〜 リュウイン篇 〜

 

【四 狭き巣(二)】

 

 

 食堂に入ると、まず目に飛びこんできたのが、巨大な円卓である。床には臙脂色の絨毯が敷かれ、暖炉の上には数多の盾が並べられていた。壁には、左右に二枚ずつ絵が掛けられ、その下には子どもの落書きの痕がうっすらと、しかし無数に浮かんでいた。

 絵は、肖像画が二枚、風景画が二枚で、後者はこの村を描いたものだろう、見覚えのある風景が水彩で描かれていた。肖像画のほうは男が一枚、家族が一枚、それぞれまったく異なるタッチで描かれている。

 男の肖像画は、一目で材木屋の二代目、シズカとヒナタの父の男盛りの頃を描いたものとわかる。眉根を寄せ、意固地そうにこちらを睨みつけている。高い頬骨と浅黒い肌がたくましさを語り、組まれた腕や袖からのぞく指が荒々しさを見せつけていた。彼は骨の髄まで山の男だった。

 家族の肖像は、おそらく、何かの模写だろう。それぞれの顔には目鼻立ちを示す線が粗末に入り、モデルとは似ても似つかないものに仕上がっていた。が、何を描こうとしたのかは、その豪奢な衣装、小道具、わずかに残る雰囲気から一目瞭然である。

 やや右寄りに配置されたソファの右端には、明るい栗色の巻き毛の男が、貂の毛皮で縁取られた暗いレンガ色のマントを大きく広げ、大きな大理石の玉のついた王杖をこれ見よがしに突きだしている。その左には、巨大な金髪を頭上に抱えた女が、さらに巨大にふくらんだドレスを着てすわっていた。リボンや宝玉が、一分の隙もないほどに、ドレスや髪を覆い、埋め尽くしている。女は扇を持っているが、顔を隠すためではない。指にきらめく大粒の宝玉を見せびらかすためである。さらに左に、女をそっくり小さくしたような子どもがすわり、足下には明るい栗色の髪の幼女が拗ねたように座りこんでいる。

 ソファの後ろには、赤い革のベストを来た男が、顎を突きだし、口ひげをひねり、こちらを見下ろすように立っている。左頬には、くっきりと、刀傷が描かれていた。

「さっそく飾ってくれたのね」

 リステルはうれしそうにヒナタをふり返った。ヒナタのほうは苦笑を浮かべている。

「なあ、リュート、この絵をどう思う?」

「三代目どのは、気に入られぬとみえる」

「オレのことじゃあない。リュートはどうなんだ?」

「世辞は言えぬ」

 トレゾが笑った。

「私たちの機嫌を気にしているのかい? なに、子どもがちょっとけなしたぐらいで腹を立てる私たちではないよ。誓って、君をぶったりしないから」

 ヒナタはうなずいた。

「リュートがけなしたぐらいで、オレたちの仲にヒビが入ることはないさ。いいから、いつもの審美眼を披露しておやり」

 リュートは数瞬ほど目を伏せていたが、やがて目を上げ、家族の肖像画を睨んだ。

「稚拙な絵だ。絵師の魂がどこにも見あたらぬ。心よりも金銭を、質よりも量を重んじた孫模写だ。原画とは似ても似つかぬものよ。顔にいたっては、幾度となく模写を繰り返されるうち、誰かが労を惜しんだか、あるいは悪意をこめたか、目鼻が粗末な線描きになっておる。これでは肖像画とは言えまいよ。唯一の救いは構図だ。これだけは原画のままなのだろう、この絵の真の主役が誰なのか、雄弁に語っておる」

「肖像画とは言えないと言いますけどね!」

 リステルが憤然と抗議した。

「あなた、モデルを見たことがあって? 知りもしないで、よくもそんなことを……」

「では、子どもの絵描き唄のような、この線画から、どのような顔立ちが目に浮かぶか教えていただきたい。これでは、秋に畑に立つ案山子と変わらぬではないか」

 ヒナタとトレゾが吹きだした。

「じゃあ、どの案山子が主役なんだい? 私には、構図こそ、まるっきり狂ってるように見えるがなあ。主役が右端に追いやられてるじゃないか。きっと、これは大きな絵の一部を、下手な絵師がデタラメに切り取って描き写したに違いないよ」

