・掲示版 書庫


しゃくやく さん 2004年 06月 16日 18時 58分 57秒

こんばんは!
ちょっとだけ、唐突な質問があるのですが・・・
都怒我阿羅斯等さんって、祟神天皇時に渡来、垂仁二年(何年でしょ?)に大加羅に帰国したそうですが、加羅の王子なのに、新羅の神とされています。
これは6c半場に加羅が新羅国になってしまったからですか?
新羅本来の神は、いなかったのでしょうか?
それとも、本来加羅にいた人達にとっての新羅の神となっているのでしょうか?
こういところで意味がわからなくなってしまうんですー(^_^;)

keiさん発見!
海を渡った縄文人は、私もヤッフ−で頼みました。2.3日で届くそうです♪
楽しみだねー

>シュメール人って興味あります?
ビ−ル作った人達よね。

kei さん 2004年 06月 15日 22時 51分 11秒

最近と言っても、何度も放送してるけど、ディスカバリーで
「イブの遺伝子」を放映してたけど、観ました?

人類は皆、東アフリカの一人の黒人女性の子孫だそうですね。
当時、この説を発表した女史(名前忘れた)に反発も大きかったらしいけど、
今ではだいたいこの説は受け入れられているそうです。
だとすると、縄文人もイブの子孫になりますね。

寒さ、飢え、灼熱の地獄、過酷な自然と闘いながら旅して生き残ってきた
私たちの祖先に乾杯!←これ、いつかの番組で俳優さんが言ってました。(笑)

蒙古斑は何時から体に現われてきたんでしょうか・・・
イブの時代はきっとなかったんでしょうね?

『海を渡った縄文人』私も読んでみたいと思います。
良い情報をありがとうございます。

話し変わるけど、シュメール人って興味あります?(唐突ですみません)m(__)m

tan さん 2004年 06月 13日 01時 16分 05秒

 KENJIさん、おひさ〜^^。
蒙古班、南アメリカ・ヤノマミ族ですか。エスキモーイヌイットもそうですね、欧のほうにも散在してる? 北方と南方系があるとか、これからint-netで確認してみよう分布。しかしできる理由はなんだろう、食物など自然環境で無くなることはないのでしょうか。

 かーたんさん、
縄文土器のお話でたしか『海を渡った縄文人』という本、面白かったですよ。

>東北も古墳を墓とした方々がトップでいて、後から来た大和政権と争ったと言う事で良いのかなぁ・・・
#そうですよ、この「良いのかなぁ・・・」が大事です。納得がいくまで調べる事が大事です。いまだに良く分らないです、私。
饒速日を祀るのは印旛でも今22社ほどの鳥見神社の主祭神で他ではあまりないです、が神武の名が1500年?ほど後に付けられた名前ですし饒速日もその100年ほど前に付けられた名前なのかも知れません。多数を重ねた名前かもしれませんし多くの名前で祀られているかも知れません。
隠れキリシタンではないですがオカミの政策とか流行で祭神の名は変る事も多いですし。。 ですから印旛の鳥見、宗像、麻賀多(と埴生神社)の集中してあるのが面白いところなんです。


しゃくやく さん 2004年 06月 12日 12時 37分 43秒

あっ、KENJIさん発見♪お元気なんですね、良かった。
いろいろ想像してしまいました。。。(^_^;)
お忙しいのでしょうか?ぼちぼちお顔見せていただければと思います。
でも、無理されないで下さいね。こちらでお会いできるだけでうれしいです。

蒙古斑が、アメリカにまで広がっていたってことは、アメリカ大陸も本来は黄色人種の人々が暮らしていたいうことですね。インディアンもそうですよね。
>縄文式土器に良く似た土器類
蒙古斑が載ってるんですか? スッゴイ

>律令に近い時期で、ヤマトへの反抗する力を持ち現地を纏めている人は、祖先が>古墳を墓としたとか、縄文より弥生の血が濃い人、ではなかったか、とだろうレ>ベルで考えてます

そういうことなんですね。
東北も古墳を墓とした方々がトップでいて、後から来た大和政権と争ったと言う事で良いのかなぁ・・・

ニギハヤヒさんって、印旛の辺りに多いんですね。墨田区にはいませんでした。
これは、古代からの土地の古さとかにもよるのかしら?



KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 06月 12日 00時 18分 08秒

今晩は。(^o^)丿
ご無沙汰しております。が、タマには覗きに来ます。

蒙古班、私の記憶では、南アメリカの原住民、(確か、ヤノマミ族だったかな?)にも有るのが確認されています。又、縄文式土器に良く似た土器類も見つかっています。

元気に過ごしていますのでご安心下さい。m(__)m
他の方々のHPにも、その内に行くかもしれませんが、もう暫く、猶予を下さい。
では、では。

tan さん 2004年 06月 10日 23時 12分 17秒

蝦夷の中には、縄文から弥生から住んでいた人と古墳時代に住んでいた人がいたような気が、、小田原市の割と海に近い所に弥生初期前後の遺跡があるのですが、ここから縄文と弥生の混合と思われる遺物とか縄文と弥生人を親にもつだろう子供の骨がでています。
方形周溝墓の時代?の環濠集落が横浜・房総にもありますが、横浜も西より使われた期間が短いですが房総のはさらに期間が短いようです。いろいろ解釈できますが、福島あたりの大型古墳の時代までは、人口も少なくて現地利用というか調達というか交流といったレベルも結構あった、のでは等思っています。
律令に近い時期で、ヤマトへの反抗する力を持ち現地を纏めている人は、祖先が古墳を墓としたとか、縄文より弥生の血が濃い人、ではなかったか、とだろうレベルで考えてます。

蒙古班(字が?)はたしか南のハワイあたりとか範囲は結構広かったと思います。
、三国史記の新羅・高句麗・百済のなかで鳥という字が使われる量が多いです新羅が圧倒的に。 白鳥は天国への乗り物の一つの捉え方でしょうか、扶余に通じるとか色々説があるようです。


