〜 リュウイン篇 〜

 

【九 呪詛(一)】

 

 

 差しだされた手を、レイカはけげんそうに眺めた。

「お手をどうぞ」

 ふたたび、丸顔の小男がくり返した。

「退け。ひとりで降りる」

 白い手袋をはめた手を振るが、小男はさがらない。

「ご婦人に尽くすは騎士の務め」

「御者! 御者はおりませんの!」

 馬車の窓からリリーが叫んだ。

 御者台から大柄な男がすっ飛んでくる。

「道を開けてちょうだい。お姫さまがお困りです」

御者は帽子をリリーに向かって振り、小男の前に割って入った。

「お退がりください」

「御者風情が!」

 小男が一喝した。

「おまえごときがしゃしゃりでる幕ではない! 身分をわきまえぬか!」

 御者の眉があがった。手が腰にのびる。

「短気はいけませんよ、殿下!」

 リリーが窓からたしなめた。

「仮にもお祝いごとなんですからね。殿下お得意の戦争をしに来たわけじゃありません!」

「殿下?」

 小男が目をみはる。

「兄のモーヴ王子だ」

 レイカは口を開いた。視線と同様に口調も冷ややかだった。

「このたびはみずから御者役をかってでてくれた」

『大事な妹の輿入れだからな』

 レイカの居室に訪ねてきたモーヴは言ったものだ。

『道中、護衛も要るだろう。一部隊ひきつれて……』

 ちらちらと背後に目を向ける。

『どう思う? リリー』

 苦笑しながら、モーヴ持参の花を活ける侍女に問うと、すげない答えが返ってきた。

『兵隊さんなんか連れてったら、むさくるしいじゃありませんか。第一、常勝将軍ともあろう方が国の守りをおろそかにしていいものじゃありませんし、それに、軍勢なんか連れていってごらんなさい。あちらの国では戦争かと警戒しますわよ』

 モーヴは声をあげて笑った。

『そりゃあいい! 連中をおどかしてやるか!』

『バカおっしゃい! それで本当に戦争になったら、どうなさるおつもりですか!』

『オレが負けるとでも思うのか? なあに、連中の情けないツラを片っ端から……』

『お姫さまの避難場所がなくなるじゃありませんか! ぜんぶ王太后さまのご領土にして、どうなさるんです!』

 リリーは最後まで認めなかったが、出立当日、御者台に座った男を見て唖然とした。

『将軍や兵隊はいらなくとも、御者はいるよな?』

 その押しかけ御者は腰から手を放して問うた。

「そなたは?」

 御者を遠巻きに馬丁たちが取り囲む。

「あきれた。親衛隊たちまで連れてきたんだわ」

 リリーがつぶやいた。

「これはたいへん失礼いたしました」

 赤いつば広の帽子がとられ、小男が軽く足を引いて頭を垂れた。

 上着の中から赤いベストが見え、懐で丸いものが光った。

「申し遅れましたが、私はリュウイン王国宰相ランベル公爵でございます」

「国王はどうした」

「ただ今執務中でございまして……」

「おやまあ! うちのお姫さまと仕事とどっちが大事なんだろうね!」

 マムが場所の中から声をあげた。

「いいのだ。国民《くにたみ》を治めてこそ王なのだから」

 レイカは馬車から降りた。

 黒地に青いラインの入った旅行着は身軽で、上着は短く、ズボンのふくらみは小さく、膝までの長いブーツが足を覆っていた。

「長旅でお疲れでしょう。お部屋へご案内いたします」

 小男が申し出た。

 その後ろに出迎えの行列が長く続いていた。貴族らしい身なりの男女たちが、待ちかまえるようにそわそわと一行を眺めている。

「王妃さま、お手をどうぞ」

「イリムさま!」

 馬車から降りたばかりのマムが大声を張りあげた。

「騎士のお役目ですよ!」

 後方の馬車から、濃い栗色の口ひげをたくわえた長身の男が現れた。大きな図体にもかかわらず、すばやく駆けつける。その腕に、レイカは手をかけた。

「モーヴ殿下、馬をお願いする。それから、うちの侍女を返していただけないか?」

「ほら、ご覧なさい!」

 宙に浮かんだままリリーは言った。馬車を降りる際に抱きあげられ、どう抗議しようと下ろしてもらえなかったのだ。

「御者は馬の世話をしてください! よけいなことはしなくてよろしい! そして、さっさとお国へ帰ってくださいね!」

 地に足がつくと、リリーは憤然と言い放った。

 小男はおもしろそうにようすを眺め、大きなしし鼻を動かした。

「では、ご案内しましょう。こちらは……」

 それから城まで延々と、出迎えの貴族たちを紹介されたのだった。

 


