・掲示版 書庫


かわさき さん 2006年 02月 27日 23時 40分 01秒
URL:http://www14.plala.or.jp/nikorobin/rekisichiba.html

tanさん

鷺沼氏でしたら↑に少し掲載してあります。
鷺沼城址公園内に鷺沼古墳群があるのですが、習志野市教育委員会が立てた説明看板の画像なら手元にあります。必要ならばお送りしますのでおっしゃって下さい。

tan さん 2006年 02月 27日 00時 42分 10秒

KENJIさん
杉ヶ本神社! これが片鉾神社と言っていた社のようです。府神社誌がみつかり確認できました。いろいろ妄想していたメモもみつかり、
<http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/vtmp/tmp0.htm>にupしました。Topのtmp0からもリンクしてます。

google-earthを利用したデジタル台風
KMLを利用して日本から太平洋の台風発生場所の範囲の気象衛星の画像が見れます。
<http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/>国立情報学研究所(NII)
画面上中央の「GoogleEarth版」をクリックで利用説明があります。
台風発生の時以外も衛星画像は切替ります(1h)、昨年年間の台風dataもあり。
G-earthがインストールされていれば自動で立上がります。
明日の天気を予想できるかも ^^。


かわさきさん ありがとうございます。
姉崎神社は11世紀よりは古い感じを受けているのです、式内でもありますし、時平の時代には類似の伝承があったかも知れない、それは蘇賀氏のソレに重なったかも知れない。さらに類似の古い伝承もあっただろうと。。3世紀の古墳とか大海上国があったかも知れない、あたりと重ねて。。
源氏に染まった時期(1180-)と、千葉(郡)の混乱の時期(1455-)、これが当時の直接の利害にあまり関係ない藤原氏のそれも反平家で落ちた人を伝承に組み入れた理由ではないかと。。
治承以前では歴史から消えた鷺沼氏が気になっています。神ノ台の近くが城(館)跡と言う事らしいのですが。公園の古墳の詳細も癸にかかります。

かわさき さん 2006年 02月 26日 23時 59分 29秒

tanさん

こんばんわ。UPしたページ拝見させていただきました。
今日、実家に帰って少しばかりネタを仕込んだので・・・。
七年祭りですが、近郷の神社だけでなく、ナント例の姉ヶ崎神社の宮司さんも参加しているとの事。っとすると馬加氏の伝承より古い藤原氏との関連がまだあるのかもしれません。また時平神社ですが八千代に2社ありますが、輪番で参加していると思いました。(これはハッキリと覚えていないので裏を取る必要があります)
最後に地名ですが菊田神社の東側の高台ですが「神ノ台」(カンノダイ)と地元でも古い人は呼んでいます。母は「カンノンダイ」と呼んだりしています。習志野市役所から小学校にかけての高台です。

tan さん 2006年 02月 26日 21時 26分 46秒

かわさきさん
7年祭の伝承、おもしろいです。参加の社の位置の図など少し調べて菊田神社に追加しました。次の7年祭は2009年でしょうか。
この伝承の年は,千葉馬加氏が千葉宗家を攻め滅ぼしたあたり、習志野近辺では上皇、伊勢への荘園が目立ちます、(1177)以降は伊勢が圧倒的、なぜ藤原氏が同時期でからむのか面白いところです。

かわさき さん 2006年 02月 25日 09時 29分 18秒

tanさん

高津媛神社・時平神社は二宮・菊田神社同様に七年祭りに参加している神社です。このお祭りは当地域最大のお祭りイベントですが、元々は馬加氏の安産祈願が発端とされています。何か関連があるのかもしれません。
また、八千代市にも萱田神保御厨の記録もあり気になるところではあります。

tan さん 2006年 02月 25日 00時 45分 13秒

かわさきさん
船橋夏目御厨でしたか、船橋神宮(意富比神社)の旧地も御厨に関連でしょうか。その少し東がなぜ藤原の伝承があるのか妄想が続いてます。八千代市方面へ高津媛神社・時平が2社とある理由など地域の中世を掘り起こさないと。。中世は資料らしきもの手持ちがないですし推理レベルに至るまではかなりかかりそうです。
地図にプロットは「ああココに行きたい」が増えます。そういえばハトリを追って佐倉市の羽鳥に行きましたが北に伸びた岬といった地形で鉄塔が邪魔でしたが懐かしい匂いでした。

