〜 リュウイン篇 〜

 

【三 辺境の地(二)】

 

 

 細い雪道を迷いのない足取りで進むと、二ニクル半で本村の入口に着いた。雪に埋もれたようなあばら屋が二軒、道を囲んでいる。静まり返っているが、空き家ではない。リュートたちが近づくと、窓が開いて、子どもが二人這い出てきた。家の半分は雪に埋もれ、窓が冬の出入り口になっているのだ。

「お恵みを」

 年の頃は五つか六つだろう。あちこちほころびた汚い下着姿で、痩せた子どもが二人、並んで雪の上にひざまずく。鼻をたらし、目やにがいっぱいの顔をうつむかせ、両手をそろえて差しだす。

 すると、道をはさんだもう一軒のほうから、今度は老婆が出てきた。こちらは風向きのせいか雪がより深く、窓すら埋もれ、破れた屋根から出入りしていた。立ち上がることすらできず、四つん這いで道ばたにたどりついた。

「お恵みを」

 かすれた声で老婆は言った。こちらも真っ黒に汚れた下着姿で、こけた頬と皺だらけの顔の中で眼だけが爛々と光っていた。

 リュートたちは、なにもやらずに通りすぎた。

「働かずにメシにありつこうってんだから、調子がいいさ」

 ユキはまるで同情しなかった。

「ああやって同情をひけばラクできると思ってるんだ。ダマされるなよ。貧乏人ってのはズルい生き物だからな」

 子どもが出てきた家は子だくさんで、両親は夏場は材木屋で雇われ、冬場は街道の雪かき人夫として働いていた。小金が入るたびに酒を食らい、子どもは常に飢えていた。

 向かいの家は老婆の一人暮らしだった。一〇年ほど前、流行病で夫を亡くし、自分は後遺症で足が不自由になった。子どもはなく、親類や村人からの施しで暮らしていた。

 かわいそうに、とリュートは思う。なにかしてやれたらと思うが、我が身さえ養われている身分なのだ。無力さを感じる。

 本村へと道を進むと、まばらに小さく貧相な家々が立ち並んでいた。雪に埋もれていた家々も奥に入るにしたがって屋根の雪は降ろされ、玄関口はきれいに掃き清められていく。

 やがて、雪のとり払われた広い道に出た。板塀が長く連なり、その上から背の高い植木が顔を出している。板塀に沿って進むと、やがて門にあたる。屋根のある観音開きの門で、四頭立ての馬車が出入りできるほどの幅があった。扉は黒塗りの重厚な板で、固く閉じられていた。

 ユキはその隣りにある小さな通用門を押し開いた。身をかがめてくぐる。リュートも続いた。葦毛は門の外で待機である。

 材木置き場が広がっていた。長い材木が高く積まれ、ずらりと並び、その奥に屋根つきの工場がある。工場の壁には長い板が一面に立てかけられている。

 ユキの家よりさらに西で伐採された木材はすべて集められ、ここから街に売られていく。

 材木屋。村でも一、二位を争う資産家にして、シズカの実家である。

 工場の隣りに広い庭と屋敷が並ぶ。庭には石の彫刻が飾られていた。魔物を退けるという神獣や、英雄セージュなど猛々しいものが多い。植木や巨石が周囲を取り巻き、伝承にある場面を演出していた。雪は掃かれ、屋敷に近い辺りには、葉が赤くなる種類の観葉植物が植えられていた。

 また増えたな。

 リュートは像の一つに目を留めた。口ひげをたくわえた厳めしい大男が、剣を高く掲げている石像である。光沢のある黒みかげ石でできている。昨日の昼には見かけなかった。

 屋敷の玄関には、リュートの背丈の倍ほどもある、大きな分厚い板扉が二枚しつらえてあった。ユキが玄関のわきの紐を引くと、甲高い鐘の音が響いた。中から扉が開く。体の大きな使用人が、リュートたちを招き入れた。