 トレゾの言葉にリュートは首を振る。

「いや、主役はその傀儡人形ではない。画面中央の気取った伊達男だ。その証拠に、画面の人物や置物はすべて彼を意識した配置になっておる。傀儡人形の杖は彼に向かって掲げられておるし、床の女児の人形の顔は、やはり彼に向けられている。なにより、室内のすべての影は、彼の顔を光源として描かれている。また、彼のベストの赤より鮮やかな色は、この絵では使われていない。……まだ他に例が要るか?」

「傀儡とはねえ」

 トレゾは頭を掻いた。

「場所が場所だったら不敬罪ものだぞ。この方をどなたと思ってるんだ?」

 戸惑いながらも、怒っているわけではなさそうだった。リュートは悪びれずに答えた。

「国王だ」

 トレゾとリステルが言葉を失う。

「王杖を持っておる。左は王妃と王女たち、後ろは王妃の実父、宰相だ。心配には及ばぬ。王党派の前では、このような物言いはせぬ」

「どうだい。この子は利口だろう」

 ヒナタの声は得意げだった。

「絵の技術はもちろん、暗示や背景や国の事情にいたるまで精通しているんだからな」

「どうせ君の教育がよろしいからだろう」

 トレゾがからかうような目で笑う。

「いや、自分で仕入れてくるのさ。この子は毎日ラノックの街まで遣いに行くんだよ。ここから並の馬で六〜八ニクルはかかるところを、二ニクルで駆けてくる。この馬もなかなかの名馬でね」

「ははあ。君が買い与えたんだな」

「いいや」

「じゃあ、ユキか? だが、あれが馬なんかに金をかけるとは思えないな」

 その時、使用人が酒瓶とグラスを持って入ってきた。ほっとしたように、リステルが円卓に向かう。

「さぁさ、自慢話はそれくらいにして、食事にしましょう。田舎料理は大嫌いだけど、飢えるよりはいいわ」

 言葉とは裏腹に、都人はよく食べ、よく飲んだ。

「君の大好きな王妃さまも、そんなによく食べるのかね?」

 途中、ヒナタはからかった。

「食べますとも!」

 リステルは自信たっぷりに笑った。

「王妃さまも王さまも、丸いのがお好きなのよ。その証拠に、ご覧なさい」

 国王一家の肖像をグラスで指し示す。

「王さまは大きな玉のついた杖を握ってらっしゃるし、王妃さまはお髪もお袖もお裾も、みんなまん丸でいらっしゃるわ。これがきっとご健康の秘訣ね」

「確かに病気じゃ困るな。前の王妃さまときたら、隣国から嫁がれたはいいが、病弱で何度も死産なされ、挙げ句にご自分も世を去られて、まんまと妾に王妃の座を奪われてしまったじゃないか」

 トレゾが笑いながら酒を飲み干した。

「あら、ご生前でも、王さまは今の王妃さまをいたくご寵愛なさって、どこに行かれるのもご一緒だったそうよ。もともとお仲がよろしいのよ」

「それは、君、前の王妃さまのご身分のせいだろうよ。隣国の王女とはいえ、母親は賤しい身分の蛮族だそうじゃないか。さぞかし、やんごとなきご婚姻は身に余ったんだろうよ。われわれの国王だっておかわいそうだよ。そんな賤しい出の女を、政略のためとはいえ、娶らなければならなかったのだからね。しかも、年上の行き遅れだったって話じゃないか。若く美しい妾を持ちたくもなるよ」

