※玉城さんにいただいた小説です。
十年後。ツナを想う山本と獄寺の話。
山本と獄寺の唇が触れ合う描写がありますので、
苦手な方はご注意ください。




Shocking Pank Birds

by 玉城




 クラゲのようにゆらゆらと輪郭を滲ませながら太陽はゆっくりと海に沈んでゆき、そのすべてを赤く染めずにはいられない悪あがきのような光を残して、水平線の向こうに消えた。途端ようやく邪魔者がいなくなったと言わんばかりに、昼の灼け付く残滓を追い出そうと空が見る見るうちに暗くなる。ほどなく切れ切れに散った雲の間から、ポツポツとささやかな瞬きが零れ始めた。街の明かりが届かないこの場所はそれなりに空気も綺麗で、月もないせいか空はあっという間に小さな光で一杯になった。
 怪我した脚を投げ出して、山本は背後の城壁を見上げる。十七世紀頃の建造物だと、ここまで肩を貸して支えてくれた獄寺に教えられた。城壁の上部は長年の風雨と潮風によって腐食し崩れ落ちている。そうやって崩れた大きさも形もさまざまな石の塊のひとつに腰を降ろし、体重を後ろに預けた。今にも倒れそうな代物なのに、背中を受け止める感触は力強かった。
 その傍らで獄寺が携帯を片手に顔を顰めている。たった一言で済む用件をダシに、小煩い当て擦りを長々と捲くし立て、相手はがちゃんと耳障りな音を残して電話を切った。その不快な余韻を振り切るようにぱん、と音を立てて携帯をたたむ。乱暴に懐に突っ込み、代わりに煙草を取り出すと獄寺は苛立たしげに火を点けた。カチッという点火音につられて、山本が顔を上げる。
「おい、いいのかよ。煙が…」
「うっせえ、全部キレイに片付けただろうが。…今現在俺ら以外の気配なんざここらにゃねえよ。それに」
 獄寺は親指で背後の城壁の上を指す。
「この壁が途切れたあたりで空気の流れがゆるい渦になってる。匂いも、潮の匂いに混ざっちまうしな。おめえのそれはいらん心配だ」
 つっけんどんな口調で、それでも山本の杞憂に律儀に答えを返した。いくら中学からの犬猿の仲とはいえ、自力では動けない相手を邪険に扱えるほど、獄寺は捻じ曲がった育ちはしていない。山本の待機場所で、突然アーチ上の遺跡が崩れたのだ。純粋な事故だが、持ち場を割り振ったのは自分だという事実が、山本に対する態度をいつになく甘くさせていた。
「はは、そっか。にしても久しぶりだぜこんな怪我すんの。ちびの小言と爺ィ共の嫌味が待ってると思うと、帰れるってのに気が重いな」
 そう言って笑う山本を立ったまま見下ろして、獄寺は苦い煙を吐き出した。山本が助かったのは、彼自身の鍛え抜かれた反射神経のおかげだ。それでも全くの無傷、などという都合の良い奇跡は当然起こらず、瓦礫のひとつが右脚を直撃した。その脚が潰れもちぎれもひしゃげもせず、単純骨折で済んだ事のほうがよほど奇跡だ。
 山本が動けなくなってから、獄寺はひとりでこの場を制圧した。もともと少人数での取引、事前に仕入れた情報との食い違いもなかった。山本の負傷は自分の落ち度だという思いが、逆に獄寺をいつも以上に冷静にさせた。無駄弾を費やす事もなく、流れるように確実に相手を仕留めていく。次々と倒れていくその中に、山本がこちらに来てから特に親しくしていた男の顔があった。獄寺の元で働いていた男だ。
 麻薬に関わらないマフィアは同盟を結んでいる。その筆頭であるボンゴレの縄張りで真っ昼間から取引を企てたグループの中心人物が、新たに就任した年若いボスの「お気に入り」の子飼いで顔見知りという情報は、新入りを苛めたいお歴々にとってはむしろおあつらえ向きなエサだった。
 あからさまな「二人で行ってこい」という無言の要求に、獄寺も山本も逆らわなかった。元から他人の手を借りる気などなかったし、ボスの為にもこれ以上のどんな小さな波風も立てたくなかった。
「で、迎え来てくれるって?」
「おう、車回すから待ってろと」
 獄寺が喋るたび吐き出される白い煙は、真冬につくため息のように頼りなく上へ登って、城壁が途切れたあたりで小さな渦を描きすぐ見えなくなった。山本はそれを見送るふりで隣の様子をそっと窺う。長く形の良い指に嵌められたリングの石が、煙草の小さな火に反射して赤く光る。流れる煙の先を追う視線はすでに落ち着いていて、救援を呼んだ時の苛立ちは綺麗に拭い去られていた。
 遠く離れた日本で育ったボス、その学生時代からの友人というだけの素人同然の若造と、先代の時分から耳障りが良いとはお世辞にも言えない評価ばかりの悪童、そんな年端もいかない東洋人が末席とはいえ幹部の席を用意される。いくら初代との関係からイタリア一の親日派を謳うボンゴレの、上の意向には逆らわない古株連中でも、嫌味のひとつもチクリと刺してやりたくなるのが当然の反応だ。
