〜 リュウイン篇 〜

 

【七 幻の子(五)】

 

 

 深い緑のスカートの前を大きくつまみあげ、レイカは急ぎ足で部屋に帰ってきた。

 ドアを開けると廊下は右に折れ、リビングルームに続いている。しかし、レイカはそちらへは行かず、正面突き当たりの小さなくぐり戸を叩いた。

「婚約が決まったぞ」

 侍女たちはまだ起きていたらしい、すぐにドア直下の数段からなる小さな階段を駆け上がってきた。

「どなたのでございますか?」

「私のだ」

 レイカの紅潮した頬、輝く眼に、侍女たちは即答をためらった。

「あの……、お姫さまがそれほど喜ばれるお相手は、どこのどなたで?」

「立って話すことでもあるまい。リビングにおいで」

 興奮気味の主人の後を、三人の侍女たちは不安げに追った。

「あの小さな婆さんには、誰も逆らえないのだ。情けないことに、兄上も、その弟たちも。むろん、貴族どももだ。あの婆さんは母上を憎み、それは私の身上にも及んでいる。渡りあえなければ、伯母上や従兄たちのように尼僧院に閉じこめられるだろう。いや、殺されるかもしれぬ。今日の婆さんはいつにも増して苛烈だった。この私でさえひるまずにおられないほどにな」

 リビングで、レイカはソファにゆったりと身をうずめ、膝の上で両手を組み、満面の笑みをたたえていた。侍女たちは長椅子に浅く腰かけ、落ちつきなく身じろぎした。

「ともには生きられぬ。兄上は今宵、あの婆さんを選んだ。私は連行されかけた。婆さんは死罪の即時決行を言い渡した」

 レイカは楽しむように一語一語をゆっくりと話したが、侍女たちの青みの増した顔を見ると、手を振って言葉を速めた。

「心配いらぬ。私はこうして無事に戻ってきたではないか。これから先も無事よ。あの婆さんも、他国には手を出せまいて」

「まさか、隣国の王子ではありますまいね!」

 恰幅のいい侍女が待ちきれずに、口をはさんだ。

 背の高い侍女は落胆したかのように肩を落としてため息をつき、レイカより年下のおさげの侍女は信じられないかのように何度も首を振った。

「あの男はダメです。いざとなると足腰が立たなくなるタイプです」

「だがな、私を救ったのはあの男なのだ。あの男だけが、婆さんに向き直り、闘ったのだ。なかなかの論客でもあった。そなたたちにも見せたかったぞ」

「王太后陛下の恐ろしさを知らないからです! 無知のなせるワザで、勇気などではありません!」

「だが、アレは私は生涯守ると約束した。本気の眼をしておったぞ」

「その場限りの本気です! あの手の男は自己陶酔して、平気でその場限りの誓いができるもんなんです! ああ! お姫さまときたら、馬も剣もおできになるし、政治にも学問にも精通してらっしゃるのに、どうして人の心というものには、こうも疎くていらっしゃるんでしょう!」

 レイカは組み手を解き、苦笑した。

「やれやれ。それほどアレが嫌いか」

「当然です。あの男は、今にお姫さまを裏切ります。そういう男です」

 恰幅のいい侍女が確信的にうなずくと、年若い侍女がおそるおそる口を開いた。

「でも、お姫さまが、この国を離れるのはよいことですわ。隣国なら、王太后陛下も、手出しができませんもの」

「クレス公もね!」

 恰幅のいい侍女は興奮さめやらぬようすで大きくうなずいた。

「これでよからぬ企みに巻きこまれずに済みます。クレス公もお姫さまなしでは大義が立たず、味方を集められなくなるでしょう。国も割れずに済むというわけです」

「知っておったのか」

 レイカは額に手をあてた。三人の侍女はめいめいにうなずく。

「よけいなことは知らせまいと思っておったが。何も知らぬほうが身のためなのだぞ」

「子どもにだって察しはつきますよ。クレス公が足しげく通うとあっちゃね。まあ、いいでしょう! 隣国の第三王子ですからね、王位が転がってくるわけじゃなし、権力争いから離れてどこかの田舎でのんびり暮らせるでしょう! ただね、領主の館でおとなしく奥方におさまってるお姫さまなんて、想像もつきませんよ。馬や剣のお友だちや、学者たちをお連れなさい。退屈をまぎらわせてくれますよ」