岩本さん
こんばんわ。過分なるお言葉いたみいります。
貴hpの継続発展をお祈りします。

岩本 憲一 さん (iichika@3haskc.com) 2006年 02月 23日 10時 21分 57秒
URL:http://www.3haskc.com/

管理人様

こんにちは!
リンクありがとうございます。
まだまだ未熟者ですが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。
「古代であそぼ」のような素晴らしいサイトをこれからも掲載してい
けるよう努力していきます!ありがとうございました。
貴サイトのますますのご発展をお祈り申し上げます。

かわさき さん 2006年 02月 23日 08時 45分 56秒

tanさん
御厨ですが東鏡の文治2年3月に船橋御厨(船橋夏目御厨)の記載があるようです。ですから治承のすぐ後になります。
地形図いいすね。地形、特に水系と旧跡などプロットするとまた新しい発見(妄想)がわいてきますね。

tan さん 2006年 02月 23日 01時 05分 27秒

かわさきさん
菊田さんあたりは今でも出水があるんですね。社地が砂地でこれは船橋大神宮とか標高のちと高い稲毛浅間なども砂地ですね、この辺りの海岸線はむかし砂洲とか砂丘が入組んで湊に使い易い潟湖なども大小あった感じがしてます。
菊田から二宮までは川沿いというか川を遡ったのでしょうね。水といえば二宮の境内の低地は雰囲気がありますね。
治たしか伊勢が船橋と二宮の間に広大な荘園を持っていた様子ですが、年代は治承から暫くしてということでいいでしょうか。
藤原一族の上陸、師経・師長に該当者が見つからないですが、かなり面白そうな推理ができそうですが、とりあえず地形などupしておきました。
<http://ktan.fc2web.com/j_tib/tb865kkt2.htm>Topページのtmp2からもリンクしてます。


岩本さん 
当hpの紹介、リンクありがとうございます。
早速、こちらからもリンクさせて頂きました。ご確認ください。


岩本 憲一 さん (iichika@3haskc.com) 2006年 02月 22日 11時 19分 32秒
URL:http://www.3haskc.com/

管理人様 はじめまして、私は岩本 憲一というものです。
このたび歴史に関するリンク集として「歴史大全」というサイトを
作成いたしました。
多くの方にすばらしいサイトを紹介したいと考えております。
管理人様の「古代であそぼ」をリンクさせていただきました。
(リンク先 http://www.3haskc.com/kodainihonsi.htm)
神社に行くとなぜか落ち着くので、気晴らしによく近所の神社
に行きました。
歴史好きの方にとってもそうでない方にとっても魅力的なサイト
だと思いました。
もしご迷惑でないのなら相互リンクをお願いいたします。
また紹介文で気になる箇所等あれば遠慮なくおっしゃてください。

当サイトの詳細
  サイト名 歴史大全 あらゆる歴史のリンク集
  リンク先 http://www.3haskc.com/
  紹介文  いろいろな歴史に関するリンク集(変更可)
  管理人  岩本 憲一(ハンドル名ライフ)
                  以上 よろしくお願いします。

かわさき さん 2006年 02月 21日 17時 32分 55秒

菊田神社のあたりの土地は低地で東西に高台があります。習志野周辺の神社は菊田神社を除いて高台にあり唯一低地の神社ですね。大雨が降ると今でも出水します。祖母が言うには明治の終わり頃は14号線まで海だったそうです。古代から中世には海がかなり近かったと思います。
菊田神社の低地沿いを北上すると藤崎あたりで左右に別れ右ルートだと二宮神社の清水にあたります。藤原氏の移動もここらにも関係するのでしょうか。
またまた妄想ですけど。