しゃくやく さん 2004年 06月 10日 15時 28分 41秒

こんにちは!
なんだか1週間の間に、いろんなことが・・・
蝦夷しつこくスミマセン・・・なんとなく、雰囲気つかめました。
蒙古班って、黄色人種にあるものですよね。
縄文時代からあったかどうか・・・?BC5000年前以前の人にはないかもですか?
でも、アイヌ人にはない・・・混乱(^_^;)

宮古の方言ってすごいです。チンプンカンプン・・・
なんでこんなに違うんだろ?
どこか他所の国と近い表現はないんでしょうかしら。
いろいろ調べると、なんだか楽しそうですね。

鳥は新羅か高句麗に多い。っていうことですが、ニギハヤヒさんがこちらの神社の祭神なのですね。鳥って、白鳥になったヤマトタケルさんもいますが、なにか関係するのでしょうか?










tan さん 2004年 06月 08日 21時 46分 49秒

 keiさん、ありがとう。
そうですか、ミヤラビっておじいさんも虜にするんですね。
飯の「い」もふるいのかなぁ、「ンキャギサーマチ」これって「いただきまーす」に近いのかも。

kei さん 2004年 06月 07日 22時 54分 45秒

すごい!tanさんのおっしゃる通りだと思います。

昨日は久しぶりに兄弟が集まりましたので、ちょっと方言の話を
しました。
みんな、詳しく知ってるわけじゃないけど、母の言う事も参考にして
解ったことなどありましたので修正させてくださいね。

まず、初めに、昔使っていた方言と今の方言とは違うのではないかって
事でした。宮古の正しい方言はだいたい80代以上の、お年寄りが使って
いる方言じゃないかとのことでした。これって、当たり前ですよね。^^;

それから、友達同士で使う方言と、目上の人に使う方言は違うようです。
例えば、『食べて』は友達同士では「ファイ」と言い
目上の人とかお客様などには、「ンキャギサーマチ」と言います。
これも、考えて見れば当たり前かな?^^;

それから、それから、「アパラギ」は(かわいい)の意味で、
「ゾウギ」は美人の意味じゃないかとのみんなの意見でした。
「ミヤラビ」って方言もあるようです。
宮古の方言の歌に「♪ミヤラビ(若い娘) ヤー(家) イキ(行って) 
ククル(心) ユルスナ(許すな) シュー(おじいさん)♪」と言うのが
あります。直訳入れてみたけど意味は、「若い娘のいる家に行っても、
心を奪われてはいけませんよ。おじいさん」だと思います。

以上なんですけど、昨日はどうも間違ったうんちくを聞かせてしまってすみません。
恥ずかしいので、もうこの辺で退散したいと思います。ソソクサ!

tan さん 2004年 06月 06日 16時 58分 51秒

言葉って地区ごとに違うとか、業界用語的部分は結構あるのでしょうね、仲間内の隠語が何%とかは五百年後には公用語になるとか、あったりして。当然その逆もあるでしょうね。
言語の学術的世界は全く知りませんで^^;、気にしてるのは、原始の例えば犬でも発音できるコトバとか、私、あなた、歯、目、父、母とかです。次は美人など女性に関するもの、これはその種類の多さとか定義の背景を推理したりするのが面白いです。上品な(高貴?)な顔立ちは「面長」との認識があったりすると、骨格の違う人たちが上品だった?或は好まれた、何故?とか。。
繰返しは多いらしいですね日本語にも。強弱とか身振り手振り表情交えやっと少し伝わるのがコトバなのかも。data-baseも採集年月対象者の詳細など付けないと不完全なのかも知れませんね。
「ゴーラ」ですか、日々変化してる!。なにか戦前に東京のロシア人教授が調べ始めたのが本格の先鞭だったと見ました(int-上、場所忘れ)。

>参考にならないことなど、長々と失礼いたしました。
#とんでもない。事実、現実、keiさんのお話、楽しい&興味深いです。
少しそれますが、神社訪問でも氏子の方と神職の方の勧請由来などにズレが或は反対に近い事などあります、このあたり重点を置いてますし面白く興味深いところです。
寝汗びっしょり飛び起きた、なんて悪夢の経験無いから一度みてみたい、ほんの少し遠いけど。^^。


kei さん 2004年 06月 06日 14時 50分 59秒

■宮古の方言について

例えば、tanさんの紹介してくれたHPに
『ようこそいらっしゃいました、沖縄に来てくださって、ありがとうございます』を
『宮古方言』では
「んみゃーち、うつなんかいみふぃさみなんがいんだーもの」
って、書いてありますけど、ぜんぜん解りません。(^^ゞ

『ようこそいらっしゃいました』は、「んみゃーち」でいいと思います。
『沖縄に来てくださって』は、敬語だから解らないのか、それとも私がもともと
知らないのか・・・どこで区切っていいか解りません。(^^ゞ
『ありがとうございます』は、「たんでぃが〜たんでぃ」です。
これはあくまで平良市(平良市の中にも小さい区切りがあってまた違います)
の言葉で、また私の知ってる範囲でお話させてもらってますので、
あしからず・・・すみません。笑

それから私が思うに、宮古の方言は二度繰り返す言葉が割りと多いように思います。
これは、宮古の気質として自分の気持ちを強く伝えたいって思いがそうさせて
いるのかもしれませんが・・・・。
「うばいが〜うばい」とも良く聞きます。
これは、事件とか、行動とかで、難を逃れたって時に使います。
これも二度繰り返します。
標準語に直すと『そこにいなくて良かった〜』とか『あの時言わなくて良かった〜』
とか『あの時ああしなくて良かった〜』って感じですかね。

それから、「アガイ」って意味が痛いときなどに発する感動詞。って宮古方言の
データベースに載っていましたが、痛いって意味じゃないです〜(;^_^A
痛いっは「アガッ」です。

「アガイ」は強弱によっても意味合いが違ってくる言葉です。
一言では言えないな〜い・・・「アガイ〜モ〜」。こう使えば「じれったいなぁもう」
って意味。笑

細かいとことろはやはり、調べるのに手間もかかるし、必要ないかもしれませんが、
私としては現地ですので、やはり気になりますね。間違った解釈をしてほしくないし、
より、正確にという思いになります。
そういってる本人が一番良く知らないけど・・・(――;)