「馬を持ち出せるかな? あれは門外不出の品だろう」

「持ち出すんです! 馬のないお姫さまなんて、陸にあがった魚、昼間に出る幽霊、アッシャの前のセージュのようなものですからね」

 アッシャは英雄セージュを惑わした妖艶なる美女である。姿は見えども触れることあたわず、英雄を世界中引き回した。結局、セージュは世界の果てにたどりついてアッシャの正体を知り、結ばれえぬ身を嘆いたという。彼女は虹の精だったのだ。

「虹か。そういえば、あの天気占い師はどうしておろうか」

 レイカはひとりごちた。

 少女の頃、母の元から帰宅すると、頑固な面がまえの学者が離宮の門前で待ちかまえていた。自分の倍ほどの年の男は、虹に会いに行きたいから支援してくれ、と真面目な面もちで申し入れてきたのだ。

 珍しいことではなかった。寵姫の里親である権力者クレス公に断られた者たちが、代わりに口ききを頼もうと、毎日のようにレイカに面会を求めてきていた。

 他人の欲にふりまわされるのはまっぴらだった。

 馬上から犬をけしかけて追い返そうとすると、学者は立ったまま図面を開き、雲や気温の話を始めた。地形と天気の変移、各地域の天気予報に関する言い伝え、天気と気圧の関係に至るまで、とめどなくとうとうと話し続け、最後に、上空の様子をするために気球を造るので、ついては資金援助を願いたいと結んだ。

 レイカには、学者の話がさっぱりわからなかった。見れば見るほど眼は熱っぽく、唇はしばしば引き結ばれて薄く、顔色は青ざめて危うげに思えた。

 そなたに必要なのは資金ではなく医者だろうとすげなく断ると、学者は礼儀正しく退去したが、帰りぎわに二、三日中の天気を告げた。以来、毎日書状が届き、翌日の天気を予告したのだった。

 まさにそれは『予告』とも言うべきもので、すべて的中した。

 二シクルも経つと、書状の末尾には余分な一文がつけ加えられていた。

『翌日だけではなく、一シクル先、一ルーニー先、一年先の天気もお知らせできます。資金援助くだされば』

 レイカはその抜けめなさに苦笑した。呼びだして告げた。

『どう占ったのか、毎日出廷し、わかるように説明せよ。納得がゆけば母上に口添えしてやろう。もし気に入らねば、いかがわしいまじないを用いた咎で獄送りにしてくれるぞ』

 学者は脅しなどどこ吹く風で、大喜びで離宮に通い、楽しげに科学の話をしていくのだった。

 雲は水のかたまりである。それぐらいはレイカも知っていたが、学者の考えることは大それていた。

 どこかに雲の製造工場があるに違いない。陸上ではこれだけの雲を作ることは難しい。たぶん、世界は巨大な湖に浮かんだ島で、湖でできた雲が、地を潤しているのだろう。

 世界というものを考えるのは哲学者や宗教家の仕事だったから、レイカは驚いた。

 一般に、世界は天上界、地上界、冥府の三層に分かれ、地の果ては大きな断崖となり、冥府に続いているのだと考えられていた。高山は天上界との連絡路で、神や精霊が降臨するたび、峰に雲がかかり、その姿を隠すのだという。

『世界観を変えてご覧にいれます。虹は水蒸気がなければできません。英雄セージュは世界の果てまで虹を追いかけました。ということは、世界の果てには水蒸気があるのです。水に満ちているのです』

 学者は自信ありげに言った。

『私は上空のありさまを観測するのと同時に、この世の果てを見てまいります。哲学や神話学が道理を決めるのではなく、科学こそが万能であることを証明してさしあげます』

 大言を吐くだけのことはあった。説明はヘタだったが、苦心してかみくだいた内容はひじょうに論理的で、ムリがなかった。一ルーニーの間に、講師の話術はかなり上達し、生徒の理解も深まった。