 ヒナタが大きく咳払いをした。

「君たち貴族は、何かにつけ、身分身分というが、それがそんなに大したものかね!」

 トレゾが人の悪い笑みを浮かべた。

「始まったぞ、お得意の万人平等論が。いや、君は別だよ。身分がどうでも、私の大事な友人に違いない。しかし、一国の王や王妃となれば話は別だ。しかも、前の王妃は、ただの庶出じゃない。蛮族だぜ? 蛮族にこの国を治めさせていいのかい?」

「それがどうした! 年上の女だって? 艶気があって、けっこうじゃないか! 庶出なら、庶民の気持ちがわかってけっこう。病弱なら、病人や老人にやさしいお方かも知れん。大事なのは、どう治めるかで、血筋や体質でとやかく言われる筋合いはないだろう!」

「熱くなるなって」

 トレゾは自らのグラスに酒をつぎ、リュートに目を留めて笑った。

「ふむ。ここにも異国の血をひく女性が一人いるな。どうだね、リュート。女王さまや王妃さまになりたいかい?」

「トレゾ! 酔ってるぞ」

「酔ってるものか。ねえ、リュート、憧れるだろう? 女王さまや王妃さまだぜ! 毎日、旨いものを食べて、きれいなおべべを着て、みんなにちやほやされて、偉くなれるんだぜ!」

 無表情だったリュートの目がやにわに細くなり、冷ややかな光を帯びた。

「偉いものか」

 小さいが、怒りを帯びた声だった。一瞬で場の空気が冷えた。

「王の務めは民を治めることであろう。人に敬われることではない。ましてや、己一人の保身をはかった王など……」

 言葉が途切れ、リュートは口をつぐんだ。

「リュート、口から血が出ているぞ」

 きつく引き結んだ唇から、血が一筋垂れていた。唇を噛んだのだ。

「いや、ソースか。行儀が悪いぞ。喋るのに夢中になってないで、きちんと拭きとりなさい」

 ヒナタの厳しい口調で、リュートは我に返った。震える手でナプキンをとり、口元をぬぐった。血の匂いが鼻をつく。その陰でそっと息を吐き、呼吸を整える。

「その点、三代目どのは、敬われるべきお人柄だ。道理を通し、職人の腕を重んじ、友人だろうと使用人だろうと分け隔てなく名で呼ぶ。偉いというのは三代目どののようなお人のことだろう」

 震える手をテーブルの陰で握りしめ、無表情で話をついだ。

 ヒナタは笑った。

「お世辞は言えないと言ったクセに。落としどころがうまいぞ」

 メントル夫妻は合わせて笑ったが、曖昧でぎこちなかった。

「気にしないでくれ。この子は普段無口な分、言うことが重く聞こえてしまうんだ。本人はただの軽口のつもりだったんだから。なあ、リュート」

 ヒナタの助け舟に、リュートは迷わずうなずいた。

「すまぬ。笑わせるつもりだったのだが。まだ冗談の一つも操れぬようだ」

 ようやく、メントル夫妻は落ち着きを取り戻しはじめた。

「ほんとうに、王さまが嫌いなのかと思ったわ」

 ヒナタが間髪を入れずに笑いとばす。

「そんなわけないじゃないか。こんな片田舎で、やんごとなき国王陛下を拝顔する機会さえありゃしないのに」

「確かにその通りだ。理由がない。危うくいわくがあるのかと信じるところだったよ。君のお気に入りも、とんだ欠点があったもんだな」

「まったくだ。ところで、食後はどうする? 腹ごなしに散歩でもするかい?」

 さりげなく、話題を転じる。

「そうだな。狩りでもしようか。王妃さまが変わってからというもの、われわれの間では狩りが大流行でね。私も子爵さまのお供を言いつかることが多くなったのさ。日々訓練に励まないとね」