tan さん 2006年 02月 21日 02時 14分 07秒

です^^。妄想がおもしろい。肉付けして推理程度に妄想の幅を狭めるのもまた楽しい。
しかし、>追いかける度に要素が追加されますね。です。まあヒトの行動のねっこは今も昔も大差ないだろうから、当時の環境・各種背景などあてることができれば、、予想外とか間尺にあわないコトもするから、また複雑と言うかおもしろいのかも。
菊田神社、netを探してみましたが見つからないので急遽upしました。菊田神社の境内地は古く船状の中州だったようですね。久々田(くぐた)はクグル禊的意味があったのかも知れない。藤原師経らが三山二宮へ移るまでの滞在はかなり短期だったのかも、寒川といえば千葉市の寒川神社、近くに蘇賀ヒメ神社もあり離れて袖ヶ浦もあり地名・伝承の類似、、色々妄想が広がります。
菊田は写真を多くして文を追加するようにしてあります^^。
かわさきさんならではの情報お待ちしてます。

かわさき さん 2006年 02月 20日 08時 58分 24秒

tanさん
ご紹介いただいたカシミールで実際に図にしてみると、さらに妄想が膨らみます。
物部・伊都許利命・丈部・生部(壬部)・藤原と追いかける度に要素が追加されますね。これだから歴史は面白いのでしょう。
久々田に藤原氏の伝承ですか。菊田神社には云われが何かあったと思いましたが思い出せません。久々田(クグタ)と言う地名も、もう地元の人でも老人しかあまり使わなくなってしまいました。実は私の実家は久々田の隣の鷺沼でして、母は今でも津田沼と言わず久々田と言っております。月に数回は実家に行くのでチョイと調べておきます。
ローカルネタで申し訳ないです。

tan さん 2006年 02月 20日 02時 53分 53秒

かわさきさん お手数おかけします。
upされた画像から、郡の境はやはり分水嶺というのが基準の様子、寛永から遡ってもそれ程の差は無いかも知れませんね。
四街道あたりか古く千葉郡山梨郷の物部、三枝−丈部などの関わりが気になるところです。
下って治承年間に藤原師経、藤原師長が久々田(今の津田沼・菊田神社辺)に漂着し、後に北東の二宮(式内?寒川神社)へ移ったとの伝承がある。藤原氏に縁ある地であったろうこと、今も二宮から印旛沼(八千代市)にかけて菅原神社が殆ど見られず「時平神社」がみられる。
香取鹿島の藤原中臣氏と印旛南の藤原氏に挟まれているのが麻賀多神社。伊都許利の後裔も調べたいところですが地の利ある[かわさきさん]にお任せします^^。
麻賀多船形・伊都許利神社の西北500m程の台地舌端に太田神社があります(ゴルフ練習場に隣接)台地は古墳がありそうな雰囲気、この辺り、由緒など調べると面白いかも。
太田、時平、調べたいモノは多々ありますが。。近くの図書館・千葉市図書館ではひっかりませんでした。なにかご存知でしたらご教示ください。


かわさき さん 2006年 02月 19日 12時 05分 55秒

メモが見つかりました。
下総之国図は寛永十年(1633年)より古いものと言われている地図でございます。^^/

かわさき さん 2006年 02月 18日 20時 43分 58秒

え〜っと、資料は「下総之国図」(年代はごめんなさいメモした資料が見当たらず探しておきますね。これが最古の下総の地図だと思いました、西船橋図書館に収蔵されてましてコピーしました。)と「上総下総国絵図」(天保7年:1836年)、「下総旧事考」(弘化5年:1848)、最後に困った時の印旛郡誌です。
想定年代は、江戸初期としたいところですが、不明確な部分は江戸末期の図や印旛郡誌を参考にしたので江戸末期頃でしょうか。
ところで、本文にも書いたのですが伊都許利命の末裔はどうしたのか気になっています。麻賀多神社の神官家が系図を持っていて伊都許利命を祖としていて鎌倉時代に藤原(現太田)と名乗っていますが、ふじぃわらぁ〜って感じなのですが。

tan さん 2006年 02月 17日 23時 14分 12秒

kasi画像拝見。
郡の境いいですね、資料はどちらからでした、想定年代など知りたいです。
この画像の濃さなら、[表示]−[パレットの選択]−適当に薄いそうなのを選んでOKを押すと表示の濃淡が変更できます。(Ver855)


