれるだろう。父の言う通りにしていればだいじょうぶ。間違いない。 キットヒルの館に着くと、ちょうどお茶の時間だった。支度は調っており、リリーが客間で待っていた。 「お姉さまは?」 「ストレス発散してますよ。ちょっとおイヤなことがありましてね」 席を立ち、リリーは窓を開けた。 「リズさまがお着きになりましたよ!」 大声で呼んだ。 貴婦人らしからぬ声だ、とエドアルは思った。 「ちい姫さま、もういい加減になさいませ。ちい姫さま!」 刃を打ち鳴らす音が聞こえた。 「リュウカぁ、その辺でカンベンしてやれば」 ヒースの声がのんびり響く。 エドアルは窓に歩み寄った。 中庭で、男が数人のびていた。まだ二人がリュウカと剣を交えていた。 刺客だ! エドアルは目まいを覚えた。 「だっ、誰か……」 助けを呼ぼうとしたが、声がかすれた。 「お姉さま! 助太刀します!」 リズが窓から飛びだした。あっという間にリュウカに駆け寄る。 危ない! エドアルもあわてて窓から飛び降りた。バランスを失い、頭から落ちそうになる。手をついて、続いて膝をついた。 無様だ。 「退がっていなさい」 リュウカが低い声で口走り、ひと凪した。二人が仰向けに倒れた。 「悪者め! 覚悟しなさい!」 リズが細剣を振った。 どこに持っていたのだろう? ムチャクチャに大ぶりし、剣にふり回されている。 「おやめ」 リュウカが手をあげて遮った。 「ただの稽古だよ。お茶にしよう。ウルサ語を学ぶのだったな」 リュウカの剣は刃先の丸い練習用のものだった。ただし、長くぶ厚い。 「お姉さま、剣の稽古もつけてちょうだい」 リズは剣を右肩に構えた。 脇の下に隙間はなく、いかにも女らしい構え方だった。 「今なら、ついででしょ」 「そなたはウルサ語を学びに来たのだろう」 「剣も大事なの! いざ!」 リズはよろめくように剣を振った。 リュウカは軽く受け流した。 リズの体が弾けとんだ。尻もちをつく。剣が手を離れ、転がった。 「痛いっ!」 リズは右腕を押さえた。 「腰が浮いている。構え方から学ばねばなるまいよ。さあ、お茶にしよう」 リュウカは中庭に続くドアから客間に入った。 ドレスの裾が土で汚れていた。 エドアルは後に続いて中に入った。 「姉上、あれらは、何か無礼を働いたのですね? お自ら手を下さなくとも、誰かにやらせればよろしいでしょうに」 リュウカは答えない。黙って席につく。 「休憩中の衛兵が稽古をつけて欲しいと申しでたんですよ」 リリーが茶を注ぎながら答えた。 エドアルは怒った。 「それじゃ、姉上がお休みになる時間がないじゃありませんか! 誰もお止めしなかったのですか!」 「王さまが来たんだよ」 ヒースが中に入ってきた。 「黙れ!」 リュウカが鋭く制した。 ヒースは気にも留めない。 「リュウカを出せって言ってさ」 「黙れと言うに!」 「子どもを人質にとって首締めたんだよ」 リュウカはカップを取りあげると、茶を浴びせた。 ヒースは身軽に交わし、笑った。 「だから、オレをそばに置いときゃよかったんだよ。つまんない使いに出しちまうから」 「王が子どもを? 何かの間違いではありませんか?」 エドアルはリュウカに訊ねた。 「お父さまのやりそうなことね」 リズはこともなげに茶をすすった。 エドアルにはさらなるショックだった。国王ともあろう者が子どもに危害を加え、そのことに誰も驚かないのか? 「その子どもに何か無礼があったのでは?」 「ブルネットが無礼にあたるならね!」 リリーがリュウカのカップに茶を注いだ。 「急所が外れていたのと、手当てが早かったのが幸いしましたけど! あのマヌケ面は、何度同じことをくり返せば気が済むんでしょう!」 くり返せば? 「以前にもあったのか?」 ふいに、脳裏に朝のリュウカがよみがえった。 首に手をやり、こう言わなかったか? 『昔のことだがな』 ぞっとした。 あれは、リュウイン国王のことか? 「アレの立ち入りを禁ずる手はないものか」 リュウカは言った。 リズが答えた。 「お父さまは、お好きになさるわ。興奮すると、お母さまやお祖父さまにだって止められないもの」 リリーが席につく。 