「お姫さまは疲れてらっしゃるっていうのに!」

 ようやく部屋に着くと、マムは憤慨した。

「あの男ったら! お姫さまにはっきり嫌われてるのに、ちっとも動じやしない!」

「私も大嫌いです!」

 リリーが大きくうなずいた。

「見ました? あの目! 私やお姫さまを頭のてっぺんからつま先まで、なめるように眺めまわすんです! 気持ち悪いったら! ねえ、お姫さま?」

「それもあるが……」

 旅行着を脱ぎもせず、レイカはソファの肘かけで頬杖をつく。

「なにより気になるのは、懐からのぞいていた……」

 部屋の扉が大きな音を立てて開いた。

「レイカ!」

 明るい栗色の巻き毛の男が足早に入ってくる。

「もう仕事はよいのか、陛下」

 レイカの眉間がゆるんだ。

「ムリヤリ終わらせた!」

 赤いマントをひきずった若き国王は、子どものように頬を光らせた。

「ランベルのヤツ、今朝はまた山のように仕事を押しつけてきて……。でも、見事に終わらせてやったぞ! 予が本気を出せばこんなもんだ。そんなわけで、出迎えにはまにあわなかった。すまぬ」

「姿勢がよくなったな」

 暗褐色の眼が輝く。

「すっかり国王らしくなったろう! ランベルがうるさくてな。姿勢やら歩き方やら手の振り方まで、何もかも口を出すのだ」

「その宰相とやらだが」

 レイカの眉間に皺が寄った。

「あの上着の中はなんだ?」

「やったのだ。まだ父上がご存命のころかな。予に初めて仕えたのがランベルだったのだ。なにを怒るのだ? 着衣を下賜するぐらい、誰でもやっていることだろう? あれは確かに、そなたの兄がこしらえてくださったものだが……」

「赤いベストのことではない。クジャクのロケットだ」

「ああ、あれか。戴冠式の後にな、なにか欲しいというのでくれてやったのだ」

「あれは、我が母の形見だ。そなただからこそくれてやったものを!」

 奥歯を噛むレイカを、アプスは不思議そうに眺めた。

「もう、予のものだろう? どうして予の好きにしてはいけないのだ? ランベルはなかなかの洒落者だからな、あのぐらいの細工物でなければと思ったのだ。そんなに惜しいのなら、同じものを作らせよう。機嫌を直せ」

 レイカは目をみはり、首をふった。

「では、絵はどうした。そなたに持たせてやったろう、絵師に描かせた私の絵姿は?」

「うん、一緒にくれてやった。ランベルがひどく羨ましがるのでな」

 アプスは悪びれず答えた。

「予には、本物がいるからな。絵姿の一枚や二枚くれてやってもよかろう? そうだ、もっと立派なものを描かせて、城中に飾らせよう。そなたの美しさにみなひれ伏すぞ」

「……宰相とやらと、ずいぶんと仲がよいのだな」

「ランベルはよく尽くしてくれる。まだ予がみなにおざなりにされていた頃からな。人脈もある。予が王太子になるのに必要だといって、ロウン公とかいう者を後ろ盾にすえてくれた。運もいい。ランベルが仕えてからは、とんとん拍子に王太子の話が決まり、今では国王だ。そなたも仲良くするがいい。くれぐれも大事にするように」

 レイカは目を伏せ、左右に首を何度もふった。

「そのロウン公とやらは……」

「死んだ」

 アプスはこともなげに答えた。

「おそろしい流行病《はやりやまい》が宮中を襲ってなあ。身分の高い貴族はみな死んでしまった。予は故郷に帰っていたためにまぬがれたのだ。これも、ランベルのおかげだ。予に故郷に戻れと言ったのはランベルだからな」

