・掲示版 書庫


tan さん 2006年 01月 15日 22時 58分 54秒

ふじたさん こんばんわ
相模六社めぐり、いかがでしたか。相模川流域は関東でも古くから開けたようで川と西から伸びた巨大砂州の環境が大きく影響していたと考えてます。寒川は良港の時代から船着場へと長い間要所であったのでしょう、もちろん日知りの地としても。前鳥と平塚八幡は地勢と伝承から多少の移動があった可能性が高いようです。
レイラインについては良くわかりません、ラインでなく巾ありベルトといった方がとかその必然性というか何の利益が?など疑問が解決しません^^。が見通しできる範囲での目印には距離に関わらず興味があります、伊勢神宮の裏山から富士山とか白山とか。。

>・・・煙草を吸っているのが判るですね、公開してない精度では。
#・・のとおり私も「煙草のケムリ」は確認してません^^。衛星を使ったカーナビの精度と公開しない軍事衛星の精度の違い、画像も当然高い精度は公表してないハズです、スパイ映画などで煙草を吸っている人物のアップなどの画像が出たりしますが、これは可能で事実と思ってます。

KENJIさん
長城、じっくり探すと海に突き出た長城も分かるのでないかと。。ナスカは画像精度が上がるのを待っていますが。地球の造形では以前紹介した
< http://www.ersdac.or.jp/ASTERimage/ASTERimage_library_J.html >
が、画像が綺麗で見応えがあります。
アフリカの「×」印、リンク関連も益々充実ですね、今後も楽しみ!。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 01月 14日 22時 35分 10秒

tanさん、早速ファイルを作り確認してみました。
万里の長城、ナスカの地上絵、ドチラも此れかな??程度の確認は出来ました。
有難うございました。

ふじたさん、はじめまして。私はタバコの場所は確認していませんが、プール(らしき物)を作っている人は確認しました。
アフリカの部分で、「X」印の場所が何箇所もあるでしょ。その部分を拡大しますと詳細地図が小さく表示されている部分が有ります。
その中の一つに、作業をしている人を確認したのです。
人が写っている場所は少ないのですが、他にも有ると思いますよ。

今は、世界の有名な場所巡り(?)を楽しんでいます。(笑)

ふじた さん 2006年 01月 14日 21時 49分 24秒
URL:http://www.diviner.jp/

私もG-mapを入れてみました。
すごいですね〜
でも、人間まで判る場所(煙草も?)ってどのあたりなんでしょうか?
探してみたけど、せいぜい車が分かる程度までしか見つからないです。

ふじた さん 2006年 01月 14日 20時 40分 42秒
URL:http://www.diviner.jp/

はじめまして。
寒川神社六社めぐりに昨日行ってきたので、ちょっと調べたら色々と出てきました。
こちらのブログにとりあえず地図画像を載せています。
http://diviner.cocolog-nifty.com/

詳しくはHPに載せますね。


tan さん 2006年 01月 14日 15時 55分 56秒

久々の雨、本降りになってます。昨夜久々に使った外付けHDD半分認識せず、なんとか読める分はCDに、ついでに全Formatし一部backupが終わったところ、よいおしめりです。

KENJIさんのところは回線も速くて軽快ですね、1.5Mで少し物足りないす。
G_earth、画像に標高dataがついてます、GSIのdataに比べると精度は劣りますが、衛星の前後の誤差から測る標高ですから驚きです。
大阪の大型古墳は高さもなんとか確認できるレベルですね、人家の少ない奈良の画像もそのうち精度が上がるだろうと期待してます。
 万里の長城・ナスカ、どちらも画像精度が荒い場所ですね、長城は海に近い部分を探してみたのですが見つかってません^^。下記は北にある部分とナスカの地上絵があるあたりのdataです。
位置はkmlという拡張子のファイルで指定できます。
下記の下から上に挟まれた行をコピーして分かり易いフォルダーに置いてください。
1・<?xml から</kml>までをコピーし
2・適当な名前.kml で保存する
3・G_earthをlogin状態で
(1)左上の「file」→「open」で上記で作成したファイルを開く(指定場所へ飛びます)
(2)G_earth上でマーカーを付けたり外したり付帯情報をいじれます。
 ※下記ファイルはそのまま保存せずG_earth上で書換え保存が安心です。

---Aはファイルのほぼ最小構成、緯度経度のデータを差換えると位置のやりとりができます^^。アイコン、視点など情報はファイル上でも修正できます。

---cut下-A.kml(適当な名前.拡張子(kml指定))---
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
<Placemark>
<name>Nazka 5k</name>
<LookAt>
<longitude>-75.1334455667</longitude>
<latitude>-14.7200000000</latitude>
<range>5000.0</range>
<tilt>0.0</tilt>
<heading>0.0</heading>
</LookAt>
<styleUrl>#khStyle556</styleUrl>
<Point>
<coordinates>-75.1334455667,-14.7200000000,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
</kml>
---cut上---A.kml(ナスカ地上絵)

-----cut下-----B.kml(適当な名前.拡張子(kml指定))
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<kml xmlns="http://earth.google.com/kml/2.0">
<Document>
<Style id="khStyle556">
<IconStyle id="khIconStyle557">
<scale>0.5</scale>
<Icon>
</Icon>
</IconStyle>
</Style>
<Placemark>
<name>londe-casle(North)</name>
<LookAt>
<longitude>116.7961113333</longitude>
<latitude>40.5205556666</latitude>
<range>5000</range>
<tilt>0</tilt>
<heading>0</heading>
</LookAt>
<styleUrl>#khStyle556</styleUrl>
<Point>
<coordinates>116.7961113333,40.5205556666,0</coordinates>
</Point>
</Placemark>
</Document>
</kml>
-----cut上-----B.kml(万里長城)

KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 01月 13日 17時 41分 18秒

tanさんも自宅を確認しましたか。私も一応(?)自宅の確認はしました。(笑)
世界の色んな建造物も確認しましたが、万里の長城やナスカの地上絵は判らないです。
ピラミッドやスフィンクス、ローマのコロッセウム、パリの凱旋門、など等は、確認しました。
日本では、(伝)仁徳天皇陵や(伝)応神天皇陵などの古墳は判り易いです。
ある程度の面積が有るのは判り易いですが、万里の長城の様に、幅の狭い建物は判り難いです。
倍率の高い場所では、人間まで判るのでビックリします。仰る通り、レーザー光線を利用しますと、宇宙から狙撃できるのでしょう。
便利だけど、ある意味では怖い時代です。

tan さん 2006年 01月 11日 00時 13分 54秒

かわさきさん
カシミールいいですね、実に楽しいです。
市販のソフトをセットした本とか参考本は見たことがありませんので、悪戦苦闘の内容が読めませんが。。
地理院(GSI)のデータでは、標高メッシュデータと画像データ(PNG,2万5千分の1)に分かれています。
標高データは50mメッシュと250mメッシュが有りメッシュの交点の経度緯度で位置を特定し、その位置の標高をデータとして持っています。
この標高データを画像(ビットマップ)と重ねる→カシミール手順では<編集→標高データを重ねる(MATの作成)。
(GSI)のデータは大きいので事前にkashimir用に変換する必要があります<ツール→地図画像ツール→(用途に応じ)>。
 上記の(GSI)データ利用の為の手順はオンラインでの「やまおたくデータ」を利用すると不用です(ここ2年ほど使ってないので最近の確認はしてません)。
現在Ver855を使っていますが以前に比べint-netでの(GSI)データの処理は規制が増えて一括処理、オフライン処理が使いづらくなっています。
 精通してはいませんが、なにか質問ありましたら、この掲示板上でどうぞ。

カシミールは社など場所の確認、見通し内での位置(日の出,日の入りなど)、標高を使っての古い汀の推測などを主に使ってますが、ビルや樹木で現在は見えない社からの景色を確認することが多いですね。
大阪はボーリングデータなどでの河内湖の研究がありますが関東の海岸線は5,6年前の(GSI)の河川による土砂の移動を加味した1万年前からの試作画像を参考にしてます。
日の出、日の入りの角度などは平面上の簡単データとして「六曜 DROKUYO.EXE」という旧暦同時表示のカレンダーソフトがお薦めです。


KENJIさん
google earth! KENJIさんのお宅の屋根を確認しましたよ。は冗談ですがウチの屋根は判別できます^^。場所により撮影年代が違うのもなかなか面白いところです。
しかし衛星から地上の人物が確認できる煙草を吸っているのが判るですね、公開してない精度では。レーザー使って狙撃もできるんでしょうね、要人はオチオチ太陽も見れないですね^^。


KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2006年 01月 09日 22時 58分 12秒

今晩は。
この正月に息子が帰って来ましたが、その時、「Google Earth」と言うソフトをダウンロードしてくれました。
衛星写真を地球の形にした、地図の様な写真なんです。
今、此れで彼方此方、世界中を見ています。
日本の天皇陵など、ハッキリと形がわかりますよ。
下のアドレスからダウンロード出来ます。

http://earth.google.com/

中々面白いソフトと思います。

かわさき さん 2006年 01月 09日 17時 44分 09秒

tanさん

松の内も過ぎましたが、この正月休みにご紹介いただいたカシミールを入手し
(しかも参考本2冊分)、印旛沼周辺図を作成しようと悪戦苦闘しましたが糸口さえ見つからず・・・。
今年は、これと格闘しつつですかね。
またまた、よろしくでございます。

にほんのしくみの秘密? さん 2006年 01月 09日 17時 10分 14秒
URL:http://www.godbrain.com/

日本のなかにプログラムされていた、
神のデータの秘密の開示がされています。
伊勢神宮から地球の緯度で一直線上に、
淡路島のイザナギ神社まで並ぶ、神的配置はよく知られていますが、
経度でも伊勢と白山が一直線で結ばれている理由も、
よく読めば納得!?「最終知識」という書に記されています。
興味のある方はご覧ください。

http://www.godbrain.com/

tan さん 2006年 01月 04日 22時 07分 18秒

TNOさん ようこそ
生駒神社いいですね独特の雰囲気もあり行基の故地なども近く親切な宮司さんも思い出します。近所でしたら何度も探索したい場所です。
膨大な資料というほどではありませんが何かお気づきの点などありましたらお知らせください。


タックンさん 今年もよろしく。
志賀剛氏、嵌りましたか^^。時折なぜこの結論と質問したくなる箇所もありますが、史料・考古と伝承ほどよく載っておもしろいですね。関東編ではお世話になってます。
古い神社は古墳上にあったり傍にある事が多いので、式内社ならずとも神社との位置とか関係で氏神を祀る氏族がその地と由縁が続いていたか否かなど妄想するのが楽しいところです。
関西ではお年寄りに近くの神社についてお聞きすると氏神さんとか鎮守とかお答えが違うなど地区内での神社の位置が区分されていただろうなど、面白い話をよくさせて頂いておりました。


