〜 リュウイン篇 〜

 

【七 幻の子(三)】

 

 

 湯浴みを済ませ、清潔な衣類に袖を通した。

「まあ、お姫さま、それはお誕生日に国王陛下から賜ったドレスではありませんか。いかがなさいました」

 マムが目を丸くする。

「マム、王太后を存じておるか?」

「そりゃあ、まだ離宮におりましたころは。敷地が小さく、出入りも厳しくありませんでしたからね、当時王太子であられた今の国王陛下のところに足しげく通いあそばされた御姿を、そりゃあ何度も何度もお見かけしましたよ」

「威張りくさったチビな婆さんだったな。息つく暇なく怒鳴り散らして、何故こんな醜悪な婆さんに兄上が頭を下げているのかわからなかった。今でもわからぬ」

「ご存じなくて結構でございますよ。一生、正式にお目通りすることなんてないんでございますから」

 レイカは自嘲的に笑った。

「マムや、私のすぐ上の兄弟のモーヴ殿下は第一五王子だったな?」

「はい」

「今日、私の兄弟たちが勢揃いしていたが、四人しかおらなかった。なぜだ?」

「ご病気で、お小さいころに、みなさま亡くなったのです。ご存じでございましょう?」

 マムは不安げに答えた。

「では、先王の弟たちはどうだ? 誰ひとり生き残っておらぬ」

「それもご病気で……」

「八人いた弟たちがすべてか? 兄上が生まれてから矢継ぎ早にだぞ」

「お姫さま! この世には口にしてよいことと悪いことがあります!」

「おや、おまえらしくもない。神聖な王族を批判するなとでも?」

 レイカはからかうように笑った。マムは眉を八の字にひそめた。

「お命を危うくするような言葉はお慎みくださいませ! 王族や貴族なんかどうなっても構いやしませんが、お姫さまのお命が関わるとなれば話は別です!」

「あの小さな老人の影に、みな怯えるだな」

 レイカは声をたてて笑った。

「じきに兄上が来る。茶の仕度をしておくれ」

「お約束なさったのですか?」

 マムのまなざしが揺れる。

「何も心配することはないのだよ」

「ですが、あんなお話をなさったものですから」

「王太后がなんだ。小さな老人ではないか。王族があの生意気なツラをひとつずつ張り倒してしまえばおとなしくなるさ。実態は小さなものだよ」

 国をふたつに分けて争うことはない。王族がしっかりしていれば、利権をむさぼる貴族どもに利用されずに済むものを。

 膝にのせた由緒ある宝剣を眺める。大粒のサファイヤとルビーがきらめいた。

 ピートリークを再興すると、王太后は言ったな。愚かなことだ。

 遙けき昔、パーヴと隣国リュウインはピートリークというひとつの国だった。

 このたびの戦争も、リュウインがこの剣を手に入れ、ピートリークを再興しようと謀ってのことだった。

 リュウインの王都ロックルールの郊外に、祖が根をおろした場所がある。水清く、夏になればヒースの花で地が埋まるという。そこには酒の蒸留所があり、泥を燃やして香りづけをする。ただの泥ではない。ヒースが堆積してできた芳しい泥だ。これをピートリークと呼ぶ。

 特産の酒によって経済を支えた小国は、富の源の名をとってピートリークと呼ばれた。後に双子の王が国を分かつ時まで。

 ピートリークの名に欲望は似合わない。

 その元となるヒースは、パーヴ北部地域の、野といわず街といわず、どこにでも茂っている。城の中庭も例外ではない。夏になると、赤や紫の小さな花が一面に咲き乱れる。派手さはないが、可憐な美しい花である。リュウインでは白い花が咲くそうだ。緑の葉に花の白が映えて、その美しさはいかばかりだろう。

 だが、その光景を見ることはあるまい。じきに兄が来て、死罪を言いわたすに違いない。王太后への不敬行為を理由に。

 それとも、四人の王子がとつじょ目覚めて王太后に反旗を翻すだろうか? まさか。

「姫。レイカ姫」

 窓を叩く音がした。

 マムが部屋の隅からホウキを持ち出した。

「庭の警備はどうなってるんでしょうね! 固めるように強く申しましたのに!」

「そうだな」

 油断しているならともかく、我が国の衛兵がこんな無能な侵入者をみすみす見逃すだろうか? 相手は隣国のうつけだぞ?