因みにテレビでおなじみになった「にがうり」こと「ゴーヤ」ですが、全国的に
有名になったためか宮古の方言では「ゴーラ」と言ってたのが今では「ゴーヤ」と
いうようになってます。

>なぜロシアと思ったら宮古とは古くから縁あるのですね、ロシア。
そうなんですか?ぜんぜん知りませんでした。どんな縁があるんでしょうね。

>アパラギムヌ keiさんを嫌うなど!
ありがとうございます。笑
画像アップしないでよかったです。「うばいが〜うばい」笑

>美人の言葉に「アパラギムヌ /aparagimunu/」「ミヤラビ /mijarabi/」の系統があるようですが、区別してます?
美人の言葉には「アパラギ」ととあります。
「アパラギ」は私の考えですが、普通の会話の中で冗談を言うような感じで使う感じかな?
「ゾウギ」はほんとに心から、美人だと思って第三者同士で噂しあって話す感じ??
どっちにしろ、日常会話ではでてきません。酒の席では男性同士で使うのかな?
使うにしても、60代、いや70代?以上のような気もしますけど・・・(^^ゞ
「ミヤラビ」は聞いた事ないですね。

「キジムヌ」「ドウシ」は沖縄本島の方言だと思うのですが、
私のとこではお化け、幽霊は「マズムヌ」ですよ。友は「ドゥス」です。

>いってみたいなみやこ^^。
悪い夢にうなされたくなかったら、いらっしゃい♪
期待が大きい分だけ、落ち込みも生半可じゃないと思いますよ。笑

京美人、秋田美人、私はそれにあこがれますね。一重まぶた・・・
色っぽくていいと思うけど、何故にみんな二重にしたがるのか・・・
家の父は一重まぶただったけど、その一重は末の弟にだけ引き継がれ、
目だけは、弟が羨ましかったです。笑

どうも、参考にならないことなど、長々と失礼いたしました。

tan さん 2004年 06月 04日 23時 46分 43秒

とんでもない、アパラギムヌ keiさんを嫌うなど!
美人の言葉に「アパラギムヌ /aparagimunu/」「ミヤラビ /mijarabi/」の系統があるようですが、区別してます?
記事切抜きのロシアの女性研究者ですが、なぜロシアと思ったら宮古とは古くから縁あるのですね、ロシア。
< http://www.nhk.or.jp/a-room/kotoba/29okinawa/29okinawa.html >NHK。
< http://www.ocls.u-ryukyu.ac.jp/ >沖縄言語研究センター
このwebは素晴らしいです。これをみると那覇方面と宮古では、昔ほとんど言葉が通じないだろうと思います、最も琉球は変化が激しいのかもですが。収録語数を比較すると琉球に較べ、宮古の研究はまだまだこれからといった感じです。

キジムヌ /kizimunu/ この意味が「幽霊」これは鬼神かな。。ミヤラビは雅みやび)に通じる? ドウシ=友、とか。宮古の言語みると女性にかかわる語が多いすね、細つくりで顔が小さく目鼻立ちくっきり、というのが宮古女性の典型なのでしょうか。いってみたいなみやこ^^。


kei さん 2004年 06月 04日 23時 07分 03秒

良かった〜〜。tanさん出て来てくれて

KENJIさんは、急にHP休むって言うし、tanさんは出てこないし、
もう、昨日からKENJIさんの掲示板としゃくやくさんのとこと、ここと
行ったり来たりでしたよ〜〜(;;)みんなに嫌われたかと思っちゃいました。

>諸島の方言はいくつもに分かれているのですね
そうですね。小さい島ですけど、方言もちょっと違いますね。
多良間島の方言なんか、聞いててちんぷんかんぷんです。
調べて解ったことは、教えて下さいませ。m(__)m

ほんとにここは知識の宝庫ですよ。ロムだけでレスを忘れるくらいです。

>かーたんさん
宮古の方言、恥ずかしながら、喋れないんです。でも、聞くことは出来ますからね。
単語、単語はわかりますよ。全部じゃないけど・・・。
英語よりは、自身あります。笑

tan さん 2004年 06月 04日 21時 12分 27秒

 keiさん、記事画像ありがとう。諸島の方言はいくつもに分かれているのですね。少し調べてみます。
>ココは知識の宝庫ですね。(^_^)
#いえいえ、もーそーのレベルというか、可能性がゼロでないといった程度でご自分での確認が必須です^^。
小野神社での・・・は、丁度運転してましてアブナイところでした^^。
また「いつか、、」参加してください。


 moonさん、キリ番、連絡ありがとうございます。
これから、伺います^^。


 かーたんさん、蝦夷は「場所&反抗」の条件が強いと思ってます。縄文人はよく分らないですね、今、蒙古斑をもつのが殆どですが縄文人はどうだったのだろう、アイヌには無いといいますが。
>西とは違う力の集団が出来ていたってことのような感じでしょうか。
#ですね。突然見知らぬ人がやって来て、明日から働きの半分(今=以上)差し出せ、てなもんですから、それは反抗しますわ。集団もソレ以前よりは広範囲になるでしょう、もちろん抜けるのもいますが、敵は騙し・戦の百戦錬磨ですからね。日高見、日高ヒダカ-ヒタチに近い感じもしますが「日高」の地名は結構あるので調べるのも面白いかも。
オフはまたの機会に、、松嶋さんよりネネさんのほうが・・・^^。
千葉の神社は、足かけ3年+で、いくらなんでも忘れそうだと。。鳥は三国のなかでは新羅が多く記載されてますね、次が高麗でしょうか。



tan さん 2004年 06月 04日 20時 41分 13秒

了解です。迎撃オフは暫くおあづけということで。
hp、早めの再開お待ちしてます。

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 06月 03日 19時 07分 45秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

