〜 リュウイン篇 〜

 

【七 幻の子(二)】

 

 

 翌夕、またひと騒動を起こして帰ってくると、厩で暗褐色の髪の若者が待ちかまえていた。

「レイカ姫!」

「また、そなたか」

 レイカは衛兵を呼んだ。

「寄るな、触るな、無恥が伝染る」

 王子はたちまち衛兵にとりおさえられ、そのわめき声を背に、レイカは館内に入った。

「王女殿下、国王陛下よりご伝言がございます」

 館内の入口で若い貴族がひざまずいた。

「話なら奥で聞く。ここは騒がしいのでな」

 外のわめきから一刻も早く逃れようと、レイカは足を速めた。

「すぐに済みます」

 貴族が後ろから追いかけてくる。

「私は兄上からの伝言を聞く場所すら選べぬのか?」

「いえ、そのような」

「そなた、あのうつけの声を晩餐会の音楽と同列に扱っているのではあるまいな。だとしたら、あの楽曲は音階の狂ったリュートより悪い」

「それは……」

「あれは調弦すれば直るというシロモノではないぞ。自分の欲のためには国まで売ると申したのだ。あれは国民《くにたみ》のことなど考えたことがないに相違ない。たかがひとりの女を得るために、悪魔に進んで魂を差しだす男よ。己のくだらぬ魂をな!」

 先王と何が違う? たったひとりの頑なな女の心を動かすために、国宝の剣を与え、国の行く末を揺るがした。国政をおろそかにし、国が割れる状況を進んで生みだした。

 為すべきことを為さず、自らの快楽だけをむさぼった!

「畏れながら、王女殿下、この辺りでよろしいでしょうか」

 気づくと、痴れ者の声は聞こえなくなっていた。レイカは怒りに我を忘れた己を恥じた。

「よい。用件は何か」

 若い貴族はひざまずき、挨拶の口上を述べた後、王太后の元へ参内するようにとの旨を伝えた。

 レイカは眉をひそめた。

 王太后は先王の妃で、現王カルヴの生母である。嫉妬深く、萌黄の方が若くして逝去した折りには、王太后が呪い殺したのだろうと噂されたものだ。

 なぜ、憎き寵姫の娘など呼びだすのだろう? 連日の悪行に立腹したものか?

 まっすぐに王太后が待つ青の間に向かった。

「困ります。そのような身なりでは」

 扉に立つ衛兵たちが案の定行く手をさえぎった。

「構うな。退け」

 土埃にまみれた町民の身なりのまま、レイカは青の間に押し入った。

 室内のもっとも奥に王太后の姿を認めて頭を垂れる。

「王太后陛下、ご機嫌うるわしゅう。このような身なりで失礼いたします。お急ぎとうかがったもので」

 王太后は眉をしかめたが、眉間に刻まれた無数の皺に何本か線が加わったところで、今さら目立とうか? 広い額にも深い皺が幾本も刻まれ、口角は下がり、落ちくぼんだ目元の中で茶褐色の眼が異様な光を放っていた。

「申しわけありません、母上。すぐに着替えさせます」

 唯一の実子である国王があわてて詫びた。

「レイカ、無礼を詫びて退がりなさい」

「よい、息子よ」

 王太后がさえぎった。

 御年七五歳、先王より七歳上の妃である。美貌であったという噂はきかない。国内を安定させるため、当時有力貴族の娘であった王太后が輿入れしたと聞く。若いころから放蕩三昧だった花婿のほうは、花嫁が男子を産み落とすと、これで義務を果たしたとばかりに二度とその寝所に足を運ばなかったという。

 さぞかし、かわいげがなかったのだろう、とレイカは想う。

 一分のスキもなく塗り固められた顔、小柄なはずなのに威圧的で大きく見える姿、なにもかも母とは対照的だ。母は大柄な人だったが、いつも泣き暮らし、王の名を耳にするだけで蒼ざめた。激しい憎悪を抱きながらも、ひどく恐れていたのだ。

 かわいげのない点では、自分も同じか。内心苦笑する。

「いかにも蛮族の娘らしい。血は争えぬな。本来なら一生目通りのかなわぬ身分だが、こと、国の行く末に関わる大問題じゃ、多少の無礼には目をつぶろう」

 王太后は息子に向かって言った。

「妾は和平を望んでおる。兵には、槍を鋤《すき》に持ち替え、畑を耕してもらわねばならぬ。生産と交易に力を入れ、国庫を潤さねばならぬ。そのためには隣国と和睦し、軍備を縮小し、商人を保護せねばならぬ。わかるな」