 厭な予感がした。

「マム、退がっておいで」

「でも、お姫さま……」

「言うとおりにおし!」

 レイカは膝の剣を抜いた。壁の燭台の灯が揺れ、刃が赤くきらめいた。恰幅のいい侍女は青ざめ、部屋の隅まで後ずさりした。

「衣装箱の陰に隠れておいで」

 侍女が従うのを確認した後、王女は窓際に寄り、壁に身を潜めながら、剣先で窓を突いた。

 勢いよく開いた窓から、何かが風を切って飛びこんできた。室内の家具や床に矢が数本突き刺さった。

 男の悲鳴が聞こえた。

 隣国のうつけだな。レイカは察した。

 おとりに使われ、ついに命を落としたか。

 壁際から外をうかがうと、やじりが七つ、灌木の中から突き出ていた。

「マム、弓を」

「はい」

 侍女はベッドの下から矢筒と弓を引きだし、勢いよく床を滑らせた。

 王女は弓を拾いあげ、矢をつがえた。灌木の中へ次々と矢が吸いこまれた。

「ムダな抵抗はやめて観念しろ! こちらは多数だぞ!」

 反撃がやみ、居丈高な声が響いた。

「城内で射殺とは穏やかではないな、モーヴ殿下」

 王女は矢を放った。

 モーヴが灌木の間から姿を現した。大きくふくらんだ袖の端を、矢が貫いていた。

「城内で敵国と内通するよりは穏やかなものよ」

 内通ときたか。レイカは苦笑した。

「内通の現場に踏みこまれ、逆上し抵抗したためやむなく誅殺されたと、墓碑には刻んでやる」

「ひとつ訊ねるが、国王陛下からの勅書はあるのか」

「そんなものは必要ない。反逆者め、出てこい。オレが直々に相手になってやろう」

「兄上のご命令でなくば、容赦する必要はないな」

 灌木の中でやじりが三つ、室内から漏れる灯りを受けてきらめいた。

 レイカは弓に矢をつがえた。

「常勝将軍モーヴ殿下、勝つためには自らおとりに立たれるというわけか」

 弓を引き絞り、矢を放つ。

 やじりがひとつ、灌木の茂みに沈んだ。

「それもやむを得まい」

「その細剣で、我がピートリークの宝剣に太刀打ちできるはずはないからな」

 矢を放つ。ふたつめのやじりが消え、かわりに三つめがレイカの首めがけ飛来した。顔をわずかにそむけると、壁に突き立ったのか、矢羽の震える音色が響いた。

「だが、わざわざ宝剣を持ち出すこともあるまい、剣ではなく腕の差だからな。せいぜい部下の弓に守ってもらうがよい」

 三つめのやじりが放たれた場所に射返す。

「きさまごときが、軍神とあおがれるオレをうち負かすだと?」

 モーヴは身をのけぞらせ、肩をいからせて不自然なほどに大きく笑った。目が左右に泳ぎ、灌木の中を探っていた。めあてのものはなかなか見つからないようだった。

「女のクセに生意気な。きさまこそ、まともに対峙できず、日々姑息な手段に訴えているのではないか!」

 モーヴの目が止まった。茂みの一点を凝視し、意味ありげな笑みをたたえる。

「まあ、いい。相手をしてやろう。出てこい」

「光栄なことだ」

 レイカは弓を捨て、窓から身を踊らせかけた。

「ひ、ひめ……」

 うめき声が聞こえた。レイカは眉をひそめた。

「まだ生きていたか。しぶといヤツめ」

「い、痛い……。助けて……」

 顎と肩を地につけ、膝を立てた姿勢で、隣国の王子が這いつくばっていた。天に突きだした尻には深々と矢が刺さっている。

「そのまま果てるのだな。やじりに塗った毒が体に回り、もはや打つ手だてはない」

「やじりにど、ど、毒が! いやだ! 死にたくない! 助けて!」

 泣き叫ぶ王子に、いまひとりの王子が叱咤した。

「やじりに毒など塗るか! ただの脅しだ! いちいち泣くな! 男のクセに!」

「痛い、痛い。姫、助けてください」

「そのような義理はない」

 レイカは窓から飛びだし、涙目の王子の背を踏みつけて地面に着地した。その腰から短剣を引き抜く。

 茂みから矢が一本飛びだした。