申し訳無いですが、急にHPを休む事に致しました。
オフ会の申し出をしましたが、其れも無かった事にして頂けませんでしょうか。
勝手な事ばかり言いまして、大変申し訳なく思っています。
何時か、再開しました時には、今迄の様に御付き合いくだされば幸いです。
皆様の発展と、ご健康をお祈りいたします。

しゃくやく さん 2004年 06月 03日 13時 30分 30秒

こんにちは〜!
今頃ですが、蝦夷・・・
蝦夷の実態って、単に住んでいる場所の地理的なものなのか、縄文の色が濃い人達なのか、それとも粛慎など人種の違うものなのか・・・
いろんな要素が混ざり合って、とにかく西とは違う力の集団が出来ていたってことのような感じでしょうか。それが日高見国? よくわかりませんが。
で、関東は、・・・・日高見国とは、違う雰囲気。
弥生文化が浸透して、さらに
海沿いから大和勢力が入ってきて段階を経て奥に広がっていってるのかな。
>例えば40人の息子がいると皆が「王」です
そうなんですかぁ・・・それじゃ、百済の王様だらけですね。

keiさん、発見♪
宮古の方言・・・あれ、keiさんは、話せないのですか?
なんだか、おもしろそうですね。
追求しましょう〜よ。
宮古の神社は、怖そうだし、、、

えっ、オフ会ですか?
うわぁ〜、そんなこと考えてないからs_tanさんに、
松嶋奈々子とか言っちゃたじゃないですかぁ〜笑
ほんとは、魑魅魍魎ですから・・・(^_^;)
それで、超ミニ姿で行けばいいのかしら?keiさん、がんばって〜〜〜
ちょっと私の知能指数では恥ずかしいのと、女性一人では鋪鋪に出してもらえないかと思うのですが、もしも行かれたらヨロシクお願いしま〜す。

s_tanの神社が、たくさんUPされていますが、千葉を随分回られたんですね。
まだ良く見ていませんが、鳥というと事代主はトリが嫌いを、思い出してしまいます魚を取って行っちゃうから?かしら。

moon さん 2004年 06月 03日 05時 46分 48秒
URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~m-p

3周年記念のキリ番を設けました。
ささやかなですが、感謝の気持ちの
品を用意させて頂きました。参加して
下さると嬉しいです。m(_ _)m
(コピペですみません(^^;ゞ)

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 06月 02日 21時 29分 26秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

>小野神社での興奮・・・アチラも良かったけど・・・キャー何の話?!?!(爆)

実は、小野小町が舞い降りたのです。其れも、超ミニ姿で・・・。(爆)
男性陣は、目が点の、全員、釘付け。(◎o◎)
思わず手を合わせようかと思いました。(o_ _)ノ彡☆
男性陣は・・・と、言う事は、実は女性がお一人居ました。その人の感想は・・・
その内に此処にも来るかな・・・ε=ε=ε=(/o^)/

今、集まろうかと話を切り出したところです。私の今年の3連休は・・・
7月17日〜19日、9月18日〜20日、10月9日〜11日、の、三回有ります。其の内のどこかでは如何でしょうか。
もし、参加してみようかなと思われる方が居ましたら、s−tanさんか、私か、この掲示板に連絡してみてください。
日時も目的場所も何も決まっていませんが、お互い都合の良い日時や場所は、今後の相談で如何でしょうか。私は何処にでも出掛けますよ。(^m^)

kei さん 2004年 06月 02日 21時 05分 04秒
URL:http://mai-hana.hp.infoseek.co.jp/kiji/hougen.jpg

tanさん、URLクリックしてみてください。宮古方言の記事がでると
思いますが、一応保存してから拡大して見みると文字もはっきりすると
思います。こんな風に載っていたので、まだまだこれからのようですね。
何時代かわかりませんが、面白そうだったら、またお知らせいたします。(^^)

蝦夷・・・中華思想と、倭?思想の合体文字なのかな・・・?
ココは知識の宝庫ですね。(^_^)

小野神社での興奮・・・・アチラも良かったけど・・・キャー何の話?!?!(爆)

い、いこうかな・・・(爆)
その内、神社に興味が出てきたらいつか参加させてくださいね。

誘ってくれて、ありがとうございます。

tan さん 2004年 06月 02日 00時 02分 29秒

いいすね〜 やはり、遠来のKENJIさんの日程優先ですね。私は事前に判ればいつでもスタンバイ&準備します。
小野神社は近くの山腹に(小野)小町神社があるんです小さな公園の横を登るのですが、小町の再来か!など思ったですワ^^。
相模の山側の探訪もいいですよ、箱根近くの足柄、寒田神社とか、大山阿夫利などなど。。で、KENJIさんより、しゃくやくさんの予定優先になるかしら、遠くのkeiさんもいかが。

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 06月 01日 22時 55分 02秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

今年は久し振りに集まりたいですね。私は何処にでも押し掛けますよ。(^m^)
関東の方でしたら、新しい方々も参加してもらえるでしょうか。ネ、しゃくやくさん。(爆)
小野神社での興奮(アチラじゃないですよ。アラハバキの方です。)は、今でも鮮明に覚えています。アチラも良かったけど・・・。(爆)

tan さん 2004年 05月 31日 00時 01分 03秒

keiさん、そうです、半角カナはそれ以降文字化けします、大体は改行するまで。すみません、hi-hoの仕様です。&文字種の指定がなかったのでこれは追加しました、&&ついでに疲れると読み辛いので(自分^^;)文字サイズのランクupをしました。

>宮古の方言らしき ものがしばしばでてくるので
#これは面白いですね、意味は同じ?とか頻度(割合)とか、古典の時期は万葉?平安?とか、お暇な時にでも教わってください。さらに時間がありましたら教えてください^^。
・・・やっと。。などご謙遜を! ひょっとして世界史というか西洋史のほうがご専門でした?。

