・掲示版 書庫
千葉ちゃん さん 2004年 04月 14日 22時 38分 41秒

S_tanさん,ウガヤ...のご示唆,ありがとうございます。神社名鑑の千葉県を探したら,玉依ヒメや豊玉ヒメをまつっているところが,何カ所かありました。上総一ノ宮(JRの駅名でおなじみ)も玉依ヒメでした。

八千代市の飯綱神社を地図で確認しました。有名な彫り物があるとは知りませんでした。川の対岸にある七百余所神社については,かねて名前が面白いので気になっていましたので,近いうちにいってきます。

地元の人がまとめた資料は,地元の図書館かもしれませんね。市川の中央図書館には,市内の神社・寺をすべて回った方の寄贈した冊子や,地元の小学校のPTAがまとめた民話の冊子がありました。松戸市の図書館には,地元の郷土研究家が小学生の副教材として作成した本がありました。

さて,来るGWは再び出雲に行くので「神国島根」を読んで学習中です。連れあいに「式内社ローラー作戦ではなく,テーマをもった行程を作成すること」と釘をさされたため,今回はヤマタノオロチとたたら,佐太御子と加賀の潜戸,をテーマにしようかと考えています。思えば昨年のGWに美保神社にいったのがきっかけで,こちらにおじゃまするようになったのです。これからもよろしくお願いいたします。

LUNA さん 2004年 04月 13日 15時 20分 15秒

下のtanさんへの返事の中に記入した記述が間違ってしまいました。
正しくは
高橋克彦さんの『龍の血脈』> ではなく『竜の柩』 でした。
面白いから読んでみて下さい。
googleで検索するといろいろ関連サイトがありますよ!

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 04月 13日 00時 44分 56秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

お陰さまで、間も無く30000を数えます。
其れを記念しまして、切番プレゼントを計画いたします。
今回は手作りの品を計画していますので、数が出来ません。
三名しか出来ませんが、挑戦してください。
14日の夜、詳しい事を発表いたします。
如何か宜しく。

LUNA さん 2004年 04月 12日 13時 40分 16秒

tanさん>
薙鎌(神事)は占有・領地の境界標というが初めと思いますが、五行での説明とか薙鎌の形の変遷とかの説明などもありますか。>
あくまでも ミステリーなのでそこまで詳しい説明はありません。
薙鎌についての独特の仮説から御柱につながる神事に展開しています。
フィクションですのであまり硬く考えずに読むと面白いと思います。

他に高橋克彦さんの『龍の血脈』や梅原克文さんの『カムナビ』なんかも大好きです。
全部文庫で読めるので手軽ですよ!

tan さん 2004年 04月 11日 23時 12分 10秒

千葉県立図書館
土曜午前11時前、県立中央図書館へ行ってきました。駐車場は余裕!天気が良すぎて花見行楽が多いのか土曜はいつもなのか不明ですが、午後にはほぼ満車でした。千葉城天守(模擬)の下辺になるのですが文化会館が隣で催しがあると駐車場の状況も変わるのかも知れません。
千葉県資料室は4Fにあって特に申請・座席券など不要のようです。館員の方に「こんな資料を探している」と伝えると書庫の案内や親切に探して戴けます、最初2,3冊、その後暫くして類似など席(机)まで持参戴きました。感謝!。4Fはそれほど広くないですが午前中の席埋めは3割程度、午後から満席に近い状態でした。2Fの自習室は朝より満席のようでした。
肝心の鳥見、宗像関連ですが戦前の村史に若干未見の情報がありましたが纏った情報は未発見でした。村町の史、宗教、民俗の棚は一瞥はしたのですが、印旛付近は発掘の実績が少ないのですがこのあたりを再度調べるのが次回でしょうか。小冊子程度の地元密着資料は地元の博物館公民館などの方があるのかも知れません。



tan さん 2004年 04月 09日 22時 29分 46秒

>KENJIさん
 ボケ、今年の実、豊作だといいですけど。。花はいいですね季節のうつり、3月中過ぎには北海道で大雪?に遭って、神奈川で桜。先週は群馬でも雪に遭い水仙とか蕗の塔とかが食べ頃、麓の桜が丁度見頃。GWの桜なら北海道、上高地あたりならの1300m以上でしょうか。
アラハバキ、小野神社でした前宮司さんがメインとしていたそうです。小野といえば「目の眩む」景色^^。月日のたつのは早いですね、最近特に、みたい^^;。
また迎撃オフ!いいですね、神奈川・群馬あたりは案内まかせて下さい、群馬だとプラス温泉で、GWなら「タラの芽」が食べ頃^^。


>千葉ちゃん さん
 県立の千葉県資料室ですか、日曜にでも寄って見ます、駐車できるかなぁ。席をふくめて早めに行くのがいいのですね。
鳥見神社、ガイドブックというのはいいですね。昨年印旛村の郷土資料館に寄ったのですが親切な学芸員がおられて色々調べて戴いたり紹介戴いたのですが、、鳥見神社の資料・纏めといったモノはなくて、一番詳しいだろうと謂われる方も印旛の神社のなかの鳥見といった感じでした。ですが某宗像神社の氏子の方との話で、資料としては未見の地名由来などが出ましたので、戦前を知る人からの聞き取り調査をされた方が居られるのではないかと、、どこかにその資料がないかと探してはいるのですが。
千葉の神社の彫刻は実に立派なのが多いですね。うろ覚えですが布施観音あたりから房総まで、印旛の鳥見とか宗像には特に多いです、八千代市飯綱の二十四孝なんかも有名ですね。 ウガヤーは利根川近くの第六天社にいくつか見られます。農作での社日・五社さま、の水(運)関連かも?。


>LUNAさん いらっしゃい^^。
 「呪の血脈」おもしろそうですね。営業妨害にならない程度に、ちょっと教えて下さい^^。
薙鎌(神事)は占有・領地の境界標というが初めと思いますが、五行での説明とか薙鎌の形の変遷とかの説明などもありますか。


