中学生のとき、今と全く同じ話題で異様に盛り上がったことがあった。中学に入学して一年目、季節は偶然だがちょうど今ごろだ。 あの頃と展開が違うのは、もう高校生だからなのか、それともそういう面子が集まっているからなのか。 やはり両方だろうか。 この野球部には個性豊かで面白みのある男が集まっているのも事実だし、今なら自分だって、あの頃みたいなことはもう言わない。 部活後、くたくたに疲れた身体で着替えている最中、唐突に持ち出された話題に栄口勇人はそんなことを思った。 中学生のときは放課後の教室で、人数は七、八人で話していた。 今の光景との最も大きな違いは男女の割合。今は男ばかりだけれど、あのときは男女半々くらいだった。なんとなく親しくなっていたクラスメイトたちだ。 「なつかしいなぁ、中学のとき、全く同じ話したよ。男たちと女たち、それぞれでぴったり一致した回答になったんだよな」 「女?」 最初にその話題を持ち出した泉が首を傾げる。 「女の場合はもちろん質問も逆だけど」 「逆ってつまり、もし一日男になれるとしたら何をするか、ってことか」 手の中の油性ペンをくるくると器用に回しながらいう泉に、栄口はこくんと頷き返した。 話題は「もし一日だけ女になるとしたら何をするか」だった。 泉が誰にともなく振った話に、真っ先に挙手して答えたのは田島だ。 「乳揉むだろ、まず。でけぇといいんだけどな」アンダーを脱いでいた田島は筋肉のついた裸の胸の前でこのくらい、と身振り手振りを交えて話す。「とりあえず、ゲンミツに乳ははずせねェとして……それからあとはアレだな、オナニーとセッ、んぐ」 「おまえの言いたいことはよく分かったから黙れ!」 花井が田島の口を押さえたのと、水谷が声を張り上げたのが同時。 「はい、はーい! オレはもう決めてる! ケーキバイキング食いに行く」 「ケーキバイキングなんて、おまえなら男のままでも平気で食いに行けるだろ」 阿部が着替えの手も止めずに、ぼそりとツッコミを入れると、水谷は激しく反論した。 「阿部はケーキバイキングが分かってないね! ケーキバイキングは当たり外れ激しいんだけど、女性限定の店には当たりが多いって言われてんだよ。もう絶対試してみたいじゃん」 「男も入れるけど女の同伴者がいないとダメってとこもけっこーあるよな」 うんざりした顔をしている阿倍のかわりに栄口がそう口を挟んでやると、水谷は顔を輝かせて振り返った。 「そのとおり! さっすが、栄口。ねぇねぇ、そんときは一緒にケーキバイキング行こうね! デート、デート!」 デートって言い方はどうなのかと思ったが、ネタトークの一環として受け止め、栄口はそうだねと頷いて流した。 栄口と水谷は、お付き合いをしているいわゆる恋人同士という関係だ。もちろん公にはしていない。だからこそ「デート」という言葉を意識してしまいそうになったけれど、今の会話の流れではどう考えても変に反応した方が不自然だ。 ありえない仮定の話なわけだし。 一応男女なわけだし。 「やったぁ! 約束だかんね!」と、心底嬉しそうににっこりと笑った水谷には、本当にどうしようかと思ったけれど。 あまりに浮かれる水谷に釘を刺すつもりで「でも、デートでも、女でも、おまえにはおごらないからな」と冗談半分に言ってみようとしてやめた。ノリで駄々をこねるくらいの反応を見せてくれたらいいけれど、大真面目に返答されたらちょっと身が持たないと思ったからだ。 「花井は? 花井ならどーする?」押さえつける花井の手を引き剥がして田島が問う。 「ああ? どーでもいい」 興味ないと言っても、答えるまで食いついてきそうな気配を察してか、花井は少し考える素振りを見せて続けた。 「その夜は、ぜってー家に帰らねーな」 思わず全員が花井の顔を凝視する。