『そなたの理屈はわかった。母上に口添えしてやろう。それにしても、科学というのはおもしろいものだな』

 娘の願いを、寵姫はそのまま国王に伝えた。国王は大喜びで全面的に受け入れた。寵姫が頼み事をするなど、めったにないことだったから。

 資金はそろったが、人材に不足した。初の試みで素材選びにも難儀した。数々の困難を乗り越え、気球が飛び立つと、学者は消息を断った。

 五年後、気球は無事戻ってきたが、学者の見聞は荒唐無稽で、誰ひとりとしてとりあう者はなかった。おまけに、寵姫の恩恵を受けたことで当時王妃であった王太后に睨まれ、つまらぬ嫌疑をかけられた。逮捕される直前、家族を連れて逃亡したと聞くが、それきり行方はわからない。

「ミヤシロ伯といったかな。アレを連れていけば、どんな辺境だろうと退屈しないだろうに」

「剣のお友だちのイリム子爵もお連れなさいませね! お姫さまはね、王さまに裏切られたショックで、蔓が龍に見えているだけなんですからね! 夢から醒めたらきっと落胆なさるに違いないんです。その時のために、役に立ちそうなお友だちは、ひとりでも多くお連れなさいませ」

「言われなくとも連れて行くよ」

 レイカはうなずいてみせた。

「このままここに残しては、王太后からどんな目に遭わされるか知れない。隣国の辺境では満足に所領を与えてやれないだろうが、命あっての物種だ」

 ふと、思いついたように首を傾げる。

「そういえば、最初王太后はこの婚姻をまとめるつもりだったな。結局もくろみ通りになったが、私を侮辱するという目的を達するどころか、本人が恥をかかされてしまった。いい気味だ」

「今のうちでございますよ。よいご気分は」

 マムは怒ったように腰に手をあてた。

「きっと、今に恐ろしい仕返しが待ってるんですから! くれぐれも身辺にご用心なさいませね!」

 その予言は、王太后を知る者にならたやすいものだったに違いない。

 しかし、まさかそれが隣国の様子を一変させることになるとは、このときは誰も予想できなかった。当の王太后本人でさえも。

『姫の隣に立つにふさわしい男になりたいのです』

 数日前に王子に仕立てられた隣国の小領主は婚約者に願い出た。

 現国王の妹として育てられた先王の寵姫の娘は快く承諾し、自らが教師となり、領主としての心得や知識、宮廷作法、狩猟などのたしなみを授けた。

 しかし、この師弟の組み合わせは理想的とは言えなかった。講義の間中、生徒は師の芙蓉の顔《かんばせ》に見惚れて心ここにあらずだったし、乗馬にいたっては、鞍にもまたがれないありさまだった。

「そなたの土地にも、馬ぐらいおったのだろう?」

 借り物の青い乗馬服がいやに板につかない隣国人は、おとなしい栗毛の馬の隣で息も絶え絶えになりながら答えた。

「馬車にしか乗りませんので」

 では、馬車の操りはどうかといえば、これも危ない。

「馬の操りは御者に任せてありますので」

 さしものレイカもあきれ果て、宮廷づきの教師に仕事を譲ったのだった。

 それでも隣国の王子の意欲はホンモノだったようで、講義のほうはほどほどに、馬のほうは遅々とこなしていった。

「王女殿下、夜会へお出ましください」

 事件からほとぼりが冷めたころ、王の使者が部屋に出向いてきた。

「国王陛下が首を長くしてお待ちです。どうか、ここは私の顔を立てて……」

「顔を立てておるから、こうして用向きを聞いておるのだぞ。さもなくば、門前払いだ」

 客間のソファに身を埋め、けだるそうにレイカは頬杖をついて暗くなった庭に目をやった。夜の色のドレスの袖がずりさがり、アンガジャントのレースがすっかりあらわになった。