かわさき さん 2006年 02月 17日 21時 30分 10秒
URL:http://www14.plala.or.jp/nikorobin/torimi5.html

tanさん

なんとかUPできました。
ここに貼り付けました。↑

tan さん 2006年 02月 17日 00時 45分 02秒

片鉾神社、今の名は違うのか、小さな祠だったのか、たしか桓武50の天壇とかで車塚とセットで寄った記憶なのですが、記憶があいまいで。。すみません。思い出すまでベンデングってことで。。
KENJIさんの自然な流れの中でお願いします。決して無理はされないように^^。
ところで関東方面でなにか画像のご要望はありませんでしょうか。

かわさきさん
できましたか!^^/
濃淡は画像ソフト(Jtrimなど)で出来ます。がgif直接では乱れます、jpgでするのが簡単です。
カシミール上でするのが一番ですが、設定がメンドーです。
UPお待ちしてます。


かわさき さん 2006年 02月 17日 00時 38分 29秒

tanさん

できました、できました。
ただ、tanさんの様に細かい調整はできていないので、かなり濃い味に
なってしまっていますが。
でも、皆さんのおっしゃる通り実に面白いですね。
かなり時間はかかりましたが・・・。
近日中にUPします。

KENJI さん 2006年 02月 16日 23時 44分 15秒

リクエスト、了解しました。
ですが、片鉾神社の場所が如何しても判りません。杉ヶ本神社の事でしょうか?
他の4ヶ所は地図上で確認しました。
天候と、私の休みの日の兼ね合いに成ると思います。少々時間を下さい。

tan さん 2006年 02月 16日 22時 55分 43秒

KENJIさん
わざわざありがとうございます。ごゆっくりお暇なときにで結構です、いつまでもお待ちします^^。
リクエスト>只今、遠慮なくも手近なところで気になっている箇所を確認しました^^/。
候補です。
枚方のたぶん片鉾本町(小松製作所の東?)にある片鉾神社(牧野車塚古墳に関連?)、
茨木市の西福井4丁目の新屋坐天照御魂とその東の鎌足古廟、安威神社。氷室町北にある今城塚古墳。
これらは実見してるのですが写真を撮っていない場所です、今では場所も詳しい記憶がありません^^; カシミールで住所を確認しました。
どれかひとつでもお暇なときで天気がいい、のが重なったらお願いします。


tan さん 2006年 02月 16日 22時 30分 22秒

銅鐸
鈕の鰭に続く薄い部分は無い銅鐸も出土しており身にある鰭は後の発達した部分とみれば、祖型として拒否する材料としては十全とは言えないと思います。
磁器の形は写真からは鈕(釣手)部分の上部が凹んでいるように見えますが、コレが型枠の内側かも?といったところです。叩く鐸としたら銅鐸の内側にある凸帯部になる凹みが見えないですが越での銅鐸は厚みがあったやも知れず、裾部分が直線なのは後の漢代の編鐘には非常に少なくこの点からは銅鐸に似ているとも言えます、しかし加工跡など現物を見てみないと推理以前の妄想にすぎないですね。
死者の周囲からということで「明器」かもと書いたのですが、高さ20cmは明器としては大きいかなと思ったわけで、他の出土物も合せて情報がないと、やはり妄想レベルを超えないですね。。

鉄鐸
>縄文時代の遺物だという記事を見たのですが、本当ですか?
#記録では中世(室町)位しか遡れないとは見たことがありますが、縄文までという記事はどなたが書かれていますか?
縄文に鉄を利用することが可能だったのでしょうか、それとも褐鉄鉱で自然にできる鈴を縄文から使っていて、それが後の鉄鐸につながるという論旨でしょうか?
「おこう」が持つ6個1連の鉄鐸は外諏訪の廻湛で使われるのですが中世から使われたらしい「契約」の印としての鉄鐸であろうという論には納得してますが。。
御頭御占神事での「蛙」は古代から続くという方がまだなんとなく納得できます、縄文土器に蛙の意匠は多いし結構目立つ部分に見られますし。。



