・掲示版 書庫


とみた さん 2006年 07月 04日 09時 18分 36秒

tanさん、かわさきさん はじめまして 千葉県のとみたです。

かわかつさん、神奈備さん、nickさんとは外のグラウンドでお世話になっております。

第二の人生で、3年間、古代史をあっち、こっち漂流しております。

好奇心が強いので思い立ったら突っ込みます。まだ道具の使い方の基本である、

文献や家系図まで紐解けず難儀しております。

ご挨拶はこの程度にさせていただいて、にわかに質問させてください。

忌部氏やオオ氏が気になりだしました。

房総へやってきた、忌部と四国や出雲とのかかわりや、鹿島神宮近くに潮来がありますが、そこに大生(これもオホ)氏が来ていて大生神社や大生古墳のあることを知ったからです。スワ一大事(笑)
と調べはじめました。するとこの掲示板で先人のかわさきさんやtanさんがそれを追求なされていることが分かりました。

印西牧の原は、時々行きますし、奈良の宇陀や榛原など各地も探訪しております。
よろしくご指南の程をお願いします。なおご存知だと思いますが千葉県の考古学関連の掲示板であるさわらび通信がありますね。http://bbs3.on.kidd.jp/?0330/sawabbs

昨日は、八千代市勝田台文化センターで弥生土器の講座がありました。


tan さん 2006年 06月 23日 23時 54分 23秒

google earth 精度の高い画像が増えてますね、奈良県の西部、札幌周辺、など、撮影は2002年が多いようですが。
アンコールワットの画像精度もあがってます。
下記 kml ファイル、2つ紹介。
1、●と▲の間をコピーして
2、「適当な名前」.kmlとして保存し、例えば、a.kml。
3、エクスプローラでファイル(a.kml)をクリック。
 ※適当な名前は半角英数が無難です。

1:Aアンコールワット

<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
<Placemark>
<name>ank-test03</name>
<LookAt>
<longitude>103.8596623614516</longitude>
<latitude>13.44093218897167</latitude>
<range>4000.</range>
</LookAt>
<Point>
<coordinates>103.8596623614516,13.44093218897167,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
</kml>


2:Bジェット

<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
<Document>
<Placemark>
<name>jet</name>
<LookAt>
<longitude>141.6925317635152</longitude>
<latitude>42.85064376301131</latitude>
<range>800.0</range>
<tilt>0</tilt>
<heading>0</heading>
</LookAt>
<styleUrl>#khStyle705</styleUrl>
<Point>
<coordinates>141.6925317635152,42.85064376301131,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
</Document>
</kml>


上記1は古代であそぼTop頁一番下の「ge」からリンクしてます。

万里の長城、どなたか発見された方いませんか。



tan さん 2006年 06月 13日 22時 18分 01秒

かわかつさん
わお! 楽しみにしてます。


かーたんさん
どーも。フレームIE7で動作しているようですね^^。
轟式、発生はどこでしょうね、東シナ海メインで後の倭人とつながりがあるのかも。実物を見たことがなく、どうもイメージが・・いまいち。そういえば鬼界以前の平底(でしたっけ)の土器も不思議ですね。

千葉は蘇我ヒメ神社をupしてあります。奈良辺りにくらべると関東は少ないですね、千葉から姉崎辺はなんとなくにほひがするのですが。。

緯度経度です。カシミールでは、

1・まず、測地系を確認して下さい。※ −はclick。
上のバーの【表示】−「表示測地系の設定」−[表示測地系(ViewDatum)の設定画面]で<Tokyo>を選択して{ OK }ボタンを押してください。
(初期設定は<WGS84>になっていると思います。Tokyo系をWGS84で表示すると東南に450m程ズレて表示されます。実際の場所は450m西北。)

2・上のバーの【ジャンプ】−「経度緯度へ(A)」−[ジャンプ先]画面が出るので、
緯度、経度の数字にカーソルを合わせ、宗我神社の場合は緯度に 35 18 16 、経度に 139 11 24 と入力し、{ OK }ボタンを押すと目的地に飛びます。