タックン さん 2006年 01月 04日 20時 19分 30秒

管理人様、皆さん、明けましておめでとうございます。

最近古書店で、「式内社の研究」この本の、山陰道編・山陽道編を買って読んでいくうちに、結構は俟ってしまいました。
この本に興味をひきつけたのは、地名考証を重点的に探っているところと、普通この手の本になると考古学的な部分はあまり考証されていないんですが、かなり取り入れられていることで、興味を引きました。
ただ肝心の、五畿内編を捜して読もうと思っているんですが、古本でしか手に入りにくい難点があるので苦労しておりますが・・・・・
少しこの辺りから、古代・考古の視点で探っていこうと考えています。

TNO さん 2006年 01月 03日 08時 45分 33秒

興味深く拝見させていただきました。
今朝は実家近くの生駒神社(奈良)のお参りに行ってきました。
膨大な資料が掲載されているのでこれからじっくり読ませていただきたいと思っています。とても参考になるHPをご作成いただき感謝いたしております。

tan さん 2005年 12月 31日 22時 32分 59秒

こんばんわ
今年もあとほんの少し、ほんと早いものです。

かわかつさん、
同じように特に年末近くからばたばたしています、そんな年代ですね。

KENJIさん
こちらこそ。新しい年はさらによき事ありますように。


では皆様、よいお年を!



KENJI さん (ha4da@zeus.eonet.ne.jp) 2005年 12月 31日 17時 23分 53秒

今晩は。
今年もいよいよ、あと数時間。色々有りましたが、マァ、毎年の事でしょうか。(笑)
tanさんには色々とお世話に成りっぱなしでしたが、来年も変わらず宜しく御願い致します。m(__)m
来年こそは、何とか再開したいと思っています。
そして、又、何処かでお会いしたいですね。

此方に来られる皆様も、良いお年をお迎え下さい。

かわかつ さん 2005年 12月 30日 17時 08分 41秒

旧年中はいろいろとお世話になりました。
鶏が飛び立ち、犬が駈けて参ります。
今年は酉年の母が往生し、来年早々に一周忌。新年挨拶や、お歳暮などすべて省略いたしました。
おせち料理はそこそこに、高い買い物も控え、結局、先ほど煮物を2種類、トンポーロー、あとは簡単な総菜を15種ほどこじんまりと魚菜の精進などを作り終え、庭の掃除などで、かれこれ4時間ほどの行程をすませたところ。
明日朝、施設に父を迎えに参り、市街のラーメン屋で買った、本格ラーメンを食べさせ・・・父はこれが死ぬほど好きでございます・・・あとは近くの100野菜で雑煮の菜を手に入れ、柚のお風呂に入れ、背中のひとつも洗ってやり、落ち着いたところで柔らかいじぶ煮で一献。老いた父とひねたせがれの二人酒盛りといったところでしょうか。
お重は煮物を省くと、2段。
市販のものは手を入れ直して味を整え、昼過ぎからつめていきます。
まあひまがあれば、明日、写真をアップできるかと思っております。
では皆様、来年お会いしましょう。     かわかつ敬白


tan さん 2005年 12月 25日 23時 37分 59秒

布団太鼓
説明不足でした&久々に検索してみました、いやぁint-netのdata拡充は毎々驚きです。布団太鼓台と言うのが一般的なようでした。太鼓台の屋根の代わりに巨大座布団を3,5か7枚重ね飾りとしたものです。殆どが担ぐ御輿タイプのようです。(神社探訪本館の・大阪・に画像あります。)
発生は泉州か河内で19cに瀬戸内海を通じて流行した様子です、大流行はおそらく淡路が震源かもという説があるようです。時代背景もあるでしょうが御輿の彫刻より安価で見栄えがするのが一気に広まった理由でしょうか。河内泉州での発生は長者の娘の嫁入り行列の組布団の輿なのかも、長者は旧大和川跡利用の緜でしょうか。(掛)布団の関西、ドテラの関東というのがありますがこのあたりまた調べたいところ、。


か-たん さん 2005年 12月 11日 15時 54分 20秒

>理由の後付
確かにラインが先で後から強引に結びつけちゃうのもたくさんありそうですね。
私は今はただ感心するばかり・・・(>▽<;; アセアセ
一言主はそうするともっと弥生よりももっと古来からの神様♪
カモ氏と一言主は別なのかも知れませんね。。。
いろいろありがとうございました(^ー^)ノ

かわかつさん、早速お伺いいたしますね。

かわかつ さん 2005年 12月 11日 11時 06分 12秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/mononobe.html

新しく「物部氏」ページを更新しました。これまでの大和の草創期への疑問を大きく解消できた格好です。見てやってください。かーたんも見てね。
新連載「判官外伝」とともによろしくおつきあいのほど。

かわかつ さん 2005年 12月 11日 09時 30分 54秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/mononobe.html

ははあ、8世紀に秦姓の役人が赴任している・・・ありがとうございます。
和太鼓の流れというのはよく知りませんが、一般的な太鼓にしても、かなり発展形態が大陸とは違っているような気もします。楽器から考える視点もおもしろいですね。
雅楽などは半島からそのまま伝わったのでしょうか。
民間に下りて行ってからの進化変容というのが日本はかなり特殊ですねえ。