LUNA さん 2004年 04月 07日 10時 04分 41秒

はじめまして LUNAです。

この掲示版にふさわしい内容かどうか分かりませんが書かせていただきました。
最近読んだ本で「呪の血脈」(富士見ミステリー文庫)と言うのがあります。薙鎌や諏訪神事に関連した話ですので興味のある方は一度読まれてはどうかなって思いまして・・・
また掲示板に遊びにきます。 では

千葉ちゃん さん 2004年 04月 05日 23時 45分 57秒

S_tanさん,こんばんは。
いまだ県立図書館には行ったことはないので,調査席の使い方はわかりませんが,千葉県資料室があるようです。私は土日に市の図書館を利用しますが,資料調査のための席は座席券をもらって使用します。ところが,資料を調査しているふうではない人が多く,なかなか順番がまわってきません。この状況がわかってからは,開館時に行くことにしています。県立図書館の方が敷居が高くて,目的外使用の人がいないと良いですね。

鳥見神社については,印旛方面の市町村関係の観光ガイドを集めました。分布しているのは,印西市・印旛村・本埜村でしょうか。印西市の観光案内によると,鳥見神社は「中世の頃まで常総両台地の間に広がっていた香取の海に面した下総台地上に18社点在している」とあります。麻賀多神社に行ったおりは,北総・公団線沿いの道をつかって成田に抜けましたが,あのあたりが海だったのでしょう。ちょうど線路によって,鳥見神社と宗像神社の分布が分かれています。

ついでに我孫子市のガイトを見ていましたら,葺不合神社が写真付きでのっていました。本殿に天岩戸・八岐大蛇退治・神武東征などの彫刻が施されているようです。なぜここに,ウガヤフキアエズノミコトコがいるのか気になっています。

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 04月 05日 01時 02分 17秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

TOPページの木瓜の花、淡い色で綺麗ですね。
昨年頂いた実も、暫く車の中で上品な香を放っていました。
木瓜の花や実を見ますと、集まった事を思い出します。又何処かで集まりたいですね。

前回は、初めて「荒覇吐神」を祭った摂社を見、興奮したのを覚えています。
小野神社でしたかネ。(^^ゞ
今回、場所に依っては、新しいメンバーが参加してもらえるかな。(^m^)
私も一人、参加させて下さいと頼まれています。
私と同じ歳の、オッチャンですが・・・・。(^▽^;)>゛

tan さん 2004年 03月 30日 19時 39分 25秒

 千葉ちゃんさん こんばんわ
決算、納税の時期がお忙しいのでしょうか、、鹿児島・宮崎の参詣、繁忙のあとの充実した開放感、伝わってきます^^。
天皇陵ならリンクもしてますが、こちらが詳しいです。北島さんの
< http://www.d1.dion.ne.jp/~zpmasasi/ >

>季節がら,西都市の都萬神社は,肥料のかおりただよう二宮ならぬ匂の宮でした。
#ほのぼのといいますか、周囲の感じがよく分ります。
また、ご近所の現地情報など入りましたらよろしくお願いします。小生、4月中頃千葉への予定有で時間があれば鳥見神社の資料でも探して見ます、やはり県立図書館が多いのでしょうね。

 
 しゃくやくさん
似顔絵、特徴なしというか顔忘れていたりして、、^^。
「伽耶」面白そうですね、中国の正史には載ってないようですが、自前の文字に変えてしまうお国柄ですから精査が必要かも。。半島と列島の文字の使い方が似ているのは面白いですね。


千葉ちゃん さん 2004年 03月 29日 22時 27分 59秒

S_tanさん,こんにちは。
二月から三月にかけて一年分の稼ぎをしてしまう商売をしており,やっと仕事が片づき,疲れをいやすため鹿児島と宮崎に行って来ました。内容の真偽は別として,原田常治氏の「日本古代正史」をおもしろく読んだので,溝辺町のヒコホホデミ・高屋山上陵,川内市のニニギノミコト・可愛山陵,吾平町のウガヤフキアエズ・吾平山上陵を見てみたく,レンタカーで疾走しました。各陵の入口には宮内庁の職員の詰所があり,実際に職員の人が中にいるので驚きました。きっと地元の人が委託されているのでしょうが,うらやましい職場です。

さて,今回の旅行で,鹿児島・宮崎の式内社は屋久島の神社をのぞいて回りきりました。日向国は,天皇家の出身地にしては人が少ない気がします。季節がら,西都市の都萬神社は,肥料のかおりただよう二宮ならぬ匂の宮でした。


しゃくやく さん 2004年 03月 24日 22時 45分 45秒

こんばんは〜♪
ご訪問戴きありがとうございます。せっかくだから、似顔絵残してほしかったです〜

下記のホムペ、なぜか?見つかりませんでした〜。
麻賀多神社、ほんとですね〜 同名だと気になりますね。。。

これからしばらく、この下のホムペとs-tanさんのすばらしいお返事と合わせて
格闘させていただきます。
ありがとうございました。


tan さん 2004年 03月 23日 23時 25分 20秒

こんばんわ ^^。
neneちゃんと一緒の小春日和&春うららの散歩道は制覇ですね(見習わなくてわ^^;)。最近は黒住教を少し調べかけた程度です、三囲神社、三井云々ですね一度機会があれば行ってみたい所です。

さて仏陀加耶ですが、関連で調べた事はなくて。。
ですがインドのマガタ朝が千葉の麻賀多神社と関係あるかもなどふと思ったりするくらいで、加耶も有、でしょうね。int-net上でもいくつかありますが、みつけたのは
>http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/kaya-tenple.htm <ご存知ですね