蝦夷、中国に北狄西戎南蛮東夷というのがありますが、これでいくと「夷」は東とセットですね。漢字自体の意味は「蝦」エビですが、虫は生きもの全般(虫のなかで毛の無いのが人)の意味で、右はエビの甲冑とか蛙とか、假=仮ですから、カリノとかハンタイとかを含めて蝦の字を選んだかも知れないですね。


kei さん 2004年 05月 30日 20時 34分 45秒

なんで、文字化け?半角がいけなかったのかな?(;^_^A アセアセ・・・
もう一回文字化けのとこだけ、投稿してみます。ダメだったらごめんね。

ついていくのがやっと・・・いえ、取り残されていくような感じです。笑

kei さん 2004年 05月 30日 20時 30分 22秒

わー、ここでも皆さん、凄く勉強なさってますね。
ついていくのがやっとゥイい─⊆茲蟷弔気譴討い・茲Δ粉兇犬任后・ミ
だから、しゃくやくさん、私に振らないでね。笑

そういえば、最近の地元の新聞に、古代の日本の言葉が宮古島の方言に似ていて、
その研究をしているって、載ってました。(すいません。誰だか名前忘れましたがゥ)

彼にもこんなこと載ってるよって言ったら、古典を習っている時、宮古の方言らしき
ものがしばしばでてくるので、変な気がしたと言ってました。
因みに彼は方言べらべら喋るのうまいです。
私は方言は片言、片言しか喋れません。

どうも、関係ないおしゃべりをしてしまいました。
今度、又ゆっくりと、お邪魔します。

tan さん 2004年 05月 29日 23時 30分 01秒

柵戸へ送られた人たちは、始めは浮浪者とか囚人が多くて現地と摩擦、その後一般の人を送り込み、といった繰返しがあったのでしょうね、明治の北海道も似た状況はあったのでしょう。親を都に残してきてこのままでは死に目にも会えないと申請し一族を呼び寄せたとか、個々の状況は色々ですね。

蝦夷の観念というと→難しい。書紀では確か景行の時武内宿祢が日高見国の向うの「蝦夷」というのがあり、常陸国風土記に黒坂命の葬送を日高見国を通り(だったかな)があるので、この頃常陸より遠くは「蝦夷」ですね。奈良盆地(?)の外がエミシから段々遠くへいったのではないでしょうか、エミシの地。
大化以前にヤマトが全国的強権を持っていたとは思いませんが、千葉、山梨、神奈川では4c代に類似の大型古墳が出来てます、この辺は(天皇)の血筋とかお友達との先祖談が見られるので仲間内とか同僚的感じを受けているのですが。
大型古墳の前は、静岡、千葉と3c頃でしょうか、静岡の瀬戸内に見られる陶棺とか、この辺りと大型古墳までは海路メインみたいです、初期大型古墳は港や航路監視の立地が多い。
これ以前は方形周溝墓の時代でしょうか、これはかなり広範囲、発展型が吉備、伯耆、出雲の四隅突出でしょうか。
神奈川では、5c以前からの墓の流れが6c頃い箱根・足柄東麓に新しい古墳が現れ(この辺が日本武尊話のメイン?)これが東進し7cへ入る、といった感じを受けます。

のち武門の最高位征夷大将軍との名、これは東国へ以外には使われないのですね、唐制との関連は見てませんが、国体を危くする可能性があったのかも。東国の馬というのが珍重されたらしいですが、これは小型(モンゴル)に比し大型とか今で言えばサラブレッドでしょうか、これは何処からきたのでしょう東国に。150年とかの征夷戦はそのバックに粛慎とかあたりの影がちらついていたかも。

>朝廷の指揮に従うのみでしょうか?(なぜか、怒り!)
#これは、千km先に大金がある一生遊べるなどと聞けばモノグサな私でも這ってでも行きます^^。この大金が地位の保全とか獲得となると戦の理由は複雑になりますね。

その3年ほど前に陸奥守に帰り咲いた敬福は、さてこれから大仏の鍍金というタイミングで金を差し出している。これは大仏を奈良の自分の寺で、の良弁抜きでは考えられないみたいです、これ以前に海外へ金を調達しようというのを宇佐の神託で「金は国内から出る」と言わせている。
百済「王」は、例えば40人の息子がいると皆が「王」です。新撰姓氏録など「王」「親王」を「ミコ」とか訓ませてます。しかし姓氏録「百済」が多いですね。


しゃくやく さん 2004年 05月 29日 18時 10分 05秒

こんにちは♪
tmp拝見させていただきました。丁度読んでいた本も「蝦夷の地と古代国家」ということでなんとなく、この頃の蝦夷征伐の様子がわかってきました。(それなりに)
蝦夷征伐は、7C中〜11Cの間に、激しく行われ、
柵戸も時代によって、形態が変化していたようす。
蝦夷には、豊富な鉱物や水銀も取れることより、服属させる必要があったのですね。

西日本の大和政権の統一と関東地方への東征・服属とあって、征夷大将軍による蝦夷との戦い。
で、関東地方あたりは、まだ蝦夷観念の起こる前に服属してしまってるんですね。
というより、その後に発生したと言う事でしょうか?
おまけに、蝦夷征伐では柵戸となって移住してたり・・・
朝廷の指揮に従うのみでしょうか?(なぜか、怒り!)

ー749年の多賀城国司百済王敬福が、黄金100両を貢じた。
とありますが、百済の王様が、国司を勤めているんですか?う〜〜ん不思義。
この金は、東大寺に使われたのかなぁ、、、
私の親戚は、山形の東置賜郡や赤湯などと言う所にいるそうですが、
その辺りも大昔には、いろいろあったのでしょうね。
平安時代まで、蝦夷地は言葉も違っていたようですが、20年ぐらい前に遊びに行った時も通じませんでした。。。笑

