[鈴鹿明神社] :すずか、


鈴鹿・拝殿 住所:座間市入谷1丁目。
祭神:伊邪那伎命、素戔嗚命。
本殿:流れ、南向
千木:外(3)。 神紋:勝守、巴。

場所:JR相模線入谷駅・小田急座間駅,歩10分。pk有,境内に結婚式場が有る。

由緒,伝承:
欽明29御代創祀と伝わる。伝説では伊勢鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、暴風雨に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立して鎮守とし鈴鹿大明神と奉ったと伝う。また正倉院文書に天平年間この地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷とある。
鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田でその中央1丈余りの高所に大洋を望むかのように鎮座していた。境内は船の形をし数十の樫の古木が繁茂し参道中央に銀杏の大木があって、その遠景を「船形の森」「樫の森」と呼んでいたが地形も変動して今・面影はない。

祭事:春祭(祈年祭・2/17)、夏越大祓(6/30)、例大祭(8/1)、風神祭(8/28)、秋祭(新嘗祭11/23)。

鈴鹿・鳥居 鈴鹿・神紋

説話縁起:欽明29(539-571)のとき、伊勢国鈴鹿から来た鈴鹿神は多くの財宝を持ち豊な暮しをしていた。その頃、相模国勝坂にいた「有鹿神」が財宝をめあてに来て争いとなった、急を聞いて駆けつけた「諏訪明神」と「弁財天」の応援で「鈴鹿神」が勝ち、「有鹿神」を上郷へ追いやった。
室町末期弘治2(1556)北条早雲が火事で焼けた社殿を再興。このとき京都祇園八坂社を合祀している。
「勝守」と呼ばれる神紋は「巻物(勝守)、蛇ノ目、勾玉、鎌、葉(銀杏と?)」からなり、起源は早雲の時代までは遡れるとのこと。
(由緒書、神官お話)