 風が出てきた。それにつれて傷の痛みが増してきた気がして、山本は耐えるように目を閉じる。
 結局、この怪我が元で自分は手を汚さなかった。人を撃つのが、何も今回が初めてというわけではない。それでも良く知っている人間に、友人だと思っていた男に銃口を向けて、本当に引き金を引けたかどうか分からない。「だからテメーは甘ちゃんなんだ」と吐き捨てた口で、獄寺は一度だけ「帰れ」と言った。その獄寺に全て片をつけさせる形になり、助力を当てにしないという暗黙の了解を破らせる結果になった。それを情けなく思うが、口にしたところでこの男が素直に受け取らないのもまた分かっていた。
 不意に背後から鳥の声が聞こえた。思わず目を開けて空を仰いだ山本の視界に、隊列を組んで羽ばたく群れの姿が映る。
「へえ。鳥って夜でも飛ぶんだな」
 点呼でも取るように互いに鳴き交わしながら、水平線に向かって飛んで行く群れを見送って呆けた声で呟く。
「…渡りだ。この辺りで子供を育てて、冬が来る前に一斉に南へ下るんだ」
 山本はちょっと目を見張って隣で煙草を吹かす獄寺を見上げた。
「なんだよ」
 気付いた獄寺がこれ見よがしに眉根を寄せる。
「いや、独り言のつもりだったからさ。つうか、そんな事良く知ってんな。渡り鳥とか、そういうもんに興味あるふうには見えねえじゃんお前」
「ばーか、これでも一応こっちで育ってんだ。燕の子育てとおんなじだよ、ガキの頃から普通に見てるもんだ、別にキョーミなくたって覚えちまうよ」
 あちこちが破れ埃まみれになったスーツや、擦り剥けたこめかみに血が乾いてこびりついている様が、喋っているうちに嫌でも目に飛び込んできた。受け身を取り損なった山本が、石畳に叩きつけられた時にできた傷だ。
 呼吸が妙に息苦しく、獄寺は何度も苦い唾を飲み込んだ。山本の右脚に巻かれた包帯に血が滲んでいる。裂傷の酷い箇所にはフィルムを貼り合わせて添え木で固定もしたが、やはり応急処置ではどうにもならないらしい。素人目にも縫う必要があると分かるような傷だ。鎮痛剤の効果も、徐々に気温の下がっていく屋外でどれだけ発揮されているか疑わしかった。
 それなのに当の山本は、歩く事もままならない状態で、いつものように軽口を叩き笑いかけてくる。
 また羽ばたきが聞こえ、新たな隊列が南へ下っていった。「おお、第二連隊」と山本が楽しげな声を上げる。どんな場合でも前向きに立ち直り、楽しみを見出せる柔軟な精神と、鷹揚でおおらかな気質。そんな奴だからこそ、あの人も安心して甘えられるに違いない。
 廊下の隅で、子供がするような内緒話をしていた。聞くつもりはなかったそれが去り際に聞こえてしまったのは、ひとえに獄寺の聴力が常人よりも優れていた、その功罪だと言える。
「…悪かったな」
 この男に謝罪を述べるなどこれが初めてだ。ギョッとしたように目をむいてまじまじと見上げてくる山本の、自分の耳が聞いたものが信じられないと大きく書いてある顔つきに、獄寺はたちまち普段の調子で声を尖らせた。
「なんなんだよ、その目はよ。言っとくがテメーの為に謝ったんじゃねえぞ。…十代目と約束があったんだろ?」
 あの露骨な空気を無視したら碌な事にならない。腹の底でどんな思惑が渦巻いているにせよ、二人で出向く形を取ればあの雁首揃えた骨董品はとりあえず満足するだろう。そんな考えが獄寺にもあった。相手は両手の指の数にも満たないのだ、約束の時刻と照らし合わせてみても、二人で片付けて帰ってくれば間に合う計算だった。塩を送ってやる義理などどこを探してもこれっぽっちもないが、廊下の端から垣間見た笑顔を萎らせるつもりははなからなかった。それを主が望むのならどんな感情でも捨てられる。それ以外の選択肢を、獄寺は随分前に捨ててしまった。
「その脚じゃしばらくまともに動けねえだろ。十代目だって楽しみにしてたんだからな、俺は十代目の為に謝ったんだ」
 急に喉の渇きを覚えて、獄寺は口唇を舐めた。いつの間に切っていたのか、固まっていた血が湿り気を帯びて、舌の上に鉄の味が広がる。吸い慣れたはずの紫煙がやけに苦かった。
 最後に子飼いだった男を撃つ時、獄寺はあえて急所を外した。人を使う事があまり得手でない獄寺にとって、年上というだけで色々と癪に障るところもあるにせよ、扱いやすい、使い勝手の良い部下だった。山本がこちらに来たばかりの頃、不慣れな彼にあれこれと世話を焼く姿に呆れてみせたが、悪い気分ではなく本音では微笑ましくさえ思っていた。ファミリー内の他の奴らと比べても格段にボスの覚えも目出度かったのに、なぜ裏切るような真似をしたのか、最期に聞いておきたかった。