なにを言ってるんだか、聞いているんだか良くわかりません。 (^_^;)
正しい感想は、千葉ちゃんさんやKENJIさん、keiさんにお任せします♪
では、また〜


tan さん 2004年 05月 27日 01時 08分 12秒

ようこそ、keiさん
いえいえ、どんまい、気になさらずに。というか、本が同一とか同じ題とかは話の流れとは関係なかったです。
古いほうの「出雲の古代史」は、初版=1976でした、荒神谷遺跡出土のほぼ10年前ですね。1996版では荒神谷の追加の有無など <そこまで細部記憶してません^^。

kei さん 2004年 05月 26日 18時 38分 33秒

stanさん、こんばんは。突然にすみません。しゃくやくさんの友達のkeiです。

実は、stanさんが推薦してくれたのは「出雲の古代史」(門脇禎二著)でしたが、
私が持っているのは「古代出雲」(門脇禎二著)でした。題名が違います。
私ったらずっと同じ題名と思って話を進めていました。

stanさん、困惑させてほんとにほんとに、すみませんでした。m(__)m
ほんとに穴があったら入りたい気分です。

勝手をいいますが、これに懲りずにこれからもいろいろ教えてください。
ほんとに失礼いたしました。

八百屋 さん 2004年 05月 20日 22時 49分 38秒

こんばんは
リンクありがとうございます。ちなみに祭事紀は歳時記にかけた私の造語です。
けっして誤字ではないのであしからず(^^;

tan さん 2004年 05月 18日 20時 55分 20秒

 神奈備さん  感謝!


神奈備 さん 2004年 05月 18日 20時 00分 23秒

> 奈良県宝生の龍穴神

宝物ですが、地名は室生です。

tan さん 2004年 05月 16日 23時 57分 09秒

こんばんわ 八百屋さん
リンクとご丁寧にご連絡、ありがとうございます。
ミコシは担がず見るばかりです^^;。貴hpで担いだ気分になれそうです^^。


八百屋 さん 2004年 05月 16日 19時 59分 33秒
URL:http://www6.ocn.ne.jp/~hirakyuu/

どーも、はじめまして。先日あるかたのHPにて相模の五の宮について
いろいろ述べた八百屋と申します。
貴HPはリンクフリーとのことですが、はらさせていただきましたので一応ご報告いたします。
また、貴文章を載せさせていただきました。事後報告ですみません。

tan さん 2004年 05月 12日 22時 22分 33秒

韓鍛治。
古代の製鉄の新技術とかいわれてますが殆どは韓鍛治とのイメージでいます、しいて言えば諏訪の話で、伊勢津彦までは倭鍛治、以降は韓鍛治というカンジです。
那須神社の社名・金丸八幡から「金」と「丸」の連想で、金=鉄、丸は丸い(近くに曲がりくねった川でもあるか)と「丸部(まりこべ」。丸というと「わに」と訓ませる丸邇氏からみですがこれは関東には少ない、丸子連は古代は「まりこ」と訓んでいたようで、これは多氏のからみが多い様子。
相模の話ですが、小田原を流れる「酒匂川」は鎌倉くらいまでは「まりこ川」と訓んでいる、大河の「相模川」は古く「さかむ」また「まりこ」と呼ばれている。とまあ前線と「まりこ」の名が連想でつながっているですね<自分。那須あたりはまだ地名を含めて調べてはいないのですが。。
「丸子部」は「部曲(かきべ」「品部」両方と思いますが、那須辺りだと品物をつくる技能集団だろう、ていどの「まりこ」でした。
(部曲・品部とも明確な区分はされてないようですが、この場合、丸君など君姓の管轄な感じが部曲。製造集団の感じが強いのが品部、といったカンジで今のところ理解してます。)

事代主と太公望、
ありますねぇじゅうぶん^^。なにしろ色々な伝承ほぼ可能性有!など思ってますから、各氏伝承それぞれ事実あり!とか、古代は特にですね^^。
兵書六韜の太公望呂尚、3年かかって釣った大物、これは「周に味方してちょうだい」と諸国遍歴でまとめるのに3年かかったということではないかと思うのですが、このあたりを事代主に被せているのかも。
そういえば以前も姜族のお話してましたが、太公望も遊牧民姜族ですね、古代中国の細つくり美人の家系でもありますね。



しゃくやく さん 2004年 05月 12日 09時 49分 28秒

鉄と鋼の違い、ありがとうございます♪
那須官衙,ほんとですね、近くにありました。
韓鍛治、大伴、、、韓系の職業軍団があったっていうことでしょうか?
それから大伴系の「マリコ」って、なんなのでしょう???  (^_^;)

全然話が変わりますが、釣りをしていた事代主と斉の太公望って
なにか関係ありそうな気がしました。丁度、386年に太公望の斉は滅びているので
弥生の始まりに、その一派が来てるってことはないかしらなんて
考えすぎでしょうか・・・笑




tan さん 2004年 05月 11日 21時 03分 46秒

ちがいましたか^^。たしか阿吽の左右の像が逆だった毘沙門の山門とか山城址の記憶が強かったもので。。 たまには一緒に飲りたいですね。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 05月 10日 23時 58分 48秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

兼信。私も最初そう思いました。が、ラベルの中に隠れた文字を見つけました。
残念ながら、「兼信」じゃ無かったです。
如何関係有るのか、「牛若丸」でした。此処に書いて良かったのかな。(^m^)

tan さん 2004年 05月 10日 22時 46分 06秒

東北旅行記、拝見してきました。すこし行ってきた気分です^^。しかし長距離ですよくぞ無事に!。
焼酎出し珈琲、意外でしたがなかなかのいけます。挽いた豆を適当な袋に入れて冷蔵庫で1〜3日ほど好みの処で豆を取り出します。
地酒46度だと冷やしても熱いカンジ?日本酒はワインからシャンパンに近い味までそれ以上というか幅広いですね、。
さむらい46度、ラベルに隠れている武将とは、魚沼だと謙信かな。魚沼というと昔の漫画「夏子の・・」のモデルかめのおーだったか限定蔵出し価格と実勢との差に驚いたことがあります。




KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 05月 10日 20時 35分 17秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

魚沼産のお酒、美味しいです。ロックにしても腰が折れないし、強いですが味が有ります。
この酒造のHPアドレスを書いて置きます。興味が有りましたら覗いて見て下さい。

http://www.yukikura.com/

今回の地酒の一押しです。(^_^)v

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 05月 10日 18時 44分 33秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