「どんな病で?」

「知らぬ。だが、心配することはないぞ。予が王位についてからは、すっかりおさまっておる。これも、ランベルが城内を管理しているからだ。どうだ、優秀な宰相だろう」

「何をどう管理しておるのだ。原因を突き止めねば、ふたたび病を得るぞ。そもそもまことに流行病なのか?」

「ランベルがそう申しておる」

「陛下は確かめたのか?」

「ランベルに任せておけばだいじょうぶなのだ! 予の仕事をこれ以上増やすな! 予は朝から晩までサイン漬けでうんざりしているというのに!」

「サイン? そなたの仕事とはそれか?」

「ぶっ、無礼者! そなたではない! 陛下と呼べ!」

「では、陛下。陛下の仕事とは……」

「女の分際で、男の仕事に口出しするな!」

 レイカは口をつぐみ、頭《こうべ》を垂れた。

「そうだ。初めからおとなしく従っていればいいのだ。今宵はかわいがってやるぞ。婚礼の儀は二シクル先だが、かまいはしまいて。予の部屋は北の棟にある。念入りに着飾ってくるのだぞ。そなたの渡りをみなが眺めるだろうからな、誰もがうらやむような美しい姿で参れ。女の価値は美しさと従順さで決まる。ランベルがそう申しておった。女の価値を上げるのも、男の器量次第。最初が肝心なのだ。最初に男が優位に立てば、その後もうまくいく。強気で頬のひとつも張り飛ばせと……」

 レイカの長い腕が、アプスの胸ぐらをつかんだ。

「私を殴る? そなたが?」

 目が細くなる。

「女の価値は従順さにあると? あいにくだったな。私にはまったく欠けていることを、そなたは存じなかったのか?」

 強くつきとばす。

「国に帰るぞ!」

 侍女に声をかける。

「花嫁違いだったらしい。私の来るべき場所ではない」

「ひっ、姫!」

 アプスはあわてて腕にすがった。

「お待ちください」

「退け」

「わ、悪うございました! 私が悪うございました!」

「宰相とやらと末永う仲むつまじくな」

「姫〜」

「これをつまみだせ」

 待ってましたとばかりに三人の侍女たちが国王を廊下に引きずりだした。

「姫〜。お許しを〜」

 廊下から、情けない声が響く。

「お姫さま」

 扉に鍵をかけて戻ってくると、マムが不安そうに見あげた。

「わかっておる。帰るところはない。ここにおるしかないのだ」

 レイカはため息をついた。

「あちらでは王太后、こちらでは宰相。つくづく……」

 廊下に子どものような泣き声が響き渡った。

「泣き疲れたら入れてやれ。熱い茶の一杯でもくれてやろう」

 


