[ 菊田神社 ] 、きくた、久々田(くくた、くぐた)

菊田 住所:千葉県習志野市津田沼3-2
祭神:大国主命(大己貴命)藤原時平命。
本殿:流、南向。 千木:外削5 。 神紋:菊に田。 
:pk無。

由緒、伝承:
境内由緒より−−−
由緒:古伝によると久久田大明神と称し弘仁年間頃より御社として祭祀されていた。当時はこの境内地は小嶋で、嶋を中心として東西両側は岡であり砂土堆積している入江でありました。
−−治承年間(1177-1181)には藤原師経、藤原師長卿の一族郎党当国に左遷の砌り、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦にと来ましたところ、海上少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めていましたところが、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しましたので、一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に着船上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。
即ち久久田大明神のお宮で、師経卿、師長卿は無事に此処まで安着出来たことはこの祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘されて、この御社を崇め奉りてこの地を安住の所と定めることとし、同時に祖先の人皇60代醍醐天皇の御宇延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り住民と共に奉賽崇敬しました後に師経の一族はこの三山の里(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。−−ママ
・宝暦年間桃園天皇の御代に社名を菊田大明神と改名、。
御社殿、康元元年に木造に改造営、慶長2年5月、正保3年9月、寛保2年9月、宝暦3年9月、拝殿を造営、寛政8年11月、文政3年8月、弘化3年9月に夫々改造営、明治26年12月に拝殿玉垣造営、・・・以下略
−−−抜粋
祭日:元旦祭、節分祭、例祭10月19日、7年目式年大祭丑年未年11月。


本殿 拝殿彫刻
菊田神社の由緒に師経らはその後 「三山の寒川神社」に移ったとあり、北東3km程にある寒川(二宮)の由緒には「治承4年(1180)藤原師経当国へ左遷の際、同人及び神官倶々協議して左大臣藤原時平を本社の相殿に合祀す。」とある。

場所:京成津田沼駅東北東200m、JR総武線の南沿い。
津田沼の名は谷津・久々田・鷺沼の合成で今は久々田(菊田)の地名だけが無い。


こま犬 水鳥公園
左:高麗系という天保年代につくられたこま犬。  右:フェンス越しだが身近に水鳥が見られる。

 ※ :「菊田と二宮」



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