中国正史での「伽耶」の文字は元時代、「加耶」は無、「駕洛」は魏時代の「駕洛陽」で無関係、「加羅」は宋(南宋)の時代に半島の国名の羅列の中に見られる程度。
半島の史書には頻度多く出ていて(三国史記・三国遺事<東洋文庫)からいくつか抜き出すと
・遺事注:{口可}{口羅}=加羅(伽耶・加耶・加良・駕洛)の異写、みな、ka-lA(分岐)の借字。( { }内は1字、〜の意味でしょうか、元(もと)とか故郷のニュアンスも)
・首露王:金官加羅国の始祖で、遺事引用の「駕洛国記」に、後漢光武帝18年(42)に即位し、同献帝建安4(199)まで158年在位という
-----
首露王は卵から生れたとの伝承で、同じく卵から出生した5人の童子も、それぞれ王となり五伽耶と呼んでいる。安羅伽耶(現在の咸安)、古寧伽耶(咸寧)、大伽耶(高霊)、星山伽耶(星州)、小伽耶(固城)とみられているようです。
日本書紀には任那、加羅と記され、任那は崇神紀、垂仁紀、及び雄略紀以後に多いようです。
仏陀伽耶は、「インドヒマラヤ南麓の迦毘羅城主浄飯王の子で、母を摩耶。29歳のとき宮殿遁れて苦学苦行し35才仏陀伽耶の菩提樹下に坐して正覚を得、法を説くこと45年、紀元前486年80才で入滅。釈迦・釈迦牟尼仏ともいう。」この程度しか知らないので、補足をお願いします。三国史記は資料がありますのでご遠慮なく質問ください。



しゃくやく さん 2004年 03月 22日 19時 37分 23秒
URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~ashiatone/

お久しぶりです、お元気でいらっしゃいますか?
神社めぐりもneneと行かれる範囲は、一段落してしまい
次は、どこにしようか考えている最中です。
墨田区では、吾嬬神社の奥宮で石台のうえに載った水晶(ガラス?)玉を発見したことと三囲神社で三柱鳥居を発見した事が、とても探検的で楽しかったです。
s-tanさんも、いろんな発見をして楽しんでいらっしゃるのでしょうね。

恒例の無茶な質問コ−ナ−?に入りますが、笑
ずっと前から疑問に思っていたことで、
どこにも答えが見つからないので、たぶん関係ないなと答えを出す前に
一度お伺いしたいのですが、、、
朝鮮半島南の伽耶と仏陀伽耶の伽耶は、何も関係ないのでしょうか???
伽耶の意味がわかれば、わかるのかもしれないのですが〜
どうも、私には無理なようです。
大変申しわけありませんが、よろしくお願いします。(^_^;)




佐竹 さん 2004年 03月 15日 16時 23分 35秒

こんにちは。

tan さん 2004年 03月 10日 22時 05分 02秒

こんばんわ高井さん、情報ありがとうございます。
積川神社の
>牛滝川と深山川と標記されていますが
2川の一、深山川の名はは明治から昭和の大阪府誌などに記載されてますが、これが宮川と呼ばれているのですか?
積川ではないですが宮川の名は宮川+αと複数の名をもつとか社の近所だけ宮川と呼ぶ所などあったり、同じ山・川でも呼ぶ土地により名前が変ったり、というのがありますが、
・戦前の大阪府発行の資料が間違い。
・深山川と呼ばれるのは近くに別にある、或は近くに深山川と呼ばれる川はない。
・宮川と呼ばれているのは社殿の西でしょうか或は東でしょうか、また社の近くの流れを言うのでしょうか。
・みやまーが、みやーに訛った。或は2訓をいったりきたり。
・昔深山川だが戦後は宮川という名で統一されている。
など色々考えられますが、
資料・訊きこみなど現地での確認をしたいものですが、現在ちと遠方で関西への予定が無く。。高井さんにお調べいただくとありがたいのですが。
「2川が合う」のが積川の名の由来というのも、他にありそうな気もするのですが。。



高井 利純 さん (toshitakai@silver.livedoor.com) 2004年 03月 10日 12時 51分 12秒

大阪府岸和田市の積川神社の紹介のページで
神社の前後を流れ、地名の由来にもなった
川の名前について
牛滝川と深山川と標記されていますが
岸和田市役所に問い合わせましたら
牛滝川と宮川ではないかということでした
できましたら確認していただいたほうが
よいと思いますので
お知らせします

tan さん 2004年 03月 04日 20時 00分 30秒

おつかれさま!
&眼鏡解除、おめでとうございます^^。
一ヶ月の禁酒、つらそうー、でもたまの禁酒も体によさそうですね。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2004年 03月 03日 08時 45分 26秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

昨日、無事退院して来ました。(^_^)v
視力は、免許証の更新で眼鏡の条件が付かない位に(多分)、回復しています。
今回、相部屋で色んな方が居、寝不足で帰ってきました。
それと、一ヶ月間の禁酒。此れが一番辛いかな。(爆)

tan さん 2004年 02月 23日 22時 33分 20秒

 こんばんわ
下町低地完全制覇! おまちしてます^^。 なんだか古くからの微高地には古墳があったというのが多そうですね。鳥越神社も江戸期の削平前は古墳があったとのことで蕨手刀とか馬具残欠など伝わっているとか。利根川の今は堤防の内側ですが田圃の中に径3m高1m程の盛上がりが古墳というのがあります。散策途中で杏葉なんかにぶつかる、かも^^。

伏見稲荷、hpを見ました、なかなかの内容です
< http://inari.jp/a_oshirase/index.html >
荷田春満について全く調べた事は無いのですが、秦氏伊侶具に繋がる家系なのでしょうか、なんとなく伊勢にからんでいるような気がしますが。
多いです古墳、稲荷山の頂上山麓、京都市街へ続く山には天皇陵はじめ墓が結構あります。南方になりますが天智38が亡くなったかもの場所の一つ許波多(コハタ)神社辺りとか、さらに南に同范鏡の広がりで有名な椿井大塚古墳があります、みな木津川・巨椋池に近いところです。
現地探索は今余裕足りずであおずけ中^^;神奈川は相模川以西はほぼ完了で画像のstockはあるのですが、、関東では印旛の鳥見・宗像が気になってます、機会をみて調べてはいるのですがなかなか資料がみつからない。