下のURLに物部氏のいた枚方〜生駒〜三輪をアップしました。おひまなときに覗いてください。私のHPは推測重視なのであまり役立たないとは思いますが。^^

tan さん 2005年 12月 11日 01時 21分 04秒

かわかつさん
布団太鼓、九州にはなさそうですね。河内と瀬戸内沿岸の分布をみると物部の後の高麗の匂いがしたり又かなり後の流行なのかなど思ったりです。
石棺は特に調べたことがないですが桜土手は横穴で石室積石が目立ち複数埋葬みたいです周辺の高塚は特に小さいのが多いですが室形式は確認してません。家型ではたしか川崎辺りに妻屋根を表現した石玄室があったと記憶してます。
桜土手の西1km程に波多川があり近くに菖蒲の地名があり自然銅の鉱脈が残ります。この辺は和名抄で余綾郡幡多郷にあたります。この西の大住郡の伊勢原辺りには後世に物部を名が確認できます。(例:神社探訪別館伊勢原市沼目の八坂神社) 
相模では天平7(735)に秦三田次が少目(しょうさかん)に任命され、8年後に秦井手乙麻呂が相模守に任命されている。その後も下級官吏に秦の名が散見される。遅くとも聖武の大仏以前には秦は秦野に居たのでしょう。
波多野の字は武士の抬頭後(秀郷以降かも)なのかも、頼義に従ってもいますね。「の」を付けているのは部民でなく秦忌寸あたりの後裔なのかも知れませんね。


かーたんさん
^^。三囲わかりましたよ。ラインについては理由の後付が目立ちますね最近^^。
笛は楽の精神的メイン(バックグランド)なのかな、縄文の石笛がルーツか?など^^。丹後では石笛を模した土製品がでているらしい。
令義解は養老律令(法律)の注釈書です今でいえば高裁の事前判例集みたいなものかな。
原カモ氏の一言主:まだ戦をする必要のなかったヒトより(自然の)モノが多かった時代、海を渡ってきた人々が少なかった時代の葛城地方の痕跡が一言主なのかなぁ、、です。
カモの(地)名があったかどうか分かりませんが新しい農作業などの知識を持ち込んで歓迎された時代でしょうか。高鴨のカモ氏が濃い後継かどうかは「?」です。
火雷、系譜を追うのも楽しそうですが地形的に雷の多い場所には雷の名がつく社が多いです。
系譜では津速玉-天兒屋根-天押雲-「大御食津」-狭山命-藤原氏(途中略)な感じです。
大磯宇賀神社の西隣5月の国府祭で有名な場所に櫛稲田,足摩乳手摩乳を祀る守公神社があるのですが地元ではシュコウジンさんと「ジン」とよんでます。


か-たん さん 2005年 12月 10日 21時 48分 34秒

>墨田区の三国神社
ってどこ?って後から悩みました。笑
三囲でした (*ノェノ)キャー
本(朝日の直刺す国、夕日の日照る国)の読みすぎでラインが頭に渦巻いていて・・・すみませーん<(_ _)>

か-たん さん 2005年 12月 09日 19時 46分 16秒

tanさん、(*・ェ・*)ノ~☆コンバンワ♪お久しぶりです♪

葛木坐火雷神社が現在の神社名なんですね。朝廷の笛吹きをつとめた笛吹連(むらじ)たちの氏神で古墳もあるとのこと、半島系の古墳でしょうか。関係ないけど京都の笛吹神社は秦河勝さんがお創りになった神社でした。
小角さんが伎楽人とするとまた違った見方が出来そうでちょっと楽しいです。
>原カモ氏の象徴が一言主
原カモ氏って弥生の最初に葛城地方に住み着いて稲作など広めて下さった方達かなと・・・、ある雑誌に令義解(←これ自体良くわからないけど(-_-;))には国津神の代表として「大神・大倭・葛木鴨・出雲大汝」と出て入るそうですけど、この葛木鴨は原カモ氏?=一言主にあたるのかしら?それとも事代主命さんのことでしょうか・・・

宇賀神さんは藤原秀郷さんと関係があるんですね。それで栃木県にもいらっしゃるんだ。
ちょっとあちこち調べてみましたら(私なりに 笑)、秀郷さんは弁財天さんを信仰されていたそうで、神様の本に宇賀神は弁財天と同一神とされていたり白蛇神ともなっていたと載っていました。
梵語の「宇賀耶」がもとだったり鎌倉の満福寺に宇賀神像があるなどちょっと仏教的な気がしました。

それから話はかなり戻るんですけど、墨田区の三国神社と福井の余呉市にある三国岳って北緯35度の39”と42”で近いラインにあるんだなあーって今日地図を見ていて発見しました。だからって名前以外になにも繋がりがないし、それにどうせならぴったり同じ42”の位置に鳥居を建てても良かったんですよね (-_-;)

かわかつ さん 2005年 12月 09日 17時 54分 59秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/

これは関係ない話ですが、秦野駅北口の蕎麦「信玄」はうまかったですよ。あんまりうまいのでせいろと辛み大根の2枚をぺろっと食べてしまいました。^^

かわかつ さん 2005年 12月 09日 17時 49分 53秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/

布団太鼓?ふとんをかさねたような重ね太鼓。京都府木津、大阪杭全、堺市、兵庫、岡山などどうやら渡来系のにおいのする地方にあるようですが、九州にもあるのかな??ちょっとわかりません。あるとすればまず小倉から南の豊前地方、あるいは長崎あたりかなあと思いますが・・・大分にはないですねえ。
秦野の古墳は竪穴式石棺でしょうか?吉備がそうでしたが、おそらく九州海人系かと思います。装飾あるいは家型石棺はないですか。確か桜土手古墳展示館で会った秦野市教育委員会文化財班の霜出俊浩さんは、秦野の秦はもともと波田であって、言われるような秦氏との関係遺跡などはないと言われていました。秦の字は聖徳太子信仰がっこまでやってきてから秦川勝にあやかって改変したのかもしれないですね。
けれど豊後大友氏は田中勝也氏などによるとやはり秦氏出身だといいます。
真偽のほどはわかりませんが、波多野氏という部族は大友家の母方ですから・・・
私が思うに秦氏を名乗るのは多くがはばかる傾向がありましたから、やはり波多野がただしかろうかと。ただし行ってみた感想ではまず秦氏に関わりがありそうでした。
館長の大澤豊さんともお話ししましたが、九州の影響はかなり大きいようです。

