「俺はツナを助けたくてここへ来た。まあ、俺なんかがどのくらい役に立つのか知れたもんじゃなかったけどな。でも、右も左もわかんねえ外国で、本当に本気で味方してくれるって言い切れる奴がお前ひとりってのは、どう考えてもしんどいだろ。ダチがしんどい思いしてんだったら助ける。男ってのはそういうもんだろ」
 ダチだからな、山本は念を押すように繰り返した。正直、獄寺には分からない感覚だった。獄寺には主人とそれ以外、そのふたつの区別しかないからだ。自分という人間の輪郭を、これ以上ないほど浮き彫りにしている絶対の法則。
「俺は、ツナがダチだからここにいるんだよ。ボンゴレ十代目に用があるんじゃねえ。俺は俺が決めたルールに従って生きてるだけだ。自分の信念を破ってまで、ボンゴレと仲良くするつもりはないね。ツナがツナである事を全部捨ててボンゴレになり切ったら、どの道俺は必要なくなる。出て行く時は死ぬ時だ、分かりやすいだろ?」
 ふん、と獄寺は鼻を鳴らした。
「知ってるさ」
「へえ?」
 意外だと言いたげな山本を睨みつける。
「自分の望む十代目でいるうちは手を貸して、そうじゃなくなったら捨てる。実におめえらしい単純明快さだ。ああ、おめえはそういう奴だよ。気さくで、優しくて、懐に飛び込んで裏切らない。正直者で、真っ直ぐで、何があっても揺るがない。矛盾してんだよ。だけど十代目はおめえのそういうところに救われて、…そういうところに憧れてんだ」
 山本は笑った。今は遠いあの国で見たのと変わらない笑顔。獄寺は顔を背けた。少年だった日に初めて見た時から、獄寺はこの顔が嫌いだった。
 晴れやかで曇りのない、日なたの匂いがするような笑顔。あの頃は確かに持っていた、自分でさえも。
 血と硝煙の匂い、あるいは真夜中に滞る、薄暗く煙る紫煙と香水。憂いや翳りこそ似つかわしいこの世界で、この男がもたらすものはあの人にとって、何にも代えがたいものに違いない。二度とそこへ戻れないからこそ。
 主が必要とする限り、山本を手放す気は獄寺にはない。しかしいざとなったらこの男は頓着せず死を選ぶだろう。一介の野球少年だった男の運命も、思えばすっかり変わってしまった。これも日陰の世界の業だろうか。
「ははは、ツナの憧れの人か。いいねえ、そのポジション。でも、さ。さっき言った通りだよ。もしツナが変わっちまったとしたら、それを支える自信なんか俺にはねえんだよ。俺に出来るのは、ただあいつが甘えやすいようにいつも笑ってる事ぐらいなんだよ。それを拒否されたら、ここにいてもしょうがねえんだ。だから」
 感覚や閃きでの行動が多く喋る事はさぼりがちな自分の口から、すらすらと途切れる事なく言葉が溢れてくる。山本は不自由な身体を動かして獄寺に向き合った。いつかは言うだろうと思っていた。それが、今夜だったという事だ。
「お前は最後までそばにいてやってくれよ」
 目は逸らされたままだった。獄寺に伝わったかどうかに関わらず、言いたい事を言い切った満足感に山本はほっと一息ついた。気がつくと肩や背中が妙に凝っている。無意識に相当張り詰めていたらしい。
 その青臭い緊張を可笑しく思う一方で、いざその強張りがほぐれてしまうと、自分は怪我人だという現実が改めて強く圧し掛かってきた。急激に眠気が襲ってきて、くたり、と身体から力が抜ける。手足が鉛のように重く、城壁に背中をくっつけたまま、ずるずるとだらしなく上体が崩れた。この状態のまま、夜風に吹かれる野外で眠るのはさすがに不味い。必死になってまばたきを繰り返していると、今夜一晩ですっかり馴染んでしまった羽ばたきが再び頭上を渡っていった。
「山本」
 羽音に紛れて低く名前を呼ばれる。
「なら生きてる間ずっと、あの人の為に笑っててくれ」
「いいぜ」
 今にも閉じようとする瞼と闘いながら山本は答えた。
 鳥たちの鳴き交わす声が響く中、下草を踏みしめる音がした。僅かに眠気が遠のき、冷たく身体を刺す風が遮られるのを感じる。視界が暗くなったと思った時には、目前に獄寺の顔が迫っていた。額を抑える手の動きにつられ、自然に顔が上向く。言葉もなく冷えた口唇が押し当てられ、その想像を裏切る肌触りに山本は目を見張った。荒れてかさついた感触に、少年時代、この男が常に身に纏っていた棘のような火花が甦ってくる。