リンクありがとうございます。こちらからも、完了しました。


しゃくやく さん 2004年 02月 23日 16時 43分 01秒

こんにちは!
勝手ながらリンクさせていただきました。
もしも、ご都合の良くない場合はご連絡下さい。
では、では〜

しゃくやく さん 2004年 02月 19日 21時 59分 07秒

こんばんは〜♪
下町低地の神社を完全制覇!・・・はい〜、出来たらいいなと思います。
ボチボチとがんばって探検してきます。

荷田春満の祖先を祀っているのが稲荷社で、秦氏の氏神が伊奈利と2社稲荷があったと
本に載っていたのですが、そうすると前者は地主神か、あるいは秦氏の系列
の人かもと言う事ですね。
この辺りって古墳があるんですか?、そうなんですかぁ・・・
現地に行ってみないとわからないこと、たくさんですね。
s.tanさんは、いろいろなところ巡られているのですね。
今は、神奈川をお調べなのですか?

で、伏見とは別に、よくわかりませんが秦氏が物部氏の地のあとを引き継いでいったという感じがします・・・




tan さん 2004年 02月 18日 23時 43分 44秒

> しゃくやくさん
ホムペ開設おめでとうございます。
下町低地の神社を完全制覇!というのはいかがですか。都会といいますか渋滞が苦手でして^^;おまかせします、のでよろしく!

伏見稲荷、参詣したことはあるのですが、かなりというか殆ど大昔で。。長い鳥居程度しか記憶にありません^^。たしか山稜に古墳がいくつかあって、地主神と秦氏系との2つだったような。。
伏見稲荷は、
・またの名、四柱大神(よはしら)、祭神は、宇迦之御魂、佐田彦、大宮売、田中大神。
・山城国風土記逸文に「伊奈利と称ふは、秦中家忌寸等が祖、伊侶具(いろぐ)秦公、稲梁を積て富み裕(さきは)ひき、乃(すなわ)ち、餅を用ちて的(いくは・まと)と為ししかば、白き鳥と成て飛び翔りて山の峯に居り、伊祢奈利生(いねなりお)ひき。遂に社の名と為しき。」
・稲荷講の由来に、京都伏見稲荷の祭神が稲荷山の三ノ峯に降望したのが和銅4年(711)2月初午だった。と、弘法大師空海が2月初午の日に東寺の傍らで会った稲を荷った老翁を神の化身として東寺の鎮守に祀った。という説がある。
この和銅4というのは、結構多くの資料に「稲荷社の創祀年」として載ってます。
・稲荷山には、一ノ峯、二ノ峯、三ノ峯、荒神峯の山頂にそれぞれ古墳があり、丘陵斜面神社境内にも古墳群があります。古墳の時期は一ノ峯から祭神が降りた三ノ峯は古墳時代前期、荒神峯が続いて、山麓・丘陵にある古墳は古墳時代後期。
秦氏はナニカ?と考えると結論がでないですが、この稲荷山に移入したのは5世紀らしいので、前期の古墳の地主系、後期以降の秦氏と祭祀に2つの流れがある。或は、両古墳とも秦氏で祖神を祀る祭祀と稲荷講など流布する祭祀との2つがあった。銅鐸祭祀と古墳祭祀という切り口もでてきますね。



tan さん 2004年 02月 18日 23時 25分 00秒

> はらださん
物部、神道史、面白いですが極めるのはほんと大変ですね、つきあたりは無いような気がします。。物部氏はなんといっても記紀で天孫と言ってる訳で、他の豪族とは位置付けが違います。このあたり確実?な資料は消されているとかかぶさっているというのが特に強いのかも知れません。
住吉大社と結ぶ線長弓寺から生駒山方面を見ると)、その中間あたりの白庭の南に2つの小山が見えますが形の良いほうの山(総合公園の南)標高250m程ですが地図上では名前・表示がありませんので確認できませんが、なにか名前・謂れ・遺跡などあったりすると面白いのですが。
東西に展望のよい生駒山ですが、ご存知とはおもいますが天智の時の燧に限らず電話普及以前の明治にも大坂の相場を信貴山辺りの狼煙で奈良(市)に伝えていたとの事ですから、距離的には大阪(湾)奈良間の連絡は生駒1ヶ所で足りる訳ですが、重要箇所の時期的な移動とか補完する場所など考えるのも面白いかも知れません。
 貴hpで紹介されている三間石ですが、枝を奉納する習慣があるようですね、ひょっとしてこれは枝で大岩を支えるのが習慣の始め?、もと4つあった岩が1つ落ちたなどの伝承はありませんか。
興法寺など生駒探索、楽しみにお待ちしてます。


しゃくやく さん 2004年 02月 17日 22時 32分 43秒

わすれた、、、

アドレス  http://www1.ttcn.ne.jp/~ashiatone/  です。
管理人名は、か-たん。

しゃくやく さん 2004年 02月 17日 22時 30分 51秒

s-tanさん、こんばんは〜♪
今日は、ホムペを作ったのでお知らせに来ました。
お知らせするほどのモノでもないのですが、
まだ、未完でもあるし・・・(^_^;)
もし良かったら遊びにいらしてくださいね。
お伺いしたい事は山のようにあるのですが
(伏見のお稲荷さんって、昔は2社あったのですか?)
とりあえず、今日はここまで、、、


