・掲示版 書庫

豊浦(とゆら) さん 2004年 11月 27日 12時 17分 07秒
URL:http://plaza.rakuten.co.jp/toyura/

神社好きというキーワードを頼りにここにたどりつきました。
はじめまして、豊浦と申します。
古代史が好きでいろんな本を読んでいるうちに気がつけば神社にも興味を持つようになりました。
最近は、楽天でページを作り(見た目アフィリエイトのサイトですが)神社につい
て雑文を書いたりもしています。
今から、この際との中をお邪魔していろいろ勉強させてもらおうと思います。
よかったら遊びに来てください。

しゃくやく さん 2004年 10月 27日 17時 38分 22秒

お久しぶりです♪
お元気ですか?
私はちょっと体調を崩して、しばらくボ〜〜〜っと(いつもかも?)暮らしていました。
浅間山に続いて、台風、地震と日本列島は散々ですね。
もうこれで天変地異は終わりにしてほしいものです、神様♪
(越後さむらいがちょっと心配・・・)
星新一訳の竹取物語?
星さん筒井さんと昔ちょこっと読んだけど、確かにおもしろそう。
tanさんは、いろんな本を読んでいらっしゃるんですねぇ・・・
そういえば昔話の桃太郎の話と方位のことが塾の冊子に載っていたのですが、
犬鳥猿は西の方位にあり、西の方位は、悪い鬼を持ち去る裏鬼門となっていたのですが、裏鬼門って南西ですよね?西にもなにか意味があるのかしら?

自分で行かれる範囲ということで、皇居周辺を調べようと思っているのですが
ちょっとも進みません (^_^;)
神田明神は、古くは、大己貴命が祭神だったのですね。

tanさんは、いかがお過ごしですか?

tan さん 2004年 09月 22日 00時 36分 58秒

かわいいですよね、2,3体のお顔を拝見しましたがなんとなくほのぼのと感じるモノが。。

房総風土記の丘、左右に古墳(高塚)に囲まれ樹木のトンネルこの路はお気入りです。岩屋古墳の前を南北に通るのは古くからの道です、成田の西から古道を選んで北上したら岩屋古墳の前に出たことがあったです。何ヶ所か新バイパスで切断されてますが古道は利根川まで続いています。
臼井でなくて白井を通ったのですか、さすが渋滞避けての地元ルートですね^^。あの辺は新しい道が出来ていてたまに行くと良く迷います。

かぐや姫、まだはやいですよ、天上にもどるのは^^。そいえば、先日竹取物語読んだばかりです、原文も載ってますが星新一訳で作家からみた切口の解説も有りおもしろいです。しかし天子は寛容懐深く表現されてますが他の男たちは実在人物に比定できて無理難題を押しつけられしかも没落してゆく貴族、という共通性があるみたいですがこれは何なんでしょうね、竹取。


しゃくやく さん 2004年 09月 19日 22時 58分 09秒
URL:http://ashiatone.web.infoseek.co.jp/

竜頭観音のお顔かわいいですね。
こんな感じのお顔って、飛鳥の辺りのに似てるような・・・

今日は千葉の「房総風土紀の丘」に古墳を見に行ってきたんですー
岩屋古墳は立派でした。
で帰りがけに通った白井のあたりで、鳥見大明神という旗?を見かけて
そういえばと鳥見神社のこと思い出しました。千葉ですものね。

かぐや姫の私は何処に登場すればぁ・・・?

ちょっとアドレス変わりました。



tan さん 2004年 09月 16日 21時 18分 19秒

おひさしぶりです。
やぼ用と夏をちょいと過ぎたバケーション。収穫は茗荷、栗、山の幸は少し早ですが釣舟草の群生とか山萩が丁度満開でした。一番の収穫は円空彫りをされている方と知り合い作品を拝見させて戴いたことです、社殿鳥居などの建築をされる方で色々得ることがありました。現在Topページに竜頭観音の画像を載せましたが折を見て作品をいくつか載せる予定です。

千葉さん
hp開設おめでとうございます。←すこし早かったかな。
千葉さんの切り口での神社などの紹介、楽しみに、心待ちにしてます。

しゃくやくさん
>あとは本読みに没頭しまーす。
#これから本格的な季節になりますね、秋の夜長の・・・

>topペ-ジの絵巻物、モデルが必要でしたら、みんなでがんばりますよぉ〜 笑
#千葉さん、↑コレ結構イケルと思いますよ、いやイケル(筈)です!。
千葉さんのhpでは王朝風絵巻物風のモデルとして、当hpでは新企画として「卑弥呼と巫女さんのあいだ」とか、裏企画として「当世浮世風呂ふー」にまとめてみたい^^。。


しゃくやく さん 2004年 08月 25日 13時 50分 56秒

随分と寒くなって、、、と思ったら、いつも通りエアコンかけてた・・・ (^_^;)
でも、ほんとに涼しくなりましたね。
tanさんは、どちらに行かれているのでしょうか?
まさか、アテネ?

千葉ちゃんさんのホムペ、すごいものが登場しそうですね♪
topペ-ジの絵巻物、モデルが必要でしたら、みんなでがんばりますよぉ〜 笑

千葉ちゃん さん 2004年 08月 16日 22時 11分 01秒

昨日は千葉も涼しくて,避暑地のようでした。今日もまだ過ごしやすく,夏でもこれくらいの気温であれぱ,なんとかクーラーなしでもがまんできます。

さて,しゃくやくさんお問い合わせのHPは,10年後には開設しているかもしれません。外見から入る質なので,外注してでもいきなり華麗な絵巻物のようなものを作るかも。しかし,それに見合う名前が決まらずにデビューできずにいるかも,です。


しゃくやく さん 2004年 08月 10日 22時 43分 25秒

おひさしぶりです!