3・場所の記憶、該当箇所にカーソルを置き「右クリック」−「新規作成」−「地名作成」
− { OK }で保存。


か-たん さん 2006年 06月 13日 14時 09分 38秒

tanさん、(^-^*)/コンチャ!
早速修正していただきまして、ありがとうございました。
IE7ってちょっと違うのですね。やっと最近少し慣れて来ましたけど・・・(-_-;)
で、轟式土器ですが、本にあったことを載せますと、BC4000年ごろの南九州の鬼界カルデラの噴火によって喪失した九州地方の縄文早期の文化のあとに、縄文前期に早期とは異なる文化を携えた人々が南下しててきたとしその土器が轟式土器とのこと。
九州一円はもとより山陰・瀬戸内沿岸にも達し、対馬海峡を経て朝鮮半島にまで達し、南九州は種子島・屋久島まで伝播しているそうです。沿岸部に多いので海洋性とに富む土器と言われているようす。
多分ご存知のことばかりかと。
これは日本独自のものなのかしらとちょっと思いました。中国大陸には出土していないのかなぁ・・・なんて。

宗我神社、たくさんありがとうございます(^ー^)ノ
あのこの数字って緯度・経度でしょうか (>▽<;; アセアセ
久々にカシミ−ルを開いて、場所を辿ってみようかなぁーなんて。そういえば千葉にもあったような・・・

かわかつ さん 2006年 06月 10日 10時 56分 53秒
URL:http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/

修正感謝!
いつかバーチャルでなく、実物が送れる機械ができたら、手料理お送りします。^^

tan さん 2006年 06月 10日 01時 14分 05秒

訂正です。
下記、青森の轟式土器は記憶違い=間違いでした。失礼。

tan さん 2006年 06月 09日 21時 06分 07秒

かーたんさん
早速ありがとうございます。やはりまだIE7では対応していないのですね。神社、本館別館とも直してみましたが、いかがでしょうか。
以前IE7を使った時に動作がおかしかったので、現在IE7は当方の使い方でちと不都合があり使ってませんが、最近ちらほらIE7での訪問がある様子なので、念のため下記にUPしておきました。

轟式というと宇土市の轟貝塚、縄文前期。青森の三内丸山でも出ているそうですね、熊本と青森の轟さんは血のつながりとか技術の伝播とかはあったのでしょうか、貝殻というと一番身近な存在だから。。この辺は確認されているのでしょうか。
「九州に携えてきた」このあたりもう少し詳しく教えてください。

おひまつぶしに^^。
※<そが、すが>測地系:tokyo。
宗我神社 35.1816 139.1124
曽我 34.303532 135.464085
曽我川 34.28052 135.460684
曽我川 34.331169 135.455585
曽我別所 35.174098 139.114651
蘇我比メ 35.34095 140.07597
素賀 34.41282 138.09
須我 35.522315 139.582853
須我 35.21046 133.02034
須賀 35.500059 140.194407
須賀 34.32044 135.4849
須賀 35.000768 134.332389
須賀 35.564748 140.340801
須賀 36.092854 140.281254
須加 36.105976 139.290987
須賀 35.232039 139.103045
ーーーーー
※地名・公共施設の名前検索、
 http://watchizu.gsi.go.jp/ から


かわかつさん
お久しぶりです。アドレス変更のご連絡ありがとうございます、早速変更させていただきました。
hpの引越しは大変ですよね、お疲れ様でした。「40過ぎてCPかよ」男の料理といいますか、本職の料理、楽しく拝見しております。


かわかつ さん 2006年 06月 09日 14時 42分 04秒
URL:http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/

tanさん、ずいぶんとごぶさたしました。
当サイト上で予告しておきました通り、本日CATVのHPサービスで公開しました。今月いっぱいは旧URLは存続しますが、今の内にリンクURLを変更いただければと思います。
新URLは以下の通りです。
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/

旧ページからは、TOPページから自動で、TeaBrakeページからはURLでそれぞれJUMPするようにしております。
また、新ページにはまだカウンターはついておりません。いずれセットします。
ご愛顧頂いているハーボットのじゅんじゅんのおうちは新URLの方へ引っ越しました。契約は延長しましたのでまだ半年は飼っておこうと思います。

ブログ「40過ぎてCPかよ」はニフティ準会員として月額250円はらえば継続できそうです。
いろいろご迷惑をおかけしますがよろしくおとりはからいくださいませ。かわかつ敬白

か−たん さん 2006年 06月 09日 13時 17分 12秒

tanさん、こんにちは♪
こちらではお久しぶりです。今日は新聞の蘇我氏特集で「蘇我ライン」の記事を読んだりしたので、奈良にある宗我神社を検索しようとtanさんのHPを探していたところ・・・神社本館・別館とも神社名をクリックすると、同じ左のフレ−ムが開いてしまいました。
実は最近IE7へ変更したんですけど、これが原因???
と、私だけかも・・・なんですが、報告しておきまーす。

