〜 リュウイン篇 〜

 

【五 龍の翼(一)】

 

 

 ヒルブルークの街に着いたのは、午後も遅くなってからだった。朝から降り続いていた雨がやみ、西の空が明るくなっていた。

 リュートは市場を探していた。世話になる下宿への手土産が欲しかった。

 荷物はわずかな衣類と少々の金だけだった。身の回りの品は、ヒナタの妻の叔母という下宿屋の女主人がすべてそろえてくれるという話だった。

「娘が三人いて、嫁いでからも手伝いに来てるという話だ。少し年は離れているが、いい話し相手になると思うよ。服や家具はお古を回してくれると思う。何も心配はいらないよ」

 ヒナタはそう言って、リュートを送りだした。メントル夫妻が出発した翌日のことだった。

 それから二泊を野宿した。途中の街で宿をとるようにと、必要な金は持たされていたが、身にあまる贅沢のような気がしたのだ。

 浮いた金は下宿屋の手土産にあてるつもりだった。何か、ご婦人の気に入りそうなものはないか? ようやく市場を見つけるが、すでにほとんどが店じまいしていた。この時間なら、ムリもない。探し回り、宝石屋を見つけた。美しい原石の塊や、指輪やイヤリングが店頭に並んでいた。赤や青や色とりどりの石は、婦人たちを喜ばせるには絶好に思えた。

「彼女に贈り物ですか? 少々お時間をいただければ、どれでもすぐに加工いたしますよ。この髪留めなんかどうですかね? 青いのは金髪に、こっちの赤いのは赤毛や栗色によく映えますよ。白いのも清潔感があって、年若い女性は特に好まれますね。お兄さんの彼女はお幾つですか? 年上のぐっと艶っぽい彼女なら、こっちの紫のはどうですかね? 今宵の彼女は、きっと一晩中寝かしてくれませんぜ。兄さんはなかなかの色男ですから、お値段のほうも特別に負けさせていただきますよ。この髪留めなら三〇〇、いや、二〇〇、ええい、こっちのブローチもつけて一五〇でどうだ!」

 ここで初めて商人はリュートの顔を見た。

 あ、と声をあげた。

「こないだの勇敢な娘さんじゃありませんか! 髪を包んでたから、わかりませんでしたよ!」

 いつかのおせっかいな黒いマントの男だった。

 リュートは長旅で人がよくやるように、頭を布でくるんでいた。土埃で髪が汚れるのと、体温を失うのとを防ぐためである。

 マントの男はリュートの後ろに目をやった。三人組の兵士くずれが通りすぎていった。

「この街も物騒なものだな。ああいう輩を、もうだいぶ見た」

「最近、どこの街でも多いんですよ。娘さん、護身用にいかがです?」

 テーブルの下から大小さまざまな剣を出す。柄に王家の紋章の入った細剣も一つや二つではない。

「これは……」

「金に困って持ちこむ兵隊さんも多いんですよ。珍しいことじゃありません」

「しかし、充分な給料をもらっているはずだろうに……」

「あれ、ご存じないんで? 二年前から、支払いは止められてんですよ」

「では、さぞかし兵士たちが困っておろう。家族もあろうに」

「だから剣を売ってんじゃありませんか。堅気の商売に鞍替えする人もいますけどね、元々肉体派が多いですから、安直に暴力に訴えるヤツらも少なくないってわけでして。治安は悪くなる一方ですな、どこの街も」

「給料となるはずの金はどこへ消えたのだ? 民の税金で賄われているはずだが?」

「さぁねぇ。世間の噂では、王妃さまのご衣装代に消えてるとか、赤いチョッキの粋な殿さまの懐に飛びこんでるとか。どちらにしろ、王妃さまが変わってから、この国もすっかり変わっちまったねぇ。昔はよかった。いや、昔に戻ったというべきかな。隣国と戦争してた頃は、脱走兵が街を荒らしまわっていたというからねぇ。この十数年、やっと平和になって暮らしやすくなってきたってのに、あのキザなエロジジイときたら!」