 レイカは短剣で矢を払うと、茂みに投げつけ、モーヴの眼前に躍りでた。

「剣がよいか? 素手がよいか?」

 左手でモーヴの右手をひねりあげると、剣が落ちた。

「素手では勝負にならぬようだな。では、剣で参ろうか?」

 レイカは嘲るように口の端を上げた。

「きさま……」

 形相のゆがんだ王子を突き飛ばす。間髪を入れずに落ちた剣の先を踏みつけると、跳ねあがった剣は宙は舞い、狙いたがわず掌中に収まった。

「ばかな……」

 よろめきながらモーヴがつぶやいた。

「魔女め」

 レイカは目をみはり、おかしそうに大笑いした。

「この程度が不思議か。では、終いまでに魔術を数多《あまた》見ることになろうよ」

「黙れ! 成敗してくれる! 二度と呪いを唱えられぬようにしてくれるわ!」

 茂みの中に入り、倒れた部下の剣を拾ってきたのだろう。出てきた時には細剣を構えていた。

「ほう」

 レイカは楽しげに剣士を眺めた。

 スキがなく、ムダのない美しい足の運びだ。

「手を合わせるのは初めてだったな」

「当然だ。誰が王位簒奪を謀る賤しい蛮族風情などと」

 衣が重いな。

 歩を運ぼうとして、レイカは裾に足を取られた。

 兄上から賜った衣装で最期を迎えるつもりだったが、それが仇になったか。豪奢な衣装は闘いには向かぬ。

 片手で裾を引くと、強い抵抗を感じた。

 目を落とすと、灌木から這いでた弓兵が、ドレスの裾を握っていた。

「殿下! お斬りください!」

「おう!」

 モーヴが大きく振りかぶり、躍りかかってきた。

 鋭い突きが胸元に繰りだされる。

 とっさにレイカは小さく身をかがめた。剣は宙を貫き、モーヴが前のめりによろめいた。レイカは立ちあがりざまに相手の右手を突いた。剣が落ちる。間髪を入れずに胸ぐらをつかむ。再び空手になったモーヴは青ざめていた。

「殺すなら、殺せ!」

 モーヴは叫びながら目を泳がせた。視線がレイカの斜め後ろで止まる。

「さあ、ひと思いに! 蛮族に負けたとあっては一生の恥辱よ」

「では、死ぬがよい」

 レイカはモーヴの体を高々と上げ、身を翻した。

 小さな影が飛びだし、モーヴの体にぶちあたった。

「死ね、死んでしまえ」

 子どもだった。年はまだ一二、三といったところか。短剣を両手で握りしめ、剣先だけを見つめていた。勇気をふり絞るかのように呪詛の言葉をつぶやいていた。

 レイカは片眉を跳ねあげた。子どもの髪は金色だった。この国の人々の髪は、少なくともレイカの知る範囲では、栗色から黒に近い褐色まで違いはあるものの、茶褐色だ。金色は北の大国ウルサの色と伝え聞く。見るのは初めてだった。

「愚か者。私だ」

 モーヴがうめいた。子どもは小さく叫んで剣をとり落とした。

「冥府へ降りるのか。叔父上たちのように」

 モーヴが覚悟を決めたかのように目を閉じた。

「気弱なことを」

 レイカはモーヴを地に下ろし、傷の具合を見た。

「傷は浅い。肋骨に当たり、中には達しておらぬ」

 金髪の子どもが我に返り、落とした短剣を拾った。何かに憑かれたかのように、目が血走っていた。

「死ねぇ!」

 突進してくる。

 頭よりも体が、理屈よりも本能が反応した。レイカは持っていた剣で、子どもの眉間を貫いた。

 モーヴが乾いた声で笑った。

「あの方のもくろみが外れたわ。きさまも女なれば、子どもには甘かろうと踏んだのだがな」

「あの方?」

「叔父上たちのように死んでゆくのか」

 モーヴは力なく膝をついた。顔色は真っ青で額に汗の玉が浮かんでいた。それが傷のためなのか恐怖のためなのか、レイカには区別がつかなかった。

 ふと思いついて落ちていた短剣を拾い、部屋からもれる灯にかざしてみる。剣先には血がついていたが、根元には別の何かが塗られているようだった。鼻を近づけ、匂いを嗅いでみる。血に混じって、覚えのある匂いがした。