「ほう、狩りかい。この辺では、そうだな、狐か狸か……。たまに猪も出るかな」

「猪か! そりゃあいい!」

 トレゾが身を乗りだした。

 リステルが気乗りしないように手を振った。

「私は狐のほうがいいわ。毛皮を飾れますもの」

「食べがいがあるのは、猪のほうだよ。第一、自慢になる」

「まあ、では、せいぜい楽しんでらっしゃればいいわ。私は王妃さまのように、景色のきれいなところでお茶にしてますから」

「オレたちは腹ごなしに行くんだぜ? また食べるのかい?」

 ヒナタが呆れたように笑う。

「まあ! では、女性に馬に乗れとでも言うの? そんな野蛮なこと、できないわ!」

「はいはい」

 ヒナタは肩をすくめた。

「男は狩りに、女はピクニックに出かけましたとさ。宮中じゃ、狩りが流行ってるんじゃなかったのかい?」

「流行ってるわよ。王妃さまがピクニックに出かけるために、狩りが流行ってるんじゃないの」

 ヒナタは怪訝そうに首を振った。

「どういう意味? まるっきりつながらないよ」

「だから、王妃さまが外にお出かけになるから、狩りが流行るのよ」

「でも、王妃さまは狩りをなさらないんだろう? わからないよ」

 トレゾが笑いながら間に入った。

「王さまや王妃さまは普段は王宮にいらっしゃるのさ。王妃さまがピクニックに行くには、郊外に出なきゃならない。そこで連れだって森へ出かけるわけだが、そうなれば男性諸君の血が騒ぎ、狩りと相成るわけさ」

 ヒナタはようやく合点がいったようにうなずいた。

「なるほど。都から郊外に出る、という点では同じか。オレたちから見たら、まるっきり別々だけどな」

「自然が当たり前の君にとってはね。しかし、都の人間には、自然は行楽地なのさ」

「程度によりますけどね」

 リステルが皮肉っぽく唇の端を上げた。

「たまに遊びに行くのはいいけど、住むのは、もう、まっぴらよ!」

 一同は笑った。

 

 

 食後、猟師を連れて西へ向かった。ミヤシロ家のさらに西の伐採場へ、である。

「猪は危ねぇ。狐辺りにしときなせぇ」

 最初、猟師は首を縦に振らなかった。

「心配いらないよ。おまえは犬をけしかけて、獲物を私の前に追いたててくれればいい。猪の一頭や二頭、わけなく倒してみせるさ」

 トレゾは自信ありげに笑った。

「冗談じゃなかったのか? 猪は案外しぶといぞ。人手だって少ないんだし」

 ヒナタは心配そうにトレゾを眺めた。伐採場に猪が出没しないよう、年に数度猟師を頼んで山狩りをする。ヒナタは何度か同行したことがあるのだ。

「任せてくれたまえ! 自慢じゃないが、これまで子爵さまの御前で失敗したことは一度もない!」

 高らかに笑うトレゾの陰で、リュートはヒナタの袖をそっと引いた。

「猪は控えたほうがよい。彼が討ったのは瀕死の瓜ん坊よ」

「リステルがそう言ったのか?」

「いや。貴族の狩りとはそういうものよ」

 ヒナタは疑わなかった。猟師にこっそり命じた。

「狐か兎か、無難なのを追いたててくれ。猪が見つからないとでも言ってな」

 猟師は即承諾した。たかが客の酔狂のために、命をつなぐ愛犬たちを傷つけたくはなかったのだ。

 猟師は弓を携えてロバに引かせた荷馬車に乗り、ヒナタとトレゾは馬にまたがった。

「こりゃ、農耕馬じゃないか。もうちょっと見栄えのいいのはいなかったのかい?」

 材木屋の持ち馬に乗る時、トレゾは不満を漏らした。

「山に入るには、足が太くて力がある、この馬がいいんだ。君の馬車馬など、たちまち疲れて、山道で立ち往生してしまうよ」

 リステルは一頭立ての小さな軽馬車に乗った。材木屋の家族が普段使うもので、頭上に小さな幌がついていた。二人乗りで、リステルの左にはリュートが、御者台には馬丁の一人娘テツがすわった。テツは年の頃二〇を過ぎたばかり、ころころをよく笑う陽気な娘で、馬車を操るばかりか、直に馬に跨ることもできた。馬丁の意に反して親の仕事を継ぎたがり、馬に夢中なあまり、縁談は一つもまとまらなかった。