相変わらず縄文時代の本をのんびり進めています。やはり縄文からきちんと勉強しないと弥生の流れは理解することができないことつくづく感じています。大変活発な交流をされているのですね。BC4000年に九州に轟式土器を携えてきた方達というのが、ちょっと気になりました。

tan さん 2006年 06月 07日 00時 31分 37秒
URL:www.d3.dion.ne.jp/~stan/index.html

お知らせ
最新の IE7をお使いの方で
神社探訪などのフレーム表示が乱れる方、おられましたら
「こちら」へ IEのバージョンと共にご連絡ください。


tan さん 2006年 06月 05日 23時 26分 39秒

しろい七福神、拝見!
そういえば道がわかり難く聖地公園からでした。

かわさき さん 2006年 06月 05日 20時 35分 48秒
URL:http://www14.plala.or.jp/nikorobin/jinjyabukkaku.html

白井七福神。
すべてではありませんが、こちらに。↑

tan さん 2006年 06月 04日 23時 55分 09秒

神奈備さん
いつもありがとうございます。腰痛といいますとギックリ腰を思い出してゾット。。です。
腰神さんは汐の宮温泉とセットなのかも知れませんね。完治されますように、。


かわさきさん
ありがとうございます。早速訂正しました。延命寺観音堂の境内はよく整備されてました、
しろい七福神は回られました?


かわさ さん 2006年 06月 04日 17時 04分 33秒

tanさん

平塚等の鳥見神社をUPされましたね。拝見させていただきました。特に平塚の露出石棺をバッチリUPされていたのは流石ですね。近隣住民でもなかなかそこまでは知りません。
私もこの間、隣りにある延命寺に行きました。
ところで平塚の本殿は東向きではありませんでしたか?

神奈備 さん 2006年 06月 04日 09時 22分 13秒

> 地元の方が作られた恐らくガリ版刷りの由緒書が社前に置かれていたことに小さな感動、といった事だったと思います。

 通りすがりと言うことですね。時々小さい神社には遭遇しますが、上記のような由緒が置かれていたとは珍しいですね。加齢で腰痛持ちになりましたので、一度参詣したいものです。ありがとうございました。

tan さん 2006年 06月 04日 00時 05分 48秒

KENJI さん
遅くなりました。暫く外出してまして内1週間電話回線無(オンライン無)で先ほど帰宅。
hp再開【 おめでとう! 】いやあうれしい。のちほど伺います。


神奈備さん
こんばんわ、光をお使いなのですね^^。
腰神さんは、もう10年近く前であまり憶えていないのですが、楠木氏関連の城のひとつの山裾で、鳩原の川上神社に寄り金剛トンネルを抜けて五条市へ向った時に出会っています。
>上記のように式内社と並べての紹介の意図はなんでしょうか。
#式社と並べての意図は特にありません。地元の方が作られた恐らくガリ版刷りの由緒書が社前に置かれていたことに小さな感動、といった事だったと思います。
時間に余裕があるときは見当をつけて可能な限り旧道を走ることにしてますので名も無い社によく寄ります。殆どが調べてもひっかからないです。
今日、帰る途中、埼玉県上里町(旧カミ郷辺り)の今城・今木・長幡部など参詣してきたのですが色々移動が多い様子で調べ甲斐というか妄想を楽しめそうです。


神奈備 さん 2006年 06月 01日 20時 30分 44秒

腰神神社は神奈備の投稿です。

腰神神社 さん 2006年 06月 01日 20時 29分 41秒

 富田林市の腰神神社ですが、佐備神社,建水分神社,腰神神社と並んで紹介されていますが、神社庁の「平成祭データ」や、昭文社の地図にも記載がなく、名所図絵等にもその名前はでてきません。
おうかがいしますが、この神社の存在をどのようにして知られたのでしょうか。
また、上記のように式内社と並べての紹介の意図はなんでしょうか。

小生の修行不足を痛感している次第です。

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 05月 27日 00時 36分 34秒
URL:http://www.eonet.ne.jp/~tamatebako/

今晩は。御無沙汰いたしております。
今日は、お知らせに来ました。
長らく休んでいましたが、多分6月上旬には、HPを再開しようと、只今、準備中です。
未だ、仮のTOPページで、掲示板が増えただけの「仮の再開ページ」だけですが、再開いたしましたら、どうか宜しく御願いいたします。
(コピー&ペーストで、申し訳有りません。)