いこまかんなび はらだ さん 2004年 02月 16日 20時 53分 01秒

s-tanさんへ
いろいろと参考になるご意見をいただきましてありがとうござ
いました。
私は、物部の歴史はもちろん、神道史についてはほとんど無知
なのですが、生駒山の歴史を考える上では、地域的にどおーし
ても素通りできないですし。ましてや関東方面の話しになりま
すと、もおーまったく・・・。
それから「当然住吉・・」と記しましたのは、単に住吉から見
た夏至の日の出ラインの逆方向になるという意味だけなのです
が。ただそのラインは、地理的にみた位置関係だけでなく、視
界上の重なりを越えて何らかの重大な歴史的相関関係があるの
かどうか、例えば物部支配地の変遷過程などと、大いに興味が
そそられてきます。
ご指摘の興法寺の歴史ほか、また詳しく調べていきたいと思い
ますので、またその節はよろしくご指導のほどを。ありがとう
ございました。


tan さん 2004年 02月 16日 00時 21分 03秒

> hahahaさん 
ありがとうございます&お手数おかけしました。
ワームは13日以降激減したのですが残存がまだ放浪しているようです。


> はらださん こんばんわ
長弓寺の伊奘諾神社は等彌でしたか、参詣した頃気になっていたのは近くの蛇喰の地名、長弓寺の北に広がる台地の地名が北大和。
西に白庭台がありますがこの白庭の高所からの視界にに比して北大和は四方に視界が開け(特に南が良い)生駒は勿論、鳥見・二上山・葛城・等彌白庭・三輪・石上など奈良盆地の殆どが視認できる場所です。この北大和の地名の由来とその時期(古さ)或は旧名など分ると面白そうです。
平面上では住吉−石切下社−伊奘諾が一直線になりますね、住吉と石切の間に式内では波牟許曾社と石田神社が入ります、が
目で見る夏至の日の出方向ですが、これですと住吉からは上社とか興法寺が視界上の重でしょうか、興法寺の縁起等はいかがでしょう。レイラインも鎮座地設定の要素と思いますが、先ず適地としての地形でしょうか。守屋鎮魂ならどこから何所を対象にしているかなど考えるも面白そうです。

>共に下社と伝える石切劔箭命神社、さらにはその延長ラインには当然住吉大社が位置するこになります。
#この「当然住吉・・」の当然とお考えになる理由が気になるのですが。。
物部氏は古くを追うに興味深いのですがどうも現地探索抜きでは資料の入手も含めなかなかピンときませんです。
物部といいますと関西では無いですが、千葉の印旛沼と利根川の間の台地北半分に鳥見神社が密集しています。トミと訓ませる社とトリミと訓ませる社がありますがトミにはヤマト白庭より云々という伝承があります。またその分布圏の南には宗像神社が密集し印旛沼の東辺には麻賀多神社が密集、つまり3つの社の分布があそらく延喜以前から殆ど変らず今も続いているわけです。印旛沼の北東から利根川には埴生神社(壬生氏?)の分布が集中してますがこれは前述の3つより少し新しいのかも。
北総台地縁に手賀沼と印旛沼がありますが沼になったのは江戸徳川家光以降で縄文時代はほぼ鹹水域、周辺の谷も深く狭いのが多く弥生古墳時代には稲作に適す土地はあまりなかった、臼井南式土器の出土分布とか、魚貝が豊富ながら鹿猪など動物主食の集落もあったり、稲作が主ではないだろう物部とつながっていく条件風土はあった、など、まあのんびりやってます。
うろおぼえですが奈良の等彌神社の伝に宗像社を勧請したのは奈良で一番古いとかあったような気がするのですが、この辺りとか、奈良大坂の物部関連資料伝承に東国下総・印旛(印波)に関するものなどありませんでしょうか。



hahaha さん 2004年 02月 15日 00時 18分 15秒

S-tan さん

こんばんは!hahahaです。
先日の龍穴神社の画像ですが、2/15日の0:00ごろ送付させて頂きました。
なお、間違って、画像添付なしを1通先に送付してしましたが、無視してください。
2通目の方に添付させています。
では、宜しくお願い致します。

いこまかんなび はらだ さん 2004年 02月 13日 22時 19分 41秒

s_tanさんお久しぶりです。
先日、生駒市周辺〜富雄川沿いの物部伝承地をあちこち訪ねてきました。
前に「杜の風景」でUPされた住吉大社から見た夏至の日の出の図にすごく
惹かれていましたが、富雄川沿いの長弓寺・登弥神社(現伊弉諾神社)な
ど、あのあたりから西南方向の生駒山を遠望すると、私が生駒山の北嶺下
で発見しました「草香山=饒速日山」と見られる巨石磐座(いこまかんなび
写真帳)を通して、山の西側山ろくに鎮座し、共に下社と伝える石切劔箭命
神社、さらにはその延長ラインには当然住吉大社が位置するこになります。
物部伝承地自体が不確定ではありますものの、これは偶然に連なっただけの
ことなのでしょうか、
s_tanさんには何かの閃きを期待いたしたいのですが。
ご意見をお待ちいたします。

tan さん 2004年 02月 06日 22時 44分 03秒

> しゃくやくさん
宋胡録は連想だけでしたか。胡録壺とか臨済高僧、書、武家あたりとの連想かもなんてふと思ったりでしたが。
亀戸ですか、胡枌は行徳あたり江戸川わりと河口近くみたいですから亀戸はどうでしょ?、江戸期の行徳辺りは塩田でも有名だったみたいですから貝が沢山採れる所のせいもあったのでしょう。亀戸あたりは隅田のように運河濠縦横までいかなくても人家は結構あったのでしょうか。区?図書館郷土史あたりで古絵図を年代追ってみると面白いかも。


> hahahaさん お久しぶりです。
すみません。昨年末といいますと12月始め前後stanのメールから2週ほど離れていた時かも、1週以上離れると添付ファイル付メール(容量大など含む)は受信しない様に設定するので、恐らくこの時期と思います。
郵便はお手数おかけしますので、今流行の多量ワームが2/12に収まるだろうとの事ですので、2/12以降収まった後に再度お手数ですがMailにてお願いします。
(ワーム付は受信せず削除してますが今も止らず大量に届いてます、感染したヒトに被害が少ないのが止らぬ理由みたいです^^;)


しゃくやく さん 2004年 02月 06日 15時 13分 39秒

そうの字間違えました、、、宋胡録です。
出肋檗。(^_^;)

しゃくやく さん 2004年 02月 06日 15時 11分 22秒

こんにちは!
>宋といいますと書に関連の宋の高僧あたりを連想しますが、胡録焼はどんな結び付けをしてます?