tan さん 2005年 12月 08日 00時 26分 39秒

秦野の下流では相模湾の大砂州の真土大塚古墳が4c中?頃、金目川の平塚市と秦野市の境近くで6c前半頃、金目川上流の桜土手古墳群(馬具など出土)は6c末から8c初め。秦野の山麓の川沿いには削平された古墳がかなりあった様子。秦野東の伊勢原では珍しい唐製の環鐙が出土。これ以前では秦野から伊勢湾岸で作られた遠賀式がでてますね。
松田は横穴などですが南西の箱根山系東麓には6c以降の近畿色の強い高塚が目立つ。。秦野近辺の山塊は銅、黄鉄鉱とか結構種類が多いです、今の丹沢湖川筋など人手が入ったのはかなり古そう。
そういえば秦野にも国府があったという説もあります。良弁の出身かもという漆部の本拠も近い。

御輿といえば関東では見ない布団太鼓、寝具か座布団か分かりませんが四国瀬戸内河内と確認してるのですが九州にはありませんか。


かわかつ さん 2005年 12月 07日 02時 36分 09秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/

それにしても神奈川の人はよほど御輿がお好きなようですね!勝手ながら八百屋さんのサイト、のぞかせていただきましたら、どこの神社もおみこしかついでわっしょいわっしょい??^^;秦氏とユダヤと関東人は御輿つながりだ!!

かわかつ さん 2005年 12月 07日 02時 27分 23秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/

かなり興味深いお話ですね。金目川の上の方は土地がやせ畑しかないのに、平地では伏流水があふれ突如として水田地帯になる。その上流地帯には秦氏の波多野がある。私の先祖は寒田あたりの松田惣領から大友氏とともに豊後に行っている。
そして背後の足柄山には製鉄集団の存在を感じさせる「まさかりかついだ」金太郎伝説がある。
金太郎は長じて坂田金時になり、源頼光の四天王となり、京都丹波の大江山の鬼を討つ。大江山の酒呑童子は鉄の象徴で、これまた鉄の象徴、吉備の桃太郎伝説を生む温羅伝説につながる。
それらすべてを結んでいるのがヤマトタケルの鉄探訪のルート・・・
さらに北上すると房総の海上郡・鹿島・香取の鉄、さらに岩手県釜石の鉄鉱石にまで道がのびていく。

tan さん 2005年 12月 05日 00時 37分 31秒

祭神もなかなか面白いところです^^。
宇賀からはスサノオ系列とか真言とか江ノ島弁財天などの匂いが強いのですが、六所はバリバリの出雲系ですので「社前を避ける」のは無理があります。
8c終わり頃の十禅大師あたりの宇賀に重ねて大宮調神社の宇賀神で調の倉庫としてが強い感じでしょうか。宇賀には稲を主とする系統と穀物全般を主とする系統があるような気がしています。
主神の御食津は、スサノオのイザナギ以前の高皇産霊の兄弟津速魂を祖としてますので出雲とは違うとの主張があったのかも知れません。
弁天さんとか宇賀の呼び名は真言の影響があったのかも知れないかな、など考えてます。
宮司さん達は海岸に集まるのですね、余綾郡の北が淘綾浜から見て西方に食い込んでいるのも面白いですね、浜は黒砂で鉄分多いですし。平塚総覧探してみます。


八百屋 さん 2005年 12月 04日 22時 28分 49秒

やはり宇賀神社の祭神に理由があるのでしょうか???

私も国府祭は最初から最後までは見に行ったことはありませんが、
確か前日か当日の朝に各社の宮司が海岸に集まったと思います。
神輿は集まりません。現在は宮出した神輿はトラックで神揃山まで集まり、
それぞれ別の口から登山します。順番はもちろん一之宮から平塚八幡宮の順番です。

だだ、トラックで移動とはいえ、三之宮は金目川にて禊をしたり、輿をひっくり返すなど、かなり古式にのっとっているようです。各社のルートに関しては、以前平塚図書館にて平塚総覧の民俗学編に少し載っていた気もしますがあまり覚えていません。
ちなみに私は近世、近代以前は殆ど調べておりませんので(古文が苦手なもので 笑)

tan さん 2005年 12月 04日 15時 45分 24秒

こんにちわ八百屋さん
八百屋さんにはとても及びませんが偶に相模探訪というか再訪しています。
宇賀社の伝承はとても面白いです。現在地を基にすると地理的に前を通るのは寒川前鳥と平塚の3社、比々多は北から入り海岸までは出なかった可能性が高い。
国府祭を実見した事はないですが、全社の御輿は全て海岸に集まる、ということは在ったのでしょうか。神揃山に入るに各社それぞれ違う道を使うみたいですが至るまでのルートの変遷などお分かりでしたら教えてください。
集まる社に式内である寒田社が入っていない距離的には平塚・寒川・比々多よりは近いのですが。相模で一番古いという千代廃寺、これが8C初め。富士山の噴火地震などなどからめて妄想を楽しんでます。


