〜 リュウイン篇 〜

 

【七 幻の子(六)】

 

 

 しばらくして、リュウインからアプスの従者ハモンディ公が戻ってきた。婚約の儀は形式的なもので、滞りなく終わったらしい。当事者といえど国政に関わる職にないレイカは、国同士の取り決めの場に赴くことはできなかった。その日の夜、王の使者から報告を受けたに過ぎない。

 翌日、アプスは涙ながらに別れを惜しみ、一年後に迎えに来るから待っててくれと言って、見送りに出た一同に笑われた。

 翌年迎えにくるのは使者であって、新郎であるアプスは自国リュウインの城で待つのである。

 来た時と裏腹に、見送りは盛大なものだった。道には南方からとり寄せたしゅろの枝が敷かれ、その両側で貴族たちが南方の色鮮やかな鳥の羽を捧げ持つ。アプス一行は熱い視線を浴びながら、悠然と進んでいく。

「見たことがないと目を丸くしておったぞ。それも道理、リュウインの国土は南に短い。あのような南方のシロモノは目にすることがなかろうて」

 見送った夜、病床のモーヴを訪れて、レイカは笑った。

 厚い白地のドレスの襟ぐりは四角く開き、グリーンのリボンの縁取りが肌の白さを際だたせた。婚約者につきあって城内に閉じこもった期間が、陽に灼けた浅黒い肌に本来の色を取り戻させていた。肩から肘にかけては袖が大きくふくらみ、肘から先は大きく開いて、襟元とそろいのリボンの袖口から、アンガジャントの白いレースがゆたかにのぞいていた。スカートのふくらみはペチコートの分だけふくらみ、裾はやはりグリーンのリボンで縁取られていた。

 モーヴは床の上で身を起こし、フリルのたっぷりついた濃紺のパジャマの襟元から、白いナプキンをぶらさげていた。

 もはや、傷はあらかた癒えていたが、時々うずくと言っては、ぐずぐずと床をあげなかった。

『まったく、いつまで手をわずらわせるんでしょうね、この居候が!』

 看護役のリリーは迷惑そうに眉根を寄せて文句を言った。

 当のモーヴのほうはリリーをからかったり、部下を出入りさせては仕事をしたりと、まったく気兼ねするようすがなかった。

 床の傍らの丸テーブルを見れば、病人のものとは思えぬほど質、量ともにボリュームのある料理が並んでいた。香味野菜詰めの鳥の丸焼き、羊肉のスペアリブ、牛の厚切りステーキに、山盛りのポテトボールとグリーンサラダ。十人前はあるだろう。

 残った料理は、食後に訪ねてきたモーヴの部下たちがきれいに片づけていった。

『私は兵舎の飯炊き女じゃありません!』

 リリーは毎日のように憤慨していた。病人のまかないを任されていたのは、彼女だったからだ。

 そのリリーは、今は料理をはさんで病人の向かいにすわり、相伴に預かっていた。

 グリーンの縁取りの袖が動き、中から伸びた白い手がおとがいで留まる。

「アレが見聞したこともないものを、山のように持って隣国へ入ってみるかな。剣や弓や馬や鳥獣、薬草、科学機器に農耕具。きっと、毎日目を丸くするぞ」

 モーヴは食事の手を止めた。

「そなたは利口なのかバカなのか、よくわからん。そんなもので、いつまでも気がひけるわけがない。うまい料理やきれいな服でも持っていったほうが気がきいてる。女は上手に家庭をとりしきり、気だてがいいのがいちばんだ。なあ、リリー」

 レイカの左側にすわっていた侍女は、ナプキンで口元の脂をぬぐった。ピンクのドレスの胸元で、おさげに編んだブルネットの髪が揺れた。

「女は、美しく聡明で強いのがいちばんです。馬上のお姫さまより美しい女なんか、この世にはいませんとも! うまいものばっかり食べたがってると、どこかの国の使者さまのようにお太りになるんです。いい若い者が、昼間からゴロゴロと。あー、みっともない」