かわさきさん
kashmir 早く拝見したいです!。
BMPからGIFへの変換は、windows標準付属の「ペイント」でBMPを読込み→GIFを指定して保存すればできます。
何枚かを一括処理するには、JTrim(ジェイトリム)あたりが簡単なほうかも知れません。フリーソフトですので検索をかければすぐ見つかります。



KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 02月 16日 21時 32分 38秒

今晩は。

大山祇神社の写真、暫くお待ち下さい。
余りにも枚数が少ないので、何処か違う神社を撮影して来て、其れと一緒に送ります。
若し、此方の方で取材を希望される神社が有りましたら、リクエストして下さい。
特に無ければ適当に(?)取材してきます。
ですから、もう少し時間を下さい。ドウモスミマセン。m(__)m

かわさき さん 2006年 02月 15日 18時 06分 50秒

tanさん

カシミール、ようやく形になりましたが、gifファイルへ最終的に変換したいのですがどうされましたでしょうか?
初歩的な質問で申し訳ないです。(T.T)

かわかつ さん 2006年 02月 15日 01時 43分 54秒

ひとつ教えて欲しいのですが・・・
諏訪のサナギの鈴というのは縄文時代の遺物だという記事を見たのですが、本当ですか?
諏訪の物部関係はあとからの附会で、出雲に流された守屋の霊を建御名方族があとから行って守矢として祭ったのか、あるいは物部系の祭祀者が奈良末期に諏訪に入って祭ったと考えているのですが、サナギの鈴が縄文の遺物だったなんて初耳。

かわかつ さん 2006年 02月 14日 23時 48分 27秒

金関さんの言ってるように、私は鈕の部分が全く日本の銅鐸と違っているのが気になるんです。あとヒレがないですね。後になるとどんどん巨大化しますが、大きさはいいといsても、この二つの最大の特徴が反映されていない。それは日本から出土する朝鮮式小銅鐸もそう。
身の部分から直接張り出した半円型の鈕が日本の銅鐸の特異な様式なのだと思うんですけど・・・
またヒレと鈕がやがてつながって連続した形式になるのですが、今のところそれは外国にはないのだと思います。
あと舌。日本のは内側から槌で叩いていたらしい痕跡もあるそうですが、これはどうなんでしょう。
またこの青磁の鐸は墳墓に埋納されていて、埴輪のように死者の周囲に埋めれtということなので、銅鐸とはあきらかに出土状況が違っています。

tan さん 2006年 02月 14日 01時 11分 25秒

あの大和は何処に消えたのだろう。
つくりましたねプラモと木製の。その後はエンジン付Uコンとかに移りましたわ、ラジコンは出始めで子供には手が出なかったですね。

KENJIさん またまたお手数おかけしますがよろしくお願いします。

越磁器鐸>画像から見る肌合いは遠く仰韶半坡系にみられる粗紅陶、続く紅山の紅陶と3千年の流を感じさせ、さらに秦代の灰陶灰釉にも通じるのではないだろうか。。
共同通信の記事からは発見状況が分らないが発見個体数が4口ということもあり明器としては実物は精巧すぎかも知れない。銅器の型として使用したものを少し加工して埋納したのかも知れない。裾部分を見ると漢代の編鐘には大型にしかこの形は見られず高20cm程では銅鐸に似ているといえる。デスネ。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 02月 13日 20時 26分 16秒

tanさん、了解しました。ですが、今回は余り数多くは写していません。
写した写真は全部送りますが、余り期待はしないで下さい。

大和のセットは凄い人気でした。観光バスもドンドン来ていましたし、車も多く、島の中は渋滞状態。私は、しまなみ海道から行かずに、フェリーで行きましたので
反対方面から入り、渋滞には逢わなかったです。フェリーは、2〜3分で着き、料金も150円(車と二人乗車で。)と安かったです。

かわかつさん、特に大和と昭和史が好きな訳じゃなく、単なる、ミーハーで見に行きました。(笑)
でも、子供の頃は、大和のプラモデルも作りましたし、ご多分に漏れず「丸」(雑誌)も、良く見ていました。
豊後高田は昨年行きましたよ。昭和の雰囲気を良く伝えていました。味の有る町並みです。
明治や大正ではなく、昭和がレトロで懐かしく感じる時代なんですね。
其れだけ、戦後生まれの私達も歳を取った事なんでしょうか。(笑)