神社の取材の件等、後ほどメールさせて頂きます。

katura さん (mail@nachumaji.com) 2006年 05月 17日 10時 14分 27秒
URL:http://www.nachumaji.com

tanさん

何度も失礼いたします。
下の文章の「そうそう、」は余分でございます。
失礼いたしました(~_~)

katura さん (mail@natyumaji.com) 2006年 05月 17日 10時 11分 59秒
URL:http://www.nachumaji.com

tanさん

こんにちは(^。^)
自然の魔法〜ナチュラルマジック〜の管理人をしておりますkaturaです(*^。^*)
先日は相互リンクをありがとうございました(^^♪

こちらのサイトはネーミングや雰囲気からして私好みです(^^♪

それから、靴を履かない作風は、自分のテンション創りと、樹や自然に対する敬意を込めての意味だったのですが、埴輪の話しは知りませんでした〜〜〜
神社の宮司さんは当然古代マニアだと思うのですが、彼等とお話しをしていると、楽しいです。
同じ日本語なのに響きが違って聞こえたりもいたします(^。^)
何を思って言葉を発するのかも大切なのかもしれませんね〜
勉強・勉強・また、サイトに遊びに伺います(^^♪
今後とも宜しくお願い申し上げますヽ(^。^)ノ
そうそう、

tan さん 2006年 05月 14日 19時 57分 08秒

シカトというか、それどころではなかった「状況」みたいですね。
酷税を使うには費用対効果というか発掘などは公開度が気になるところですが、(財)某センターなどみてると使わんでくれ、のレベルのようですね
そういえば最近門戸が狭くなった感じの歴博ですが、5〜6年前の事ですが、質問に郵送での返信があり専門家の紹介がありました。
本埜もそうですが、手付かず・眠っているほうが多いでしょう。印旛は(廃)寺の出来ようをみると開発はかなり古そうですし。。

かわさき さん 2006年 05月 12日 22時 33分 00秒

tanさん

場をこちらに移しました。
(財)印旛郡市文化財センターからは1週間以上経過してもなしのつぶてで完全にシカト状態です。ご指摘の通り読めないPDFが多いわ、調査報告書の欠品は多いわで税金でも使っていようモンなら県民として怒りたくなりますな。
本埜村役教育委員会に問合せた処、即日ご返事くださいました。
それによりますと直刀が出土していたのは宮内遺跡の南西400mにある天王前遺跡からで、5世紀後半と推定されるそうです。隣接する小学校の古墳から、やはり鉄製品(馬具?)と直刀一振りが出土(例の話はこれですね)してまして、古墳は、中〜後期にかけてのものでどうも小型円墳のようです。未調査なのでこの程度しか解らないそうです。
印西では、副葬品に乏しくて刀子などはかなり出ているようですが、直刀となるとかなりレアだと思うのですけど、なんで未調査なんでしょうね。すんごく悔しい思いがします。

tan さん 2006年 04月 29日 14時 41分 03秒

小林・中根ですか。
千葉県神社誌に載る鳥見社の訓みは「トミ」と「トリミ」み分かれますが、トミと訓ませているのは小林の宮司さんが奉斎する社のみです。社伝とか代々の口伝とか宮司さん(先代?)が調査されたことが多々あると思います。
太田亮氏のは豪族部分無視切捨てが多いようで、宝賀氏の方が範囲が広く古代豪族も結構辿れます。鈴木氏の著作は幻というか近くでは見れないです。
小林・中根の、お話、後ほどいろいろ教えてください。


かわさき さん 2006年 04月 29日 07時 37分 52秒

tanさん

そうなんです。牧は近世なので論拠に乏しい(無い?)のが悔しいところです。
GWは残念ながら家族サービスですが、実は明日なのですが宮司さんとアポが取れたのですよ。小林・中根のキモの部分です。しかも自宅に呼んでいただいたので今日から準備しておこうと思っています。また調査依頼があればご連絡ください。
ご紹介いただいた「古代氏族系譜集成」図書館でコピーしまくりました。いいっすね。妄想起爆剤っすヨ。