写真を180枚って、すごい枚数ですね。千葉ちゃんさんはHPお作りにならないのですか?テ-マにそって調べられているので、とても興味深いHPになるんじゃないのでしょうか?(って、すでにあったりして・・・(^_^;)

tanさんは今年の夏のバケ−ションに、そろそろ行かれるのかしら?
私はもうキャンプに行ってきたので、あとは本読みに没頭しまーす。
また、いろいろ教えて下さい。

tan さん 2004年 08月 10日 00時 55分 35秒

千葉さん 180枚の写真の確認と名前つけお疲れ様でした。
写真って、実に色々なものを記録しますね。聖地の土公のうつり変りとか、山津照神社のように後で写真を見て新しい発見をしたりとか。小生も後で撮ったものを見てこの部分の拡大が欲しいとかブレとかピンボケで細部不明とか色々失敗があります、いずれにしても数を撮りすぎたといった事は無いのでデジカメは実に便利です。
画像ファイルの名前ですがファイルを一括処理などしますのでdosでも対応できる様に基本を8文字で時系列に付番とモノの頭文字を入れています。

千葉ちゃん さん 2004年 08月 08日 16時 59分 04秒

写真に名前をつける作業が終わりました。

気比神宮の土公の写真を見ると,土公の左側にしっかりハンドボール?のゴールとプールの壁が写っていました。神奈備さんのHPをみたところ,左側も開けているようで,平成8年にできた遙拝所の鳥居も写っているので,平成8年以後にプールは作られたようです。

きれいなセミラフとご紹介した山津照神社には,神社内の建物の配置図がありました。よく見ると,鳥居から拝殿まで石畳がひかれています。セミラフは石畳が敷かれるまでの仮の姿なのかもしれません。

tan さん 2004年 08月 05日 23時 58分 36秒

>・・その場で何を写したか記録するとかしていらっしゃるのでしょうね。
#やっぱり「?」といった画像はあります。デジカメにしてからはメモ代りに多量に撮るので少なくなりましたが。神社から次の神社に移った時には初めに社標か鳥居を撮る様にして、これが画像上での神社の区分けになってます。

三つ子の3男ですか、これは面白そうです。
継体が娶ったのは、越前三尾角折の若比売、尾張の連草香の娘目子比売、近江の息長の麻組朗女、近江坂田の黒比売、近江三尾の倭比売、、ヤマトの手白香皇女。ということで三上山も含めて「3」というのがよくからみますね。
振姫は美人でしっかりものといった記述が書紀にありますが、実家の越の高向(越前国、福井県坂井郡丸岡町)あたりは近江に比して古墳も大きく、天照大神関連らしき古社も多いみたいです。のちも真人姓含め越の祖として刀自であった振姫は結構大きな存在なのかも。
さて「3」が聖数とすると、、とまた面白い看方ができそうです。


千葉ちゃん さん 2004年 08月 04日 23時 08分 29秒

前回の旅行で写真を180枚とったので,ファイルに名前をつける作業中です。早くも何かわからない写真がでてきて,適当な名前をつけてしまいました。おそらくHPを公開している方は,写真を撮る順番を決めて必ず鳥居・拝殿・本殿の順にするとか,その場で何を写したか記録するとかしていらっしゃるのでしょうね。

さて,滋賀県高島町の三重生神社境内の案内石碑に,継体天皇は三つ子の三男で,御子が五歳の時に彦主人王がみまかられたので,振媛は次男と三男をつれて越前に帰り,長男は高島の地で成長した,とありました。振媛は自分からのぞんで実家に帰ったように伝えられていますが,長男を残していることから,婚家から追い出されたのではないかと想像しています。

tan さん 2004年 08月 04日 00時 31分 41秒

おっ、中華街ですか、ニアミスだったかも^^。

西夏文字、そうですね見た事も無い漢字という感じですね。これを連想するとはさすが!
しかし2百年ほど公用語で貨幣まで使われた文字が使われなく消えてしまうのですね、2千年とか5千年前の落書・偽作などいわれるものも意外に使われていた文字だったというのも多いのかも。他者には判らないようにする仲間内で使われていた特殊な文字なんていうのも結構使われていたのかも知れないですね。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 08月 01日 17時 53分 39秒

こんちわ〜(^O^)/
昨日から横浜に行っていました。今回は新幹線での往復。
昨夜は中華街でのコース料理を堪能。チョッピリ贅沢してきました。

>文字関係は、KENJIさんが詳しいのですが。。

いえいえ、決して強くは無いですよ。(^_^;
坪井さん、不思議な経験ですね。
拝見していまして、私は何故か、「西夏文字」を想像しました。
漢字に似ていて漢字ではない所が、その様な気がしたのです。
「梵字」なら、漢字とは少し離れすぎるでしょう・・・。

井上靖氏の「敦煌」は、偶然に「西夏文字」を見た事から始まる小説でしたね。
私は小説は読まずに、映画の方を見たのですが・・・。(^_^.)

坪井さんも此れを機に、その文字を調べてみては如何ですか。何かが始まるかも知れないですよ。

tan さん 2004年 08月 01日 01時 13分 13秒

>そうすると平氏が火星人で、源氏が金星人ですね・・・笑
# ^^/。うーん、覚えやすい!
 源氏といえば、なんとなく笹竜胆あたりを思い出してしまいますが、どうも頼朝は「白旗」には拘ったようですが模様には拘ったのかどうか判りません。頼朝が描かれた絵巻物には初期には旗の白、旗に黒い横棒(後の新田紋か)で、後の絵巻物で笹が見え始める(江戸中期以降だったかな)これは甲斐源氏の一流れかも。


>坪井さん  はじめまして。
眼が覚めていて、それも右目だけに見えるとは、、すごい体験ですね。
石碑、碑文についで文字が右目に溢れるというのは、前世の記憶の断片でしょうか或は予見でしょうか、漢字のようなといいますと絵文字とかいわゆる古代文字とは違いますよね、隷書でもないでしょうし、鳥文字でも。。篆書だと漢字と認識はされないでしょうし。。
類似の文字を確認されましたら、またその後の体験ございましたら、ぜひ知らせて下さい。
文字関係は、KENJIさんが詳しいのですが。。