 商人はいまいましそうに舌打ちした。

「へん! 王さま気取りだ。娘も娘だ、なんだい、あのなりは! 服が丸ごと宝石屋の店先じゃないか! あんな頭が悪そうな女に、我らが国王陛下がたらしこまれてるかと思うと……。おかわいそうに、先の王妃さまも、あいつらに殺されちまったんだ。せっかく隣国との和平の印に、敵国に単身嫁いでらっしゃったのに。さぞかし、心細かったろうなあ。せめて、跡継ぎでも遺していらっしゃったら! 国王陛下も御子ができない体におなりになって、そうすると、今の王妃の娘二人のうち、どちらかが跡を継がれるのかなぁ。ああ、ちくしょう! あの宰相の野郎の孫が王家を継ぐなんて! 先の王妃さまの御子がたった一人でも生きてらしたらなぁ! くそっ! みんなあいつらに殺されたに違いないぜ!」

「カメオはないか?」

 リュートはさりげなく商人の興奮を遮った。

「えっ? あ、……ああ、カメオ、カメオね。カメオと。そりゃまたお目が高い!」

 商人は我に返り、あわててテーブルの下から品物を引きだした。

「貴族のご婦人が暮らしに困って持ってきたいい品があるんですよ。ほら、どうです! 娘さんによくお似合いですよ」

「世話になるご婦人に手土産にするのだ。品があって、落ちついたものはないか」

「へえ! 世話になるってことは、しばらくこの街に滞在なさるんで?」

「そうだ」

「それは少々面倒になりませんかね。いえね、ちょいと小耳に挟んだんですが、ゴロツキどもが、黒髪の小娘を探してるらしいんですよ。なんでも、立派な馬にまたがってるとかで……」

 疑惑の目を返され、商人はあわてて両手を振った。

「ウソじゃありませんよ! それも、こないだのゴロツキが根に持ってる程度の話じゃないようで。なんでも、国から賞金がかけられてるとか。娘さん、あんた、何をやらかしたんです?」

 商人はからかうように笑った。

「他人の空似だろう」

 リュートはさらりと流したが、内心では激しく動揺していた。

 目立ちすぎたのだ! あの男にまで、話が伝わってしまったのだ。

「たとえ人違いでも、ヤバいですよ。なにせ、生死を問わず、人違いでも罪を問わずってお触れでね。いや、こんな商売してますとね、お偉いお方から、いち早く情報が入りましてね。明日か明後日辺りには立て札が出ますよ」

 早い!

 あの男は、国中の街に耳を持っているのではないか? 変事をあまさず聞き取れる耳を。

「娘さん、あたしはね、あんたを実は気に入ってるんですよ。腕っぷしは強いし、気っ風もいい。女王さまみたいな威厳もある。どこの名家のお嬢さんだか知らないが、こんな娘さんのピンチを、あたしゃ放っとけないね! そこでひと肌脱ごうじゃありませんか。捕まらずに済む方法を教えてあげますよ」

 リュートはうさんくさそうに商人を見た。

「いやいや、真心から言ってるんですよ。まず、これで髪を染めなさい。この染料を使えば、その墨を流したような黒髪も、あっという間に栗色だ」

 店のすみから缶を出す。

「商売上手だな」

「いやいや、お困りの娘さんからお代はいただきませんよ。その代わり……といっちゃなんですが、あの馬はどうしました? 葦毛の立派な馬は?」

「馬で払えと?」

「とんでもない! ちょいとお預かりするだけですよ。ゴロツキどもが探しているのは、立派な馬にまたがった黒髪の小娘ですからね。あんな立派な馬連れてちゃ危険きわまりないですよ。ほとぼりがさめるまで、まあ、一、二年ってとこですかね、あたしがお預かりして、きちんとお返ししますよ」