 ―――あんたが、羨ましかった。
 血泡でくぐもった声だった。
 ―――今度のボスも、良いお方だよ。気さくで…お優しい人だ。でも、先代みたいに、全員に分け隔てないわけじゃねえ。
 細い呼吸の合間に言葉が紡がれる。獄寺は彼の上体に屈み込んだ。最期の力を振り絞って、一矢報いてくるかもしれない可能性が頭を掠めたが、構わず耳を寄せる。聞かせたいと、この男が望んでいるのが理解できたからだ。
 ―――先代は、全員に同じだけの…、畏怖と、慈悲を与えてた。だから誰もが、あの人のものだった。俺たちみんなの、パードレだった。…今のボスは、あんなに簡単に…人を引き寄せるくせに、本当に頼みにしてるのは、あんたら二人…だけなんだ。
 言葉が途切れ弱々しく咳き込んだ男の手を、思わずしっかりと掴んでしまった。自分で撃ったくせにまるで励ますような、頭を通さない身体の勝手な行動に偽善を感じて、獄寺はすぐにその手を離した。
 咳き込みながら男は笑っていた。
 ―――俺が見てるボスは…、あんたら二人が、見てるボスとは…違うんだろうな…。結局、あんたらっていうフィルターを、通した姿しか、俺たちには…見えないって、事だ。
 今までどことも知れない天に泳いでいた視線が、いきなり獄寺を捕らえた。何もかも捨て去った、悟りの境地のようにも見える表情。いっそ清々しいまでに切ないその瞳に、小さく自分が写っている。倒れた男とまともに視線が合うのはこれが最後だろう。
 ―――俺は、あんたが撃ってくれて、嬉しかった、よ。あんたは、ボスの右腕…、だから。あんたに、撃たれたってことは、…ボスに、撃たれたも同然、だろう?
 思えば計画の大胆さとは裏腹に、情報がたやすく入手できた事といい稚拙さが目立つ企てだった。本当に最初から、こうなる事がこの男の望みだったのかもしれない。
 ―――ありがと、な。
 開いたままの瞼を下ろしてやったのは、それが礼儀だからだ。ぎりぎりまで吸った煙草を城壁に押し付けてもみ消し、獄寺は言い聞かせるように強く思った。礼儀にのっとってやった事だ、憐れみじゃない。
「とにかく謝る。…悪かった」
 ある意味嘘が決してつけない獄寺だから、それが本心なのは疑う余地もないが、山本は声音そのものにいつもとどこか違う響きを聞き取った。天敵に謝意を示した事で矜持が傷つけられたせいではない。それくらいなら獄寺は最初から謝ったりしないだろう。不思議に思ったが、理由を追及する気にはなれなかった。
「そっか、ツナ楽しみにしててくれたんだ。そりゃ残念だー」
 口ではそう言っていてもそれは言葉だけで、内心ではとっくに諦めて気持ちを切り替えている。せっかく見つけた店をキャンセルする羽目になったのは確かに残念だが、それならまた改めて機会を作れば良い。単純に、ボスとして忙しなく過ぎて行く毎日の、ちょっとした気分転換になればと思って誘っただけだった。山本の意識は、中学生の時からずっと変わらない。一度ついた決心の前では、故郷を捨ててきた事も、裏社会の人間になった事も、親友が主人である事も、すべて平等に人生の一部だった。
 獄寺が思うほど、自分はいい奴ではない。山本ははっきり自覚している。
 会話が途切れる。山本は上げていた視線を前方に戻した。夜空に漂っていた雲はいつの間にか消えていた。途絶える事のない潮騒と緩やかに吹き上げる海風、それらが運ぶ沖へと飛び立った渡り鳥の声。無音ではないのに、余計に静寂を強く感じさせる音ばかりが辺りを包み込む。それだけで気が遠くなりそうな非日常の光景だった。寄せては返す波の音が鼓膜を揺らす度、身体まで共揺れを起こしているような錯覚に陥り、口から勝手に言葉が転がり落ちてそれでやっと我に返った。
「獄寺。俺は絶対、お前やツナより先に死ぬよ」
 何の前触れもなく零れ出てしまった言葉に山本自身驚いたが、一度話し出してしまうと、告げるのは今しかないという気がした。もしかしたらこの怪我も、それによって今こうして否応なく二人で救助を待っているのも、そして獄寺だけがかつての仲間に手をかけた事さえ、用意された演出なのかもしれない。そんな事を考えながら言葉を続ける。遮るつもりも促すつもりもないのか、新しい煙草に火を点けた獄寺の様子は、山本が漠然と思い描いていたどんな反応とも重ならなかった。

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