「東北旅行記・2」アップしました。最後の最後に大変な目に逢い、全く疲れた旅でした。
水出し・・ならぬ、焼酎出しコーヒーですか?酔っ払いそうです。(爆)
今回、地酒を何種類か買いましたが、新潟魚沼産のアルコール度数日本一(46度)と言うお酒を買って来ました。未だ呑んでいませんので、どんな味やら。46度は、ウィスキー並みです。
山形、米沢では、搾り立ての生酒を二種類買いましたが、此れは美味しかったです。
最近、日本酒を飲むのが多いです。

tan さん 2004年 05月 08日 00時 11分 47秒

 千葉さん
お疲れさま。館長さんがバイクで先導というのがなんともいいですね。
やはり現地での五感を通してというのは印象深いですし机上からでは得られないものを得る事が多いですね。
伊保神社の由緒おもしろそですね、塩冶の地は神戸臣でしたか、古くはスサあたりを通り吉備への幹線道ですね神原の古墳は吉備との共通するモノが多いとかでしたか(ちと酔ってまして間違いは後ほど訂正します^^。)。揖保郡までは吉備から船だったのでしょうか、吉備前が間に合わなかったという説話にも重なるのかな、しかし大和3山は何の比喩なんでしょうね、銅・埴土・○○耳あたりか、耳は井戸あたりか、素面の時にまた考えて見ます。


 しゃくやくさん
那須キャンプおつかれさま。鉄のうち炭素2%以下のものが鋼です(たしか)炭素が多いと脆くなります。
那須神社、この辺も調べると面白いでしょうね。那須国造碑とか那須官衙が割と近いです。出石大神の祠があるとは、また気がつくというのもすごいですね。
出石の神は韓鍛治(倭鍛治より新しい)といわれてますので官衙に近いのもあり鍛治・製鉄かも、金丸八幡という名前からも連想できますね。金丸の丸は大伴系のマリコかな、那須は阿倍氏だったですから鍛治のアベかも。


 KENJIさん
念願の場所探索&無事帰還おめでとうございます。壺の碑というのはなぜあれほど歌に出るのでしょうね、隔絶僻地だけでなく当時の知識階級に隠語的意味でもあったのでしょうか。旅行記おまちしてます。
話かわりますが、水出し珈琲ってのがありますよね、この水の代りに焼酎を使ったのをゴチになってきました、早速明日つくってみようと思ってます^^。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 05月 06日 23時 43分 42秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

この連休、またもや東北に行ってきました。
「日本中央の碑」を見て来ました。他には、三内丸山遺跡も。
未だ、旅行記はUPしていませんが、出来るだけ早くUPしたいと頑張っています。
日本中央の碑は、今回、どうしても行きたかった場所で、念願が叶いました。
私達以外は誰も居ない、不人気の場所(爆)でしたが、ユックリと見物してきました。
ついでに、キリストの墓(?)も見て来ました。東北は面白い場所が多いです。

しゃくやく さん 2004年 05月 06日 13時 01分 10秒
URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~ashiatone/index.html

ご無沙汰しています!
下のお話すごいですね。鉄と銅の違いも考えていませんでしたが、鉄と鋼の違いまで・・・(^_^;)
私は無事那須までキャンプに行ってまいりました。
そこで、那須神社という神社に寄る事ができました。
最近までは八幡様だったようです。
また境内の中に小さな祠が2つあって、一つの方がなんとかうっすらと字が読め、
出石大神・・・となっていました。
何時頃からいらっしゃるのかわかりませんが、天の日矛さんが、
こんな所にいるわけないですよね。
こちらに昔からいる神様なのでしょうか・・・
おまけにせっかく行ったのに、拝殿の写真を撮るの忘れてしまいました。
遠いところは2度と行かれないかも知れないので、
しっかり下調べをしていかないといけませんね。




千葉ちゃん さん 2004年 05月 05日 18時 22分 29秒

S_tanさん,こんにちは。
下記のアドバイスを見て,出発前にあわてて「金属と地名」と「古代の鉄と神々」を読んでいきました。鉄と鋼の違いがまずわからなかったので,安来市の和鋼博物館で概要をつかんで,菅谷で想像しやすくしてきました。炉をこわして鋼のかたまりを取り出すところを見たいところですが,かなわぬことなので,現在操業している日刀保たたらの操業の写真がででいる博物館の案内を購入しました。菅谷たたらでは,山内生活伝承館で受付後,人数が集まったところで館長さん?が菅谷高殿までバイクで先導して,高殿内部で丁寧な説明をしてくれました。やはり実物を前に説明を聞くのと,模型を見るのとでは大違いでした。

鉄とは離れますが,今回一番面白かったのは,斐川町の伊保神社(伊佐賀神社)の由緒です。祭神の阿菩大神は,香具山・畝傍山・耳梨山の争いを止めに播磨の国の揖保郡まで行ったところで,闘いはすでに止んだと聞かされ,せっかくやってきたのにといぼをふられ(不満に思い)乗ってきた船をそこに覆せて,そこに座ってしまわれた。その地を神亨といい,揖保川の名前はこの神話にもとづいてつけられ,阿菩大神がいぼをふられたということで伊菩となり後に伊保となったとのこと。「神国島根」によると,阿菩大神は塩冶彦命の御子,塩冶彦命は大国主命の御孫神です。大和でおきた争いの仲裁に,大国主命の曾孫が出雲から駆けつけようとした,しかし播磨で止められたということでしょうか。

tan さん 2004年 04月 26日 22時 50分 49秒


菅谷たたらを見直してましたら、谷川健一編の『金属と地名』の中に(再?)発見。ご存知とは思いますが抜粋します。
p10-
$奥出雲・菅谷たたらを中心とした鉄生産地と地名、山内登貴夫
船通山からの斐伊川流域の飯石郡吉田村菅谷。。古代から「野だたら」原初的な溶鉱炉が真砂土(まさつち)と粘土を混合した耐火粘土の製鉄炉への変革は文永年間(1264-75)の菅谷と云われている。
菅谷鑪(菅谷高殿)、鉄山を経営する田部家の子孫が天和1(1681)に製鉄を本格的にする、
−−−以上、 そういえば真弓常忠氏は金屋子神を少彦名に重ねていますね。