 闘技場に金属音が響いた。

 白刃が閃く。

 右へ左へと、レイカは剣をさばいた。受ける衝撃が左手に心地よい。

「へばってきたか? 動きが鈍いぞ」

 笑みを浮かべるが、それ以上の余裕はない。

 この感覚だ、とレイカは思う。

 人の心ほどの速さで斬りつけ、受けとめる。

 もたつく暇はない。己のすべてを注ぎこむ。緊迫感。限界に挑む快感。

 視野の角に赤色がよぎった。

「終わりだ」

 レイカは相手の喉元に剣先をつきつけた。

 男は刃を鞘におさめ、一礼した。

 拍手の音が場内にこだました。

「さすがですな、王后陛下」

 上着の下に赤いベストを着こんだ小男が愛想笑いを浮かべていた。

「まだ陛下ではない」

 レイカは壁にかけたタオルを二本とり、一本を剣友に投げた。

「じきにおなりです。婚礼のご仕度は順調にお進みですか」

「そなたが仕切っていることだろう。それとも私に訊ねなければわからぬのか?」

「行き届かぬ点がございましたら、どうぞお申しつけください。ところで、変わった剣ですな。突くのではなく、斬るのですか?」

「イリム、あがろう。汗を流したらそちらへうかがう。奥方によろしくな」

 レイカは汗を拭きながら、闘技場を出た。

「イリム子爵さまはすばらしい剣豪であらせられますな」

 赤いベストの小男が後ろからついてくる。

「王后陛下がおそばに置かれあそばすのもムリからぬこと。威風堂々たる体格、ぬきんでた剣技、まことの男であらせられます」

 レイカは足を速めた。

 小男は丸い体を揺らしながら、なおもついてくる。

「陛下がお腰にさげられているのは、もしや名高いピートリークの宝剣ではございませんか?」

「だったらどうする」

「ぜひじっくりと拝見いたしたく……」

 レイカは剣を抜いた。白刃が妖しく輝いた。

「切れ味を試してみるか?」

「御意」

 鼻先に剣先を突きつけられ、宰相は微笑んだ。大きな目が不敵に輝く。

「この身はすでに国王陛下に捧げたもの。今や王后陛下のものも同じでございます。どうか、お気に召すままに」

 レイカは眉をあげ、宰相を睨みつけた。剣をおさめて声を張る。

「では、去れ! それが望みだ!」

 赤いベストの宰相は恭しく一礼し、立ち去った。

 


「あの男は気持ちが悪い」

 茶を飲みながらレイカは行儀悪く足を組んだ。

「あの大きな目で眺めまわされると、こう、全身に鳥肌が走るような……」

 身を震わせる。

 円卓を囲んでモーヴが高らかに笑った。

「目だけじゃないぞ、デカいのは。鼻も口もデカい。そもそも、あの背丈であの頭はないだろう。おまえの二倍はあるぞ」

「態度も大きいですわ。まるで殿下みたい」

 レイカとモーヴの間でリリーが言った。

「招かれてもいないのに、のこのこついてくるなんて」

「警護する義務があるからな。婚礼が終わるまでは、レイカはパーヴの人間だ」

「警護ですって? お姫さまより弱いクセに」

「一回負けただけだろ!」

「イリムさまのほうが、よっぽど頼りになりますわよ!」

「あの……」

 明るい栗色の髪の若い女がひかえめに口をさしはさんだ。

「我が家では大歓迎ですわ、モーヴさま。子どもたちも、お姿を拝見できて大喜びしております」

 大きな目にあどけなさの残る少女のような面立ちである。既婚女性がそうであるように髪は両わきを残して結いあげてあるが、見る者の目には違和感を与える。

「ほら、見ろ。イリム子爵夫人はおまえと違

って話がわかる!」

「アンジェラ、気をつかわないで。殿下がつけあがるから」

「うちの侍女が言うには」

 レイカは周囲を見回した。城の中庭にはエンジュやサルスベリなどの高木が植えられている。パーヴのような低木はなく、見通しがいい。

「昨年、病が流行った折り、王族の陰謀が明るみに出たとか」

「知ってる。ふたりの王子が死んだ後だろ。降下した王女たちが、国王の王位転覆を企てたとか。ロウンのヤローが陣頭指揮をとったんだろ」

「あら、殿下。ロウンのヤローだなんて。ご存じですの?」

「ヤツの軍は、何度も叩いてやったからな」

 モーヴは得意げに目を光らせた。

「リュウインの主力部隊よ。近衛隊もヤツの指揮下じゃなかったかな。腰抜けばかりでオレにはかなわなかったが、反徒の寝こみを襲うにはじゅうぶんだろ。ただ、その時に、王族の下に放っておいたこっちの手の者もやられちまった。それきり、宮廷の情報は何も入らん」

「その後も病は流行り、国王は亡くなった。郷里《くに》にもどっていたアレが呼びもどされると、今度は郷里《くに》が病を得て、一族みな死に絶えたそうだ。それで、アレは強運の国王だと自負しているらしい」