「どうだか」

 リュートは気がないように、店を離れようとした。

「あ、娘さん!」

「最初から馬が目当てだったのだな。これで合点がいった」

「ちょっとお待ちなさい!」

 身を乗りだして商人が腕を伸ばした。リュートはその手を逃れたが、バランスを崩した商人は勢いあまって店のテーブルを飛び越え、地面を一回転した。

「お待ちなさい! あたしが言ったことは本当ですよ! 馬が目当てなのも本当ですけどね」

 きれいに立ちあがり、リュートの前をふさぐ。

「そなた、腕はたつようだな」

「そりゃあ、こういう商売してますんでね、多少は身のこなしも軽やかになろうってもんです。それより、あたしは本気で心配してんですよ。馬のことは後から相談するとして、早くここを出てお行きなさい。髪もしっかり染めてね。こないだみたいに目立つことしちゃいけませんよ」

「気味が悪いほど親切だな」

「娘さんこそ、気味が悪いほどまっすぐで、世間知らずで、おまけに麗しくてめっぽう腕が立つときてる。唄にある黒龍の姫ってのは、娘さんのことじゃないですかね。いえね、天から降りて天に帰ったっていうお姫さまのことですがね」

 だったら、どんなにいいか。少なくとも、帰るところはあるのだから。

 商人にむりやり髪初めの染料を押しつけられ、リュートは愛馬にも乗らずにとぼとぼとと歩いた。

 この街は危険だという。留まれば、下宿屋や、ひいてはヒナタたちにも害が及ぶかも知れない。

 だが、このまま引き返して、なんと言いわけするのか?

 たとえ、今すぐ引き返すことができたとしても、これからどうなるのか。賞金をかけられてからは、この国に安住の地などあろうか?

「そこのぼうず」

 広場にさしかかると、中央でたむろしていた男たちに声をかけられた。

「いい馬じゃねぇか。こっちへ来て見せてみろ」

 どん欲な目つきが向けられていた。すでに三人が近づいてきつつあり、それを面白そうに十数人の仲間たちが眺めていた。

「今日、いちばんの拾いもんじゃねぇか。誰がとる?」

「これも賭けで決めようぜ!」

「そうそう。国王陛下ご公認だもんな。男でも女でも、人違いでしたと言や済む」

 これで、商人の忠告の真偽が確かめられたというわけだ。

 リュートは長剣を抜いた。母の形見ではなく、使い慣れた自分の剣のほうだった。

「おっ。けなげにも刃向かう気だぜ」

「ぼうず、恨むんなら国王陛下を恨めよ。いい馬を連れたヤツは殺していいってご命令なんだからな」

 下品な笑いがあがる。

 が、それも半ばで途切れた。瞬く間に、近づいた三人は事切れていた。

「何しやがる、このクソぼうず!」

「やっちまえ!」

 汚らわしいクズどもめ。こんな賊どもを、大手を振ってのさばらせているのは誰だ?

 ゆるりと怒っている暇はなかった。次々に敵が襲いかかってきたからである。物心ついて以来、自分と母の命を狙う者に遠慮はなかった。迷う間もなく、反射的に斬りさばいた。惜しむらくは、一人を逃したことだった。加勢を呼んでくるかも知れない。面倒なことになった。

 日の暮れた空に、笛の音が甲高く響いた。リュートはあわてて葦毛に飛び乗った。初めから賊など相手にせず、馬で逃げればよかったのだ。囲むよりも、愛馬の脚は疾いのだから。

 どうかしている。情にかられて判断を誤った。

 街の城門が見えた。案の定閉まっている。夜には閉じるものなのか、それともリュートのために閉じたものなのか。少なくとも、警備はものものしいように思えた。入る時は、街の若者が、さも寄り合いの当番で形だけ立っているような気楽さだったが、今は兵士くずれが門を固めている。