 ユキは、そのまま使用人の後についていく。食堂で、シズカやその親族たちと昼食をとるのだ。

 リュートは別だ。身分が低いために興を受けることはできない。途中で分かれ、書庫へ向かう。

 書庫の中は真っ暗だった。リュートは足取りも確かに窓辺へ向かった。窓を覆う木製の扉を開けると、室内に光が射しこんだ。本棚から一冊を選び、丸椅子を持って窓辺へ戻る。

 本は貴重品である。ベッドが一〇は並びそうな広い部屋の壁二面がまるまる書棚になっており、他に二竿、壁に平行に書棚が並んでいた。それらにほとんど隙間がないほど本が詰まっている。

 これらは王都ロックルールで手に入れたものである。シズカの実家では代々跡継ぎをロックルールに留学させる。彼らが帰るたびに蔵書が増えるのである。

 シズカの父も、ロックルールで林業と製材業、商業を学んだ。その長男も同様であったが、数年前、伐採中の事故で命を落とした。代わりにロックルールへ送られたのは、シズカのすぐ上の三男ヒナタだった。次男はとうによその村に婿入りして不在だったのである。

 ヒナタは遊び好きで、ユキが医学を志して上京した折りにも、さんざん「都会的な遊び」とやらを教授したらしい。ユキがよく覚えたのは「女遊び」だけで、あとはさっぱりだったという。

 蔵書の多くは植林や製材、建築、経済に商売といった類のものだった。当然だ、彼らはそれを学びに行ったのだから。しかし、ヒナタが持ち帰ったものは異色だった。文学、絵画、彫刻に塑像、楽器、異国の花の種……。

 材木屋の道楽息子と村人たちは笑ったが、長くは続かなかった。ヒナタはうつつを抜かしているだけの青年ではなかったのである。

 リュートは長い指で本のページをめくった。空は曇っていたが、窓からの光は雪の反射で強められ、じゅうぶんに足りていた。細かい文字を走り読みする。指が次へ、そして次へと、休みなくページを繰る。時間がないのだ。

 いつかあの男を追いつめるために、この知識が役立つかも知れぬ。いや、追っ手から逃れるのにも役立つかも知れぬ。早く、早く読んでしまわねば。そして、次の知識を。

「眉根を寄せてちゃ、美人が台無しだぞ」

 高い男の声がした。リュートは視線を一瞬だけ移した。

 リュートほど黒くはないが、黒髪と呼んでも差し支えなかろう、長い黒髪を背中で緩く編み、ゆったりとした青いセーターを着た男が室内に入ってきた。年は三〇代半ば、肩幅は狭く、やや痩せ気味に見える。顔は灼けて浅黒く、小さな目が鋭く光っている。

 これが材木屋の三代目、ヒナタである。

「玄関見たか?」

「黒みかげの勇者像か」

 リュートは本に目を戻して答えた。

「どう思う?」

「好かぬ」

 口ぶりから察するに、労して手に入れたのだろう。なんと労えばいいのか、リュートにはわからなかった。

「手厳しいなあ」

 ヒナタは陽気に笑った。

「黒みかげだぞ。この辺じゃなかなか手に入らない、貴重な石なんだぞ」

「石が欲しいなら、削って小さくすることもあるまい。原石を手に入れればよかろう」

「芸術を理解する数少ない仲間の言葉とは思えないなあ」

「私は仲間ではない」

 仲間ではなく、ただの居候で使用人だ。資産家の跡継ぎとは立場が違う。

「やれやれ。女性軍には評判悪いんだなあ。うちのおふくろもシズカもマメやヨシたちも、ゴツい勇者は嫌いなんだとさ。繊細でたおやかな勇者が好みなんだとか。リュートもそのクチかい?」

 マメやヨシはこの家の使用人である。彼は使用人たちを、肩書きではなく名前で呼んだ。

「仕事の粗いのが気に入らぬ」

 リュートは変わらず本を読みながら答えた。

「石像なんて、あんなもんだろう。木像とはわけが違うからなあ」

「あの程度と見なしては、石の匠が嘆こうぞ。デッサンは悪くないが、造りが雑だ。造り手は急いで仕上げたのだろう、形になればいいと思ったのではないかな。私なら差し戻して、もう一度手を入れさせよう」

「そんなにひどいかな。荒々しい感じが出ていていいと思うぞ」

「荒々しくするなら、もっとノミを大胆に振るわなくてはならぬ。加えて、あの肩や腰の肉付きではバランスが悪い」

「ふーん。言われてみればそうかもなあ」

 ヒナタは楽しげに笑う。

「ところで、リュートは、厳つい勇者像と繊細な勇者像とでは、どちらが好きかい?」

「どちらにも、それぞれに良さがあろう」

「もし、どちらか一つだけくれると言われたら、どっちにする?」

「どちらもいらぬ」

「どうして?」

「重くてジャマになる」

 ヒナタは大声で笑った。

 何がおかしいのだ?