「ずいぶん都合のいい話じゃねぇか。流行病って、あれだろ? 全身に斑点ができるとかっていう……」

「私の母が、あの婆さんからもらった媚薬があってな」

 レイカはもう一度、用心深く周囲を見回した。

「全身に塗るのだとか。だが、塗ったが最後、すさまじい熱さにみまわれ、呼吸困難に陥って死ぬ。その体には醜い斑点が浮きあがるそうだ」

「まるで、見てきたようだな」

 モーヴはニヤリと笑った。

「おまえの母親は、それで死んだのか?」

「まさか」

 ニヤ、とレイカは笑い返した。

「媚薬など要るものか。眉のひとつもひそめて見せれば、たちまち国王が寄ってくるものを?」

「じゃあ、どうした」

「侍女がくすねた。ひとめで媚薬とわかる瓶に入っていたのでな。死体からは乳香の香りがたちのぼっていた」

 小さな悲鳴があがった。イリム子爵夫人が血の気を失い、唇を震わせていた。

「何か知っておるのか?」

 レイカが目を細めた。

「いただいたのです。同じものを。初夜にレイカさまのお肌に塗るようにと。国王陛下から」

「兄上から? 直々にか?」

「そんな恐れおおい……。使者が持ってきたのです」

「兄上が、おまえを殺そうとするだろうか?」

 モーヴが首をかしげながら、カップに口をつけた。

「それとも、あの婆さんが名を語って送りつけてきたか、だ」

「ほかに、何か受け取ったか?」

 レイカはやさしい声音で訊ねた。

「お茶やお菓子を。レイカさまにと」

 勢いよく、モーヴは吹きだした。

「茶? 茶だって!」

「これは違

います!」

 あわててイリム子爵夫人は首を振った。幼い顔立ちの中で、ただでさえ大きな目が、これ以上はないというくらい見開いていた。

「ご婚礼ののち、リュウインの国王陛下とご一緒の時にお出しするようにと。レイカさまがお国を自慢できるようにと。ですから、まだ封も切っておりません」

「アンジェラ、それをすべて持っておいで。リリー、手伝っておあげ」

「はい」

 ふらつく子爵夫人の腕をとって、おさげ髪の侍女は室内に消えた。

「申しわけございません」

 大柄な剣友が膝をついた。低い声が短く響く。

「よせ。私の目が行き届かなかったのだ」

「まったく、あんな純真なご婦人を利用するなんて」

「病の原因なのだがな」

 レイカはくり返し周囲を見回す。

「先ほどのアンジェラの話では、私とアレが一緒のところをと条件づけられたという。ただの憎悪だろうか。それとも他にもくろみが……」

「リュウインを乗っ取るつもりなら、子どもを生ませてからだろうな。理由をつけて子どもを引き取り、後見人となって王位継承権を主張するのだ。しかし、今殺しても、何の得もない」