八百屋 さん 2005年 12月 03日 20時 58分 10秒
URL:http://www6.ocn.ne.jp/~hirakyuu/

ごぶさたしております、リンクを貼っていただいております八百屋です。
さて、また相模の神社探索が増えてますね、早速拝見させていただきました。
私もやはり宇賀神社の「模国府祭に参集のため渡幸の神輿は宇賀神社の前を遠ざかるて通るを例とせしと」には大変興味がありますね。
国府祭の神輿渡御には各社、そのルートや道中各所での様々な仕来りがあったと聞きますが、そのルートは明確には残っていないとのこと…。三ノ宮比々多神社などはかなり昔はルートが決まっていたといいますが、近世に入るとそのルートを道ではなく畑だろうと川だろうと一直線に進んだとの記録があるとのことです。平塚南金目や万田にも渡御に由来する坂名が残っていますから。

tan さん 2005年 12月 01日 23時 31分 43秒

データの消失 つらいもんがありますね、接写モードで暫く気づかずというのが何度かあったりします。
崇神陵は250m程でした?道路、駐車場からの景色が尚小さく見せるみたい、陵の根元にあるイザナギ社が少なくとも表に崇神が出てないのが知りたいところです。
石上社に比べるとその位置大きさなど出雲健雄社、面白い。古代の武器庫の位置を推理した地図・図面などどこかにありませんでしょうか。


かわかつ さん 2005年 11月 30日 02時 50分 42秒

桧原神社に三輪鳥居があったんですが、ちょっと手違いでデジカメデータが消えてしまい、アップできません。あそこは吉備の媛みたいでしたが・・・
あと崇神天皇陵が意外に小さかったので、ちょっと驚きでした。それにしても天理、桜井、生駒、から北河内のラインは物部氏ですね。
その石上神宮には出雲建男の神がひっそり祭られていました。

tan さん 2005年 11月 29日 00時 07分 08秒

こちらこそ おひさしぶり。

いい季節にいい場所を回られたのですね。
大和神社は大国主でしたっけ、葛城の神様といいますと阿遅鋤高日子根・高比売辺りからの連想でしょうか。大和の祭神はかなり複雑というか重層仮託入乱れ中世近世も主祭神が変わったらしい、など小耳にはさんだことがあります。珍彦でしょうか、元社といわれる旅所は山すそにあります。大国主を主とする所は実は○○というのが多そうな気がします。

葛木(葛城)は系図(流)では追うのが難しいです(はっきりしない)。襲津彦あたりを別にすると皇子皇女に散見、程度。
「一言」というのは、各地の社などに見える土地をダマシ盗られた話、「インデアン嘘つかない」に結構重ねてます^^。縄文からのというか初期弥生(というか)の匂いというか残滓が強い感じ。
アジスキの系譜には海の三姫の他に自然神の次というか生活必需というか稲関連が多いす、大歳、御歳、宇迦之御魂、大土・・・、水稲大団体の初期なのかも、カモは小川レベルから初めて人工池か、アジスキは本格的灌漑なのかも。一言主にかぶった?
鴨がからむとカモかもが増えますね。


かわかつ さん 2005年 11月 24日 22時 36分 09秒
URL:http://homepage2.nifty.com/2004mmc-junsouda/

めちゃくちゃにおひさです。
飛鳥、石上、磐船神社、三輪山、京都、吉備路をさ迷っていました。
葛城の姫のいる山から奈良三山や箸墓をのぞいてきました。大和神社は葛城の神様だったんだ!
一言主は出雲の事代主を祭るアジスキタカヒコネじゃないですか?私説ですが。

tan さん 2005年 11月 23日 01時 01分 06秒

寒くなりましたね。月も澄んで見える季節ですね、今月は17日が満月、明日の月没は昼頃、太陽に比べると動きが大きいですね。月の異名というか十六夜とか十三夜とか朧とか実に多いですね昔から身近だったのですね。

役小角の記録は殆どないみたいで何百年か後の話とか近世までの伝説拡張しかないみたいですが、ま、古代の歴史も似たようなもんですか。。
楽人は連想に次ぐ連想で。。小角の名=横笛、近所の笛吹神社。天武の時に相伝して技を伝えよなどあり、これが延喜式の雅楽寮につながり伎楽人を楽戸郷から調達した、その地域は杜屋から葛木笛吹辺り。
本格的に(伎)楽が伝わったのは(612)百済から帰化した味摩之。役小角は(634)辺りの生まれとされている、伝説では小角の父親は大角といい郷里(出雲か)に帰ったという。
楽戸を束ねたのが多氏とするとカモの本流ではない役は笛吹辺りを主に束ねていた、のではないかと。。或いは味摩之と共に来日し帰国したのが父親かも。

一言主さんは小角さんの使い走りにされてるんですね、天皇と遭うのが山上だったり谷間だったり、土佐にも流され、、ということで後の流れのメインのカモ氏ではなく原カモ氏の象徴が一言主だったカモ。
茨城は、伝承の竹と数字の3が気になるところ、物部、秦、三枝あたりが土地の伝承に関わりないか調べると面白そう。

宇賀神社は小さな社ですが地元の信仰は篤く途切れがない様子で、興味深いですが、小さな社が多く移動消長も多かった地域でお話から社の特定ができないなど暗礁模索(造語^^)状態。
宇賀神さんって宇迦之御魂で米どころに多そうな気がしてたのですが秀郷流に散見されるみたいです。