 リュートは首を傾げながら、目で文字を追い続けた。

 

 

 ユキの昼食が済むと、村を往診に回った。

 材木屋の通用門を出ると、葦毛が待ちかねたように出迎えた。

「黒みかげの像の話、聞いたか?」

 村長の家に向かう途中、ユキが訊いた。

 リュートがうなずくと、

「相変わらず金遣いが荒いぜ。あんな石ころに大金はたくんだからな。貴族さまかなにかだとでも思ってんのかね」

 ユキは鼻先で笑った。

「それより、ちゃんと褒めちぎっておいたんだろうな? こんな見事な像は見たことありませんって言ってやったか?」

「いや」

 リュートが短く答えると、ユキは顔色を変えた。

「おまえ、誰のおかげで本なんか読んでられると思ってるんだ! ヒナタ兄さんが特別に目をかけてくれてるからだろうが! おまえには感謝ってものがないのか!」

 リュートは黙っていた。火に油を注ぐつもりはなかった。

「だいたい、オレの面目つぶしやがって。とんだ礼儀知らずを養ってると思われたら、どう責任とってくれるんだ! ウソでもいいから褒めちぎっとけ!」

 ヒナタには感謝している。女などに教育は必要ないというシズカの父の反対を押し切り、医者の助手ともなれば教育が必要だと、書庫を開放してくれた。

 なぜ、そんな気になったのか、リュートにはわからない。気に入ったからだとヒナタは言うが、どこをどう気に入ったというのか。

 ユキはヒナタの好意を喜んだ。助手が有能になれば、自分にも箔がつくと踏んだからだ。

『それに、ヒナタ兄さんに気に入られて損はないからな』

 他人の幸運まで自分のものにしてしまおうというユキのしたたかさには、舌を巻いてしまう。こんな人間は、どんな場所のどの時代でも生き残っていけるのだろう。だが、自分にはできそうにもない。

 村長の家に着いて、ようやくユキの説教がやんだ。材木屋の向こうを張ってか、こちらの門は石造りである。穴の多い白石を直方体に切って積み上げてある。門扉は鉄製で黒く塗装されているものの、ところどころ茶色い錆が浮いている。

 半開きの門扉の前に、少年が立っていた。丸々と体がふくらんでいるのは、着ぶくれしているからだけではあるまい。

 突きだした広い額とはちきれそうな頬、目つきの悪い細い目に大きな鼻は、村長の家系の特徴だった。この跡継ぎの少年にも、それらははっきり現れていた。

「おう、また待ち伏せか?」

 ユキが意地の悪そうな笑いを浮かべると、トビは木刀を構えた。

「勝負だ! 今日こそ正々堂々戦え!」

「おまえはヒマでいいな。リュート、相手にするな」

 ユキはさっさと門をくぐる。

「逃げるな!」

 トビがリュートめがけ、木刀を振り下ろす。

 あかぎれた手が伸び、刀身をとらえた。軽く後ろに流すと、持ち手のほうがバランスを崩し、尻もちをついた。そのスキに、リュートは門をくぐった。

「卑怯だぞ! 勝負しろ!」

 罵声を背にリュートは黙々とユキの後に続いた。

 門の中には巨石を並べた広い庭があった。殺伐としており、センスがいいとはお世辞にもいえない。材木屋への対抗意識だけが露骨に現れていた。

 家はさすがに石造りといかなかったらしく、木造家屋だった。シズカの実家より二周りは小さい。柱や板もやや華奢だった。

 その代わり、大きな石造りの倉が三つ並んでいた。穀物倉である。

 この家は大地主だった。昔、材木屋が伐採した後の土地を広く買い取って開墾したのだ。代々農業を営み、あまった土地を村の農民たちに貸していたが、今の村長の代になってからは、泥にまみれるのをやめた。土地のすべてを農民に貸し、その賃料で生計を立てていた。