かわかつ さん 2006年 02月 13日 02時 41分 23秒
URL:http://2004mmc-junsouda.cocolog-nifty.com/40sugitecpkayo/

KENJIさん、大和と昭和史がお好きなようですので、話題を。大和と武蔵は日本海軍が最後の維新をかけて造り上げた巨大軍艦ですが、私たちの世代にとってはやはり大和がヒーローでした。戦闘機では0戦、戦艦は大和、横綱は大鵬^^でした。プラモデルはよく作っていましたね。
古いものですがうちに「図版・昭和の歴史」全巻がそろっています。また国東半島の方の豊後高田市には町全体を昭和30年代にデコレートした町「昭和の町」があります。
「オールウエイズ・三丁目の夕日」が都会の方に受けているようですね。
私はまさに昭和30年生まれですから、あの時代を子供といsてreal timeに生きてきたわけで、ビッグコミックの西岸良平の作品は大学生の頃から読んでました。なんとあのマンがはかれこれ30年も続いてるわけですね。すごい
もうひとつのブログに戦前のビアホール風景を模したビール館の画像を載せていますのでよかったらお立ち寄り下さいね。


かわかつ さん 2006年 02月 13日 02時 24分 00秒

tanさん、KENJIさんいつもお世話になります。
この銅鐸、陶磁器製というのがくせ者^^ですが、私は美術史的にも興味がそそられます。
形的には朝鮮式に見えるのですが、彩色を見るとなにやら朱っぽい・・・この色は果たして銅鐸を模したものかどうか???
tanさんの「鉄鐸と銅鐸の比較」同様にこの磁器鐸と銅鐸も今後徹底比較されてゆく必要がありそうです。ただ、史書「国語」・・・これ読んだことがないのですが、銅鐸が中国南部にあったという記述があったとは知りませんでしたし、大事だと思いますね。

まあ、磁器だけに、じきにとはいかないでしょね^^

tan さん 2006年 02月 13日 00時 32分 48秒

トシイエさん
こちらこそ!です。大変ですが、細くとも永くで!

>銅鐸
越での青磁鐘は20cm程ということで青銅を模した明器なのでしょう、土鈴の一種なら内側に舌を吊るための実用的加工があるでしょう。
少し北方で時代の下がる曾候乙墓の編鐘の小規模のモノが楚の時代使われていたかも。しかし出土の笛の穴の数などからは漢代より楚のほうが音律が複雑だった可能性が高いですね。
ところで、かわかつさん「鉄鐸さなき」と銅鐸を比較精査した資料などどこかにありませんでしょうか。博物館での銅鐸の音の再現などはとてもよい音色とはいえない(邪神が寄ってくる^^;)諏訪のサナキも聞くに堪えない、富山高岡の銅の風鈴以上の音色の銅鐸はどこかにあるのでしょうかね、曾侯乙墓の編鐘の音色は素晴らしく、染入る音色でしたが。
音、光、色、ヒトも神も注意を惹きつけるには宣伝の基本は外せないですね。

KENJIさん
おお、大和のオープンセット!なかなかの人を集めているようですね。尾道へ土日でいけるその距離が、いや行動力が羨ましい。風邪気味か(老齢か^^;)土日ほぼ臥せっておりました。
大山祗、お手数ですがお願いします。KENJIさんの写真みるのが楽しみです。
しまなみ海道、ちょうど工事中で残念な思いしてます近くまで行ったのですが。。
呉鏡、www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ymn1asm1.htm <山梨浅間神社>あたりに少し書いてます。呉の船団、万の将兵の行方なども気になるところです。旧ログのどこかにありますねたしか。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 02月 12日 22時 51分 10秒

今晩は。(^O^)/
この連休は、尾道に「大和」のオープンセットを見に行ってきました。
凄い人出でした。セットなので半分しか作られていませんし、ベニヤ張りなんですが、其れ成りの迫力は有りました。