 まばたきより長く一呼吸分より短い時間の後、獄寺は姿勢を戻し指に挟んだ煙草をくわえ直した。その拍子に大分長くなっていた灰が足元へ落下する。片足で無造作に灰を散らす横顔に山本は口を尖らせた。眠気はすっかりどこかへ消えてしまった。
「人が動けねえのに不意打ちは卑怯じゃねえの?」
 非常識な目覚ましに対する相応の文句だが、獄寺はそれには答えず気がついた事実を確かめるべく逆に問いただした。
「おめえ、煙草吸うんだ?」
 山本は頷く。煙草の味はこちらに来てから覚えた。故郷ではついに味わわないままだった。
「たまにな。そんなにキツイのは吸ってねえけど」
 ふうん、と早くも興味を無くしたような張り合いのない返事を返して、獄寺は海を振り返る。短くなった煙草を革靴の底で踏み潰した。
「で、今のはなによ?」
「……オメルタ」
 素直に答えが返ってきたのには勿論、予想もしなかったその内容に山本は目をしばたたかせる。
「オメルタ?今のが?」
「言葉を飲むんだ、相手の」
「聞いた事ねえよそんなの」
 呆れたような声を背中で受け止めて、獄寺は一歩、二歩と断崖に向かって足を進めた。山本の言う通り、今では誰もこんな事はしない。最早昔話にしか存在しない、廃れてしまった儀式だ。
「じゃあ、お前が俺を撃つって事か」
 山本の声は、質問でも確認でもなかった。一方的に交わされた掟を、迷いもなく了承した声だった。
「そうなるな」
 断崖の端に近づくにつれ、波の音は大きくなり潮の香りも強くなる。吹き上げる風に指先が冷たくなるのを、獄寺は他人事のように感じていた。
 新たに取り出した煙草に火を点け、ゆっくりと肺の奥まで空気を吸い込む。手元の仄かな光を見つめていると、昼間の光景が再生された。血まみれの告白が耳の奥に甦る。
 お前も俺も同じものだよ。脳裏に浮かぶ男の死顔に語りかける。この手で撃って、果たしてお前の望みは叶っただろうか。
 俺たちは全員、鳥のようなものだ。愛でられる籠の鳥でありたいとそれぞれが強く望んでいる。時々はその蹴爪や翼を赤いもので汚して、褒めてもらえる事を期待して何度でも籠の中へ返ってくる。その鮮やかさと従順さとが飼い主への最大の奉公だ。
 そして空を渡る鳥をただ眺めている。誰も自由に羨望など抱かない。飛ぶより強い本能に支配されて生きている。籠の中と、飼い主の縄張り。それだけが世界の全てなのだ。
 山本は違う。彼は他所から来た鳥だ。その絶対の本能を拒む、はるか遠くから飛んで来た鳥。自分が誉められ撫でられるより、僅かでも相手に幸福を与えられるようにと囀る鳥だった。
 獄寺では決して与えられないものを、無造作に、衒いなく、そして一途に差し出せる。
「じゃ、あれは手付金代わりって事か。そう考えると儲けたな」
「なんでだ?」
 肩越しに振り返った先、山本がしれっと言い放った。
「ツナと間接キス出来たから」
「なに考えてんだテメー」
 条件反射で言い返す。山本は声を上げて笑った。
 いつかこの鳥がここを飛び立って行く時、その羽根を引き裂くのは自分の鋭い鍵爪だろう。ふと、その時を迎えた山本が最期に何を言い残すだろうかと、そんな考えが頭をよぎる。あの男と同じ台詞を言うシーンがなぜか思い浮かんで、獄寺は素早くそれを打ち消した。
「獄寺、ありがとうな」
 笑いを滲ませる声は重いものはまるで含んでおらず、それでかえって妙に非現実な響きに聞こえた。
 読心術など山本が心得ているはずがない。しかしあまりのタイミングに獄寺は一瞬動けなかった。その一言で、打ち消したはずの情景が容易く引きずり出される。この男は時に、誰にも真似出来ないような奇襲を仕掛けてくる。
「お前が撃ってくれたら、ツナに撃たれたのとおんなじだからな。最期にまたツナに会える」
「…なに言ってんだ?おめえの台詞を借りるなら、そん時にゃ十代目にはもう用はねえんだろ?俺が撃って、それでなんだってんだ?」
「お前が右腕だからさ」