これは、ただ連想されているだけで結びはありませんでした。。。
宗胡録はタイからやって来たお茶菓子を入れる器のようです。

第六天と胡録、、、魔界が潜んでいるのかしら?
いろんな風に繋がっていくんですね、難しい。

今日亀戸の香取神社に遊びに行ったら、いくつか末社?が並んでいて
その中の一つに稲足神社というのがあり、祭神が面足神とかしこ根神
に金山昆古神、宇賀御魂神になっていました。
ちょっと第六天っぽいかなぁなんて思ったのですが、、、
だとしたら、ほんとにいろんな所に潜んでいそうです。
でも、この辺りでは、胡録には変化してはいないよう。
胡枌の産地じゃなかったのかしら?









hahaha さん 2004年 02月 05日 23時 54分 51秒

s-tan さん

こんにちは、お久しぶりです。
龍穴神社の画像を昨年末に送付させて頂きましたが、ウイルスと勘違いされたのでしょうか?
ご入り用でしたら、再度送付させて頂きます。
メールが御不都合なら、CD-ROMにて送付させていただきます。
よろしくお願いいたします。

tan さん 2004年 02月 03日 00時 36分 31秒

「禊盥・けいかん」ですか、勉強になりました、素直といえばスナオな訓みですね。
>開拓、海上守護や安産などの神事
開拓というのがこの低地には多いのでしょうね、川沿いの社に天正の創立が結構見られますし家康の入府から60年程で利根川上流の付け替えも完了しているようですから入植はこの時期辺りが多いのでしょう。
第六天は実に多いですね、千葉さんが調べられた武田氏家臣の開拓とか、荒川区の胡録は上杉氏の家臣とか永禄天正がこの地区の創立としては目立つようです。沼津市の城跡にも大六天がおそらく城の鎮守としてあったようですから信長はじめ武士の守護神として流行のピークの一つがこの頃にあったのでしょう。
大六天は他人の楽しみを自分の物にできるという信仰は後のピークでこの頃にも祠など出来たのだろうと思います。理解を超えるモノ・場所、魔王といったイメージはいつも在ったのでしょうね。

胡録(+竹冠、ころく・やなぐい)は弓矢の入れ物とか矢と入れ物のセットを言いますが、古くはBC4cの西アジアの墓から日本では市原市、長野など割と地方にある5c頃の古墳から金・金銅製などの副葬品として出土してます。
「胡」といいますと「西方の」という意味が一番大きいようですが、中国でも同じ様で、時代とか史書により、ペルシャ系であったり、東胡と呼んだり、匈奴であったりしますがいずれも「(元は)西方からの」といった意味があるようです。朝鮮の三国史記での「胡」の使い方は人名が特に僧にみられます。

大六天(第六天)が何故「胡録」か、なのですが今の所、常陸風土記の「許呂」(鉄の戦具)、武士の発生の源という健児の前からの律令の兵士の装備品「胡録」。戦乱から落ち関東の低地を開拓した武士が多く鉄・やなぐいといった象徴のひとつ「胡録」があって、神仏分離に「胡枌」産地だった地域と簡単に結びついたのだろうと思います。
「元」武士だったから「今」武士の弓矢と馬の八幡にはできなかった。また胡粉は人形など各種顔料以外に書物をする紙への加工に使われ荼毘紙呼ばれたものは奈良時代には使われたてたそうで胡の意味に魔界に近いイメージは古くからあったのだろうとも思います。
宋といいますと書に関連の宋の高僧あたりを連想しますが、胡録焼はどんな結び付けをしてます? 江戸低地では骨壺が多かったとか?でしょうか。



しゃくやく さん 2004年 02月 02日 09時 15分 24秒

「禊盥」の件ありがとうございました。読み方は、図書館で探した本に「けいかん」と
載っていました。開拓、海上守護や安産などの神事がありました。

その図書館で借りた本を眺めていたら、近所の高木神社(祭神 高皇産霊神)が古くは「第六天」と載っていたり、足立区の荒川沿いのマンション広告に胡録神社の名前を発見したりして「そういえば、古代であそぼに載ってたなぁ」と思いびっくりでした。どこかに、「胡録は、宋胡録焼と関係がないのかなぁ」なんて書いてありましたが、単に字が同じだけかしら。



s_tan さん 2004年 01月 30日 00時 25分 08秒

ワーム注意!

昨夜のワームは最新のモノと分かりました。
発信者(感染元)を特定できませんが、このhpに来られている方が感染しているのは間違いないところです。2月1日より新たな作業をするソフト(ワーム)が含まれている可能性もありそうで、心配してますが。
心当たりの方は、下記を参考に、チェック&削除を!