その後、大山祇神社に行きました。二回目でしたが、此処の宝物館は何度見ても素晴しいものでした。
写真は余り写していませんが、若し必要なら送ります。

かわかつさん、今晩は。
青磁鐸、少し前の産経新聞に写真入で出ていました。
確かに銅鐸の原型と見れば見れる形です。でも、今後も議論が出そうな気がする、微妙な形にも見えました。
私は、少し違和感を感じました。でも、銅鐸の原型が呉越から出土した意見には惹かれます。
「赤烏」でしたかね。呉の年号の入った鏡が出土しているのと合わせて考えたら、大陸〜朝鮮半島系以外のルートが考えられ、益々古代史は面白く(?ややこしく?笑)成って来ます。

訂正です さん 2006年 02月 12日 19時 35分 13秒

銅鐸じゃなく青磁鐸でした。

かわかつ さん 2006年 02月 12日 19時 29分 46秒
URL:http://white.ap.teacup.com/soudasui/

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/morning_news033.html



倭人のルーツかも・・・呉越から銅鐸!!
うちのブログに画像があります。考古学ニュースあたりはまだ未発表。

http://white.ap.teacup.com/soudasui/

かわかつ さん 2006年 02月 12日 19時 28分 00秒

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/morning_news033.html
倭人のルーツかも・・・呉越から銅鐸!!
うちのブログに画像があります。考古学ニュースあたりはまだ未発表。

http://white.ap.teacup.com/soudasui/

トシイエ さん (tosi@25nk.com) 2006年 02月 11日 17時 18分 31秒
URL:http://www.25nk.com/

こんにちは!
リンクありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします。

s_tan さん 2006年 01月 29日 19時 14分 02秒

ようこそ トシイエさん

ご丁寧なご連絡ご案内、またリンクを有難うございます。
早速、こちらからもリンクさせて戴きました。

広いジャンルの言葉を、ご自分の言葉で紹介。大変ですが、さらにの発展を!。がんばって下さい。


トシイエ さん (tosi@25nk.com) 2006年 01月 28日 17時 00分 27秒
URL:http://www.25nk.com/

『古代であそぼ』 管理人様 

はじめまして。
私は『知恵の素』というサイトを運営しています、
トシイエ と申します。

『古代であそぼ』様のサイトは、
とっても内容が充実したサイトで、
是非リンクを張らしていただきたいと思いました。

で、事後報告になってしまいましたが、
私のサイト『知恵の素』 のリンク集の考古学集に、
貴サイトのリンクを貼らせていただきました。      

リンク集はこちらです→ http://www.25nk.com/koukogakulink.html

私のサイトは知ってるようで、知らない。
そんな言葉がたくさん詰まったサイトを目指しています。

私のサイトで知らない言葉を調べた人が、自然と皆さんのサイトへ訪問し、さらに楽しむ。
そんな流れができればいいなと思っています。

そこであなた様のサイト様と、相互リンクが結べますと、私自身すごく励みにもなりますので、
是非!相互リンクのご検討をなさって頂けれると幸いです。

重ねてのお願いで済みませんが、相互リンクをして頂けるようでしたら、
下記のテキストでリンクを、貼って頂けますようお願いいたします。
バナーが無いもので・・・ すいません・・・

タイトル名:知恵の素
リンク先 :http://www.25nk.com/
紹介文  :知ってるようで、知らない言葉を“知恵の素”は紹介します。

もちろん紹介文は適当に変えて頂いても結構です!


突然のメールで失礼いたしましたが、最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございました。

ご検討の程、どうぞ宜しくお願い致します。


キキキキキキキキキキキキキキキ
知恵の素 管理人 トシイエ  

E-Mail:tosi@25nk.com

URL  :http://www.25nk.com/

キキキキキキキキキキキキキキキ

日本人 さん 2006年 01月 24日 21時 51分 08秒

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=ogosetown
何かの参考になるかもしれません。

かわかつ さん 2006年 01月 23日 02時 35分 52秒

早速ありがとうございますです。^^
今度、ブログを追加しまして、HPにある「論説集古代史の盲点」の続きのページみたいな感じです。古代史専科で書きたい放題しています。
http://white.ap.teacup.com/soudasui/