「まだ腹をたてておいでですか? あれからこうして国王陛下が何度お呼び立てなさっても応じない。いつまでも子どもっぽい真似はおよしなさい」

「約束があるのでな」

 面倒そうに答える。

「毎晩毎晩、あの男の元へ通うのが、それほど大事ですか! 城内では噂になっておりますぞ! 婚約が成ったわけでもないのに!」

「成立したも同様よ。ハモンディ公といったかな? アレが隣国へ戻って形式を整えておる。じきに、正式な申し入れがなされよう」

「そんなもの、さだかではありませんぞ! 和睦の条件をおとなしく飲むとは限りません!」

「私では人質として不足かな?」

 レイカの唇の端が上がった。

「い、いえ、決してそのような」

「人質としては年季が入っているつもりだが」

「めっそうもない!」

 使者は顔を青くした。

「では、退がれ。悠長にそなたの顔を眺めている暇はない」

 使者を退室させると、レイカは身支度を整えて春の間へ向かった。毎夜、アプスと夕食をとり、談笑がてらに講義の進み具合を確認し、しばしば補足するのが日課だった。

 日がない。

 レイカは焦れていた。

 何も知らない未来の伴侶に、あらゆるものを叩きこんでおきたかった。王子としての教養、領主としての思慮、人間としての誇りと知性を。

「青はパーヴの国色だったのですねえ」

 ある夜、アプスは夕げのテーブルで感心したように言った。

 彼は赤の短い上衣を羽織っていた。その下にはボタンのたくさんついた長いベストと、たっぷりフリルのついたリンネルのシャツを着ている。下には腰のふくらんだ赤のズボンをはき、裾からは、リボンのついた華奢な靴の先がのぞいている。靴の布色は生成りだが、リボンはやはり赤い。

『我が妹に恥をかかせるな』

 そう言ってパーヴ国王が仕立てさせた服である。

「赤はリュウインの色。昔、双子の王が国を分かつ時、一方をルビーに、一方をサファイヤにたとえたとか。ちっとも知りませんでした。今日、先生に習うまでは」

 春の間の萌黄色の室内色に、レイカの着衣は溶けこんでいた。明るい緑色のドレスは、胸元がゆるく開き、肘の辺りで大きく開いた袖からはアンガジャントのレースが見えた。ウェストは幅広のサッシュでゆるく締め、裾の広がりは小さい。骨を入れずに、ペチコートだけでふくらませているのだ。

「北の大国ウルサの国色は、雪や氷の白ではなく、実は黄色なのですな。太陽の色、ウルサの民の髪の色だとか。東の小国イリーンは、なんと虹の七色! 欲ばりですなあ!」

 当たり前のことに驚くさまは、眺めているだけでおもしろかった。

「世界は広いですなあ。私はイリーンやドーンやアラワースという国名を初めて聞きました。東にそんな小国がいくつもあるとは! そうすると、世界に国はいくつあるのでしょうな。リュウイン、パーヴ、ウルサ、イリーン、ドーン、アラワースで六つですか? あっ。姫の母君のお国がありましたな、草原の国。どこにあるのですか? 母君から聞いていらっしゃいませんか?」

 国ではない。

 レイカは思ったが、否定はしなかった。

「伝説だからな。まことにあるかどうかもわからぬ」

「母君から何かお聞きにならなかったのですか? 父君からも?」

「父に会ったのは一度きりだ。母の葬儀で、それも遠目に見ただけだ。身分が違うのでな。そなたなら、想像もつこう」

 王の子でありながら父の姿を見ずに育ったのは、アプスも同じだった。

「わかります。よくわかります。ですが、姫の母君は、わざわざ異国よりお輿入れなさったのでしょう? 私の母とはわけが違いましょう」

「輿入れだと?」

 レイカは鼻先でせせら笑い、天井を眺めた。白地に黄色で蔓の模様が描かれていた。

「私の母はな、東から来た商人に奴隷として連れてこられたのだ。馬とともにな。草原で捕らえたとは商人の言よ。男も一緒だったが、抵抗したので殺したとか。先王は母を気に入り、その夜から寵愛した。まもなく私が産まれたが、先王の子としてはひと月早い。そんなわけで、私の出生が疑われるわけだ」