坪井 さん 2004年 07月 30日 05時 27分 42秒

はじめまして、東京・浅草に住んでいる者です。 
こちらの掲示板に古代や漢字や宇宙といったキーワードに詳しい方が見ていらっしゃ
るようなので、よろしければ私の体験を書き込みさせて下さい。

7月29日 昨日の昼頃 浅草は小雨が降っていました。雷門近くの喫茶店で読書を
していてなんとなく眠くなりその場で眠ってしまいました、10分くらいして意識が
眠りから覚める時に目の前に漢字(文字)の群れが現れて来ました。
何だろうと思い もっとはっきりと見ようとするのですが文字はあらゆる方角から現れては消えてしまいます、一文字でも覚えておきたいのですが見たことの無い文字(漢字の様な形)で捕らえられません。意識して目を凝らすと右目の中にその世界がある事に気づいて左目をぎゅっと閉じて一生懸命右目の文字を見ようとしました。幻覚かと思い左目だけ開くと 机やテーブル、窓から入ってくる太陽の光が普通に見えます。でも右目の中には違う世界があります。
言葉で表現しにくいのですが、完全な闇ではない薄暗い世界の中で黒い文字が右往左往 奥から手前からあらゆる角度から現れては消えます、どれも見たことの無い漢字でした。 その間2分程度だったと思いますがだんだん文字が薄れて見えなくなりました。
その後なんだか満足感のある気分になり、すぐ会計を済ませて外に出ました、そしたらどしゃぶりの雨が私を襲いました。気持ち良かった。

その時はすぐ気付かなかったのですが実はその一月くらい前にも同じような体験をしました。 それは実家の部屋で寝ていた時なんですが、同じように右目の中に古代の石碑のような物が現れて、そこにも見た事の無い文字が浮かんでいました。
その時は初の現象だったのでびっくりして、一生懸命 目を凝らし世界を覗こうとしました。
どれもこれも現実と結びつかない景色(現象)で、自分の体験を具体的に理解(解明)したいのですが、どうしたらよいのやらです。

ちなみに喫茶店で読んでいた本が「言霊の天地」中上健次・鎌田東二著です、神話には少し興味があり(星野道夫さんのアラスカ原住民関係)、友人宅の本棚から借りて来ました。 偶然シャーマニズムとか神道などについて書かれている本で、神話が日本にも存在すると初めて認識することになったのですが。

何かこの様な体験をされた方や、知識のある方がいらっしゃいましたら教えて頂けますでしょうか。 

しゃくやく さん 2004年 07月 29日 16時 07分 49秒

土公って、聖地なんですね。気比神社の境内図に場所が載っていました。
確かに土公だけ校庭に突き出てます。
古墳なのかしら?
とにかく、今は位置的に邪魔な存在なんですね。
ありがとうございました。

白旗って、いろんな解釈が生まれてるんですね。
単に色のイメ-ジだと、源氏は赤って感じがしちゃうんですけどなぜか白!
日の丸も赤白。
とにかいろいろあることが、わかりました。

そうすると平氏が火星人で、源氏が金星人ですね・・・笑



tan さん 2004年 07月 27日 23時 53分 04秒

>源氏の白旗の由来って、あるんでしょうか?
#由来というか、理由ははっきりしないようです。
五行とすると、赤は火星・南・礼・・、白は金星・西・義・・。
半島に限らず大陸でも赤は南、白(或は黒)は北を顕す記述があるので五行以前からだと南と北、でしょうか。また、生まれる=赤、死ぬ=白といったイメージがあったようです、今の喪服の黒は中国での弔い合戦の逸話以降でそれ以前は白だったようです。
新羅を白旗で表していることもあったり、扶余からの流れを白色で表すといった論考もあったりで、新羅・百済・伽耶は古く同族とも?、ですので<よくわからん^^;
平氏は舟戦に長けていたらしいので南方(赤)といったイメージもあったかも。
平安時代は赤色は貴族に好まれたらしいので平氏は赤を使い、対抗して源氏は白を使った、のかも。

>土公  とは、聖地の事でしたか。聖地を守る神社もオカミにはハガタタナイのですね。どうも永年に亘り在地の人々が遺存してきたものをオカミがツブスといった状況には良く当ります。 土公という呼び名は気比あたりでは≒聖地の意味の普通名詞になっているのでしょうか。


千葉ちゃん さん 2004年 07月 27日 23時 42分 27秒

気比神宮の土公とは,由来については諸説があるなかで「気比大神が背後の手筒山からここに降臨した聖地」という説があるそうです。元は境内地だったところを,戦後の復興計画で小学校の校庭にして,土公の部分だけを柵でかこっています。本当かどうかは別として,聖地としてあがめている人がいる場所の周囲を小学校の校庭にして,しかもすぐとなりにプールを作らなくてもよいのではないか,と思いました。これまで見たいくつかの写真では,土公が柵で囲われているのはわかるのですが,プール,ジャングルジム,登り棒も同じ視界にはいるとは,予想していませんでした。ボール遊びをしていて,土公にボールが入ったらどうするのだろう,と今も気になります。

s_tan さん 2004年 07月 27日 23時 51分 43秒

>室生龍穴神社の奥宮(龍穴)
#の画像は、当hpのリンク集にもある「はっはっはっのトイレ」[奈良]を主催されている方の著作です。
< http://www.lint.ne.jp/~takuya" >←こちらのhpから直接連絡をどうぞ。

タチバナ出版 福島 さん (fukushima@tachibana-inc.co.jp) 2004年 07月 27日 10時 50分 07秒

たちばな出版の福島です。室生龍穴神社の奥宮(龍穴)の写真を季刊誌『縄文ジャーナル5号』に掲載したいのですが、写真使用の許諾は、どなたに申請すれば、よろしいのでしょうか?折り返し、連絡ください。
たちばな出版 編集部 福島
TEL03−5941−2875
FAX03−5941−2398