tan さん 2006年 04月 29日 00時 32分 21秒

かわさきさん
印西で牧に関わり、ですと、古代の牧には載らないようですので、船橋からか利根の北からか、はたまた荘のからみで宇陀から直接か。。年代も養老以後、千葉氏以前といったところで探査でしょうか。船橋大神宮のトミ氏とか相馬あたり経由というのも面白そうですね。
明日からのGWは宇陀でしょうか。

katuraさん
こんばんわ。ご来訪、リンクありがとうございます。
hp伺いました。いいですね、樹の精と妖精、ニンフのイメージ。
杜で古木をみると“すごいなあ〜”とカメラを向けるのですがソレが撮れません。すごいなあ〜のひとつの方向、拝見させて戴きました。
こちらからもリンクしました、ご確認ください。
ps:ご存知と思いますが、古代の埴輪、男は靴など履いてますが女性(巫女)は裸足がほとんどですね。


katura さん (mail@nachumaji.com) 2006年 04月 27日 10時 46分 37秒
URL:http://www.nachumaji.com

はじめまして(^。^)
自然の魔法〜ナチュラルマジック〜というサイトを管理していますkaturaと申します。
本名は小坂 桂子と申します。

サイトを拝見させて頂きました。
素敵なサイトですね(^^♪
私も神社・仏閣が好きです(*^_^*)

ところで、事後報告になり申し訳ございませんが、貴サイトをこちらでリンクさせて頂きました。
本日はその報告をさせてもらいました。
http://www.nachumaji.com/link-10.htmlの中に掲載しています。ご確認ください。
不備などございましたら、いつでも訂正させて頂きます(^^♪

私のサイトはどこか懐かしい・でも21世紀の人と自然の姿の写真館
写真と言葉のコラボレーションサイトです(^^♪

宜しければ是非、私のページにもお立ち寄りください(*^_^*)

可能でありましたら貴サイトのリンクにも加えて頂けると幸いです。
これからグローバルなサイトにしていきたく思っています。
無理なお願いでしょうか???
どうぞ宜しくお願いいたします(*^_^*)

そして、今後の更なる発展と繁栄もお祈り申し上げます。
それでは、失礼いたします。
              本名:小坂 桂子

かわさき さん 2006年 04月 23日 17時 20分 00秒

tanさん

お手間おかけいたしました。
宇陀榛原の県首氏は、古代牧の廃止後にその地を開墾し荘園化したようです。その荘園も後に平氏(臣籍降下の平氏とは別系統のようです)のものとなっています。
牧の管理等に関わっていた県首氏が下総に移住、印西の地で牧の開墾などに従事し氏神として鳥見社を分祀していた。・・などと妄想しております。
一度、宇陀に行かなくてはと思っております。

tan さん 2006年 04月 23日 16時 08分 36秒

>県首氏(県使首氏)
#残念ながらまだ説明された文献に出合ったことはありません。県主、県主首とか県と宿祢、造などはみた記憶がありますが、。
県使首ですと天武以降になるのでしょうか。県使は地方行政からみなのでしょうか。いわゆる使部とは違う感じを受けますが。。
物部系譜から追うとすれば宝賀寿男『古代氏族系譜集成』かその基礎になった鈴木真年の『諸系譜』あたり、、でしょうか。


かわさき さん 2006年 04月 19日 22時 27分 36秒

ご存知ないでしょうか。

奈良県宇陀市榛原町付近の古代豪族、県首氏(県使首氏)の文献等の情報を探しております。榛原町史には、新撰姓氏録に大和国神別「宇摩志麻治命之後」とある。また捨芥抄に記載がある。との情報を最後にプッツリと消息を断っております。
情報等あれば教えて下さいませんでしょうか。


神奈備 さん 2006年 04月 18日 09時 04分 38秒

ありがとうございます。
tmp0の写真は火災の前。
その割には祠の周りのコンクリートは異常に広い雰囲気で、火災後の応急措置の祠かなと思っていましたが、97年にはそうだったのですね。
「日月神示」の頃からは2度ほど火災があったのかもしれません。

tan さん 2006年 04月 17日 23時 12分 21秒
URL:http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/vtmp/tmp0.htm

天日津久神社。
詳しいことは分りませんが、焼けたのは2000頃だったと思います。
hpへのupはご指摘の年ですが、該当画像調べましたら、97年1月の撮影でした。
玄松子さんの画像を拡大し比較しましたら、画像が小さくボケますが、本殿(祠)は違うようです。
拙い記憶では97年当時、天日津久社の周りを整備してコンクリを打った直後だったと思います。

