今日は午後から雨が降りだして涼しいね。
今、あじさいがとってもきれいだよ。今朝もAの事学校へ送る途中車の中から見たんだけどすっごくきれいな色のあじさいが咲いていたよ。
Aの捻挫は日に日に良くなっているよ。大丈夫(^_^)v
T病院の三階のロビーの窓のところに大きなあじさいを差してくれた人がいたよね。
あのあじさいもきれいだったね。
ゆうとTさん(同室)の病室の窓にもあじさいやカタツムリを折り紙で折って貼ったりして梅雨を楽しんだよね。
それから大きなハイビスカスとヤシの木書いて壁に貼ったりしてね。
それが人気でみんなが見にくるようになったりして。
色々やったね。
そうそう、先生達にアンケート作って結果をドアの外の入り口に貼って公表したりもしたね。
先生達通るたびに見ていくんだよね。
今もあの時のアンケートあるよ。
出身地、好きな食べ物、趣味、通勤方法、好きな飲み物は何か?とかだったよね。
エビスのビールとか書いてる先生がいたね(笑)
趣味はピアノとか釣りとか車とか様々だったね。
それから医者になったきっかけは?と言うのもあったよね。
この答えには触れない方がいいよね(笑)
でもゆうが一番知りたい事だったんだよね。
先生がた色々協力してくれたよね(^^)
それから丁度今頃の時期だったよね、タオルで作ったゆうの帽子が人気になって、いつの間にかみんなかぶっていたよね。
色んな色のタオルでいっぱい作ったね。
その帽子もまだあるんだよ。
同室のTさんはチュープの曲が好きで病室に入っていくといつもかかっていたね。
その時のアルバムはゆうが移植のために無菌病棟に移る時にもらったんだよね。
ゆうが無菌病棟で敗血症を起こして生死をさまよっていたとき、Tさんは眠れなくて夜中何度も無菌病棟の前にきてくれたんだって後からきいたよね。あの時はTさんだって闘ってるのに心配かけて申し訳なかったね。
ゆうに元気になって欲しいと願いを込めて、そして必ず19才の誕生日を迎えさせてプレゼントしてあげたいとゆうの名前入りのハワイアンリングを用意していてくれていたんだよ。お母さんは早くからTさんに聞いて知っていたんだ。
誕生日の日に頂いた時ゆうすっごく嬉しそうだったね。
この頃Tさんは退院していたからわざわざもってきてくれたんだよね。
ゆうは無菌病棟で会えないからお母さんがいつもふたりの間の連絡役だった。
(女の子の19才は厄年なのでシルバーのリング(指輪)をすると良いと言われます)
移植を終えて一般病棟に上がった頃はTさんも具合がわるくなってまた病院に戻ってきていて。
かなり悪い状態で会えなかったんだよね。
ゆうも少しずつ悪くなっていたし・・
早く二人とも元気になってまた一緒の部屋にしてもらおうって楽しみにしていたのにね。
結局ふたりが会えたのはゆうが旅立つ五日くらい前だったかな。
Tさんを車椅子に乗せて婦長さんがゆうのベットサイドへ連れて来てくださって。
ふたりとも言葉はなくてボロボロ涙流していたんだよね。
あの時のゆう、何を思っていたの・・・
お互いに悔しさでいっぱいだったんだよね。
それからゆうは旅立ってしまって・・・
ゆうの事闘ってるTさんにはしばらく言えなかったよ。
でも色々あって知る事になったんだ。
その後Tさんから祐子宛に手紙が届いたんだよ。
(この手紙は私の運命に記)
その後お母さんもお父さんと一緒にTさんに会ってゆうの事きちんと話したよ。
それからTさんもゆうの旅立ちから八ヶ月後に旅立ったんだよ。
ゆうに付き添っていた夜お父さんとお母さんにってTさんのご主人が出来立てのあったかい豚カツ弁当を持ってきてくださったよね。
本当に有り難かった・・
嬉しくて、そして色んな想いの中
泣きながら夜中の地下(売店前の椅子のところ)でお父さんと食べたっけ・・
決して忘れない・・・
ゆうはきっと今もTさんに可愛がってもらっているんでしょう。
子供が大好きなTさんだから沢山の子ども達を面倒見て可愛がってくれているんでしょうね。
難民の子供をもらって育ててあげたいって言ってたくらいだものね。
そして今闘っている子ども達の事も見守っていてくれて
いますよね・・Tさん。
ゆう、お母さんあの時頂いたチューブのアルバム時々かけて聴いているよ。
今日も朝からかけたよ。
Tさんに聞いてもらいたくて・・
ゆうも一緒に聞いてるよね。
Tさんに宜しく伝えてね。
今度お母さんの夢に会いに来てくれるよう伝えておいて・・
今日はね、ゆうとTさんの事語りたかったんだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
祐子へ
調子はいかがですか?
多分良くなったり悪くなったりの繰り返しだろうけど
見えないだけに心配で・・
でも私は祐子の生命力を信じているから大丈夫!!
私はここへ来たときはもうダメだと思った。
祐子のお母さんに励まされて私に希望を思い出させてくれた。
何でもいい、主人や子供、私のために一生懸命やってくれる人のために
もう一度がんばってみようかなって
とにかく今はお互いにがんばろう
手がずっとしびれてて沢山字は書けないし
目は半分開かないし、口もうまくしゃべれないのが辛い
でもこれは病気が治ったらリハビリでも何でもして・・・
2000年はK家、T家にとって
少しずつでもいいから良い年になりますように・・・
K・Tより
(この手紙はクリスマス近くの頃に看護師さんがTさんより預かって届けてくれました)
Tさんは「私の運命」にも登場して頂いております。
祐子を娘のように可愛がってくださいました。

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