 農民から受け取る賃料は、銭ではない。穀物である。そのため、以前は納屋だった土地に新しく倉を次々に建てたのである。

 倉の裏には厩があり、小柄で馬力のある農作業用の馬ではなく、大柄な荷役用の馬が飼われていた。穀物を運ぶ時に使うのだ。

 トビはこの馬をひどく自慢していた。が、葦毛を見ると、これも手に入れたくなったらしい。たちまちリュートに売れと詰め寄った。

 世の中相思相愛とはいかないものである。トビに好かれた葦毛のほうは逆にすっかり嫌って、トビが近づくたびに威嚇した。やがて、トビは葦毛をあきらめざるを得なかった。

 そして、今もまた、門の外で葦毛に威嚇されたのだろう、トビが這うように門の中に逃げてきた。リュートは肩越しにかいま見、表情も変えずに屋敷に入った。

 屋敷の北端に隠居がある。中に入ると薄暗く、冷たい湿気がじっとりとリュートたちを包んだ。

 部屋の奥から、小さな何かが異様に光る。

 それは二つの目だった。

 ベッドの上で丸めた背中、突きだした顎、その上に爛々と、まぶたの肉が落ちてむき出しになった目が光っているのだった。

「待ってたぞ」

 しわがれた声が陰鬱に響いた。

「先代、お待たせしました」

 ユキが足早にベッドに近づいた。

 リュートはベッドの端に鞄を広げ、ユキに消毒液のしみた手拭きを渡した。

 ベッドのわきに控えていた老女が、病人の服の脱ぎ着を手伝う。

「先生、今朝、バアさんの夢を見たわ」

 聴診器を当てられながら患者が言った。

「早くこっちへ来いと呼んでおった。バカめが。誰が行くものか」

 意地が悪そうに笑う。

 先代の村長イシヅチに妻はなかった。数年前に先立たれていた。今、そばで介護しているのは召使いである。

「あの女には苦労させられた。贅沢三昧で金遣いが荒くてな、わしの稼ぎのおおかたは、あの女のくだらん楽しみのために遣われちまったんだ」

 先代は長々と愚痴をこぼした。

「まだまだお元気そうですね。きちんと薬を飲んでおけば、また若い頃のように歩き回れますよ」

 ユキは老いた召使いにいつもの煎じ薬を手渡した。

「そうだろうとも! わしはまだまだ若いんだ。あのバカ息子めが! こんなところに閉じこめおって。育ててもらった恩を忘れたか! 親を粗雑に扱いおって!」

 妻への愚痴は、息子への愚痴に変わった。

「お代を」

 ユキが言うと、先代は枕の下から巾着袋を取り出した。銀銭を取り出し、思わせぶりに高く掲げる。

「誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ。親をこんな目に合わせやがって! わしを誰だと思ってる!」

 繰り言を延々と繰り返し、やめる気はなさそうだった。

「ありがたくちょうだいします」

 ユキが先代の手から銀銭をもぎとる。

 先代は一瞬不機嫌そうに頬をふくらました。

「先生も、親は大事にせんとな。親不孝は地獄へ堕ちるぞ」

「リュート、行くぞ」

 ユキがリュートの背を押して病室を出た。

「なにが親不孝だ!」

 小さく、吐き捨てるようにつぶやく。

「これはこれは、名医どの」

 廊下の向こうから、野太い声が響きわたった。やってくるのは大男で、顔も方も腹も肉ではちきれんばかりである。上等な赤い牛革の上着を羽織り、茶色の毛織物のズボンを履いている。短靴には、しゃれたつもりか、水色の大きなリボンがついていた。大きな鼻、細い目、秀でた額が雄弁に血筋を語っていた。