「そんな! 早産などよくあることではありませんか! 先王陛下は御子と認められたのでしょう?」

「蛮族の娘では、王太子に預けるわけにはいかぬだろう。私は当時王太子だった兄上の家族の下で育てられたのだ。母に対する人質としてな」

「人質ですって? しかし、母君は先王陛下に寵愛されていらしたのでしょう?」

「母は故郷に帰りたがっていた。出産前には幾度も離宮を抜けだし、途上で引き戻された。愛とはなんだ? 嫌がる者をムリヤリ手元に置くことか?」

 決してこの国の言葉を口にしなかった母。郷《くに》の誇りを頑なに守った母。いつかおまえも草原に還るのだと言って、草原の言葉や習いのすべてを教え込んだ母。

 しかし、自分は草原に行きたいなどと思ったためしはない。育ちはパーヴの王宮、家族は兄夫婦とその息子たちだったのだから。

 毎日数時間程度の面会では、母は風変わりな教師以上になれなかった。

 かわいそうに、母はたったひとり、異国の地で死んだのだ、とレイカは思う。腹を痛めた我が子さえ、異人だったのだ。

「だから、姫は国王陛下がお嫌いなのですね」

 合点がいったように、アプスは大きくうなずく。

 レイカは不思議そうに顔を傾けた。伸びかけた黒髪が一房、頬にかかった。

「なぜ、そう思う?」

 アプスは得意そうに赤いベストに覆われた胸をそらせた。

「だって、憎い仇じゃありませんか。母君からムリヤリ引き離され、人質扱いされては、お嫌われるのも当然です! ご苦労なさったのですね。おかわいそうに。でも、これからは私が姫をお守りいたします! ご安心ください!」

 王子の頼もしげな台詞に、レイカはしばらくあっけにとられ、やがて苦笑いした。

「兄上は、いや、義姉上も従兄たちも、みな私を実の家族としてかわいがってくれた。私は兄上を父親のように愛しておるし、兄上とて同じよ」

「まさか」

 アプスは信じられないかのように目を見開く。

「では、どうして奇行に走られたのです。国王陛下に嫌ってくださいと言わんばかりではありませんか」

「私はな、兄上に殺されたかったのだ」

「は?」

 聞き違いだと思ったのだろう、アプスは暗褐色の髪をかきあげた。丸い大きな耳があらわになる。

「王太后とともには生きられぬ。兄上が王太后に頭が上がらぬかぎり、いつかは死すべき日が来る。ならば、せめて兄上の手にかかりたかったのだ。あの婆さんではなく、兄上に死ねと命じられたかった。兄上のためならば、あきらめもつく」

「そんなバカな!」

 アプスは興奮し、口から泡をとばした。

「死ぬなんて、バカなことを! 他にいくらでも方法があるでしょう! たとえば、ええと……、たとえば……たとえば……、そう! 母君のお国に逃れるとか!」

「どこにあるかもわからぬ、いや、実在すら疑われる土地へか?」

「でなければ、東の小国、あるいは北の大国でも、どこでも。姫なら、どこでも歓迎されるでしょう」

「私をかくまえば、王太后が黙っておるまい。当然のごとく身柄を要求するだろう。悪ければ争いに転じるかも知れぬ誰が好んで火種をまこうか」

「王太后陛下は怖いですからな」

 アプスは大きく身震いした。

「ただのバアさんかと思ってましたが、恐ろしい形相でえらい迫力ですな。あんな風に睨まれるのはもうたくさんです」

 レイカは声を立てて笑った。

「恐るるに足らぬ。そなた、よい勝負をしていたではないか。なかなか見事な論客ぶりであったぞ」

 アプスは両手を振った。

「姫をお慕いするあまりに奇跡が起きたのです。もう一度やれと言われても、二度とできません」

「隣国へ戻ってしまえば、顔をつきあわすこともあるまいて。次に会うのはせいぜい葬儀の席か。ご老体ご自身のな」

 レイカは人の悪い笑みを浮かべたが、アプスは両腕を抱えて再び身震いした。

「王太后陛下は永遠に死なないように見えます。魔物と取り引きすれば不死身になれるっていうじゃありませんか」

「レアードの話か」

 英雄セージュの伝説に出てくるレアードは魔物テロペと契約し、不老不死となった。領地の娘を魔物にささげ、みずからは旅人を誘惑して生き血をすすったという。そうとは知らないセージュはレアードに夢中になり、魔物テロペを脅迫者と誤解して討ってしまう。レアードは悲鳴をあげて塵と散った。

「言い得て妙だな」

 レイカは感心して笑った。

「娘を殺し、息子たちの生気を奪う。なるほど、王太后は今日のレアードとも言えるな」

 俄然、元気づいて、アプスは何度もうなずいた。

「でしょう! でしょう! 私もそう思ったんです!」

 調子のいい未来の伴侶にレイカを苦笑した。

「しかし、不老不死ではあるまいよ。兄上や私より長生きするわけはあるまい」

「任せてください! 姫の身は、私が命をかけてお守りしますから!」

 婚約者は赤いベストの胸をそらせた。

 

 

   

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