主将誕生の瞬間をほうふつとさせるほどの注目を受けて、花井が激しくうろたえる。 「ち、ちがっ、違う! 変な意味じゃねぇ! バカな想像すんなっ! 家に帰ったら……親と妹たちの玩具にされるのが目に見えてるからだよ。それだけ」 ああ、なるほどとみんなが納得する中、田島はきょとんとして問う。 「えー、帰らねーんだったら、どこでオナニーすんだよ」 「おまえは黙れ!」 どっと疲れた顔をした花井に、同情しつつもみんなが笑う。 三橋だけが、状況をよく分かっていない様子で、みんなの笑い声に身を竦めきょろきょろしている。それに気付いて栄口は助け舟をだした。 「三橋はどーする? 女になってやりたいことって、ある?」 「え? お、オレ……お?」 ほとんど聞いていなかったのか、そういう話だったのかという顔つきで三橋が首を傾げるから、それに頷き返してやる。 三橋は質問の意図を測りかねているとも、自分の回答について悩んでいるともつかない表情でぽけっとした顔になった。 横で見ていた沖がさらに助勢する。 「一日だけ、女になったとしたら、どうするかって話だよ」 沖を振り返った三橋は、そのまま顔面を蒼白させた。 「オレ、な、投げる!」言うなり、三橋は阿部を見据えて引きつった声で同じ言葉を繰り返した。「それでも、オレ、阿部君にっ、投げる、よ」 阿部はぎょっとした顔をしたが、じわじわとその表情に苛立ちを浮かべていく。 「阿部っ」 いち早く展開を察して、栄口は慌てて阿部を呼んだ。 ちらりと視線を寄こした阿部を強く見つめ返しそっと首を横に振ると、阿部はもの言いたげに口をぱくぱくさせたが、もう一度同じように首を振り返すと、今度は諦めたように脱力して嘆息した。 多分、阿部は馬鹿馬鹿しいと思いながら「そんな状態でピッチャーが務まるか」とか、そんな類の言葉を返しかけたはずだ。冗談だろうが架空の話だろうが、それは三橋に通用しない。助勢したのが控え投手候補の沖だったのも災いしたようだ。 ぐっと堪えた阿部の肩を、花井がトンと叩いた。 「三橋、オレ、おまえが一日女になってもそのうちにマウンドとったりしないぞ……」 ぼそりという沖と、フラフラしながら視線を泳がせて下手にもほどがある作り笑いを浮かべる三橋。 ちらりと泉を見れば、ちょうどカバンから油性ペンを取り出したところだった。栄口と目が合うと泉はちょっとだけ疲れた顔で笑い、すぐに田島に声をかけた。 「田島ーァ、いつもの一丁!」 「あいよーっ!」 泉が放り投げたマジックをダイビングキャッチした田島は、そのまま三橋に抱きついて脱いだばかりのユニフォームを取り上げ、その背中にすでに描かれている「1」の数字を、上からマジックで塗りなおした。 「薄くなってたぞ」 「あ、ありがとう、田島くんっ」 もう数回見ている光景だが、何度見ても脱力してしまう。もう慣れたと公言している泉だけが冷静に、使い終わった油性ペンを返せと田島に手を伸ばしていた。 「で、中学生の栄口は、そこで何って答えたんだ?」泉は何気ない様子で話を振ってきた。 「え? 昔の話だし! 今は違うよっ」 慌てて答えれば、栄口のその反応で泉はなにかを察したのだろう、目を細めてにんまりとかなり性質の悪い笑みを浮かべる。 「ふーん。で?」 「で、って……てか、泉はどうしてそんな話し始めたんだよ。ずいぶん唐突だったよな」 「あ? あー……今日浜田が、応援団の集まりでちょっとそんな話になったって言ってたからさ」 「ふーん。で?」 泉と全く同じ返し方をすれば、泉は嫌そうに顔をしかめた。 「浜田はさ、最近物騒だから、もし女になったら、夜道とか怖いんだろうなぁって言うから……いきなりそんな発想になるかぁ、と思って。アイツやっぱおかしいよな」 「フェミニストなとこあるんじゃない? 優しいんだよ。で、泉は?」 