しゃくやく さん 2004年 07月 26日 14時 18分 06秒

こんにちは〜♪
ほんとに暑いですね、暑中お見舞い申し上げます。
千葉ちゃんさんは、福井が丁度大変な時期に当たってしまって
ちょっと残念だったのですね。
気比神宮の土公とは、、、、なんでしょ? 笑
不法侵入をしているような気がする、、、なんだかどきどきですね。
公式ホムペを覗いたら、桃太郎神像が、かわいいい。
八幡神を読んでいた時、こちらの方の神様と名前の取り替えっこをしたのは、
応神天の神格を入れ替える為とかなんとか・・・でていたんだけど、
何処に書いてあったのか分からなくなりました・・・(^_^;)
全然関係なかったかもしれません。
もう一度、見直してきま〜す。

>これだと八幡も新羅も今木になるってことではないでしょうね
そうですよね・・・(^_^;)
どうしてくれるのって? 
源氏の白旗の由来って、あるんでしょうか?

tan さん 2004年 07月 25日 23時 26分 50秒

  暑中お見舞い申上げます。

 こんばんわ 千葉さん  敦賀・三方五湖ローラおつかれさまでした。
 若狭越前は本殿前で参拝できる社が多いのですか、関東では本殿が瑞籬で囲まれているか幣殿で繋がっているかといった社が多いですね。、そういえば奈良大阪では拝殿の後ろから本殿と相対できるところとか拝殿から本殿を拝す割拝殿といった形もいくつかありました。関東で拝殿を拝すといったのが多いのは権現造が多いせいなのかもですね。

気比神宮は、行ったという記憶だけしか残らないほどの昔に参詣したのですが「土公」の環境とは猿田彦・大田命に縁ある宇治土公のことでしょうか。
木野神社、地下歩道と柵、なんとなく社の置かれている感じがつかめます。参道を道とかが横切るのは幾つか思い出しますが、神奈川の六所神社は国道1号線から入る参道途中にJR東海道がありガードを潜ります、これは車で通れて柵はありませんが。
山津照神社、セミラフきれな打ち上げpar3、実に感じがつかめます^^。距離のつかみにくい打ち上げも山津照神社に参詣すると距離感バッチリになるかも。
いつもながら情景が目に浮かぶ神社の案内ありがとうございます。

しかし暑さが続きますね、異常でしょうか、これが続くとキレイな芝生も枯れ草色になってきそうです。 ちょうっとした避暑に湧水の絶えない社の参詣がよさそうです。



千葉ちゃん さん 2004年 07月 23日 21時 59分 54秒

みなさん,こんにちは。
先の連休を利用して,琵琶湖の北の方から福井県の小浜,敦賀方面を回ってきました。今回のテーマは,継体天皇と神功皇后でした。継体天皇なので福井市にも行く予定だったところ,市内を流れる川の堤防が決壊して大変な様子でしたので,予定を変更して,敦賀・三方五湖方面の式内社ローラー作戦になりました。

さて,若狭と越前の神社は,拝殿と本殿がつながっておらず,本殿前で参拝できる点が,千葉や出雲とちがうなと思いました。はじめ舞台かと思った建物が,簡易椅子や敷物が置いてある場合が多く,これは拝殿なのかと思いいたりました。

今回の驚き報告は
1.敦賀市の気比神宮。土公をとりまく環境がむごいこと。なにもそこまでしなくても,という印象です。
2.福井県美浜町の木野神社。参道の途中を広域農道が通っているので,地下歩道があり,そこをとおらないと神社に行けないこと。地下歩道の出口と神社正面の2カ所に柵があり,不法侵入をしているような気がすること。
3.滋賀県近江町の山津照神社。打ち上げのパー3。鳥居から拝殿までが,きれいなセミラフ。実はゴルフの神様かも,です。

tan さん 2004年 07月 11日 20時 46分 09秒

新羅−王陵の至宝−
新羅、慶州でしょうか、いいですね〜。それも奈良で、すこし触手が動きます^^。
王冠は以前轡とか鐙を調べていた時に韓国国立中央博物館< http://www.museum.go.kr/ の遺物検索→新羅>の画像で見たりしてたのですが、現物見てみたいですね。
冠の上下に「出」の形が重なったようなデザインは、国内でも幾つか出てますが
< http://www.tnm.go.jp/jp/gallery/region/index.html 東京国立>
勾玉が冠に着けられたのは国内出土では未見です、陵を開けると出るのかも知れませんね。どちらが先なのかはよく判りませんが列島の方が早そうな気がしてます。
勾玉といえば子持勾玉の理由が良くわからないです、ナマコあたりの形なのか、子持壺と関連かとか、物によっては大陸からの石獣をなんとなく連想させるとか。。この石獣ですが日本の東北辺りで見たような記憶もあるですが未確認^^;
(数は少ないですが王冠は奈良国立hpのが一番大きいみたい。韓国国立中央ではハングルから入ると日本語より画像を多く見れます)


今木・久度神と源平、調べた事が無いので殆ど「?」です。中世以降武士が「先祖は渡来の○×だ」とか言ってるのが多いのでこのあたりかなぁ。源氏でも元服の差で?八幡太郎とか新羅三郎とか名乗りがあるけど、これだと八幡も新羅も今木になるってことではないでしょうね^^。


しゃくやく さん 2004年 07月 11日 14時 29分 31秒

あらま、宮古の方が涼しいの?これはまたなんと言うことでしょう・・・
でも、関東地方ホントに暑いです♪

今木・久度神・・・そうですね。説明がない事は多いですが、それって、常識的なことなので私がわからないだけなのかなぁ・・・なんて考えています。それでちょっとtanさんの所に書いてみました。(理由がわかるかも?って (^_^;))

KENJIさん、おひさしぶり〜〜〜♪
「黄金の国・新羅−王陵の至宝−」それって、楽しそうですね。
いいなぁ・・・東京でもやってくれるかな?
最近博物館等チェックしてないので、調べて見ます。
勾玉の使用方法の違いに気づかれるなんて、さすがぁ〜!
首飾りとして使う方が原始的な気がするけど・・・
って、そういう問題じゃないわね。。。(^_^;)

