[有鹿神社] :ありか、在鹿神社。


有鹿・拝殿 住所:海老名市上郷2791。
祭神:大日霊貴命(おおひるめむち)。
本殿:平入神明三棟一宇、南向。
千木:内削ぎ(5)。 神紋:巴。

場所:小田急・JR厚木原駅北北西,600m。pk少。

由緒,伝承:「式内社」
相模最古の神社である。遥か遠い昔、相模湾の海底隆起により有鹿郷を中心とする台地が出現し、やがてそこに人々の農耕生活が始まったその豊穣と安全を祈り水引祭が起こり有鹿神社は創建されるに到った。
奈良から平安初期まで海老名耕地という大耕地を背景として海老名に国府があり有鹿神社は官社であった。天智38,3年(664)初めて神事を行い、又,平安の延長5(927)延喜式の制定により相模国の13社に列せられた。(境内由緒)

境内、有賀の森は「松なしの森」とも言われる。境内奥は相模川土手になり、上流の北と南西の流れが見える。

末社:日枝(大己貴)、諏訪(建御名方)、稲荷(倉稲魂)
境内社:有鹿天神社(鎌倉時代の武将・海老名源八氏の旧館跡にあった天神社を移設)。

例祭(7/14)



境内裏を流れる相模川 有鹿天神社

相模川に沿って北方5km程に有鹿神社の奥宮・磯部の有鹿谷聖地が在り,その近くには縄文土器の標準で名高い勝坂遺跡がある。
和名抄有鹿郷:磯部村に有鹿谷あり毎年神輿ををここに奉じて祭をおさむ、旧社地也。

*鈴鹿神社と有鹿神社*
鈴鹿神社は欽明29天皇の頃伊勢鈴鹿からの移住と伝え、もともと財を有していて当時座間の北(相模原市勝坂遺跡付近)に住んでいた有鹿の神がこれを狙って押し寄せた。鈴鹿の神は急を聞いて駆けつけた諏訪明神と弁財天の応援を得てこれを座間少し南の桜田の沼地辺りで打ちのめした。有鹿は旧地に戻れず現在の海老名市有鹿へ逃げ住み着いた。との伝承がある。