 時間の流れが分からなくなってくる。これはデジャヴなのか。それともいつか来る未来の予行演習なのか。獄寺は冷え切った指を握り込み、手のひらに爪を食い込ませた。
「だからなんで…」
「お前は変わらないだろう?」
 言葉を遮られた不快感で獄寺が山本を睨みつける。触れるもの全てを灼き尽くさずにはいられない、プライドとアイデンティティーが等しく釣り合うこの男には似合いの獰猛な炎。無駄な気負いとは縁遠くなって久しいこの男の内面に、あの頃と変わらない激しい嵐が棲んでいるのを山本は知っている。その何もかも壊して、獄寺自身をも壊しかねない激しさを、山本は素直に眩しく思っていた。
「お前が変わらず、ツナの右腕であり続けるなら、お前の中の十代目はきっと俺が知ってるツナと同じだろうさ。ツナの一番近くにいたお前が変わらない限り、お前の中のツナも変わらない。…そう思うんだ」
 捻った首をゆっくりと元に戻して、獄寺は宵闇に溶け込む水平線を見つめる。山本の言葉は真摯で、何の含みも裏表もない事は獄寺にも良く分かった。分かるからその真っ直ぐな眼差しが痛い。どうして、と声にならない声が吹き荒れた。
 どうしてお前は、お前の望みで俺を救い、俺を叩きのめすんだ。
 獄寺は煙草のフィルターを噛んだ。そうしていないと叫び出しそうだった。全身が、怒りとも憎しみとも、哀しみともつかない感情で一杯で、分別出来ないそれらが身体を、心を震わせる。吐き出す吐息までが震えていて、まるで泣き出す寸前のようだと獄寺は思った。
「山本」
 絞り出すように呟く。
「だから俺はテメーが嫌いだ」
 この世で唯一、存在を羨んだ男だ。だから嫌いだ。
 呟きはあまりにも小さく、海から背後へと吹く風に乗っても山本まで届かなかった。ただその少し猫背の、自分より痩せた背中を山本は神妙な面持ちで見つめた。何かを堪えるような気配だけが伝わってくる。
「獄寺」
 山本の短い呼びかけに、灰褐色の頭が振り返る。
「オメルタは、誓いを交し合うものだよな」
「ああ」
「なら、お前からの誓いも聞かせてくれよ」
 一際強く風が吹いた。断崖に打ち寄せる波が砕ける振動が、革靴の底を通して足裏から伝わってくる。かすかなエンジン音を獄寺の耳は捕らえた。距離こそまだ遠く影も形も見えないが、ここまで登ってくるのにさほど時間はかからないだろう。
「いいぜ」
 吹き晒され乱れた髪を手櫛でかきあげて、獄寺は斜めに口の端を引き上げる。人を小馬鹿にしたような、斜に構えた顔つき。自分が最も得意とする表情は、いつしか最も被りやすい仮面にもなっていた。
「ツナのそばにいてやれるか?」
「ああ」
「ツナにどんなもしもがあってもか?」
「ああ」
「世界中を敵に回してもか?」
「ああ」
「…最後の瞬間を見届けてやれるか?」
 今度は獄寺が笑う番だった。真面目な、一世一代といった慎重さで確信を積み上げていく山本が可笑しかった。滑稽で、哀れだと本気で思う。山本も、…自分も。
 笑いすぎて咳き込む肺を宥めて、獄寺は尊大に答えた。
「当たり前の事聞くんじゃねーよ」
 追い風にスーツの裾をはためかせながら引き返すと、山本は城壁に寄りかかったままぱむ、と両手を合わせて「ごちそーさま」と獄寺を拝んでみせた。
「素敵なのろけを聞かせて頂いて腹いっぱいです」
「そーだろ美味だっただろ。言っとくがメインディッシュはまだだぞ、食うか?」
「いや、いらねえ。食あたり起こしそうだ。…なんでこんなの選んだんだろって思ってたけどなあ…」
「んだとコラ」
 突き出された拳を手のひらで抑えて、山本は目を伏せる。
「良かった。安心したよ」
 漆黒の、主とも自分とも違う闇と同じ色彩の髪を見下ろして、獄寺は口調を改めた。
「…これで互いにオメルタが成立した。掟の重みは天秤の上で常に水平だ」
 山本は頷いた。傾いた時はどちらかが死ぬ時だ。山本は、獄寺が自分を撃つ時が望みの成就する時だと信じていた。最後まで獄寺に全てを背負わせる。背負う苦しみでよりいっそう獄寺は強くなる。その強さは必ず友の役に立ってくれるだろう。獄寺にはどうしても生き延びてほしかった。ツナをひとりにしたくはなかった。