日本の古墳の発掘調査、うんそういうところにもっと力やお金をかけてほしいです。そうだ、選挙に行ってこないといけない。。。




KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 07月 10日 23時 39分 46秒

お久しぶりです。皆さんお元気な様で何よりです。
私も元気に過ごしています。(^O^)/

今日、奈良国立博物館に行ってきました。「黄金の国・新羅−王陵の至宝−」展が7月10日〜8月29日の期間で開催され始めたのです。
黄金の冠(韓国の国宝)等、数多くの展示品が有りました。
素晴しい黄金製の数々で、とても良かったです。
考古学的に見たら、日本の物と余り変わりは無いのですが、ただ一つ、王冠には日本の勾玉と同じ物が数多く飾られていました。
此れは、日本の勾玉が首飾りとして使用されていたのとは大きな違いでしょう。
歩搖は同じ様に数多く付いていましたが、その他にも勾玉が付いているのです。

この展覧会を見ていて、日本の古墳の発掘調査を、是非して欲しいと思いましたよ。
もし、東京でも開催されるのなら是非お勧めの展覧会です。

tan さん 2004年 07月 10日 21時 14分 26秒

いやぁ宮古のほうが涼しいとは!、ほんと暑かったですねさらに蒸して。やっと今日は久々にお湿りもありちょいと涼しげ。

今木・久度神、なんか最近の読本は説明が足りてないのでしょうか、それとも言語明瞭理由不明ってフーになってきたのかな。どんな理由か楽しみにしていたのですが。。

kei さん 2004年 07月 09日 20時 21分 08秒

暑い日が続いているようですが、いかがお過ごしですか?

最近は南国の方が、気温は低いようですね。
天気予報を見ると、宮古島の方が気温は2,3度低いようです。
何だか逆転したみたいですね。

本土では熱射病で3人亡くなったとか・・・みなさん、気をつけてくださいね。

しゃくやく さん 2004年 07月 08日 14時 51分 47秒

こんにちは!
暑すぎる毎日が続きますね。
コンペは、日曜日でしたが暑すぎて熱射病寸前のようになって帰って来ました。
全然調子悪かったそうです・・・
tanさん達は、豪華な景品をがっぽりでしょうか・・・?

>あと、今木神が源氏神で久度神が平氏神とも

これの説明ですが、「時代が下ると今木神が源氏神で久度神が平氏神、古関の神が高階氏で比売神が大江氏とされるようになる」となあるだけで、理由の方は載っていませんでした。。。

秦氏は、一つの巨大な組織と考えた方が、良いのですね。
その商社、今でも現存していそうですね。。。



tan さん 2004年 07月 04日 21時 00分 56秒

>今木神=聖明王の理由ですね。
#さんきゅ。江戸時代から続く論拠ってトコロ、かな。
>あと、今木神が源氏神で久度神が平氏神とも。
#この源氏・平家、という説明は載ってましたか。

秦氏、古代を追うとひっかかる、というのが一番多い(氏族)みたいです。その本流とか時代は別として、列島内では今で言えば「実務グループを傘下にもつ超巨大商社」=「秦氏」程度に考えるといいのではないでしょうか。

いかがでした。コンペの商品は女性用のものが多いみたいですが ^^。


しゃくやく さん 2004年 07月 01日 12時 47分 18秒
URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~ashiatone/index.html

こんにちは〜!
今木神=聖明王の理由ですね。
執筆は稲田智宏さんという方で、
「続日本書紀」では和氏について、「百済武寧王の子、純撰太子より出づ」
また「新撰姓氏録」には和朝臣について「百済都王の十八世の孫武寧王の後」とあって百済系ではあるのだが聖明王との具体的な繋がりは明らかではない、ただ今木神は和氏の祖神だという可能性は高い。
なんて感じです。tanさんには、なんだぁ〜って所でしょう!
平野祭には、和氏と大江氏の参加が規定されているとありました。
高野新笠の父母色の濃い神社なんですね。

ちょっと話は変わって、「応神天皇治世14年春2月、
この年、弓月君(ゆつきのきみ)が百済からやって来て・・・」
と日本書紀にありますが、秦氏は弓月君を始祖をとするのですよね。
でも秦氏は、新羅からの渡来人で新羅系の精銅技術を持つともよく書かれていますし、このあたりとてもこんがらがちゃってわからないんですけど・・・
いろんなものを含みすぎて、とてもわかりづらい集団ですね。
ロ−マ・景教徒・秦国なんてところまでたどり着かせて考えるのも、ロマンかなぁ。

>操作できる^^。
って聞くと、鉄人28号思い出しちゃうんですけど・・・笑

ゴルフ、今週の土曜日パパが会社のコンペだったかなぁ。
私は、お土産が楽しみ♪


アジェンダ・プロジェクト さん (agenda@m7,dion,ne,jp) 2004年 07月 01日 01時 45分 26秒
URL:http://www3.to/agenda

アジェンダ・プロジェクト編集部です。
丹後の歴史に関する書籍を発行しましたので、
お知らせいたします。
詳しくは以下のサイトから。
http://www3.to/agenda/

『古代への旅―丹後』     江原護・著

発行:アジェンダ・プロジェクト 発売:星雲社
2004年5月15日発行 全国の主要書店にて発売中。
定価1700円(税込) 
(郵送ご希望のかたはアジェンダ・プロジェクトまで。
郵送費は1冊につき200円、2冊以上の場合は別途相談。)

 ここ十数年のあいだに相次いで発見された巨大墳墓群は、
丹後にかつて王権勢力が存在したことを示している。
オニの伝説と浦島伝説、天女伝説を軸に
弥生の時代から古墳時代までの
古代遺跡探訪と丹後の神々の聖地を訪ねる。
「出雲の神々に魅せられて」に続く北ツ海探訪第2弾。 