「こんにちは、村長」

 ユキは一転、にこやかな笑顔を向けた。

「名医どのに足繁く通ってもらえるとは名誉なことだ」

 村長は高笑いした。言葉とは裏腹に神経を逆なでするような笑いである。

「ところで」

 村長は顔を近づけた。

「オヤジはいつまでの命でしょうかな」

「長生きできるよう、最善を尽くしますよ」

 ユキは無愛想に言って、廊下を歩き出した。

 村長は意地の悪い笑みを浮かべ、リュートに向き直った。

「先生は、いつまでだって言ったんだ?」

「リュート! 行くぞ」

リュートが身を翻すと、村長の手が肩に伸びてきた。軽くやりすごし、ユキに続く。村長の舌打ちが後に残った。

 玄関で待ちかまえていたトビをふり切り、数件の家々を回る。

 どこの家からも、ユキは必ず報酬を受け取った。現金の時もあったし、物品の場合もあった。

「こんなもので名医の診察が受けられるなんて、ヤツら、なんて幸せ者なんだ!」

 帰り道、ユキは得意げに喋った。

 リュートはもらい受けた物品をリュックに入れ、雪道を先導した。

「それにしても、村長の家は、いつ行っても胸クソ悪いな! いつまでもグチグチこぼしてんじゃねえよ。こっちはつきあってられるほどヒマじゃねえんだ。金払いがよくなきゃ、誰があんなクソジジイ診てやるかってんだ! なあ、リュート、どう思う?」

 意見を求められて、リュートは答えた。

「哀れな老人だ。息子にぞんざいに扱われておる」

「なにが哀れなもんか!」

 ユキは怒鳴った。

「自業自得だ! あのクソジジイ、昔からあくどいことばっかしやってきたんだぜ! 狭くて汚い隠居に閉じこめられようが、息子が遺産を狙って死ぬのを楽しみにしてようが、当然の報いだぜ! きっと、息子のほうだって、ロクな死に方しやしない!」

 リュートは納得できなかった。

 あれほどの金や屋敷がありながら、暗く湿った小部屋に押しこまれるほどの、なにをあの老人がしたというのだろう? 今日の繁栄は、あの老人の功績でもあるのではないか? 息子たちの扱いはひどすぎる。愚痴もこぼしたくなろうものだ。

 ユキは道々、村長の家の悪口を並べ続けた。

 ほどなくして、村の入り口まで戻ってきた。子だくさんの貧乏家と、老女のあばら屋が頭を出し、中から子どもたちと老女が現れて、たちまち道の両側を埋めた。

「お恵みを」

 リュートはポケットをまさぐった。

 ある患者の家から、手のひらにすっぽり収まるほどの小さなリンゴをもらっていた。

 せめて、これだけでも。

 リンゴを子どもに向けて放った。

 赤い小さなリンゴは弧を描き、二人の子どもたちの膝の前に落ちた。白い雪に半ば埋もれたものの、わずかに顔を出した赤が鮮やかだった。

 子どもの一人が手を伸ばした。もう一人がその手をたたき、横からリンゴを奪った。すると、奪われたほうが相手の顔をひっかいた。それでも、奪ったほうはリンゴを離さない。

 手ぶらの子どもは顔を上げ、強烈な視線をリュートたちに浴びせかけた。やおら、大声をあげて駆け出してくる。

 すると、道の反対側からも、足が不自由なはずの老女が、やはり雪に足をとられながらも走り寄ってきた。

 子どもの眼も、老女の眼も、何かにとりつかれたようにギラついている。

「バカ! 逃げろ! 走れ!」

 後ろでユキが叫んだ。

 担いだリュック越しに背を押され、事態を把握できないまま、リュートは走った。ユキも走った。最後尾から、葦毛の威嚇のいななきが聞こえた。

「バ、バ……カヤ……ロ!」

 あばら屋が豆粒ほどに遠ざかってから、ようやく二人は立ち止まった。息があがり、膝に手をついて身をかがめる。

「バカヤロー! ダマされるなって言ったろう!」

 ようやく息が整ってくると、ユキは叱りつけた。

「見ろ! 甘いとこを見せるから、足下見られた! おまえからはふんだくれると見なされたんだ。下手な同情はやめろ! 貧乏人っていうのはな、一つもらえば、次々と欲が出てキリがないんだ! 足りなくなりゃ、あるヤツから盗ってくんだよ。まじめに稼いで貯めて暮らしていこうなんて考えはないんだ!」

「すまぬ」

 ユキの言うことのどれだけが真実か、リュートにはわからなかった。しかし、リュートの行為が危険を招いたのは事実だった。

「だいたい、うちだって貧乏なんだからな。施しなんかしてる余裕があるか!」

 その先、家に着くまでユキはずっと不機嫌だった。

 

 

   

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