「あんたがあたしの車に乗るなんて初めてだね」

 リステルにバカ丁寧な挨拶をしたあと、テツはリュートのわき腹を肘でこづいた。

「見ててごらん。あたしの腕前にびっくりするから」

 明言した通り、伐採場までの悪路を、小さな馬車は軽やかに駆けた。石や水たまりを器用に避け、坂の上り下りでは馬の脚を機敏に操った。車の特性をよく飲みこんでいるに違いない。リュートは感心したが、リステルはそうではなかったようだ。

「お尻が痛いわ! もっと丁寧にやって!」

「これ以上遅れると、殿方から離れすぎるよ、奥さま」

 馬車の騒音に負けぬ大声で、テツは言い返した。

「いいわよ! どうせ場所はわかってるんでしょ!」

「離れすぎると危険だよ! その辺から猪や狼が襲ってくるかも知れないからね!」

 リステルは真っ青になった。

「早く! 早くやってちょうだい!」

 テツは笑いながら馬脚を速めた。この道は材木の運搬のため、人の往来が激しい。獣は嫌い、めったに姿を見せない。

 人が悪い、とリュートは思ったが、腹は立たない。陽気な御者は愉快そうに道を急ぎ、たちまち目的地にたどりついた。

「やあ。ようやくご婦人方のご到着かい」

 切り株で休んでいたトレゾとヒナタが笑いかけた。

「猟師はもう獲物を探しに行ったよ。われわれはもう少し奥へ行くから、君たちはここでゆっくりしていたまえ」

「ここで?」

 リステルは辺りを見回した。切り株と、長く生い茂った青い草ばかりが広がっている。

「なんだか虫が出そうで厭だわ。それに、テーブルや椅子はどこにあるの?」

「これがテーブルや椅子さ」

 切り株を叩く。

「冗談じゃないわ。お茶はね、手入れの行き届いた芝生の上でと決まってるじゃないの。ああ、厭だ。これだから田舎は……」

「代わりに大物を仕留めてくるよ」

 トレゾとヒナタは馬に乗った。

「いい子で待っていたまえ」

 腹を一蹴りすると、ご機嫌で走り去る。反して、残されたリステルはまったく不機嫌である。

「気のきかない人たちだこと! それより、ここは安全なんでしょうね?」

「普段はね」

 テツは陽気に答えた。

「この少し先に材木置き場があるよ。そっちのほうが安全かな。でも、木こりたちが大勢働いてるから、奥さまは気に入らないかもね。なんせ、山の男は荒っぽいから」

「当然よ! 汗くさい荒くれ者と一緒になんていられますか!」

 リステルは軽馬車から降りなかった。リュートのほうは音もなく座席から滑り降り、馬車の後部から荷物をほどいて、茶の仕度を始めた。鎌で手早く一帯の草を刈り、湯を沸かす。携帯燃料はよく燃えた。普段の煮炊きや風呂焚きとは比べものにならない。切り株の上にマットを敷き、茶器や茶菓子を並べる。

「あんな高飛車の言うことなんか、おとなしく聞いてることないんだよ」

 テツは馬をつないでリュートのそばの切り株に腰かけた。軽馬車は馬から離され、前方に傾いでいる。そんな中で座席に座っているのは苦痛だろうに、リステルは降りてこなかった。

「都会かぶれの気取った貴族なんか、適当にあしらっときゃいいんだ。どうせあたしらを犬や猫ほどにも思ってやしないんだから。どうして、あんな嫌味なヤツらが若旦那の友だちなんだかね!」