コンテンツ
                   
丹後の古代文化  上田正昭 5
丹後のあけぼの 序にかえて 17

第一章 丹後のオニとは・・・鬼とは何者なのか 21
第二章 丹後の弥生墳墓をたずねる 31
   日吉ヶ丘遺跡  三坂神社墳墓群三号墓  大風呂南墳丘墓 
   赤坂今井墳丘墓 奈具遺跡群
第三章 丹後の古墳と古代遺跡をたずねる 47
 1 久美浜湾の古墳と古代遺跡 49
   湯舟坂古墳  権現山古墳  函石浜遺跡
   網野銚子山古墳  岡古墳群
 2 丹後・竹野川流域の古墳群 59
   大谷古墳 新戸古墳 大宮売神社遺跡
   カジヤ古墳 桃谷古墳 途中ヶ丘遺跡 扇谷遺跡
   黒部銚子山古墳 奈具岡北古墳群一号墳 
   ニゴレ古墳 太田南古墳 遠所遺跡  
   神明山古墳 竹野遺跡  片山古墳  
   産土山古墳  大成古墳群  高山古墳群
 3 野田川流域の古墳群 83
   白米山古墳  鴫谷東古墳 蛭子山古墳  
   作山古墳 入谷古墳群  小森山古墳  
   倭文神社古墳群 高浪古墳 霧ヶ鼻古墳群
   日ノ内古墳  法王寺古墳  丹後国分寺跡
第四章 丹後の神々の聖地 105
   奈具神社   彌加宜神社  大川神社   阿良須神社
   籠神社    宇良神社   新井崎神社  木積神社
   大虫・小虫神社 倭文神社  大宮賣神社  比沼麻奈為神社
   奈具神社   溝谷神社   竹野神社   網野神社
   志布比神社  熊野神社   神谷神社

付記:丹後の国 式内社比定一覧
あとがき
丹後のおもな考古資料展示施設

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アジェンダ・プロジェクト
〒601-8022 京都市南区東九条北松ノ木町37-7
TEL&FAX 075-822-5035
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tan さん 2004年 06月 29日 21時 02分 01秒

高野新笠、
>今木神=聖明王ではないかと本に載っていました。あと、今木神が源氏神で
久度神が平氏神とも。(本は、歴史読本の中の特集)
#これって、系図以外の理由は載ってました?

平城の西に土師氏の本拠となった処がありますし、法隆寺東北辺りまでが桓武50を応援した氏族の濃い所だったのですね。京都の秦氏の旧地は聖徳太子の逸話があって、秦氏が土地を提供し平安宮、園韓は2神か2神合体みたいですね。

チップ、ニュートリノとかが偶然多量にイブに襲いかかったのかも^^;宇宙人はソレを操作できる^^。

千葉ちゃん おひさ
ゴルフはのめりこみますねぇ。全知をかたむける狩猟と人間らしくない機械的動きを求められる^^; コンペ優勝してね。


しゃくやく さん 2004年 06月 28日 13時 47分 21秒

keiさん、そのままジョ−クで展開しちゃって下さい。 笑
keiさんの天皇家系図一覧、参考にしています!

千葉ちゃんさん、ゴルフにお忙しかったのですね。。。
コンペ、優勝出来ると良いですね♪
ツヌガアラシト・・・それは私にとってもグッド・タイミング♪
楽しみにしていまーす。
石川県の新羅神社という三井寺のホムペでツヌガさん少し調べました。




千葉ちゃん さん 2004年 06月 27日 16時 52分 09秒

しゃくやくさんにご指名をうけましたので,登場いたしました。最近は「ゴルフであそぼ」になっております。近々,会社のゴルフコンペがあるので,ゴルフの練習を優先して「古代であそぼ」は見ているだけにしています。書き込みをすると,書くときにいろいろ考えるので,一時間以上かかるんですよね。

さて,夏休みには,ツヌガアラシトゆかりの敦賀の気比神宮,若狭姫神社・若狭彦神社付近を旅行する予定です。今回もテーマにそった行程を考えねばならないのですが,苦戦しています。

kei さん 2004年 06月 25日 23時 00分 46秒

>そうすると、日本人は宇宙人?

チップの事は冗談ですよ〜。時代が違う・・・(^^;)

ごめんね。私が冗談ばかり言ってるので、ちょっと、頭こんがらせてしまったね。

それにしても、お二人のやり取り、凄いですね。
私には何のこと言ってるのか、チンプンカンプンです。
読めない漢字がたくさん・・・・笑

しゃくやく さん 2004年 06月 25日 16時 21分 21秒

こんにちは〜
これで私も平野通〜♪なんちゃって。。。
桓武天のお母様高野新笠に深く関係してるんですね。
今木神=聖明王ではないかと本に載っていました。あと、今木神が源氏神で
久度神が平氏神とも。(本は、歴史読本の中の特集)
園韓祭って、宮内庁で祀っている園神と韓神のことですね。今はどうなっているんでしょう。宮内庁って、ずっとアマテラス様のみだと思っていたので、ちょっと驚きでした。
法隆寺北東の秦氏・・・は、前に奈良の松尾山とか松尾寺が秦氏と関係するんでしょうか?ってお伺いしたの覚えています。平安京の地主神なんですかぁ?・・
(^_^;)

keiさん、ソッと帰らずに教えてくださーい。
そうすると、日本人は宇宙人?

最近千葉ちゃんさん、hahahaさん、などお見かけしませんが・・・

kei さん 2004年 06月 24日 22時 03分 06秒

あ・・・お勉強の邪魔しないように、ソッと帰りますね。笑


>イブは宇宙人に極小高機能チップを体内に埋められた!