 手のひらにリングの冷たさが沁みる。山本は顔を伏せて気付かれないようにひっそりと笑った。獄寺の言う通り矛盾している。ツナのそばで、その背中を支えてやりたい。その思いは本物だ。しかし山本は自身の限界も知っていた。決して短くない時間、何度でも限界値を越える男をすぐ近くで見てきたから。
 こいつみたいに、惜しまずに自分に火を点けて、臨界点まですっ飛ぶなんて真似はとても出来ない。
 お前が羨ましいよ、獄寺。
 砂利を轢くタイヤの音を山本も耳にした。顔を上げると後方から光源が近づいてくる。直接視界にライトが当たっているわけではないのに、暗がりに慣れた目にはその光は強烈だった。
「迎えだ、立てるか?」
 同じように眩しさに目を細めて獄寺が促す。半分の長さに減った煙草を捨て、握らせたままの拳を軽く引くと、予想外の力で逆に山本のほうへと引っ張られた。たたらを踏んで目の前の壁に片手をつく。その時にはもう山本の口唇は離れていた。
「テメーなにしやがる!」
「だって、俺も言葉を飲まなきゃ不公平じゃねえ?」
 いたずらが成功した子供のように、山本は得意げに胸を張った。
「おめーはやんなくていいんだよっ。マジ殴られてえのか!」
「えー、じゃあ怪我人なのに殴られたってツナに言う。慰めてもらおーっと」
「ふざけんなテメー!!」
 今にも掴みかかりそうな勢いの獄寺を、車から降りてきたリボーンは後ろから容赦なく殴りつけた。
「楽しそうだな山本。何か良い事があったのか?」
 近しい人間にだけそうと分かる顔で笑うリボーンに、山本は片目をつぶって見せる。
「男同士の約束なんでね、他言無用なのさ」
 気障な仕草に黒衣のヒットマンは心得顔で呟いた。
「やがて果たす約束の為に、男はその日を生きるんだ」
 ヘッドライトに頬の産毛が反射している。ふっくらと柔らかな輪郭を描くその口唇で、血で血を洗う世界の美学を語るリボーンからは、さりげなく佇んでいても間違う事無く本物のオーラが立ち上っていた。想像も出来ない修羅場を潜り抜けてきたからこそ、今この言葉がある。幼い姿は幻だ。
 その心境を理解出来るようになるまで、自分は生きているだろうか。獄寺は、生き続けるだろうか。
 リボーンに小突かれ、顰め面で手を差し伸べる獄寺の向こうに広がる夜空は、名も知らない星座で飾られている。
 この夜空を、この風を、波の音を、鳥たちの声をその日に思い出すだろう。それまではこの夜の事は記憶の底に沈めておく。来年も生きていて、この季節が巡ってきたら、また夜に飛ぶ鳥を指さして獄寺に馬鹿にされよう。それが良い。
「なに笑ってんだ、捨ててくぞ」
 支えた肩を外す素振りを見せる獄寺に、山本はますます笑みを深くする。二人の頭上を、海を越える力強い羽ばたきがはるか南を目指して旅立っていった。



* * * * * * * * * *


はじめまして(じゃない方もいらっしゃるかも)、先日こちらのサイトに拙作を載せて頂きました玉城です。
調子に乗って、また書いて送りつけてしまいました。しかもまたしてもたからさんのご好意でアップさせて頂けることに!(ホ、ホントにいいんでしょうか)
実情を言いますと、サイトを持っていないので、リボーンネタは全てたからさんに押しつける以外消化のしようがないのです…。
「隣の芝生は青く見える」がテーマでした。途中からどんどん逸れていったような…。
ツナの人間関係の、縦のつながりと横のつながりのそれぞれ一番近くにいる他人が、この二人じゃないかと思って書きました。(ある意味獄寺はそれより更に近いわけですが)
タイトルはミッシェルガンエレファントから。歌詞の一部をもじりました。
それでは、ここまでお読み下さってありがとうございました!!

玉城拝




■たからはすっかり玉城ワールドの虜です。リボーンで活動していないのがもったいない! すっごく深い話だなーと実感しながら繰り返し読みました! 会話の中でしか出てないツナの、圧倒的な存在感には本当にすっごくひきつけられました。玉城さん、ステキな小説を本当にありがとうございます! またぜひよろしくおねがいします! ほんと、大好きです。