 どこかの国の使者とは、隣国のハモンディ公のことである。侍女たちの間では、無能と傲慢の代名詞のように囁かれていた。

 モーヴは口をとがらせた。

「ケガ人に向かって、なんだ、その口のきき方は! おまえの主人の替わりに毒刃を受けたんだぞ!」

 リリーはすました顔で答えた。

「どこかの誰かが卑怯なマネをなさったからじゃありませんこと? 自業自得ってものでしょ」

「言っておくがな、オレは気が進まなかったんだ! あの婆さんがムリヤリ押しつけたから、仕方なく……」

「連れてきたのは殿下でしょ。断れないなら、どこかに置いてくればよかったんです」

「モノみたいに言うな。あいつは命令を遂行するまで離れなかったんだ。着替えだろうと、小用だろうと、そりゃあ、しつこいのなんの……」

「子どもひとりに手こずって、今度は言いわけですか」

「思いつめた子どもほど手に負えないものはないぞ! 命令さえきけば、母親や妹を呼び寄せられると信じて疑わなかったんだからなあ! かわいそうに」

「かわいそうなのは殿下のほうです! いいおとなが、いくら命令だからって、何の罪もない女性をこっそり殺しにくるなんて! 他でもないうちのお姫さまですよ? 一生許しませんからね!」

「何の罪もだと! 今までどれだけオレが迷惑をこうむったと思ってるんだ! だいたい、軍人は国の命令には従うもんなんだぞ、不本意だが、しょうがないだろ!」

「国王陛下が命令したんですか! 国の命令って言ったら、国王陛下の命令でしょう! 引退したおばあちゃんの命令の、どこが国の命令になるんです!」

「うっ、うるさい!」

 モーヴは真っ赤になって怒鳴った。

「ほうら、自分が不利になると大声で黙らせようとするんだから。すなおに、自分が悪かった、ごめんなさいと謝ったらどうです」

「うるさいっ! うるさい、うるさい、うるさい!」

 レイカは声を立てて笑った。

「仲がいいことだな。ところで、その子どものことだが、何かわかったかな、モーヴ殿下」

「いや」

 モーヴはリリーからレイカに向き直った。

「妹の足取りはつかめない。あの金髪なら目立って探索も容易だろうと思っていたんだが……。年が年だ、まだ幼すぎて、郭《くるわ》の奥で下働きにでも使われているんだろう、見かけた者がおらんのだ。母親は病死し、妹は生活苦のために南方に売られ、まったく叔父上の一族の運命たるや惨憺たるものよ」

「南方か」

 レイカはため息をついた。

「しゅろの枝、彩やかな鳥の羽、あのような美しいものに囲まれておれば、なにがしかの慰めになろうか。聞くところによれば、冬がないとか」

 モーヴは首を振った。

「冬はある。雪が降らないだけだ。夏は蒸し暑く、民は一様に陽に灼けているというぞ」

「かなうものなら、一度訪れてみたかったな。モーヴ殿下は行かれたことがおありか?」

「いや。しかし、いつかは行くかも知れん。叔父上の末裔が見つかればな。虹の清水辺りらしいのだ。その妹が売られていった先は」

 虹の清水には伝説が残っている。怪物ヘデロが恐ろしい液を吐きだし、辺り一帯を溶かしたと。美女アッシャを探していた英雄セージュが折よく通りかかり、陶製の壁でヘデロを液ごと閉じこめ、溶かしてしまう。怪物は退治されたものの、荒れ果てた村を前に人々が絶望し膝を折ると、山中から清水が勢いよく吹きだし、村を洗い清めた。それはアッシャのしわざであり、清水の中に影を見たセージュはつかまえようとするが、すんでのところで逃げられてしまう。アッシャが清水を飛びだすと、水しぶきがあがり、二重の大きな虹がかかったという。以来、そこは虹の清水と呼ばれている。

「調査は終えてしまったが、今後も噂には気をつけてみようと思う。何かわかったら、おまえにも知らせる」

 モーヴの言葉にレイカはうなずいた。

 子どもを斬ったことは悔いていない。己の野望のためには暗殺を厭わぬ者に、寄せる同情など持ちあわせてはいない。

 しかし、王太后の被害者には憐れみを禁じ得なかった。

「王太后をのさばらせてはおけぬな。殿下も少しは抵抗したらどうだ」

 レイカはおとがいに手を当て、険しい目つきでモーヴの顔をのぞきこんだ。

「抵抗したじゃないか、恩人を助けるために。ひと肌脱いだのを、もう忘れたのか?」

 モーヴは陽気に笑った。

「何の話だ?」

 レイカは眉をひそめ、首をかしげた。

「皮肉か? そりゃあ、面と向かってあの婆さんと対決できないのは本当だが。オレだけじゃない、妾腹の兄弟たちは、みな、あの婆さんに逆らえないんだ。物心つく前から、あの婆さんは父上の留守を狙って訪ねてきて、鞭や棒で叩くわ、火を当てるわ、ひどい拷問をくり返したもんだ。王の寵姫には傷をつけられないからな、犠牲になるのは子どものほうと決まってる。おかげで、すっかり恐怖がしみついちまった。カルヴ兄上と、兄上に預けられていたおまえぐらいだろう、例外は。だから、オレが直接対決できなかったのは大目に見てくれ」