そうかも!そして、チップはきっと、日本製だ!笑


そっと帰るつもりが・・・m(__)mしつれい!

tan さん 2004年 06月 23日 00時 40分 45秒

平野神社が気になるというのはスルドイ!^^;
4神は今木神(いまきー)久度神(くと)古関神(ふるせき)相殿比売神、となていましたか。このうち比売神は承和年間以降での合祀らしいです。延喜式では平野祭神4座とあります。
各祭神の叙位の初出は、今木:延暦1(782)従4位上。久度:延暦2(783)従5位下。古関:承和3(836)従5位上。比売:嘉祥1(848)従5位下。 最終は貞観年間に、今木:正1位。久度&古関:正3位。比売:従4位。この間も常に今木神が上位にあります。
平城京以前に今木神は平城京田村後宮で祀られ、久度神は大和平群郡で祀られていて、桓武50即位後相次いで叙位されています。
公祭としての平野祭は皇太子が主となってますので、桓武50が平城京の田村後宮で母・新笠と祀っていた事が由縁でしょう。天皇外戚に関る祭のなかで母の父方(和氏:今木)と母方(大枝(土師)氏:久度古関)の両方を祀るのはこの平野祭のみ。ちなみに専用の祝詞は春日神には1つ、平野神には2つあります。比売(比メ)は、春日祭と並び古い平野祭故の加敍だろうと思います。
また土師氏の祀っていたのは竈(かまど)神だろうともされますが、これはメインでなく祭の内容から竈は釜で鼎に近い使い方ですから、天皇・皇太子の食と健康を守るのはむろんですが、火継(日嗣)を守る神が主かなと考えてます。
光仁49の中宮で高野新笠と呼ばれる母・皇太后姓和氏(史)の父は和乙継(贈正1位)母は大枝朝臣真妹(贈正1位)。先祖は百済遠祖都慕王、百済武寧王(その子純陀太子≒聖明王)としている様です。
祭は祖先神へのそれから皇室の守護神へのそれへとなりますが、卜部氏が宮主として力を持ち、卜部は吉田神社と平野神社の2流に分かれます、平野流は鎌倉時代に途切れます。

王権の神社特集という雑誌は未見ですが、二十二社関連はなかなか面白いですね。 公祭で平安遷都直後の発生として園韓祭というのがありますが、これは平安京の地主神とされ、たしか以前しゃくやくさんが?だった、秦氏関連で法隆寺北東の秦氏との関連が深いとされてます。


しゃくやく さん 2004年 06月 22日 12時 32分 16秒

tanさん、いろいろわかりやすく書いていただいて、ありがとうございました。
あんまり新羅・加羅って区分けしないで考えた方が良さそうですね。
二十二社制は、王権の神社特集という雑誌でちょこっと読みましたが
平野神社など知らない神様ばかり四柱いて、百済との繋がりが書いてありました。
どなたかの祖神なのかも?
半島って複雑で、王族系も他所の国からやってくるとなると余計ですね。

現人神社は、祭神が都怒我阿羅斯等さんなのですが、そうするとどちらも意味は、他所から現れた人ってことなんですね。

2足歩行になってから、イブが誕生するまでも、スゴイ年月♪
そのころ生まれても良かったかなぁ・・・笑

tan さん 2004年 06月 20日 23時 14分 35秒

新羅・加羅、2神を同一視してこれを主祭神とし祭った神社もあると思います。最初Aを祭ったが(水害に)効き目がないので隣村で祭られているBを祭ったら効き目があったのでメインがBとなった、年月を経てA=Bになったとか。
別系統として祖神を祀るってのがあります。平安中以前の例えば二十二社制なんかは殆どが外戚(藤原氏多)なんですが、初期の6・7社に自然対象(封禅?)と前任者が入っているのかも。
古代、半島との交流は王族系のソレだけでも多くの記述があります、今で言えば英国の王女が天皇の母だったり、ですから、記録されている以上に頻繁に行き来があったのは間違いないでしょう。
加羅の金ユ信は新羅第一の将軍となります、また大化の鎌足&大兄に類似の逸話が合ったり、言葉が通じなかったとのニュアンスが無かったりしますから3加羅、ひょっとして半島では或はその一部支配者階級間では言葉が共通といった部分が多かったのかも。もちろん建国時の侵入時点では通じないという記述もあります。
都怒我阿羅斯等の等を「など」と複数と解釈するする人もいたような気がします。現人アラヒトは単純に「現れたヒト」でいいんじゃないでしょうか。海から現れたり、天から降ってきたり、と。

「越えた」と「渡った」^^; 渡ったの方が少し詳しいというか海流・考古物の記述が多いような気がします。伊豆諸島に伝わる南方の伝承など調べられている人ですから。

イブは宇宙人に極小高機能チップを体内に埋められた!のではないでしょうか^^。
まー、知恵熱が繰り返され飽和状態が続き、体内安全弁機能が働き、経験則にない異質な機能が動き出す→突然変異(新バージョン)。

>国立科学博物館のホムペ
#サンキュー、初めて見ました。2本足は500万年とか350万年前とかありますね。そいえば、森から出たのが理由とかそうでないとか、は結論でたのだろうか。。


しゃくやく さん 2004年 06月 20日 22時 16分 29秒

えぇ・・・・?
「最初に歩いた」は、ちょっと意味不明だろうけどぉ 笑
違うの?
勝手にそう思い込んでたわ。。。ずっと  (^_^;)
もっと、昔の猿人とかなの?
ちょっと、調べてきま〜す。






kei さん 2004年 06月 20日 11時 18分 24秒

>一番却下って言いそうなのは、keiさんだけどなぁ・・・笑

あれ?そうですか〜〜?私って割とロマンティックなほうで、宇宙人も
いると思っていますよ〜〜。

韮澤(字あってるかな)編集長の話には笑っちゃうけどね。(^_^)フフ♪


>10万年前ごろにアフリカで誕生したホモ・サピエンスの、最初に歩いたのがイブ?