泉の場合は女になったらなにをするんだろうと、そういう意味で問いかけた。 ただの会話の流れとして軽く言ったつもりだったから、その瞬間の反応に栄口は驚かされてしまう。 明らかにうろたえた様子で身を竦ませた泉は、いきなり顔を真っ赤に染めて栄口を凝視したのだ。 「っ! 深い意味じゃねぇんだ。ほんと、何気なく」泉は周りをきょろきょろと見回し、栄口にだけ聞こえる程度の小声で言う。「だったらそのときはオレが付き添ってやるから呼べよ、って言っちまってさ。浜田はケロッとして『おう、頼むわ』って感じだったんだけど。後から、すげー恥ずかしいこと言ったような気がして。それにさらっと返したあいつって、やっぱ年上なんだなとか、ふと思ったり……何言ってんだろうな、俺またわけわかんねーことを」 「泉、すげーかっこいいよ。頼もしいじゃん」 友人が「あまり人には聞かれたくないけれど、やっぱり誰かに聞いてほしい気もする話」を聞かせる貴重な相手として自分を選んでくれたことが栄口には嬉しかった。本人が、言った瞬間からもう「言わなければよかった」と顔に出していたとしても。 だから、泉が栄口の問いかけた意味を取り違えていたことは黙っておくことにした。 まだ赤い顔をしたままの泉が、ばつが悪そうに話題を変える。 「ほら、栄口の中学の話は? ごまかすなよ」 もう声もひそめていない。普通のボリュームだ。 気乗りはしなかったが、泉の気まずさを考慮して、栄口は仕方なく答える。 「先に言っとくけどオレだけじゃないよ? そのとき居た男の回答は満場一致で、田島がさっき言いかけて止められたやつだったんだ。女の回答はまた別」 「えー、なになになに?」 案の定田島が食いついてくる。 泉は笑うでもバカにするでもなく、ただ意外そうに見つめてきた。 その反応がかえって栄口を居たたまれない気持ちにさせる。 「だーかーらー。みんな中学生のときってそういう時期あっただろ? 一過性の熱病みたいなもんだよ。放課後の教室とかでさ、クラスの男女数人で異様に猥談で盛り上がるような時期って、あるじゃん。そんときに」 「いや、女とはしねーよ」と泉。 泉に同意する声が数名分。 教室ではしなかったと、さらに数人の声。 そこでふと気になって、水谷の方を見てしまい、栄口は心から後悔した。 目が合ったのは仕方ないとしても、水谷の表情がいただけない。 滅多にみられないほどの、真剣な顔つき。そんな貴重な表情をこんな場面で披露しないでほしい。栄口としては、水谷にはそのキャラクター的に、ここで大げさに食いついて同意するか、それができないならふざけてからかうくらいの気概をみせてほしかった。 栄口は本領を発揮して、部員たち全員に視線を走らせる。 伊達に副主将として部員たちのフォローをしているわけじゃない。誤魔化そうとしている者を見つけるのは難しいことではない。 なんとか一人くらいはいるはずの自分の仲間を見つけなくては、田島を差し置いて部内一のエロ男のレッテルを貼られてしまう。 「阿部、栄口と同中だったろ? おまえらの中学ってそういうオープンな雰囲気だったのか?」 花井の問いかけに阿部が「いや、別に」と首を振った。 同じ中学でもクラスが違えばその雰囲気も違うし、本人の性格もある。 「オレは毎日、そんな話ばっかしてたぜ!」 明るく田島が言い切ると、沖と巣山がぽそぽそと言葉を交わす。 「田島って、周りが話してなくても一人で話しそうだよな」 「あー、だよな」 「なんだよ、それー。そんなんじゃないって」 田島の言い分は聞き入れられない。 と、そこで栄口は、一人の苦笑いしている西広に視線を止めた。 確信を持って呼びかけて手招きする。 「西広! 仲間だろ、おまえ!」 おまえもか、という視線をいっせいに浴びて居心地悪そうにしながらも、西広は潔く栄口の方に歩いてきた。 