tan さん 2004年 04月 26日 19時 42分 57秒

 千葉さん
遅くなりました、あっというまにGW直前ですね。
菅谷たたら、以前テレビの特集で見た記憶が、、行程とか職制などで還元の大事さとか死人を立てかけるとか縁が深いとの話もあったような記憶です。山の中というか湯村温泉が近いですね。
鉄の生産、千葉では八千代の竪穴建物の床から鉄塊系遺物、椀形・粒状滓、鍛造剥片などが見つかっていて3世紀後半といわれているようです。羽口、鍛錬で使った台石などこれは古墳中期(5c)で千葉市から。「鉄づくり今昔」という千葉県下博物館など合同展が昨年ありましたが、このA4で8頁のパンフがなかなか優れものです、発行は房総風土記の丘(H15.9)になってます。
「東国の古代」菅谷訪問前の入手、下準備万全ですね。中国地方に鉄生産が集中するのは武士の台頭の中世以降ですが菅谷はどれくらい溯れるのでしょう。

「史談八千代」面白そうですね、印西の鳥見神社など何かわかりましたら宜しくお願いします。七百余所神社境内に円墳がありますが(未見)少し東のjoyfulに南接し根上神社(ねのかみ)は前方後円墳を削り鎮座してますがこれが八千代市最大とのことです、境内から南方への展望は今でも良好でした。この辺は墨書土器の出土でも有名ですね、律令の時期「丈部」の地だったとの事です。
では、GW、楽しんで来て下さい。


千葉ちゃん さん 2004年 04月 21日 21時 40分 59秒

LUNAさん,はじめまして。
金屋子神社の主祭神は,「神国島根」では金山彦命と金山姫命で男女両方です。今回は吉田町にある菅谷たたら(「もののけ姫」のモデルになった全国唯一のたたら製鉄の遺構)に行こうと思うので,広瀬町は今回はパスですね。一日の走行距離は200キロ以下にしないと同行者から苦情が出ます。

S_tanさん,今晩は。
S_tanさんの昨日の書き込みのおかげで「東国の古代」を入手できました。我孫子の地層には製鉄向きの土があること,発掘調査をすればなにか出てくること,オオ氏に関係ありそうなこと等が「東国の古代」にでていた記憶があり,日本の古本屋で検索したという次第です。

先の週末はゴルフに行ってしまい,まだ八千代市には行っていません。うれしいことに八千代市の図書館は月曜ではない祭日は開館しており,図書館訪問とあわせてGW後半に行く予定です。「史談八千代」という地元の郷土歴史研究会発行の本のバックナンバーに,【伝承「七百余所神社縁起」のミステリー】【印西の鳥見神社】【鳥取県倉吉市の安房里見氏終焉の地】【飯綱神社の由来とその伝承】など面白そうな特集があります。鳥見神社について,故老からの聞き取りがででいたらお知らせします。

tan さん 2004年 04月 20日 22時 50分 25秒

 LUNAさん
 そうですか、ミステリーはあまり詳しくないですか、高橋克彦はなにか読んだような記憶ですが『竜の柩』機会をみて読んでみますね。
「代田」はダイダラボッチでしたか^^。


 KENJIさん
 連絡ありがとう。伺ったのですがこの所他所からのアクセスでタイミングが合わず「残念な結果」になりました^^;。3万hitおめでとう!^^/。


 千葉ちゃんさん
 我孫子の葺不合神社参詣してきました。国道沿いに鳥居がありますが少し西低い所から団地に入ると参道横近くに駐車できます。現社殿はもと厳島神社の場所で湧水が有あり昔は団地あたりが池だったという事です。古墳時代というか律令以前の断片が残る社なのかも知れません、利根川近辺、ウガヤに限らず、鷲、鳥見・・、神武の船団(員)に関り深いといったのがよく見られますね。香取、熊野でも境内に古墳とか古墳頂にある社もけっこうありますし、以前祀っていたのは神武船団構成員だったのが多いのかも。
七百余所(村上)は如何でした?、印旛から利根にかけて村上から神楽が伝わったという社がいくつかありますね。たしか境内に舞いの説明がありました。
やはり地元資料は地元!ですね、我孫子で布佐の竹内神社の資料に「古く総(ふさ国)神社だった」というのがありました、これなど県立図書館には無かったですね。
 GWは出雲再訪ですか、オロチとたたら、大変なテーマですね、ですがテーマから行程をつくると後で「あれっコレ見逃した」というのが無くなりそうでいいかも小生類似失敗多数有^^;、出雲から美作あたりにかけて、タタラ鑪など類似地名が多く分布してます、丹波にかけては鶯・楽々福などに絡まるのが多そうな感じ、海岸平地近くは鉄穴流しの荒れたとか稼いだ結果の話が多いのかも。以前一畑薬師から日本海側をぐるっと、裏から出雲大社に出ましたが、有名観光地(社)の隣は鄙びてなかなかでした、山中の沼とか手付かずの感じのも在ったりして。。
そういえば印西にも多々羅田の地名があります、某学芸員さんも利根川沿いに以外に製鉄関連地名が多いとか。。



LUNA さん 2004年 04月 16日 14時 05分 43秒

千葉ちゃんさん>
はじめまして
「たたら」って、あの「も○○姫」に出てくる「たたら場」のことですか?
あそこに出てきたシシ神(鹿神)ってダイダラボッチなんですよね!
関東(東京世田谷区)にはダイダラボッチがかけたと言われる橋があり、地名もこれに由来して「代田」って名づけられているんです!!

たたらの神ってたしか「金屋子神」でしたよね!あまりよく知りませんが「金屋子神話民俗館」って言うのが島根県広瀬町の方にあったと思いますよ。
「金屋子神」は女神って事ですが、イメージを見たことが無いのでどんな神様だったのでしょう?犬にかまれて死んじゃったのでなんとも人間臭い神様だったんですよね。
いろいろ見てきた感想を楽しみにしています。

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