か-たん さん 2005年 11月 15日 18時 45分 05秒

U。・ェ・。Uノ~コンバンワン♪
秋も深まり一気に寒くなってきた今日この頃・・・
tanさんがコメントされてたカモ氏の出没地点、日々眺めているのですが・・・
右往左往の毎日(-_-;)
役小角さんの楽人っていわゆる古代の舞いをする人の事でしょうか?(全然ちがったり(-_-;))
それから、一言主さんって鴨氏や葛城氏の神様ではないのかしら?
茨城にも一言主さんいらっしゃいますが、お会いしてくるとわかるかなぁ・・・

宇賀神社って随分古そうな神社ですね、なにか情報見つかると良いです。
そういえば米どころ栃木には宇賀神さんって苗字の方がいてびっくりでした 笑

tan さん 2005年 11月 10日 00時 05分 56秒

川副さん
詳解ありがとうございます。八千代の飯綱さんもなかなか面白いところです境内は整備されすぎの感もありますが遠くに印旛沼の端を見る景色は昔を想わせてくれます。
座間でその名の由来をお聞きしましたら大阪の座間との由縁は伝わっていないとの事でしたが、なにかひっかかる資料はありませんでしたでしょうか。
烏天狗から狐さんへ、山から里へですか。飯綱さんでイタチ(エゾイタチ?)を祀る社はあるのでしょうか。
削除了解です。

川副秀樹 さん (zoe@air.linkclub.or.jp) 2005年 11月 08日 19時 26分 07秒

川副です。さっそくご了承いただきましてありがとうございます。
掲示に関しましては勝手を申しますが、住所、電話番号等、メールアドレス以外の連絡先は削除していただけるとありがたいです。

ちょっと長くなりますが、転載させていただく写真を掲載する項の文面は以下の通りです。座間神社に関しての記述は後半にあります。


■戦乱が無くなり、天狗より狐がウケる時代に

 じつは全国に飯綱と名の付く寺・神社は長野県を中心に百以上あり、現在そのほとんどの祭神・神体は保食神(食べ物の神)、すなわち宇賀御魂神=稲倉魂命=稲の神である。
 つまり、名は飯縄神社であるが、烏天狗や不動明王などの荒々しい戦の神のイメージは姿を消し、より庶民的で地域に密着した稲荷神や農耕神的イメージが強い。狐や蛇をシンボルとした稲荷神としてのダキニ天のご利益だけが残されたのである。
 実際に稲荷と習合した例は数知れず、上田市下塩尻では飯綱を「オキツネサマ」と呼んでいる。これは現世利益を求める民衆の信仰意識、生活への具体的欲求が変化してきたからで、修験道が色濃く残る高尾山などでも明らかにこの意識の変化は見られ、現在では飯縄大権現が戦の神だったことを知る人は、もはや希である。
 このような稲荷系の飯縄神社は、北は宮城県気仙沼市浪板地区、同じく宮城県黒川郡からあり、中部・関東地方に多いことはもちろんである。
 たとえば天狗のイメージを全く感じさせない千葉県八千代市の「飯綱神社」(前出)には、以下のような縁起が伝えられている。
 文明十一年(一四七九年)、太田道潅(江戸城を築いた室町時代の武将)が、米本城(臼井城という説もあり)を攻めたときに権現山に陣を張って戦った。その時、守り本尊である十一面観音菩薩に「戦勝あらば尊像はこの地に埋める」祈願したという。そして苦戦しながらも勝利したので、その陣の北東の地中に尊像を埋めて引き上げていった。それから約百四十年後の元和八年(一六二二)、権現山で白狐が連夜十七日間も鳴いた後、村人に「我は飯綱大権現なり。昔、太田道潅の埋めた十一面観音の尊像が権現山の北東五尺の地下にあり、この世に再誕させればあまねく一切衆生を済度してくれる」という神託を下した。村人がその場所を掘ると光り輝く十一面観音が現れたので堂を建ててこの像を安置したという。それが社殿裏の観音堂(現在は無い)で、現在の飯綱神社となったという。現在、ここに祀られている神は、宇賀之御魂命=稲荷神である(http://www.city.yachiyo.chiba.jp/midokoro/iituna.html より)。
 かつて福井兵右衛門嘉平に剣法・神道無念流を伝授したのも老翁であったが、飯縄大権現や飯縄三郎天狗は宇賀之御神、農神を彷彿させる老人姿で現れる場合もたびたびあったようだ。たとえばおよそ千五百年前、欽明天皇のころ、神奈川県相模原の座間神社に現れたという飯縄権現には以下の伝承が伝わっている。
 座間の里に悪疫病が流行り村人たちが大変苦しんだとき、白衣の老人(飯縄権現の化身)が現れ、崖下の森の中に湧き出る清水を使うとよい、とすすめられた。村人がそのお告げにしたがったところ、悪疫もおさまり、感激した人々が飯縄権現を祀ったのが、神社のはじまりというが、残念ながら現在この泉は涸れている。
 また源頼朝が幕府を開いた頃、悪疫が流行し白衣の老人が来て日本武尊を祀れば治まると教えたので日本武尊を祀ったとも記録されていて、明治二年には飯縄神社に、同九年には座間神社へと改称し、村社として防火の神でもある日本武尊を祭神とした、とある。
 ここでもやはり天狗のイメージは払拭されており、明らかに明治新政府の影響が伺える。ただしここの飯縄権現は、寛文二年(一六六二)の御縄打の後に勧請されたという説もあるから、その頃は「戦の神」だったのではないだろうか。

tan 2005年 11月 07日 22時 23分 03秒

川副さん こんばんわ
座間の画像、どうぞお使いください。
飯綱権現、飯綱の法の研究興味深いです。座間神社との関連は資料など残っていましたのでしょうか。

連絡戴いたダブリ投稿分は1つ削除しました。また、ご住所電話など、このまま掲示板に残しておいてよろしいですか。長期の公開に不都合ありましたら、この場にご連絡ください。