 モーヴの手がカップの柄をつかみかけ、思い出したように離れた。

「だとしたら、病の根源は誰なのだ? その毒を手に入れ、まいたのは?」

「病ではなく、毒殺説か?」

 モーヴはからかうように笑ったが、目はそうではなかった。

「侍女が聞いてきた話では、城下の薬屋が行方不明なのだとか」

「薬屋のひとりやふたり……」

「パーヴの王室づきの薬師《くすし》の弟子だったとか。毒物に詳しかったとの噂もある。弟子ともども、煙のように失せたという」

「夜逃げでもしたか。それとも、旅先で不慮の事故にあったか……じゃなさそうだな? その顔じゃ」

 まじめな顔つきで、レイカはうなずく。

「家族の者に一切告げず、すぐれた腕を持ったものがとつぜん消える……」

「いわば常套手段だな。秘密の場所に幽閉してヤバいものを作らせる。用が済めば始末する。で、捜索はしたのか?」

「知らぬ。侍女たちに引き続き調べさせている」

「侍女たちって……。まさか! リリーに危ないことさせてるんじゃないだろうなあ!」

「いや」

「そりゃ、よかった!」

「ちっともよくありません!」

 中庭に若い女の声が響いた。

「誰のせいだと思ってるんです、私がレイカさまのために働けないのは! 殿下が声をかけてくるから、もう素性がバレバレです! 今日だって、何度声をかけました?」

「いや、その……早かったな」

 リリーは大人ひとりがすっぽり入れるほどの長持ちを引きずっていた。そばのもうひとりのほうは、てんで役立たずだった。青ざめた顔で、足どりさえおぼつかなかった。

「モーヴさまぁ」

 子どもがふたり、イリム子爵夫人の後ろから駆けてきた。

 四つとふたつの、まだ年端もいかぬ女の子である。どちらも母親似の、ゆるくウェーブのかかった明るい栗色の髪を持ち、大きな目で常勝将軍と呼ばれる男を見つめている。

「ほらほら、ぼっとしてないで、これをお姫さまのお部屋に運んでくださいな」

 リリーが長持ちを置いた。

「ここで開けるわけにはいきませんからね。おちびちゃんたちがまちがって触ったりしたらたいへんです!」

「モーヴさまぁ」

 大きいほうの幼女がとびついた。

「ぐるぐるして! ぐるぐるして!」

 母親は注意するどころではない。ふらりとバランスを崩した。

 おさげ髪のブルネットがあわてて彼女を抱きかかえる。

「リリー。アンジェラを介抱しておいで。ゆっくりでよいから。モーヴ殿下は子どもたちの世話を。私はこれを運ぶ」

 レイカが席を立った。

「お姫さまがそんなこと! 殿下に運ばせます!」

「だが」

 母親似の幼女たちを見る目が細くなる。

 倒れた若い母親のそばで、小さいほうがぐずりだした。

「どうした、エルシー」

 モーヴが抱きあげた。

「母さまは、ちょっとお休みしてるだけだ。そっとしておいてやろうなあ」

 大きいほうもぐずりだし、モーヴの青い衣のすそを引いた。

「ドリス、いい子だ。よしよし」

 空いているほうの腕で抱きあげる。

 実の父親はといえば、テーブルから動かず、表情も変えず、目だけが落ちつかず右往左往した。

 やれやれ。不器用な男だ。

 レイカは長持ちを両手で抱え、自室にもどった。途中で幾度も衛兵が目を丸くした。

「お運びしたいのは山々ですが」

 衛兵たちは口々に言った。

「持ち場を離れますと、お叱りを受けますので」

「別にかまわぬが」

 レイカは部屋に戻ると、マムを相手に苦笑した。

「守りが過ぎるのではないかな。あれほど兵の数が要るとは思えぬ。他の役目に回すべきだろう」

 リリーがもどったのは、夜になってからだった。

「遅かったな。アンジェラの具合は、思いのほか悪かったのか?」

 おさげ髪のブルネットは赤面し、唇を震わせていたが、恥じているのではなかった。

「衛兵!」

 叫んで絶句した。

「座れ」

 レイカは向かいのソファを指した。

「水でも飲んで、落ちつけ」

 リリーは手渡されたグラスの水を一気に飲み干した。

「お姫さま!」

 グラスがテーブルの上で大きく鳴った。

「あの衛兵をなんとかしてくださいまし! あいつらのせいで! あいつらのせいで!」

「おまえになにかしたのか?」

 レイカが眉をひそめる。

「あたしを! 何度も見かけてお姫さまの侍女だってわかってるはずのこのあたしを! 身分を証明できなければ、次の棟に通せないって言うんですよ!」

「なら、私かマムを呼べばいい」

「身分もわからないのに、呼び出しなんかできないって言うんです!」

「まいったな。それで、どうしたのだ?」

「押し問答になって、日暮れになってからやっとわかったんです。衛兵が時々こうやる意味を」

 手をカギにして引くマネをする。

 レイカがニヤと笑う。

「だから、髪飾りの石をふたつやりました。衛兵がひとりひとつって要求しましたのでね。次の棟でもふたつ、その次でもふたつ。途中でなくなってしまったので、ネックレスやイヤリングもやってしまいました」

「災難だったな。髪飾りはともかく、ネックレスはモーヴ殿下にもらったものではなかったか?」

「泣いて頼むからつけてやっただけです! なくなってせいせいしましたわ。髪飾りやイヤリングはどうせイミーテーションですしね。そんなの惜しんで怒ってるんじゃありません! 融通がきかない上に袖の下だなんて、ここの衛兵はどうなってるんですか!」