 モーヴは手を振って笑った。

「まあ、では、背中やお腹のキズは戦士の勲章だと自慢していたのは、ウソだったんですね!」

 リリーが頬をふくらませた。

 モーヴは悪びれず笑う。

「ウソは言ってないぞ。ハクがつくだろう?」

「そんなの、ウソと同じじゃありませんか! だましてまで勝つのが、一国の将軍のやることですか!」

 グリーンのリボンで縁取られた白い袖が上がり、ふたりをさえぎる。

「直接対決できずとは、何のことだ? 殿下は何をしたのだ?」

 目は疑問に加えて真剣さを帯びていた。

 モーヴはその強さにたじろぎ、あわてて口早に言葉をついだ。

「いや、たいしたことじゃない。入れ知恵しただけだ、あの幸せな王子に。婆さんとの戦い方をな。実に単純な男だ。婆さんは口先だけの見かけ倒しだから、必ず勝てると吹きこんだら、本当に信じこみやがった。あとは戦法を付け焼き刃で授けただけだが、あんなにうまく行くとは思わなかった。そなたも婚約者から聞いておるだろう?」

 答えるべき言葉が見つからなかった。モーヴの顔を呆けたように見つめたまま、レイカは身動きできなかった。

 反応したのは侍女のほうだった。

「では、お姫さまの本当の恩人は殿下というわけですわね。他のことはともかく、この点だけはお礼を申しあげますわ。私たちのお姫さまを助けてくださって、ありがとうございます」

 トゲのある言い回しに、モーヴは眉をあげた。

「『他のことはともかく』はよけいだ」

「でも、初耳ですわ」

 リリーは不機嫌な恩人を相手にせず、主人を見た。

「そのごようすでは、アプスさまは何もおっしゃらなかったのですね。まったく、何てズルい人なんでしょう! 何もかも自分の手柄にして恰好をつけるなんて! そもそも、どこかのいくじなしが他人をアテにするからいけないんです! 考えた本人が責任もって行動すれば、愚者を賢者だとか、無知を勇気だとか勘違いしないで済んだんです!」

「なにをっ! オレが悪いっていうのか! オレがいなかったら、今ごろおまえの大事な主人はこの世にいないんだぞ!」

「助けて当然です! お姫さまがこれほど情け深くなかったら、殿下なんか、とっくの昔に死んでたんですからね! ねえ、お姫さま?」

 侍女が呼びかけたが、返ってきた答えは、ふたりの呑気な言い争いがまるで聞こえてないということを示すものだった。

「恰好をつけたのではなく、用心したのだろう。この国で真実を話すことを避けたのだ。己の無知が王太后に知れては不利だからな」

「マムおばちゃんだったら、こう言いますわ!」

 リリーは腰に手をやって、胸を大げさにそらせた。マムに仕草もそっくりなら、声の調子もそっくりだった。

「お姫さまは世間知らずなんだから。人は自分本位にできてるもんです。ご自分を基準にしちゃいけません」

「似てる、似てる」

 モーヴは手を叩いて笑った。

「みな、あれを過小評価しているのだ」

 レイカは苦笑した。

「いずれにしろ、これからはあれに世話になるのだ。仲良くしてくれ」

「お世話をするのは誰のほうでしょうね! まあ、どこに行こうと、私はお姫さまについていきますけど」

「おい、おい、おまえは残るんだろ?」

 モーヴはあわててリリーの顔をのぞきこんだ。

「おまえがいなくなったら、誰がオレの世話をするんだ」

「どなたでも! 常勝将軍モーヴ殿下ともなれば、お世話係のご婦人方には事欠かないでしょうよ! いっそのこと、この際奥方をお決めになれば? お好みをおっしゃれば、みなこぞって家庭的で料理上手になるでしょうよ!」

「オ、オレはだな!」

「お黙りなさい。殿下がどうなろうと、知ったこっちゃありません。私はお姫さまだけが大事なんです」

 モーヴはうらめしそうにレイカを見た。

 レイカは苦笑した。

「料理が冷めぬうちにあがるがよい。リリーの手料理が食べられるのもあとわずかなのだから」

 

 

   

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