違いますよ〜〜。しゃくやくさんは何か大きな勘違いをしているような・・・

tanさん、知恵熱で寝込んじゃったのかしら・・・
それとも、お勉強中かな?
邪魔しちゃ悪いから、とっとと帰りますね。またね〜〜♪

しゃくやく さん 2004年 06月 18日 11時 20分 44秒

10万年前ごろにアフリカで誕生したホモ・サピエンスの、最初に歩いたのがイブ?
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/1-14.html
この国立科学博物館のホムペは、時々眺めてるんだけど・・・

で、彼女の父親が、果てしない銀河のかなたからやってきたのかもなのですね。
一番却下って言いそうなのは、keiさんだけどなぁ・・・笑
私は信じちゃうよ。。。宇宙人はいると思ってるし!


kei さん 2004年 06月 18日 00時 02分 41秒

 シュメール人のことはさておき、(自分で聞いておきながらすみません。)
話題が多くて、イブの遺伝子から少しお話させてくださいね。
 しゃくやくさん同様、色々煩わせてしまいまして、ども・・・です。(^^;

イブの遺伝子はディスカバリーでも何度も放映してるし、日本でも二時間特集で
やってました。金さん、銀さんの家族の遺伝子など調べて、先祖はどこどこから
来た人達であるって、お話されてましたね。

人類の祖先は東アフリカの一人の女性に行き着くのですが、
そしてその女性を『イブ』と名づけたのですが、
イブにも母親はもちろんいました。でも、イブまでしかたどり着けないそうです。

何故か、それはイブの母親とイブとの間に特別な何かがあったと考えられますが、
何があったのか、それはまだ解明されていないようです。

何らかの突然変異が起きたと考えられるそうですが、
もしかしたら、イブと宇宙人の間に出来た子どもたちが現生人類の祖先かも
知れないですね。
と、すると宇宙人は現生人類に強力な遺伝子を与えたって事になります。

こんなこというと、KENJIさんに却下!って言われそうですね。笑
でも、私は1パーセントぐらいはありかもって、思ったりします。笑

もっと最初から詳しくお話したいんですけど、延々と長くなりそうなので、
ここら辺で止めときます。
だって、tanさん、また、知恵熱がでると困るもんね。笑

あ、私も「海を越えた縄文人」も読みま〜す。ありがと。

しゃくやく さん 2004年 06月 17日 17時 34分 08秒
URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~ashiatone/index.html

こんにちは!
なんだか早々昨晩、患わせてしまったようで・・・笑

私はあまり資料等持ち合わせていないので、ホムペで検索した結果なのですが、都怒我阿羅斯等は、天之日矛と同一視されている結果、新羅の神と解釈されている様子。同一なのかどうかは別としても、加羅なのに・・・?って疑問が渦巻いてしまいました。
でも、そうすると新羅の国王が加羅の血を引いていた事によるのかもしれないってことですね?
また、天之日矛は、金属製の祭器を人格化したものなんていう考えもあるようなので、複雑で、私には理解不可能かも?です (^_^;)
八幡信仰の流れで、お伺いしました。それにしても、不思議なお名前。
また、現人神社で、アラヒトと読むなど、なんでそんな風な当て字?って感じです。
そうすると、書記では、この二人って別人ですか。。。?
「蘇我王朝と天武天皇」、こんど読んでみようっと♪
でもその前に、「海を越えた縄文人」と渡った縄文人も読まないとぉです。 笑

tan さん 2004年 06月 17日 00時 30分 15秒

 keiさん、イブの遺伝子、同じ番組ではないかもですが見ました。ミトコンドリアてのはヒトを造る司令塔みたいなものみたいですね。一人に行き着くなら、その一人は突然変異か宇宙からきたのかはたまた神の降臨か、まるで体内に埋め込まれた強力高機能極小チップの様です。

蒙古班は何故?なんでしょう、int-ではその説明は見つけられない。氷河を尻滑りして半凍傷で生き残った名残りかも^^。

シュメールは、これも突然変異みたいな感じですね。近年色々分ってきた事があるような記述を見た記憶があります、程度です。


 しゃくやくさん、都怒我阿羅斯等は、書紀では意富加羅国の王子、崇神10の時に北からツルガに入り垂仁11の始めに3年仕えて、帰り国名をミマナとした。この帰る途中で新羅に織物(赤絹)を奪われ以後両国は不和になった。とあり、この後に新羅の王子が宝物を持って渡来し、云々。で阿羅斯等と日矛はすれ違いだった(途中ですれ違った?)。
古事記では応神の後半で「又昔、有新羅国主之子。名謂天之日矛。是人参渡来也。・・」とその誕生など記してます。

新羅と加羅(伽耶・任那・金官加羅・駕洛、)の建国神話は卵生で共通。(紫色のヒモが1つ垂れてきて、6個の卵を降らした、5個は各邑にかえり、1つはこの城にあって、首露王となり、残りの5個は5加耶の主となった、)
(AD532)新羅に滅ぼされたが国王の後裔に金ユ信(ユ≒庚)などの英雄がでた、新羅30代文武王は甥。
三国遺事の駕洛国では建国首露王(AD42)〜10代仇衡王(AD532)に新羅に降服。

>加羅の王子なのに、新羅の神とされています
#新羅の神という記述にはあまりお目にかかっていないのですが、半島の南にというか東寄りには花郎に繋がるだろう農業神(たぶん女神)とか太陽神への信仰が多かったと思いますが、祖先神は部族(邑・国)単位で違っていたと思います、さらに同じ血筋でもその一代目とか三代目とか。

>本来加羅にいた人達にとっての新羅の神となっているのでしょうか?
#一番の権力者の祀るものを祭るというのは有りですね。or、新羅文武王(661-681)以降又はその前の武烈王あたりから金氏の祖神が新羅の祀る対象だったかも。

唐突というか鋭いご質問のお陰で関連どころ読み直してました^^。三国史記と三国遺事。やはりおもしろいですよ。
百済、任那、新羅については、
『蘇我王朝と天武天皇』石渡信一郎、三一書房1996.3/15、\2300-
このあたりもおもしろいかも。


tan さん 2004年 06月 16日 22時 49分 16秒

本の題を間違えたようです。「渡った」ではなく、「越えた」です。
『海を越えた縄文人』H11.9/20,TV東京,祥伝社\1800-,です。

とりいそぎ。 失礼しました。

kei さん 2004年 06月 16日 21時 46分 04秒

しゃくやくさん、発見!(爆)

>>シュメール人って興味あります?
>ビ−ル作った人達よね。

 あ、そうなんだ・・・知らなかった・・・^^;

もう「海を渡った縄文人」、注文したの?はや!!
私もヤフーで注文しようかな・・・じゃ、行ってきまーす。^^




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