天日津久社の画像、↑<tmp0>へupしました。元はネガからのスキャンです。
& 関連?分。


神奈備 さん 2006年 04月 17日 07時 55分 22秒

 成田市台方の麻賀多神社のことでお尋ねいたします。
 貴サイトを拝見いたしました。更新履歴から見ますと2000.3のアップのようです。
 ここの摂社の天之日津久神社についてですが、小さい祠が広いコンクリートの敷地の上にポツンと鎮座しています。どう見ても岡本天明さんが啓示を受けたような雰囲気には見えません。
 一説によりますと、2年程前に火災にあったとか。玄松子さんは昨年の参詣だそうですが、祠の感じは同じように見えます。
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/tb2mgt.htm
http://www.genbu.net/data/simofusa/makata_title.htm
 どうも2000.3から最近まで火災にあったようにはみえません。火災のことなどの情報をお持ちでしたら、教えてください。

tan さん 2006年 04月 15日 23時 32分 28秒

二見さん こんばんわ。
神奈備さん ありがとうございます。

二見さんのいわれる氏神様は神奈備さんも紹介された鈴鹿さんでいいのではないでしょうか。

>「ある人から神棚を祭る」ように言われました。その際「氏神様」でないといけないとの事・・
#的外れかとは思いますが、「 」この辺が気になりまして。。
・ 氏神=ご先祖。 産土神(うぶすな・むすび)=生まれた土地(初参りした)神。
 氏神様を祭る、というのは「ご先祖さん」をまつる、という意が強いのでしょうか?。
しかしご自分の氏神を知っている人は稀です、遠い先祖の誰がどこで先祖の誰をおまつりしたか判っている(伝えられている)人を私も含めて身近では知りません。
そんな理由で今は「産土神=氏神」ととらえられるのが一般的です。
また、
・ ご祭神を2千年?ほど遡ると殆どが同じ(1神)になります。
・ &殆どの神社には遠くに居られる神様に挨拶する「遥拝所」というのがあります、伊勢神宮遥拝所などとある場所です。これは或る近くの神社が全国の「何処か」の神様とをつなぐ窓口にもなるということで全国(世界)的ネットーワークがあるのですね。(窓口となる神様にその旨お願いしてから。。)
・ 近くの神社でどこに?で迷われるときは参詣してご自分が「気持ちのよい」神社と思われた所に、。
などありますが、神社の祭礼の案内や提灯等ご自宅の一番近くに(貼り)だされる「神社名」が所謂氏神様、と思います。
など、含めて、二見さんが名を出された「鈴鹿さん」を神奈備さんも肯定されたのだと思います。

ps:念のため URLに書かれた@をAに変換しておきます。



神奈備 さん 2006年 04月 15日 19時 26分 41秒

横から一言。
座間市入谷に鎮座の鈴鹿明神社のことですね。

以下、当社の由緒書きの一部。
明治二年十二月、神奈川県下二十大区、二十七ヶ村(座間入谷村、座間宿村、新田宿村、四ツ谷村、新戸村、磯部村、下溝村、上溝村、当麻村、田名村、大島村、下九沢村、上九沢村、相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田、矢部村、同新田村、渕ノ辺村、鴉ノ森村、上鶴間村、下鶴間村、柏ケ谷村、栗原村、上今泉村、下今泉村)の郷社に列せられた。これは現在の座間市、相模原市の全域と大和市と海老名市の一部を占める広域なものであった。以上

これから見ますと、おっしゃる通りでよろしいのでは。

二見 さん 2006年 04月 14日 12時 37分 01秒
URL:syuri-23Akzd.biglobe.ne.jp

大変失礼とは思いますが、ある人から神棚を祭るように言われました。
その際氏神様でないといけないとの事、
座間に住んでおりますが、鈴鹿神社は座間の氏神様でよろしいでしょうか??
周囲に聞いても分からないとの事でしたので、メールしました。
失礼な質問でお許しください。
お返事よろしくお願いします。

tan さん 2006年 04月 04日 21時 57分 01秒

下記:阿波忌部訂正します。系図該当部分
<阿波忌部>
正光┬忠光┬久光─久家─久業
  └女子└為光┬邦光─龍光
        └師光┬師高(加賀守
           ├師経
           └親家
#上記は麻殖大宮司家(麻植郡忌部神社祠官)の系図の一部です、為光以降が丁度次のページになっていて見逃していました。混乱させまして失礼しました。