 レイカはモーヴを盗み見た。すぐ上の五つ違いの兄は、頭を垂れながら悔しげに奥歯を噛みしめていた。軍の総責任者は国王だが、精鋭部隊を指揮するモーヴのほうが軍事には積極的だった。兵士達の人望も厚い。軍備縮小は、モーヴの配下を減らすことに他ならなかった。おもしろいはずがない。

 青の間にはカルヴとモーヴを入れて四人の兄たちが立ち並んでいたが、ひどく静まり返り、王太后の太い声はよく響いた。

「息子や、妾はこの国の行く末をまことに案じておる。このたびの戦いは隣国の言いがかりによるものだ。今さら和睦を申し入れてまいったからと言って、我が国が譲歩してやるいわれはない。聞くところによれば、隣国は勝手な申し出をしているというではないか。許してはならぬ」

「御意」

 国王が答えた。

「使節にはこちらの条件を伝え、追い返します」

「息子や、妾はまことに国の行く末を案じておる。よい申し出をした使者を追い返すのはどうかと思うがの」

「と言いますと?」

「我が国の条件をすべて飲むと申した使者がおったと聞いたが」

「はい。しかし、あれは口先ばかりで実行する力など……」

「実行させればよい」

「は?」

「命ずるのだ。さすれば隣国は内乱となろう。使者が勝てば我が国の傀儡として使えようし、劣勢ならば内乱に乗じて攻め入ればよい。どちらにしろ、隣国は我が国のものとなり、ピートリークの再興がなろうぞ」

「しかし、あの使者にそのような気力がありますかどうか……」

「そんなものは要らぬ。状況を膳立てしてやればよいのだ。内乱を起こさざるを得ぬ状況を」

「と申しますと?」

「使者が帰った後で、風聞を流すのだ。使者が国を売ったと。まるっきりウソではあるまい?」

「確かに、我が国が放った密偵を使えば、た易いことですが……」

「そこへ、身近な者にあおり立てさせるのだ。このままでは殺されてしまう。反旗を翻すのだと。後は筋書き通りよ」

「見事な筋書きではありますが……誰に煽動させるのです」

 国王の目が気弱に泳ぐ。

「そこにおるではないか」

 カルヴは目をつぶった。

「息子や、妾はまことにこの国の行く末を案じておる。だからこそ、先王の息子たちをこの場に呼んだのだ。そなたを頭上に戴き、一致団結しなければならぬ。そこの女も先王の娘と称するなら、相応の役目を果たしてもらわねばのう」

 カルヴは目を開いたが、床から視線を上げることができなかった。両のこぶしを握りしめ、声を絞り出したが、か細く震えていた。

「い、命のき、危険が……」

「王子とて戦場に出れば同じことよ。女子だけが免れようというのか? たとえ血の半分が、いや全身に賤しい血が流れていようと、王の血縁を語るなら、国のために働かずしてなんとする!」

 辺りは静まり返った。緊迫した空気の中、身動きする者はなかった。

 やにわに、乾いた拍手の音が響いた。

「ご立派な演説ですな。感涙にむせびそうになりましたぞ」

 レイカは拍手の手を止め、嘲るように口の端をあげた。

「はっきりおっしゃったらいかがか。憎い女の娘など、異国でのたれ死ぬがよいと。私が謀略に荷担するなどと、本気でお思いか? 母とも慕っていた前王妃や兄のような王子たちを寺院に追いやった御身の言うことを」

 迷わずまっすぐに王太后の前へ歩み寄る。

 凍りついた一同をよそに、レイカは手をあげた。

 肉を打つ鋭い音が幾度も響いた。

「国のために献身するのが王族の務めなら、御身自ら実践なさったらいかがか。今すぐ遠方の寺院にこもり、国政に干渉することをやめて、ひっそり余生を過ごされよ。御身の犠牲になった数多《あまた》の人々の霊に許しを乞うがいい」

「こっ、殺される! 誰ぞ! 誰ぞ!」

「頬を張った程度で人が死ぬものか。御身が誰よりもご存じであろう」

 レイカは駆け寄った衛兵を交わして扉を開けた。

「逃げはせぬ。自室で沙汰を待つ」

 身を翻して茫然自失の王族たちを後にした。

 

 

   

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