「ん、気は進まないけど、栄口の話はものすごい心当たりあった。それ中一だろ。今ぐらいの時期じゃない?」 やっぱり、と栄口は喜んで西広の肩に腕を回し、しっかりと掴む。 「そだよ! あったよな、そういうの!」 「エロい言葉の九割は、あの時期に覚えるよね」 西広は肩を竦ませ、彼にしては珍しい何かを企む悪ガキみたいな印象の笑みを浮かべた。 「そうそう、69って数字はなんでエロいのかとか、誰かが言い出して答えられるとちょっと勇者なんだよな」 「イラマチオとか、その時期に覚えたな」 「あー、オレも、オレも。みんなフェラチオは分かっても、イラマチオは分かんなかったりすんだよな」 「微妙に勘違いして覚えてたりな」 「すげー笑える勘違いとかなかった?」 「あったあった!」 にわかに盛り上がりだし、バシバシと互いに肩を叩き合って笑う。 「ストップ! おまえらな……分かったけど、もう中学生じゃねーんだから、その辺でやめろ。早く帰り支度すませてくれよ」花井がものすごく複雑そうな表情で割って入った。「ったく、よりによってなんでおまえたちなんだよ……こういうのは田島だけにしてくれ」 ふと見回すと、若干引き気味な大半の部員たち。ものすごく会話に加わりたそうなのが一人、全く状況を理解していないのが一人。それから、相変わらずの真顔というか、珍しい無表情で内心少々機嫌を損ねているのが一人。 西広と視線を交わして苦笑し、会話を終了させる。もともと自分の名誉を守りたかっただけの栄口は、結局かえって墓穴を掘ってしまったようだ。 「で、そのとき女はなにがしたいって答えたんだよ?」 帰り支度を再開しようとしたところで間髪入れずに聞いてきた泉に、栄口は顔を引きつらせた。まだこの話を続けるのかと思ったが、他の部員たちもそれなりに気になるのかちらちらと視線を寄こしてくるから、自棄になって答える。 「オナニーだってさ」 変に言いよどむと余計に恥ずかしい思いをするのが分かりきっているので、栄口は潔くはっきりと言い切る。 部員たちの反応はさまざまだったが、総じていえば「結局おまえらも好きなんだよね、男ってそういう生き物だもんね」と言ってやりたい感じだった。 はい今度こそ終了、と手を動かし始めれば、寄ってくる人影。 「なーなー栄口、女の身体だとどんなふうに気持ちいーのかとか、やっぱ気になるよな! 一日だけ女になって、絶対男に戻れるんだったらゲンミツに中出しで試すだろ。男には絶対分からない感覚だもんな」 栄口は思いっきり前に崩れて、古典的にロッカーに額を強打した。 元凶の田島は、全く悪びれた様子なくただ心配そうに栄口の顔を覗きこんでくる。 「おー? 大丈夫かー、栄口。すげー音したぞ」 「田島……もう、その話やめような。オレもそれ思ったの中学生のときだし、今は違うから」 「えー、じゃあ、今はぜんっぜん興味ねぇの?」 っていうか、その前提がありえないのに、どうしてこんなに食い下がるのか、そこからしてもう栄口には分からない。 「そりゃ全くない、とは言わないけど」 答えると、田島はにやっと笑みを深めた。 それから栄口の首根っこを掴まえてぐいっと引き寄せ、耳元で囁く。 「じゃさ、そんときはお互い協力しようぜ! オレもしてやるから、栄口もしてくれよ。他の奴らはダメみてぇじゃん」 協力。 離れて、もう一度、今度はニカっと無邪気な笑みを見せて、田島は満足そうに離れて行く。 協力なんてすることはないだろうけれど。 前提条件からして、万に一つもありえないけれど。 そのとき、なんて絶対にこないのだから。 すさまじい疲労感を覚えながら、栄口は零れかけたため息を堪える。 横にいた泉には小声の内緒話もしっかり聞こえてしたのだろう、「おつかれさん」と声をかけられて、栄口は堪えることを諦めて小さく嘆息した。 NEXT→ |