正光の子に女子とあるのは、藤原通憲(信西)の室で崇徳上皇の寵妃阿波内侍の母。
師光(西光)には(藤原家成猶子北面左衛門尉)とあります。

阿波内侍は安徳天皇の母建礼門院に仕えた、大原女のスタイルの元祖とも言われている。出自は信西の娘ではなく藤原貞憲の娘とする説もある、これだと信西の孫に当たる。


tan さん 2006年 04月 03日 00時 38分 17秒

かわさきさん
掲示板は、いつでも「旬」になります。いいお話ありがとうございます。

>師経は元々は忌部氏で藤原家成の猶子になり藤原師経に・・・。
#忌部氏の系図、阿波・安房・出雲路など確認してみたのですが見つかりません^^;丹生郡人物誌あたりに載っているのでしょうか。、
親子の違いはありますが、藤原師光(?-1177)が藤原家成の養子になったとされ、師光は藤原通憲の乳母の子という。この乳母が忌部氏なのかもですね。或いは忌部氏→家成の猶子を経て-師光の養子になったのが師経でしょうか。通憲の法名は信西、師光は西光、ともに下級貴族。中納言家成の血筋は実に幅広く多いですね。
他に師経で年代が近くてひっかかているのは、橘政光の娘が藤原頼実の妾になっているのですがこの子供に「師経」がいます。この辺の情報はなにかお持ちではないでしょうか。
しかし平家、保元・平治、東鏡など読みたおさないとなかなかつながりませんですね。


かわさき さん 2006年 04月 02日 18時 18分 48秒

鳥見神社のルーツを調べていましたら、奈良県宇陀市の墨坂神社にあたり→そこが天富命→忌部氏に行き、なんとそこで藤原に行き着きました。
師経は元々は忌部氏で藤原家成の猶子になり藤原師経に・・・。
旬を逃していたらゴメンナサイ。

tan さん 2006年 03月 26日 14時 24分 38秒

下総の地図。
< http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40007803&VOL_NUM=00009&KOMA=12&ITYPE=0 >
国会図書館の「近代デジタルライブラリー」内にあるデータです。
以前、かわさきさんが紹介された中にある、江戸末期・清宮秀堅著『下総国旧事考』の付録の地図データです、地名もほぼ読み取れます。
昨夜、珍しく古代から中世へと視点を換えnet検索していて発見。「・・・ライブラリー」は4年ほど前から公開してるのですが、増えてます^^。東京国立博物館とか東大瓦版に匹敵する、錦絵などもみられます。今後は碑あたりも全ての字を読み取れるレベルの画質になる、とさらに嬉しい。




tan さん 2006年 03月 13日 00時 30分 42秒

かわかつさん
あ 言葉足りずでした。「カウベルに似た形態のもので・・」この辺りの確認もできず。。
これは、この辺りのウラヅケも確認できず。。でした。
>この件はこれでおしまいにしましょ。
#そうですね。

かわさきさん 
学校帰りですか、格調高く 記憶に残る場所 ですね^^。
武石神社、拝見。IC直近なのですね次回は立ち寄ってみます。武石城はなかなかの大きさだった様子ですね、真蔵院が隣接の様ですし。北1km程の長胤寺も気になります、こちらも次回探索予定にしてます。しかし道が細そうですね。
現在出先でダイアルアップですのでまたゆっくりお邪魔します。


かわさき さん 2006年 03月 11日 22時 44分 50秒

tanさん

こんばんわ。実籾の大原大宮神社、懐かしいですぅ〜。高校生の時、学校帰りによくタバコ吸ってました。
さて、三代王神社の北側近くに武石神社があります。神社名鑑にも掲載されていない神社で地元ならではのネタですが、本日行ってきたので明日にはUpしようと思います。
ついでの折にお立ち寄りくださいませ。