 一人で突破するのはムリだ。馬を引くと、夕闇の中でフードをかぶった騎手に声をかけられた。

「娘さん、こっちですよ、早く」

 フードをわずかに上げる。鋭い目の光。さきほどの商人だった。

「笛の音がしましたんでね、もしやと思ったんですよ。城門はダメですよ。これから国のお偉いさんが来るとかで。でも、その分、他のとこが手薄になります。さあ、いらっしゃい」

 手際がよすぎる。ワナではないか? 乗馬が二の足を踏んだ。

「何してんですか。あたしだって、この機会を逃すわけにはいかないんです。置いていきますよ?」

 商人は自らの黒馬にひと蹴り入れた。リュートも迷いながらついていく。

「そなたも逃げるのか? 店はどうする?」

「しばらくいるつもりだったんですけどね。今夜着くお偉いさんが、まあ、ちょいといわくつきで。前からわかってりゃ、さっさとトンズラしたんですが、たった今、名前を知ったもんで。店はもうしょうがないです。命あっての物種だ。でもね」

 ポケットから宝石を出してみせた。

「こういうものは便利ですよ。いざという時、かさばらずに持ち出せる。次の元手ぐらいにはなるでしょう」

「そなたはなぜ追われるのだ?」

『こういう商売をやってるとね……』という返答を予期したが、期待は裏切られた。

「世の中には道理の通らないことがあるもんです。きっちりカタをつけとく時にし損じると、一生逃げなきゃならなくなる」

 フードが風にはためき、商人の顔がチラリと見えた。いつになく厳しい表情だった。

「ほら、あそこに城壁の崩れたところがあるでしょう。こないだ、バカな馬車が突っこんだんですよ。ゴロツキどもに追われて大破しましてね、追われたほうはかわいそうなことですが、われわれには幸運なことで。ゴロツキどもも、自分のやらかした悪事のせいでせっかくの賞金を逃しちまうんだから、自業自得ってもんでしょう」

 壊れた城壁を商人が先に飛び越えた。リュートは慎重に周囲をうかがったが、飛びだしてくる武器も、人影もなかった。神経を張りつめ、一分のスキもなく、壁を飛び越えた。どこにも人の気配はなかった。

「娘さん、あんた、何者なんですかい?」

 ヒルブルークの街が遠ざかると商人は訊ねた。

「ただの金持ちの道楽娘かと思ったら、ずいぶんと守りが決まってるじゃありませんか。剣も強けりゃ、馬の扱いも上等だ。壁を乗り越える身のこなしときたら、どうです? 障害物競走にだって、あんなにムダのない動きをする選手はいませんぜ。ありゃ、二段、三段の攻撃にだって耐えられる動きだ。娘さん、あんた、かなり逃げるのに……というより狩られるのに馴れてるんじゃありませんか?」

 リュートは眉ひとつ動かさなかった。

「そなたこそ、身元を訊ねられては困ろう。馬の操り方から察するに、貴族の出と思うが」

 商人はあっけにとられ、やがて声をあげて笑った。

「おっしゃる通りで! 娘さん、あんたは世間を知らなさすぎると思えば、妙なことはよく知ってる。よろしい、お互いよけいな詮索はやめましょう。あたしはこのまま東に行きますよ。昔馴染みのいないところで、また静かにやります。あんたは?」

「借りができたな。いつか返せればいいが」

「だったら、その馬をくださいよ。今すぐにとは言いませんから」

 葦毛が歯をむき出して、商人にうなった。

「わわっ。じゃあ、貸してくれるだけでも……」

 葦毛は商人の馬を乱暴に尻で押しのけた。

「せめて、仔どもぐらい……」

 離れた場所から、未練がましそうに商人はつぶやいた。

「ここで別れよう。そなたの幸運を祈る」

 リュートは馬首を北に向けた。

「えっ。まだ話がついちゃいませんよ! あたしの馬!」

 商人はあわてたが、もう葦毛の駿馬は駆け出していた。

「ちゃんと、髪を直しとくんですよー!」

 商人の声が薄闇に響いた。葦毛の馬はたちまち闇に溶けた。

 

 

   

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