「おまえが遅くなった理由はわかった。で、モーヴ殿下はどうしたかな。袖の下もわからぬほど融通がきかぬとも思えぬが」

「あたし……私より先に出ましたけど。来てないんですか?」

 リリーは室内を見回した。

「仕方ないな」

 レイカは足下の長持ちを開け、中身を取りだした。

 缶入りのキャンディー、クッキー、ケーキ、ドレス、スカーフ、下着、指輪、ネックレス、イヤリング、香水瓶……。

 テーブルに並ぶさまを見て、後ろでひかえていたマムが大きなため息をついた。

「まだありますの?」

 その隣でサミーは表情ひとつ変えない。

「そういえば、例の流行病の件は進んだか?」

 次々に中身を並べながらレイカは訊いた。

「いいえ」

 マムは首をふった。

「なかなか思うように進みません。それより、気になることが」

「なんだ、それは」

「あの気取った赤いベストの小男のことでございます。元は身分の低い貴族だったとか」

「それは聞いた。アレについて出世したのだろう?」

「はい。そこまでは誰でも知っているのですが、その前となると誰も知らないのです。どこかの街の領主だったとか、どこかの下級貴族の婿養子だったとか、さる高貴な方の隠し子だったとか、出所の知れない噂は数あるのですが……」

 レイカは笑った。

「そのうち、龍の化身だとか言い出されかねないな。アレに天の加護を与えて病魔を払い、王位を授けたとか」

「ご冗談おっしゃってる場合じゃないですよ!」

「放っておけ」

 レイカは笑った。

「身分の低い出なのだろう。よくある話だ」

「でも、お姫さま。相手の隠し事はこちらの切り札に……」

「身分なら、他人のことは言えぬわ」

 自嘲する。

「誤るな、マム。私は闘争を欲しているわけではないのだ。膿があるなら出したいだけだ」

 ドアの開く音がした。じゅうたんがすれる音が続き、赤いベストの小男が姿を現した。

「おまえ!」

 マムが怒鳴った。

「ここはお姫さまのお部屋ですよ! 誰に断って勝手に!」

「勝手に入られてはお困りのご相談をなされていらしたのですかな」

 小男はたくわえた茶色い口ひげをなでながら、ゆっくりと室内を見渡す。

「お部屋の居心地はいかがですかな。行き届かぬ点がございましたら……」

 視線がテーブルの上で凍りつく。

「これか?」

 レイカは言った。

「祝いの品をもらったのだ」

「どなたに」

 小男の声はわずかにかすれていた。

「そなたに言う必要があるかな」

「御礼を……」

 咳払いをした。

「水をいただけますかな。多忙でノドを傷めたようで」

「残念ながら、切らしておる」

 リリーが飲み干したグラスをひっくり返してみせる。

 小男はあきらめよく言葉を継いだ。

「御礼をさしあげねばなりません。王后陛下の物は国家の物。お預かりし、帳簿に控え、返礼を用意させていただきます。で、どなたに賜られたのですか?」

「菓子はかまわぬだろう?」

「いえ。すべてお預かりいたします」

 懐から呼び鈴を取りだす。振ると、たいそう耳ざわりな騒音をまき散らした。

 ドアが開き、衛兵がふたり入ってくる。

「無礼なっ!」

「ここをどこだと思ってますの!」

 マムとリリーが怒鳴ったが、抗議も虚しく、衛兵はテーブルの品々を長持ちごと持ち去った。

「責任を持って、のちほどすべてお返しいたします。しばしお待ちを」

 赤いベストの小男は恭しく礼をした。

「他にもございますれば」

「ない。あれですべてだ」

 レイカはおもしろそうに小男の顔を眺めた。

「では、どなたから賜られたもので? お名前をお聞かせください」

「さて。誰だったかな。そうだ。たしか国王陛下にいただいたのだったな」

「お兄上でございますな」

 大きな目がぎょろりと動いた。

「いや、この国の国王だ。アプスとかいう……」

 小男の小鼻がふくらんだ。レイカの表情を読みとろうとするかのように凝視する。

 レイカは不敵に笑い返した。

「国王に、くれぐれも礼を申してくれ。失礼のないようにな」

「御意」

 赤いベストの小男は、恭しく礼をした。

 

 

   

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