マイクロソフトのページ
< http://www.microsoft.com/japan/technet/security/virus/mydoom.asp >
シマンテック
< http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/w/w32.novarg.a@mm.html >

この際メールソフトを変えてしまうのもいいかも知れませんね。



tan さん 2004年 01月 30日 00時 24分 21秒

浦和のおとうさん こんばんわ

拝見しました。松本という地名は、長野松本市、山梨松本、さいたま、どれも氾濫源が共通かな、程度に思っていたのですが、さいたま市の松本の名は元禄なのですね、松本市も時代的に近そうで3ヶ所関係があるかも、松本さんがkey? などふと思いつきです^^。次回の調査ご報告心待ちにしています。
元禄直前の新田となりますと、利根の付け替え工事が3度目に水が通じた後になるのでしょうか、いずれにしても地図上では標高4〜5mですから利根の東遷前は水量豊富だったでしょうね。



浦和のおとうさん さん (urawa103@js3.so-net.ne.jp) 2004年 01月 29日 21時 15分 11秒
URL:http://urawanootousan.cool.ne.jp/

>tanさん
 ありがとうございます。
 今週の日曜日は、地域内の真乗寺にある碑文でも読みに行こうかと思います。
 これからも色々と参考にさせていただきたいと思います。
 宜しくお願いいたします。

(ワーム)メール注意! さん 2004年 01月 28日 22時 53分 21秒

管理者stanより連絡です。

1・stanからのメールを暫く受信開封しないで下さい。
2・ご自分のメールソフトのログなどご確認下さい。

10日ほどメール機能のあるMYpcを使わなかったのですが、先ほど接続しましたら、1/27,28日分で500超えのメールを受信。途中でヘッダーのみ受信に切り替えたのですが、
ヘッダーをいくつか確認すると
※ 1/28にはどうも「stanが発信者になっているのもある様子」。(リターンメールから)
  1/20から1/28,21:10、の間はstanでのメール機能あるPCはint-net接続していません。
  どこかのPCが勝手に動いています。

※ 確認未ですが、添付ファイル付もあります。自動開封の方は特にご注意を!


tan さん 2004年 01月 28日 22時 49分 41秒

いらっしゃませ、浦和のおとうさんこと、鈴木さん
埋もれている地域の歴史、掘り起こしも記録も楽しくまた奥深いですね。
リンクありがとうございます。
お役に立ちますでしょうか、なにかお気づきの点などありましたらよろしくお願いします。



浦和のおとうさん さん (urawa103@js3.so-net.ne.jp) 2004年 01月 28日 22時 05分 09秒
URL:http://urawanootousan.cool.ne.jp/

 さいたま市南区松本一丁目自治会の浦和のおとうさんこと鈴木と申します。
 初めまして。
 地元にある白髭神社のルーツ探るため、高麗神社のページ参考にさせていただきました。 また、貴ページに勝手にリンクをさせていただきました。
 高句麗、新羅をルーツとする白髭神社に間接的ではありますが、関東大震災の混乱時に「逞鮮人襲来」の流言飛語があったと刻まれていることに、因縁というものを感じます。
 子供達の故郷として埋もれている地域の歴史の掘り起こしに目覚めています。
 リンクさせていただいているページは、12年ほど前に県内の他の地域(比企郡)からやってきた大手電気工事会社勤務で技術士というバリバリ理系の私が、子供達が育つ地域の歴史に興味をもち、新たに自治会のページの中に作らせていただいたものです。色々と知識不足のことがあるかもしれませんが一度訪れていただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

tan さん 2004年 01月 27日 22時 16分 15秒

 いやぁ、寒い、お湿りがあると完全に雪になりますなぁ〜。
香取・諏訪、明治の合祀でしたか、なんとなく香取のほうが古い雰囲気でしょうか。
「禊盥」この社ではなんと訓ませているのか「みそぎ・たらい」で「けいばん」なんてのもありかも。意味は手水舎にある「水鉢」そのもの。
「漱盥」とかの銘も水鉢に見られるので、「禊盥」は手とか口というより、体を清めるとか「足」を清めるとかの意味が強そうな感じですね、川とか海で禊に関わる神事とか、旅人の往来が多い旧街道沿いなどに神社があるとか、「盥」がメインだとお産とか子育てとか、など神事・口碑がないでしょうか。



しゃくやく さん 2004年 01月 27日 17時 32分 59秒

s-tanさん、こんばんは〜
なんだか、寒いですね。

先日お話をした香取神社内摂社の諏訪神社なのですが、1899年に合祀となっていました。
それでこちらの社殿前に、もともとは香取様前にあった水鉢があるのですが、
銘は「禊盥 文政十一年戌六月吉祥日 氏子中 星塢秦鐘 書」となっていて
この禊盥の意味がわからないのですが、どんな意味なのでしょう?
よろしければ、教えて下さい。

tan さん 2004年 01月 22日 22時 17分 59秒

「東国の古代ー産鉄族オオ氏の軌跡ー」面白そうですね。図書館検索してみましたら柴田弘武氏の本ですね、東国の古代ーは近所の図書館には置いてないようです、さすがに千葉の図書館には蔵書してました。柴田氏の本は「鉄と俘囚」を持ってますが昔本八幡駅近くの古書屋で購入したものです。「東国の古代ー」もお近くの古本屋さんにあるかも知れませんね。10年以上前ですが八幡境内で古本市をやってましたが今も続いているのでしょうか。
オオ氏といいますと、馬来田の飫富神社と鹿島神宮対岸の大生神社、この東京湾奥から霞ヶ浦にかけての広い範囲が上下に分かれる前にあったという海上国の範囲と一致しているという人もいます。神社探訪の説明にも書いてますが大生神社は鹿島神宮の元宮という話もあり、近くに長70m超の前方後円墳があり、また反対の西の浜には麻生という地名があり浜砂は黒っぽいです。鹿島神宮あたりの台地も風土記に松と砂鉄の産地であるとの記述が見えます。印波国造の伊都許利、仲の国造も神八井耳を祖に置いてますし九州から阿波・紀伊と続く海流が古代のハイウェイだったのでしょう。

松戸の胡録は甲斐武田氏でしたか。こちらは箭の方に縁が深そうですね近所の小金原の地名も胡録に縁ありなのかも。胡録(大六天)の古そうな社の殆どがAD1500代、新しい所でAD1800前後が多そうですね。大六天が胡録のを使ったのは、箭+鉄+笹(竹)というのが強そうに思えてきました。