「マム、手当の用意を」

 叫ぶと、窓から恰幅のいい侍女が顔を出した。

「はい、ただいま」

「ムダだ。あの方の毒には……」

「半日で発熱し、三日も経てば皮膚に醜い斑点が浮かびあがろう。激痛に襲われたまま、一シクルを過ぎるころに呼吸不全で絶命する」

「それはまったく運がいい。遺言を残す暇ぐらい残してくれたというわけか」

 モーヴは自嘲した。

「症状が出てからでは遅いが、今ならまだ間に合う」

 レイカはモーヴに肩を貸し、立ちあがらせた。

「何に間に合うのだ。死出の旅に発つ前に、身内にあいさつでもするか?」

「解毒剤を射つのだ」

「解毒剤だと? あの方の毒に、そんなものがあるわけがない」

「なければ、先王も寵姫も生きられなかったろうよ。とうに成人した息子を一刻も早く王位につけたい母親がおったのだからな」

「バカな。相手は国王陛下だぞ」

「なぜ、そこまで王位を尊べるのだ? 解せぬ。さあ、早く手当てを」

 窓にたどりつくと、ブルネットのおさげの女が待っていた。窓から身を乗りだし、モーヴに手を貸した。

「おまえ、女のクセに力があるな」

「おまえではございません、リリーでございます。おまえと呼んでいいのはお姫さまだけでございます。ついでに申しあげますが、『女のクセに』というのは、とても紳士がおっしゃる言葉には聞こえませんわね」

 まくしたてられ、モーヴは目をつりあげた。

「女のクセに口答えするとは生意気な。主人が主人なら、侍女も侍女だ」

「まあ! お姫さままで侮辱するなんて、ゼッタイ許しませんわ!」

 レイカは苦笑した。

「続きは治療してからだ。死んではケンカにならぬだろう」

「私も治療してください、レイカ姫」

 足下で泣きそうな声がした。窓の下で、隣国の王子が四つん這いになっていた。矢は尻に突きたったままである。

「まだおったのか」

 レイカはその背を踏み台にして窓をくぐった。

「姫ぇー!」

 レイカは寝室の床板を外した。ガラスと布とで封をされた茶色い薬瓶がぎっしりと並んでいた。ざっと数百はあるに違いない。手際よくいくつかの瓶を引きだし。一瓶一瓶灯りにすかす。薬草や液体が浮かびあがった。瓶を揺すり、ふたを開け、色を見、匂いを嗅ぎ、時には指につけ、味を見、中身を確かめた後、客間に運んだ。

 仕度は済んでいた。客間の大きなテーブルには清潔な白い布が敷かれ、患者が手足を四隅に、胴を天板に縛りつけられ、青ざめて横たわっていた。

「じっとしていてくださいましね。動けばおかしなところを切ってしまいますからね」

 リリーがすました顔で言った。

「か、覚悟はで、できておる。男子たるもの、手術のひとつやふたつ……」

「感心なことだ」

 レイカはリリーを見て笑った。傷口を洗い、解毒剤を射つだけだというのに大仰な。ささやかなしっぺ返しというわけか。

「サミーが今、湯を持ってまいります」

 マムが言いながら、レイカに白衣を着せた。

 レイカは手順を説明しなかった。解毒剤を調合しながら、リリーに傷口を洗わせた。彼女は始終何事かささやきかけているようすだった。

 解毒剤を注射すると、脂汗を浮かべた常勝将軍はたちまち気を失った。

「リリー、何を吹きこんだのだ?」

「麻酔だとでも思ったんじゃありませんこと」

『あの女は、解毒剤は人を選ぶ、適合しなければ口から臓腑を吐いて死ぬ、と言ったんだ!』とモーヴの口から語られるのは後の話である。

 

 

   

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