「仕方ないですから、そこのバカ息子を使ってくださいな。何かのお役には立つでしょう」 リュウカは眉根を寄せた。 「これで二度めだぞ。今度こそ無事に済むまい」 「あら、前にも手をあげましたの? 存じませんでしたわ」 え? エドアルの手に汗がにじんだ。 まさか、王に手をあげた? 「平気だって」 当のヒースはけろりとしている。 「隣国の王弟の息子に手を出したら、国際問題になるだろ。リズのじーちゃんがうやむやにしてくれるって」 リュウカがけげんそうな顔をした。 ヒースが手を頭の後ろで組み、とぼけたように答える。 「そういうことになってんじゃん。オレのとうちゃんは王さまの弟なんだろ?」 リュウカは眉根を寄せた。 「王弟の子が王に手を上げるほうは国際問題とやらにならぬのか?」 「オレがリズのじーちゃんなら、こう言うね! 『王には悪霊が取り憑いていたのだ! 悪霊を退治してくれてありがとう!』」 「おまえは……」 リュウカは目を覆った。 「とにかく、何かあったら逃げるのだぞ」 ヒースはすなおにうなずいた。 「ああ、いいよ」 リュウカはホッと肩をおろした。テーブルからカップをとる。 しかし、ヒースの返事には続きがあった。 「あんたと一緒にね」 カップが揺れて紅茶がこぼれた。受け皿にもどすと、ガチャリと大きな音がした。 「おまえはっ!」 怒鳴ったのはリリーだった。 「からかうんじゃありません! ちい姫さまは、どこにも行きません! お姫さまに代わって、この国を立派に治めるんです!」 その通りだ。 エドアルは思った。 由緒正しい血筋なのだ。女王にならないわけがない。 そうなれば。 ヒースを見た。 おまえなどとは釣り合わない。ゼッタイに! 姉上は、ウルサから婿をとるだろう。国政上、それがもっとも好ましい。 同じ黄色の髪でも、おまえではないんだからな! 『リュウカを守るために』 そんな生き甲斐、壊れる運命なんだ。おまえなんか、ただの一兵卒にしかなれないさ。 胸がスッとした。 「授業を始めよう」 リュウカは言った。 「まず、文字を覚えようか」 リズを見る目からは、険しさが消えていた。 やわらかいまなざし。いつものリュウカだった。
リズはすぐには帰らなかった。 リュウカが謁見に戻ってからも、文字と挨拶文の書き取りを続けていた。 リリーは茶器を洗いに行っていた。 部屋にはふたりきりだった。 ヒマだな、とエドアルは思った。 リリーが戻ってきたら、髪とペンをもらおう。帰ってからと思っていたが、ここで書いてしまおう。父への手紙を。 ぼんやりと窓の外を眺めていた。 陽に照らされた中庭は、高木がひとつと低木の植えこみがあるだけで、広々としている。 外でお茶にすれば、気持ちよかっただろうに。 戸口で物音がした。 リリーが戻ってきたのだろうかと、エドアルは首をめぐらせた。 予想は当たっていた。 リリーだった。青ざめていた。 「エドアルさま、リズさま」 声が震えていた。 「急いでお支度なさいませ。お城にお戻りを」 「どうしたの? リリー。気分が悪いの?」 リズはリリーに駆け寄った。 「ちい姫さまもご一緒に戻られます。確かなことは城でお訊ねなさいませ」 「なにかあったの?」 リリーが両手で顔を覆った。 「どうか、お姫さま、どうか!」 リリーはうめいた。 「お守りください! お姫さま!」 これほど取り乱したリリーを見るのは初めてだった。 「ねえ、どうしたのったら!」 リズがリリーを揺さぶった。 リリーは手をおろし、リズの腕にすがった。涙目で見上げる。 「王さまが……」 「お父さま?」 リズが聞き返す。リリーはかすかに首をふった。 「カルヴさまが……」 父上が? エドアルは立ちあがった。 イヤな予感がした。 「ご危篤と……」 危篤! 老いた穏やかな顔、静かな微笑み、苦労が刻んだ数多の皺。 ウソだ! つい数日前にはお元気だった! あんなにお元気だったのに! 何かの間違いだ! 目の前が真っ暗になった。 |
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