店子のブログでペットサイトブログの「金魚`sROOM」も開店させました。ポメのミックのコーナーですが、やはりペット人気はすごくって、初日からぎょうさんの客入りみたいです。とほほ・・・
http://pink.ap.teacup.com/kinngyotomick/

tan さん 2006年 01月 22日 19時 00分 53秒

かわかつさん
お疲れ様。top軽く読み込み出来てます。リンク設定しました、ご確認ください。

かわかつ さん 2006年 01月 20日 00時 23分 35秒
URL:http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/

あ、リンクのお願い、まだしてませんでしたっけ。^^;
これを気に相互リンクお願い申し上げます。私の方は勝手にリンクしておりますので・・

かわかつ さん 2006年 01月 19日 23時 53分 50秒

完全に消去されましたので、私のA Magical Mystery CollectionサイトへのリンクURLの変更をお願い申し上げます。URLは下記のものでお願いいたします。 これにともないMagical掲示板BBSの使用も中止いたしました。書き込みなどは「画像が送れる掲示板」へお書き込みくださいませ。

新URL  http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/
画像が送れる掲示板URL  http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs

なお旧来よりTOPページの容量過重のためページの表示が遅くなりご迷惑をおかけしておりましたが、今回、壁紙を軽いものに変えてみました。飛び方の早さはいかがでしょうか。
ご意見などお寄せ下さいませ。

tan さん 2006年 01月 19日 02時 15分 29秒

かわかつさん
HPの移動は大変ですよね、時間もかかるとおもいますががんばって下さい。
伺いましたが、Topページで4MBのGIF動画はきついもんがあります。炎だけ抜き出して処理とかするといいかも知れません。

KENJIさん
やはり512でしたか、つい先ほど通販で届いたメモリ足してやっと512にしたところです、文字化けは極小になりました。その直前は外付けHDDがクラスタ壊れたみたいでCHKdskかけたら120Gで5時間かかってました、機械は適度に使わないと駄目ですね。
「いり豆の会」いいすね、やりましょ。さて何処がいいかなぁ。。かーたんさん参加されるなら関東でしょうか^^。

「×」印の話ですが他の方の質問もありましたので、追加します。
G earthの左の選択画面にLayersがあり、→National Geographic Magazineの▲(右向き)をチェックし、→ Africa Megaflyoverにチェックを入れると「×」が出ます。
「×」はflyoverですので飛行機のマーク、G earth画面右下のEye altで4200km位から表示され280km以下になると「×」の表題が現れます。出る画像は雑誌社提供の上空1km-300m程の航空写真です。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 01月 19日 01時 01分 39秒

今晩は。
私のPCは、512MBのメモリーです。未だ、文字化けの現象は無いのですが、早く動かし過ぎたら、再起動状態に成ってしまいます。
ですから、ソロリソロリと動かしています。

所で、今年は何とか「いり豆の会」を再開したいですね。
かーたんさんも参加してくれそうですよ。

かわかつ さん 2006年 01月 17日 19時 05分 25秒
URL:http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/

HPをこのたびNiftyの大容量HPラクーカンに移行いたしました。
http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/
なんと2MGの巨大空間が月額600円台で!しかも年間契約すると月額470円!
http://lacoocan.nifty.com/


YmmY

tan さん 2006年 01月 17日 00時 20分 55秒

カバは驚きですイルカ!?と思って?文字を確認したらカバの集団でした^^。
使っているうちに画像表示窓内の標高などの文字が化けてくることはないですか、
KENJIさんのPCはメモリ512Mbでしたか?、

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 01月 16日 18時 55分 00秒

ふじたさん、そのままの倍率では出ないと思います。
少し倍率を上げますと、赤い「X」印が出ます。
其処を中心にして、トコトン倍率を上げましたら、詳細写真が見れますよ。
ビクトリア滝や、カバの集団等も見れました。

ふじた さん 2006年 01月 16日 00時 34分 43秒
URL:http://www.diviner.jp/

> KENJI さん & tanさん

昨日から、アフリカの「×」を探しているのですが、うーん、それって何処?状態です。
□ではいないですよねぇ??

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