川副秀樹 さん (zoe@air.linkclub.or.jp) 2005年 11月 07日 20時 31分 09秒

はじめまして。
私は東京都高尾山でボランティア活動をしている川副(かわぞえ)秀樹(56歳)と申します。高尾山では通常のボラ活動(自然教室の指導員や森林保全など)のほかに山岳信仰や民間信仰の歴史を研究しております。

現在は高尾山薬王院の本尊である「飯縄大権現」と、この神にまつわる「飯縄の法」についての研究文を書いています。幸い長野県の小出版社「龍鳳書房」様より、その研究文を出版していただけることになりました。全240ページ(1色)ほどになる予定ですが、発行部数は少なく3000部ほどです。
*別にカラーの口絵が12ページほど付きます。

内容は大きく3章に分かれており
1 妖術「飯縄の法」
2 クダ狐と魔法
3 飯縄の神・飯縄大権現とは
となっております。

今回転載許可をいただきたい写真は「座間神社」の写真です。
いずれにせよ、モノクロで左右70ミリ前後です。
3章の中「日本中で信仰されている天狗系ダキニ天」の項で、かつて飯縄権現と関わりのあった神社として紹介させていただきたく存じます。

連絡先
・メール:zoe@air.linkclub.or.jp

以上、よろしくお願いいたします。

tan さん 2005年 11月 06日 21時 24分 47秒

おおさかさん
それはありがとうございます。&お疲れさまでした。hpのご案内もぜひお願いします。


ワンワンさん
残念ながら箱根は泊まるに近すぎ地元でもなく、ですので、不明です。大昔ですがプリンスのコテージが湖畔近くで小路も雰囲気がよかったですが。。九頭竜というと元社でしょうか箱根の境内でしょうか、季節もいいですしどこか良い所が見つかるといいですね。


かわさきさん
平安末頃には、龍角寺付近を埴生、その西(元印西)を埴生西、印旛沼東を印東と呼んでいた。埴生西と印西の境界は山(外野ソトノ)と呼ぶ居住地入会地以外の無人地帯(内野=入会地など山)。
江戸初期には牧の南西端あたりが神々廻になるのでしょうか。相馬、印西、臼井の接点ですね。その昔は、、富塚近くの金山の地名など南にも鉄関連地名があり谷筋の風など気になるところです。
ちと見づらいですが、印旛の谷、丘の区分(9mで水)の図です。top頁< tmp2 >。
< http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/vtmp/temp2.htm >



かわさき さん 2005年 11月 05日 17時 57分 15秒

tanさん
 神々廻にはもう一つ、江戸時代初期の記録に「神々迫」と言うのもあります。東から宗像神・北から鳥見神とは考えすぎでしょうか。

ワンワン さん 2005年 11月 05日 13時 30分 23秒

すいません、訂正文です。
九頭龍神社13日行くにあたり、12日から宿を取ります。なるべく寝坊できて、9時半、集合場所の元箱根港に行きたいのです。いい便のバスがある、朝食付宿を探しています。

12日もはやくチャックインしないですし、13日も早めのチャックアウトになると思いますので、こぎれいで、リーズナブルな所を探しています。交通に便利な地域、また、お勧めの宿ございましたら、お力をお貸しください。

ワンワン さん 2005年 11月 05日 13時 22分 50秒

こんにちは。
13日九頭神社に行きたいのですが、宿はどのあたりに泊まればいいでしょうか?
足が箱根小田急フリーパスでのバスしかありません。

おおさか さん 2005年 11月 05日 01時 42分 35秒

tanさんへ。
引用の件、了承の程ありがとうございました。
はい!丸々コピペなどはしないです。tanさんにも失礼ですし^^;
おかげでHPの厚みが増したように感じます。ありがとうございました。

tan さん 2005年 11月 04日 23時 45分 05秒

かわさきさん
「神々廻」これ初めてお目にかかったとき「ししば」と訓むとは!でした。
中世には「ししはざま(害獣)」「屋敷廻(やしきば)」などの地名が見られるとかで、ししと廻が合体したのでしょうか。しかし神々の文字をあてた理由が知りたいものです。村落の間の緩衝のようですので会合する場所でもあったのでしょうか。

守巌氏、個人の方の云々についてはメールさせていただきました。



かわさき さん 2005年 11月 02日 09時 50分 59秒

tanさん
確かに白井市には、富塚・名内・小名内・神々廻・白井・富ヶ谷・平塚の7社があります。(但し小名内は末社です)お尋ねの守巌氏ですが、残念ながら当方初耳で申し訳ありません。ただ、白井の鳥見神社は自宅から至近ですので、守巌氏の詳しい情報がわかれば当方で探すこともできるかと思います。鳥見神社に付いては21社のデータをまとめたものは作成してありますので(ただお役に立つかはわかりませんが)、ご入用でしたらメールを下さればお送りします。鳥見・宗像・麻賀多・埴生と確かにそそられますよね。

tan さん 2005年 11月 02日 00時 23分 29秒

かわさきさん
鳥見をお調べですか、小生もまだ調べたい事があるのですが機会がなかなかです。
白井に鳥見は7社ということですが白井391-8(字東郷)のs62頃の守巌氏が栄町矢口の一宮神社と鳥見の関係があるかも、と、そのへんお聞きしたいと参詣時近所を訪ねたのですが不明で。。何かご存知でしたらお願いします。
しかし鳥見、宗像、麻賀多、埴生とみごとに分かれて(いた)いますね。

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