かわかつ さん 2006年 03月 10日 21時 53分 17秒

申し訳ないことに、例のページはすでに掲示板の彼方に消えてしまったようで、、、、
この件はこれでおしまいにしましょ。

昨日、佐賀県の西浦古墳周辺を探索しました。
ブログ かわかつWorldに詳細アップしています。

かわかつは九州の装飾古墳の絵と、例の巣山の船のレリーフがとても似ていると思うのですがいかがでしょう?ちなみにこの意見にいまだに誰からも同意を得ていませんが。^^

tan さん 2006年 03月 09日 23時 38分 50秒

ご紹介ありがとうございます。案内されているリンクなど辿ってみましたが。「カウベルに似た形態のもので・・」この辺りの確認もできず。。
かわかつさん言われる、
>私もいろいろ鉄サナギなどの本を読み返したのですが、そういう口伝がある?ようなのでしょう?
#という「?」の世界ですね。
『古代の鉄と神々』で真弓氏が言われているのは、野焼き程度で鉄鉱石の加工が可能とする考察などの後に、諏訪に残る鉄鐸は6c頃の製作で倭鍛冶の手によると考えられる、としています。
>個人的には原始的製鉄技術が縄文と弥生のはざま期にきていてもおかしくはないとは思えますが、・・
#同感です。


かわかつ さん 2006年 03月 08日 03時 02分 33秒

鉄鐸縄文時代存在説?というのは私が行っている闇の日本史サイト掲示板で、さる文章家さんからのご意見として出っくわしたものです。

http://6014.teacup.com/granvia/bbs?OF=80&BD=5&CH=5

この中の
「昔歴史では青銅器文化の後に鉄器文化と習ったものだが、縄文時代の諏訪にサナギ(鉄)の鈴というのがある。カウベルに似た形態のもので、魔除の道具だった。
銅鐸と同じような形をしているものに風鐸がある。最初に見たのは「シルクロード」の邑の門上の楼閣建築の四方に下がっているものだった。風が吹くとコロリンと鳴る。人がいない情景の中で風に吹かれてコロコロと鳴っていた。」うんぬんから、私がホントかいな?とつっこみ、その次の彼のコメントあたりまでをちょっと読んでみてください。

どうも。彼の私設でしょう。私もいろいろ鉄サナギなどの本を読み返したのですが、そういう口伝がある?ようなのでしょう?
少し小説的な感じは中世あたりに作られた、いわゆる古潭的な重々しさをやや脚色して説話にする、あの時代ならではの「伝説」・・・悪く言うと、古史古伝的な話だと思えます。
個人的には原始的製鉄技術が縄文と弥生のはざま期にきていてもおかしくはないとは思えますが、諏訪の話ですから、結局、海人たちが船によって仕入れてきていたという可能性はなくもないか??くらいの感じです。どうでしょうね?^^

tan さん 2006年 03月 07日 23時 11分 38秒

巣山古墳といえば、盗掘有りで残りですが、鍬形石、車輪石など北部九州、丹後、能登など出土共通が気になりますね、時代は4c-5c初でしょうか、。
葬送儀礼に使ったらしい石棺の蓋は実際に使用されていた船底?そんな痕跡は有る?。楠とすれば天磐船を追うのも楽しそうです。
ところで、鉄鐸が縄文からというのは、どなたがどんな論旨なのでしょうか、net検索何度かしましたが見つかりませんで。。北方シャーマンが形、使い方の似た画像を本で見た記憶はあるのですが。。


かわかつ さん 2006年 03月 07日 09時 48分 13秒

巣山古墳の船の模様が公開されましたね。
http://6014.teacup.com/granvia/bbs

tan さん 2006年 03月 05日 19時 33分 36秒

かわさきさん
早々に鷺沼古墳画像ありがとうございました。成年男子2体の埋葬、内房に共通する石材、
国府台の砂岩凝灰岩も同じ場所からでしょうね。
今日は治承の頃の鷺沼辺で遊んでおりました、子安と三代王の画像が有り神社探訪別館にupしておきました。

nickさん
ご来訪とご丁寧な書込みありがとうございます。
まっことお久しぶり。お元気そうでなによりです。



nick さん 2006年 03月 02日 12時 53分 22秒
URL:http://hayato.com/

秦氏をサーチしていたらこちらへ飛びました。
多岐にわたっての情報ありがとうございます。
今後も参考にさせて頂きます。

tan さん 2006年 02月 28日 23時 10分 43秒

かわさきさん
鷺沼氏、拝見しました。治承の頃からの所伝その後の従軍記録があるのですね。
東鏡では治承4年10/1「・・石橋合戦の時分散せしむの輩に於いては、今日多く以て武衛の鷺沼の御旅館に参向す・・」、次の日には頼朝・千葉氏が舟で出て隅田川を渡ってます。
鷺沼は古代の駅だろうと思いますが、鷺沼氏いつ頃まで遡れるのか気になるところです。
ありがとございます。古墳説明写真よろしくお願いします。



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