葛飾千葉の式内社は固定しているのは蘇我ヒメ神社くらいでしょうか、どうも伊勢の御厨のあった地域は同定しにくいのが多いような気がします。船橋大神宮も東西に広がる伊勢御厨の中央あたりになりますね、天照大神が強くなる以前はオオ氏でしょう。
茂侶も流山対岸を含めて何社か、寒川神社を含めて古くは奉斎する氏族を含めて移動したのかも知れないなど思ってます。旧利根川今の隅田から市川あたりは国分寺以前はヤマトにとって魔界だったのかも知れません。



千葉ちゃん さん 2004年 01月 19日 22時 26分 33秒

松戸の図書館に行って来ました。ついでに「東国の古代ー産鉄族オオ氏の軌跡ー」なる興味深い本もみつけて,昨日ななめ読みしました。なんとか入手して,印をつけながら読みたいものです。

さて,松戸の胡録神社について。
1. 胡録(たけかんむりつき)神社,大橋,面足命・かしこねの命
隣接する日蓮宗本源寺(開基1596年)を創建した秋山虎康(甲斐武田氏の家臣。娘が家康の側室となり五男信吉を産む。家康はこの信吉に武田の名をつがせて,小金三万国の領主とする)の氏神であったのを大橋村の鎮守にしたと伝える。
2.胡録神社,紙敷,面足命・かしこねの命,延宝4年八坂神社石祠あり
3.胡録神社,岩瀬,面足命
というところで,こちらは武士に関係深そうです。

次に茂呂(にんべん付)神社について
日本「神社」総覧には出ていませんが,式内社は松戸市小金原五丁目にある社(祭神は日本武尊),船橋大神宮の東約650メートルほどの丘の上にある社(木花咲耶姫)という説があることを知りました。流山の社は祭神が大物主命なので社名変更願いをだして認められたとか。こうなると,来週は船橋の図書館に行くことになりそうです。

tan さん 2004年 01月 13日 23時 45分 58秒

 千葉さん ニアミスですね^^。文字についてはお気遣い無く。
調査有難うございます。川を挟んでロクの字を変えているようですね。笹は腐り防止にも効きますね雨水濾過タンクに入れてますが効用有です、あと乾燥して茶葉にしたり^^。
伊勢講流行の産物ですか、たしかにあるですね。利根の土手の祠には神明社の祭神が面足・惶根というのもあります。昔は行徳から隅田あたりは川とか運河が縦横に走り水郷に島といった感じだったのでしょうね、柴又の小高い場所の神社は古墳の上にあるそうでこの辺りの小高い場所にはまだ発見されていない古墳もあるのではと思っています。川崎に第六天古墳というのがありますが市川・松戸の第六天(胡録)も小塚の上の祠がはじまりというのがありそうですね。
松戸といえば標高20m程に胡録がありますが、名前としては珍しい茂侶神社があります本社はもっと上流の式社と思いますが、これも松戸に多いのが気になっています。




千葉ちゃん さん 2004年 01月 13日 23時 20分 59秒

S_tanさん,下記の文中で「さん」を抜いておりました。失礼いたしました。

千葉ちゃん さん 2004年 01月 13日 23時 18分 30秒

市川の図書館で胡録神社を調べてきました。
「市川市史 第二巻 古代・中世・近代」に,市内所在神社一覧がありました。
1,胡録神社,市川二丁目,面足命・かしこ根命。
2,胡録神社,新田,面足命・かしこねのみこと。
3,第六天社,若宮,第大天神。
ここからは,行徳です。
4,胡録(たけかんむりつき,漢字を表示できず)神社,河原,面足命。
5,胡録(たけかんむりつき)天神社,関ヶ島,高皇産霊神。
6,胡録(たけかんむりつき)神社,湊新田,高皇産霊神。

おそらくs_tanがご覧になったのは,#6の神社でしょう。笹団子については,「行徳物語」(市川新聞社,昭和52年)の記載を抜粋します。江戸期には,第六天祠と呼ばれていたそうです。
「祭日には,葉のついたままの笹に,紅白の小さな餅をつけたものをくれる。そのまま煎じて飲むと,腹痛や頭痛に,あるいは万病に効くとも言われた。近年,笹の葉に含まれる多糖類には制癌作用があるといわれ,有効成分の抽出に製薬メーカーが目の色を変えて研究したいきさつもあり,この伝承も,頭から迷信と馬鹿にしたものでもなさそうである。」
(筆者のひとりは薬局自営とあり,おそらく筆がのった)
なお,行徳領の江戸川沿いには,神明社や第六天社が複数あり,神明信仰(伊勢講)流行の産物と述べています。

しかし,胡録神社と第六天社の関係は不明です。来週は,松戸の図書館に行って来ます。

tan さん 2004年 01月 13日 23時 13分 52秒

相模五ノ宮、たしかに昔の資料に五の宮とはないですね。手元のメモですが志賀剛の『式内社の研究』寒川の項の国府祭の説明に「2宮以下5宮までの神輿も順次著御し、古式の座問答などの祭儀が行われる。」とあって、その後に「(5宮平塚の参加は天文以後?)」との文があったようです。
ご存知とは思いますが、----『和漢三才図会』の相模の神社には、
・寒川社、高座郡一の宮村、社領100石。「別当真言安楽寺」
・二宮(川匂神社) 二宮村にある、50石
・三宮(比々多神社)三宮村(伊勢原市)、10石
・四宮(前鳥神社)四宮村(平塚)、10石
・五社八幡宮、品川村(綾瀬市早川か)、13石
・六所明神、鴻野(大磯国府新宿)、50石、別当信勝院
・八幡宮、笹村にある、社領(欠字)
・八幡宮、(欠字)にある。20石
----などあり、五宮は見当たりません、平塚八幡宮は見逃している寺の内にあるのかは分りませんが、家康由来の中原御殿に近いというこ事もあり、「八幡宮(欠字)20石」にあたるのかも知れません。※( )内は後世の説明。



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