 リュートはかすかに微笑んだ。

「人は見かけによらぬ」

「なに? そんなお人好しじゃ、利用されちまうよ!」

「客人たちは言動が一貫しておらぬ。腹に一物あるようだ」

「どういうことさ?」

「田舎暮らしに飽いた者が好き好んでこんな場所に出向くだろうか? 田舎の狩り場の程度など、とうに心得ておるだろうに。田舎は真っ平といいながら、その田舎になぜ一シクルも滞在する? 裏があるように思われる」

「別に不思議じゃないさ。金持ちの気まぐれってヤツだよ。あいつら忘れっぽいのさ」

「馬頭の娘どの、そなた、茶の淹れ方を心得ておるか?」

「知ってるに決まってんだろ! 薬草を切って、水にぶっこんで、静かに一、二ニクルも煮立てりゃ終わりじゃないか」

「それは薬草茶だ。私の言っておるのは薬ではなく嗜好品よ。田舎で慎ましく暮らしておる者が、この淹れ方を知るはずはない。だが、これを私に淹れよと命じられる。客人は何かを試しているのではないか……」

 不意にリュートは口をつぐんだ。

 身元を……正体を探られている? あれから二年も経つというのに? 母も自分も、とうに弔われているではないか。今さら……。それでも、あの男は追ってくるのか? 自分が生きている限り?

 地位も財産もすべて手に入れたではないか! 我が世の春を謳歌しながらも、まだ血を欲するのか? 母の命だけではまだ足りぬ、我が命、ささやかな生き場所すら差し出せというのか?

 湯が沸き、茶を淹れた。

 リステルはこわごわとカップを受け取った。水色をのぞきこみ、おそるおそる口をつける。

「あら、美味しい」

 ホッとしたように眉間が開く。

「でも、塩気がないわ。色も濃すぎ。こんなの、お茶とは呼べないわね」

「塩?」

 リュートは首をかしげた。

「それも近頃の流行りか?」

「あなたもけっきょくは田舎娘ね」

 リステルは憐れむように笑った。

「お茶といったら、昔から塩を入れるものよ。よく覚えておきなさい」

 その声にまじって、遠方から不穏な音が流れてきた。

 すっとリュートは目を細めた。耳に神経を集中する。

 人の怒号、高くせわしい蹄の音、そして、犬の鳴き声、鳴き声、鳴き声。

 リュートはスカートの裾をまくしあげた。隠し持っていた長剣をすらりと抜く。

 リステルが悲鳴をあげた。

「そ、そんなものを……、どうするつもり!」

 リュートは自らの服に刃をあてた。

『汚さねえようにしろよ。そのうちきっと、お嬢ちゃまたちが大きくなったら仕立て直して着なさるようになんだから』

 コズエの声が甦り、裾の両脇の縫い糸だけを器用に断ち切った。

「馬頭の娘どの、客人の奥方どのを製材所へ」

「なんだい、茶を嗜むんじゃなかったのか?」

 テツが退屈そうに笑う。

「一刻を争う。奥方どのを建物の中へ。私は加勢に行く」

 その時、悲しげな遠吠えが空にひときわ高く響いた。テツの顔色が変わった。

「この声……」

「製材所に常駐の猟師たちにも加勢を頼んでくれ。弓も余分に、特に強弓を。弱くては役立たぬ。それからおがくずを何袋か持たせてくれ。頼むぞ」

「加勢って……。あんた、狼だよ。オオヤマネコとはわけが違うよ。群なんだから……」

「頼んだぞ」

 どこに潜んでいたのか、音もなく、葦毛の愛馬が現れた。リュートはたちまち馬上の人となった。切った裾から、真白い脚が腿まであらわになった。主人が前方を睨むと、馬は意が通じたかのように駆けだした。

 テツはあっけにとられて見送ったが、やがて我に返ると、馬車を材木置き場に向けた。名医を救ったオオヤマネコの顛末は聞いてはいたが、今回ばかりは無事で済むとは思えなかった。一刻も早く助けがいる、とテツは思った。向こうみずな子どもを放ってはおけなかった。

 

 

   

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